東本願寺

2015年11月28日 (土)

報恩講参詣紀2015

11月28日 親鸞聖人のご命日
11月21日から28日まで、ご本山 東本願寺では報恩講が勤まりました。
22日から24日まで参詣させていただきました。

真宗門徒にとって、一年で一番大切なご法要
娘たちには、報恩講の雰囲気と大切さを感じて欲しくて、毎年参詣に出かけています。
いつまで一緒に行けるかなぁ。
年々、法要の場にいられる時間が長くなってきました。
長女(小1)は、今年の夏休み中、一緒にお朝事(朝のお参り)を勤めていたら、「正信偈」を覚えてしまい、報恩講の法要中も「正信偈」を口ずさんでいました。
しんらん交流館に足を伸した際も、ロビーの書籍販売コーナーで、テレビの画像で流れている「正信偈」を一緒に読んでいました。テレビを見ながら一緒にお勤めしている姿は、なかなか美しく(自分の子だからというわけではなく、と思う)、本人が飽きるまでずっと「正信偈」をお勤めさせてあげました。「はじめてのお勤め練習帳 正信偈-DVD付き-」の宣伝の画になるんじゃないかなぁと思いながら見てました。

でも、娘たちは、キャラクター(鸞恩くん 蓮ちゃん あかほんくん)に会うことと、子どもテントで缶バッチを作ることが毎年の楽しみ。
それで良いのです。
ご本山にお参りすることを、報恩講にお参りすることを楽しみにしてくれれば。
私自身、毎年 報恩講に参詣することを楽しみに一年頑張っています。

「声明に関して」
ご法要を参詣していて、最近(いつの頃からか忘れましたが)、ずっと自分の中で失っていた感覚を思い起こしました。御影堂に大勢の方が参詣されている中、目を閉じて声明の声に耳を澄ませていて、「あっ、これだ!!」と思い出したことがありました。感覚的なことなので、べつに何かが大きく変わるわけではありませんが、見失っていた感覚を思い出してひとり涙していました(泣いてはいないけど)。

「縁に関して」
どうして毎年お参りするの? 何が大切なの? と、思われるかもしれません。
報恩講に参詣すると、懐かしい面々と再会します。
今年は、大学の後輩5人と、かつて練馬の真宗会館に勤めていた方々6人と再会しました。それから、Facebookで知り合いになりながら、今まで会ったこともなかった人とも出会えました。
「再開が嬉しかった」って感慨だけではなく、つながっているんだなぁ、それぞれの現場でそれぞれが頑張っているんだなぁと、思えます。
「先輩!!」と言って私の元に駆けてきて、差し伸べてくれた手の温かかったこと。O君、嬉しかったです。
妻は、今は某教区の所長になられたKさんと、毎年報恩講で再会します。私はたまに東京で会うのですが、妻(東京)とKさん(仙台…某の意味ないか)は、なぜか毎年京都で挨拶を交わしている。大したことじゃないかもしれないけれど、でも、不思議だなぁと、おかしくなりました(Kさん、子どもの面倒見ていただいて、すみません)。

「こども報恩講のつどい」
報恩講期間中の1日、ご本山ではこども報恩講も勤まります。
今年は日が合い、参加させていただきました。
御影堂でお参りして、食堂でみんな一緒にお昼ご飯を食べて(次女は、この日のカレーライスを楽しみにしていました。おかわりしてました^^)、藤原正寿先生のお話しを聞いて、スタッフの皆さんが用意してくださったアトラクションをして…。
楽しい時間を過ごさせていただきました。子どもたちも満足、お腹いっぱい。
親鸞聖人、藤原先生、スタッフの皆さんに感謝です。

「せっかく京都に行ったのだから…」
昨年までは、私たち(わたしと妻)のスケジュールで京都での時間を過ごしていましたが、小一の娘も知恵をつけてきて、今年は、「京都タワーにのぼって、清水寺に行って、京都水族館に行きたい!!」と要望が。テレビで見て、行きたくなったようです。
京都タワーか、久しくのぼってないなと思いつつ、久しぶりに上りました。展望コーナーで、東本願寺を見下ろして(失礼)びっくり!!
御修復が済み、阿弥陀堂と御影堂門の素屋根が外れて、境内の全貌が見えました。東本願寺の広報担当の方、京都タワー展望から見た真宗本廟も発信すべきですよ!!
京都水族館は、チケットを持っていると、いろいろなお店で特典があります。夕食を食べたお店で、「京都水族館のチケットがあれば、特典があります」と書いてあったのでお見せしたら、一人一杯ずつドリンクサービスでした。お酒もOKで、美味しいハウスワインをいただきました。そのような特典があることを知らなかったのですが、気にしてみると、けっこういろいろなお店で特典をアピールしています。京都水族館に行かれた方は、チケットを捨てずに持ち歩いているといいですよ。

「紅葉ですが…」
ご本山の前の紅葉が、ほとんど散っているなぁと思って眺めていましたが、今年は京都の紅葉はいまいちだったそうです。
例年にくらべて暖かかったこともありますが、毎年ライトアップをするようになり、木々も疲弊しているとのことでした。
寺社のライトアップは、いつ頃から盛んになったでしょうか。確かに、きれいです。でも、寝る時間が必要なのは、人間も、他の生物も、植物も同じ。にもかかわらず、寝る(休む)べき時間にライトアップされ、しかも、秋だけでなく桜の季節も。夏にライトアップする所もあります。つまり、一年中寝不足が続いているわけです。元気がでるはずもありません。
円山公園の桜の木たちも、「養生中」の札がかかっていました。
どうか、元気を取り戻せますように(-人-)

京都で元気をもらい、東京に帰ってきました。
真宗門徒の一年は、報恩講から始まる(報恩講がお正月)と言われます。
気持ちも新たに、一年の歩みを始めました!!
が、すでに日常生活に埋もれ、こころ落ち着かず過ごしています(笑)
それでいいのです。
みんなと一緒に生きているのだから。
だからこそ、毎年ご本山に参詣するのです。
阿弥陀さまの前、親鸞聖人の前にひざまずくと、こころホッとします。
がんばろって思えます。

真宗のご縁に出遇われた方は、一生に1度はご本山に参詣されるといいですよ(報恩講に限らず)

南無阿弥陀仏(-人-)

2015年5月22日 (金)

安全保障関連法案に対する宗派声明発表

真宗大谷派
安全保障関連法案に対する宗派声明」が発表されました

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2015年5月21日更新 

安全保障関連法案に対する宗派声明発表

このたび、国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、真宗大谷派では5月21日、宗務総長名による宗派声明を発表しました。

日本国憲法の立憲の精神を遵守する政府を願う
「正義と悪の対立を超えて」

私たちの教団は、先の大戦において国家体制に追従し、戦争に積極的に協力して、多くの人々を死地に送り出した歴史をもっています。その過ちを深く慙愧する教団として、このたび国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、強く反対の意を表明いたします。そして、この日本と世界の行く末を深く案じ、憂慮されている人々の共感を結集して、あらためて「真の平和」の実現を、日本はもとより世界の人々に呼びかけたいと思います。
私たちは、過去の幾多の戦争で言語に絶する悲惨な体験をいたしました。それは何も日本に限るものではなく、世界中の人々に共通する悲惨な体験であります。そして誰もが、戦争の悲惨さと愚かさを学んでいるはずであります。けれども戦後70年間、この世界から国々の対立や戦火は消えることはありません。
このような対立を生む根源は、すべて国家間の相互理解の欠如と、相手国への非難を正当化して正義を立てる、人間という存在の自我の問題であります。自らを正義とし、他を悪とする。これによって自らを苦しめ、他を苦しめ、互いに苦しめ合っているのが人間の悲しき有様ではないでしょうか。仏の真実の智慧に照らされるとき、そこに顕(あき)らかにされる私ども人間の愚かな姿は、まことに慙愧に堪えないと言うほかありません。
今般、このような愚かな戦争行為を再び可能とする憲法解釈や新しい立法が、「積極的平和主義」の言辞の下に、何ら躊躇もなく進められようとしています。
そこで私は、いま、あらためて全ての方々に問いたいと思います。

「私たちはこの事態を黙視していてよいのでしょうか」、
「過去幾多の戦火で犠牲になられた幾千万の人々の深い悲しみと非戦平和の願いを踏みにじる愚行を繰り返してもよいのでしょうか」と。

私は、仏の智慧に聞く真宗仏教者として、その人々の深い悲しみと大いなる願いの中から生み出された日本国憲法の立憲の精神を蹂躙する行為を、絶対に認めるわけにはまいりません。これまで平和憲法の精神を貫いてきた日本の代表者には、国、人種、民族、文化、宗教などの差異を超えて、人と人が水平に出あい、互いに尊重しあえる「真の平和」を、武力に頼るのではなく、積極的な対話によって実現することを世界の人々に強く提唱されるよう、求めます。
 
2015年5月21日
              
真宗大谷派(東本願寺)宗務総長 里雄康意

2014年6月 6日 (金)

法灯

真宗大谷派 東本願寺


浄土真宗本願寺派 西本願寺


御遠忌を終え、新しい動きが出始めています。
西蓮寺は、真宗大谷派です。

2013年6月14日 (金)

真宗大谷派の動き 日本国憲法第九十六条「改正」反対決議 可決

(お知らせ)
2013年6月11日(火) 真宗大谷派宗議会において
2013年6月12日(水) 真宗大谷派参議会において
「日本国憲法第九十六条「改正」反対決議」を全会一致で可決されました。
   
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日本国憲法第九十六条「改正」反対決議
    
政府与党は、日本国憲法第九十六条の「改正」を表明しております。これは国会における改憲発議要件を3分の2以上から2分の1以上に緩和することにより、憲法「改正」を容易にしようとするものです。本来、憲法は、国民からの負託によって、国民に代わって行政権を執行する政府を規制する国の最高法規であります。それ故、他国においても同様に、その改正にはあえて厳しい制約が定められています。
 
言うまでもなく、「国民主権」「基本的人権の尊重」「戦争の放棄」の三大原則を謳う現日本国憲法は、政府が先頭に立ってそれを遵守し、憲法に基づく施策を具現化していく義務を持つものであり、その具体的実践により、初めて日本国憲法は世界に誇りうる憲法となります。
 
「国豊かに民安し。兵戈用いることなし」と説く『仏説無量寿経』を正依の経典とする私たち真宗大谷派宗門は、宗祖親鸞聖人の開顕せられた念仏の教えと、そこに流れる御同朋・御同行の精神のもとに歩んでまいりました。しかし、私たちは、過去の戦争においてその教えを歪め、無数のかけがえのない命を戦場に送り込むという痛恨の過ちを犯してしまいました。その慙愧に立って、1995年宗会において「不戦決議」を行った私たちは、今こそ念仏者として、恒久平和を願う現日本国憲法を守らねばなりません。

よって真宗大谷派宗議会(参議会)は、日本国憲法第九十六条「改正」反対をここに決議いたします。
以上(真宗大谷派HPより)

2013年3月21日 (木)

善知識

前の投稿の続き
ご本山での晨朝法要参拝を終え、ホテルに戻りました。朝食・チェックアウトを済ませて、再びご本山へ(時間は10時頃でした)。
すると、涙がこぼれるような光景が。幼稚園の子どもたちが、先生に連れられて御影堂の中へ。我先にと、子どもたちが堂内に入ってゆきます。
東本願寺出版部発行の『法語カレンダー随想集 2013』 4月の原稿を書かせていただきました。お持ちの方は、先にそちらをお読みいただけたらと思います。
 
人は誰でも 
 壁にぶち当たり
 人生の先行きが見えず
 涙が枯れるものではないことを知り
 誰も自分のことなど分かってくれないと嘆き
 自分は孤独な生き物なのだと悲しみに沈む
そんな時間を生きる瞬間(とき)があるのではないでしょうか。程度の差、内容の違いはあるけれど。
 
私もそんな瞬間を生きていたときがありました。
そんなフラフラしているときにたどりついたのが、東本願寺
強くもないのに、お酒で現実をごまかそうと、京の都を徹夜で飲み歩く。気付けば東本願寺開門の時間。フラフラ御影堂内へ。親鸞聖人が視界に入る太い柱に寄りかかる。
やがて晨朝法要が始まり、声明の声は阿弥陀堂から御影堂へ。姿勢を正すでもなく、ボーッと声明の響きの中に身を置く。法要も終わり、人もまばらに。その後も柱に寄りかかり続けました。
どれほど時間が経ったことでしょう。堂内に、明るい、元気な声たちが響き渡ります。御影堂内に幼稚園の子どもたちが入ってきます。我先にと親鸞聖人の前に座り、手を合わせ、なむあみだぶつ。やがて子どもたちは歌い始めます。なんの歌か知りません、始めて聞く歌でした。子どもたちの歌を聞きながら、ワンフレーズだけでも覚えておかなければいけないと、なぜか思いました。歌の最後、「しんらんさまが~おわします~♪」を、自分一人不幸を背負っていると勘違いして、酔っ払って、寝ぼけた頭にかろうじて記憶させました。
 
家に帰って調べると、歌は、仏教讃歌「光の中に」のようでした(もしかすると違うかもしれません。でも、私にとって子どもたちが歌っていた歌は「光の中に」なのです)。
 あたたかに あふれるめぐみ
 春の陽を 両手にうけて
 ああ すみわたる 空のひろさよ
 おおらかな 光の中に
 親鸞さまは おわします

  
子どもたちは、しんらんさまがどのような人なのか、いつの世を生きた人なのか、どのようなおしえを説かれたのか、おそらく知らないことでしょう。でも、そんなことは どうでもいいのです。そんなこと知らなくても、しんらんさまが大好きなのです。しんらんさまを大切に想い、手を合わせ、お念仏を称えている方々が、目の前にいるのです。
その光景を見ていて、「あぁ、自分は何を迷っていたんだろう。今まで何を聞いてきたんだろう。こんなこと(自分の中でつらいと感じていた現実)まで我が身に起きないと、おしえに向き合えない自分だったんだ」と、目からウロコでした(涙は流していないと記憶しているけれど)。
そのように思った瞬間、つらさを自分一人のものと勘違いしていたけれど、幾人もの人々につらい想いをさせていた自分であることに気付きました。
壁にぶち当たり、人生の先行きが見えず、涙が枯れるものではないことを知り、誰も自分のことなど分かってくれないと嘆き、自分は孤独な生き物なのだと悲しみに沈む・・・これは、自分が味わうことではなく、自分が誰かに味わせてしまっている事実。自分を視る眼、周りを見る目が転換しました(回心とまでは、自分で言うようなことではないけれど)。
このような こころの変化を与えてくれたのは、目の前にいる幼稚園の子どもたち。「ありがとう」と、手が合わさります。子どもたちに出会えたこと、おしえが開かれていたことに感謝です。私にとって、こどもたちは善知識。おしえに出遇わせてくださった大切な師なのです。
 
ホテルのチェックアウトを済ませ、再びご本山に足を踏み入れた私の目に入ってきたのは、子どもたちの姿でした。
  
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当然、あの当時の子どもたちではありませんが、私にとっては“あのときの子どもたち”なのです。ご本山の白砂にひざまずき、手が合わさりました。南無阿弥陀仏
今回の聞法の旅は、再び子どもたちに遇うための(私を子どもたちに遇わせるための)旅だったのかもしれません。ということは、「お前、何か忘れてないか? 何か見落としてないか? 何か勘違いしていないか?」という、阿弥陀如来の声なのかもしれません。 
 
以上、今思えば大したこともないことで悩んでいた、書くのも恥ずかしい私の過去ですが、
おしえを(に)聞き続けるということ
知識の積み重ねによって信心や転換を獲られるのではないということ
善知識(おしえに出遇わせてくださる師)とは、高名な先生に限らないということ
しんらんさまがおわしますこと
などをお伝え致したく、筆を執りました。
(朝7時の晨朝法要から、子どもたちのお散歩の時間 10時頃…私は3時間近くも御影堂の柱に寄りかかっていたのですね。あの当時、時間の感覚がなかったので、3時間も柱に寄りかかっていたなんて、今になって知りました)

白砂にひざまずき、手が合わさった後、急いで御影堂に入り、子どもたちと一緒にお念仏申すご縁をいただきました。
「な~む~あ~み~だ~ぶつ」 (^人^)
      
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(おまけ)
文章書き終えてから いろいろ検索をしたら、『随想集』の私の文章がアップされていました(知らなかった…)。どうぞお読みください。
→「念仏もうすところに 立ち上がっていく力が あたえられる

2013年3月18日 (月)

聞法(出遇い)の旅

ご本山に足を運んだのは、大阪に用事があったから。
大阪教区の若手の会(難度会さん)が、「正信偈」のリレー発表会をされると聞き、どのような発表をされるのか、ぜひ その場に身を置きたくて、大阪へ行ってきました。

私が聴聞の席に加えていただいた 3月13日(水)は、「正信偈」の依釈段 七高僧のお話でした。
お一人の持ち時間 20分~25分で、9名の方がお話をされました。
全員の発表の内容が雑多にならないように、全員が共通の課題(語句の説明・現代語訳など)を成されたレジュメ集がキチンと用意されていました。手にしたときに、驚きでした。
皆さんがご自分のいただきをお話しされ、「正信偈」のお話に身を置かせていただき、身に染み入る5時間でした。
難度会の皆様、ありがとうございます。
      
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発表会が終わって、夜8時前。宿を取っていなかった私。大阪の夜を楽しもうかとも思いましたが、明朝 ご本山(京都 東本願寺)の晨朝法要のご法話は、東京教区の本多雅人住職。聴聞に行こうと思い、京都に泊まることにしました。
携帯で宿を探し、予約して、いざ京都へ電車で移動。
京都に着き、京都駅地下通路を通り、ご本山前に出る出口へ。
階段を上ると、東京教区のF君が。
「やぁ、お待たせ!!」と声をかけると、ビックリした顔で、
「お待たせじゃないでしょ!! 何してるんですか!?」
と、立ち話。すると、ご本山でのお仕事を終えて帰宅途中のO君(以前、東京教務所に勤務)が通りかかり、
「何してるんですか!!」
と、また少し立ち話。久しぶりの顔合わせでした。

チェックインする頃には夜10時前。テレビでWBC(日本対オランダ)の試合を見て、お腹が空いていることに気付く。新幹線の中でお弁当を食べてから、何も食べていませんでした。夕飯を食べに、木屋町へ。
学生時代、大谷大学の近くにあった居酒屋と、同じ名前の居酒屋さんがありました。
「もう遅いけど、いい?」
「はい、大丈夫ですよ」
店内には、他に2組のお客さん。ビールと京都のおばんざいを注文し、店長と話す。
「このお店、前はここにはなかったよね。谷大のそばのお店にはよく行ったんだ」
聞くと、20年前(私が学生の頃)には京都に数店あったお店も、今では木屋町店のみ。店長さんは、大谷大学近くのお店の初代店長さんだったとのこと。
2組のお客さんも帰り、お客さんは私だけに。
「店長、仕事中でもお酒吞む?」と尋ねると
「はい」とのお返事。
「じゃぁ、生ビール1杯追加。一緒に吞みましょう」で、乾杯。
お店の名前の由来、お店の変遷の話、北大路周辺の話、大谷大学の話、木屋町界隈の移り変わりの話、京都の話
だし巻き玉子を作ってもらって、締め。思いがけず懐かしく、楽しい時間を過ごすことができました。
ホテルに戻って午前2時。晨朝法要は朝7時から。とりあえず寝ることに。
  
 sun
 
朝7時 快晴 ご本山へ
晨朝法要 堂内は、衣姿の若い人がたくさん 修練生でした。
本多雅人住職の法話を拝聴。
法要が終わって、移動がはじまると、東京教区の人・人・人…みんなは、ご本山の奉仕団であったり、職員であったり、でも、私がいる理由は、尋ねなければ分からない。
「何してるんですか?」
本多住職とも話せたけれど、やはり先ずは、
「何してるん?」 (結局、何度尋ねられただろう?)
  
晨朝法話で
「私は原発反対の立場に立っています。その上で、お話します。~自分の姿を見つめることなく、原発反対だと言っても、あるいは推進だと言っても、どっちも同じです」(ものすごく大雑把に書いています)
とお話をされました。
「反対も推進も、立場は違うけれど、やっていることは同じ」…日常の会話において、おしえに触れるご縁がない人にとって、「?」な話。しかし、おしえに触れ、「自分の姿を見つめること」によって、あらたに見えてくる道があります。
『これから おしえに生きていく修練生にとって、「?」な話だったかもしれない。でも、その「?」なところを、これからの自分の課題にしてもらえたらいいなと思うんだ』と、本多住職は仰っていました。
反対・推進、善・悪 等々、どっちが良い悪いと考えるのではなく、おしえをいただきながら自分の姿を見つめながら生きて行かれることを、願っておられました。南無阿弥陀仏

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ホテルに戻り、チェックアウト そしてまたご本山へ。プラプラ歩いていると、
「これから参拝接待所でご法話がございます」と声をかけられました。で、参拝接待所へ。10名ほどの方と、一緒に聴聞させていただきました。参拝接待所でのご法話って、以前からありましたっけ? 知りませんでした。
午後から関西は天気が荒れるとのことだったので、早めに新幹線に乗りました。関西だけでなく。全国的に強い風の吹く一日でした。都内も、電車が止まっていましたが、なんとか帰れました。
 
ご法話(法座だけでなく、人との出遇いも含めて)にどっぷりつかった2日間でした。
きっかけをくださった難度会さん、「いってらっしゃい」と送り出してくれた家族、出遇った皆さん、そしておしえに感謝です。南無阿弥陀仏
 
もうひとつ 大きな出遇いが…それは 次にでも

2013年3月17日 (日)

真宗本廟 御影堂門修復④

2013年3月13日(水) ご本山へ

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御影堂門修復フェンスに、「東日本大震災~復興支援の今~展」の展示がされていました。
(参拝接待所、地下ギャラリーの通路にも)
ご本山にお出かけの際は、ご覧ください。


(追記)
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久しぶりにご本山にお参りしたら、こんな注意看板がありました(もしかしたら、ずいぶん前からあるのかもしれないけれど)。
キャリーバック、一気に普及しました。旅行には便利ですよね。
でも、周りに無神経でキャリーバックを引いている人が多いと思います。
キャリーバックに引っかけられて転倒したという門徒さん(おじいちゃん おばあちゃん)の声もよく聞きます。
また、地面を引いてたキャリーバックを、当然のように廊下や畳の上で引く人も、多々いらっしゃいます。
ご本山でも、そのような人が多いのでしょうね。そして、注意書きの看板が作られた。
注意の呼びかけをされる前に、自分で気をつけたいものです。
最近気になっていたのが、新幹線内でのアナウンス 「お降りの方は、座席のリクライニングを元にお戻しください」…言われなくても元に戻しましょうよ。それから、ゴミも持って降りましょう。ゴミを置いて降りる人って、後に座る人のこと、考えないのかな。

絆、絆と言うけれど、注意の呼びかけが溢れる世の中 
大きな目標として、美しく見える行動として「絆」を遠くに掲げるのではなくて、
日常の、わたしの生き方の、注意の呼びかけなどされないような生き方の積み重ねが、絆と成る。

2013年3月13日 (水)

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏
おはようございます
真宗本廟(東本願寺)にて朝のお参り

2012年11月29日 (木)

真宗本廟 御影堂門修復③

2012年11月24日(土)~26日(月)
ご本山 京都 東本願寺の報恩講に家族で参詣してきました。

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修復中の御影堂門の下が通り抜けられるようになっていました。

2012年8月 2日 (木)

真宗本廟 御影堂門修復②

2012年8月2日(木)撮影
刺すような日射し セミの大合唱
東京も暑いですが、京都はより暑いです。

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