一楽先生のお話

2006年9月 9日 (土)

真宗の救い

イダイケに愚痴られ、なじられても、お釈迦さまは黙って聞いておられます。
説法するでもなく、なだめるでもなく、反論するでもなく、いつまでも いつまでも、黙ってイダイケの想いを受け止めています。

ひとしきり愚痴った後、イダイケは、苦悩のない世界を求めました。
すると釈尊は諸仏の世界をイダイケに見せます。諸仏の世界は数限りなくあります。その数限りなくある諸仏の世界の中から、イダイケは阿弥陀仏の世界を選びました。

ここで勘違いされることは、釈尊が「選択肢としていくつもの諸仏の世界を見せた」と思われてしまうことです。
ある仏さんの世界はこんな感じ、他の仏さんの世界はこんな感じ、また別の仏さんの世界はこんな感じ…さぁイダイケよ、どの世界に生きたいですか? と、尋ねたのではないのです。

釈尊が見せた世界は、現実世界と変わらない世界だと思います。ただ、阿弥陀仏を頼りとして生きるか生きないか、南無阿弥陀仏とお念仏申す生活をするかしないか。
悩み苦しみ、もうこんな生活は嫌だ!! と思った現実世界。でも私たちが生きるのは、この世界以外にないのです。そこから離れて、悩みも苦しみもない、楽しみだけの世界はないのです。ただ大きく違うのは、阿弥陀仏が生活の中にいるかいないか。

イダイケは、今の苦しみを他人のせいにしていました。しかし 釈尊を前にして、すべては私に原因があることに気付いたのです。
幸せを求めていたけれど、私が求めている幸せとは 本当の幸せではないことに気付いたのです(こちら)。
その気付きによって、このような私は阿弥陀仏を頼りとして生きていくしかない、いや、このような私でも阿弥陀仏は慈悲をかけてくださっているということに目覚めたのです。

阿弥陀仏の世界に生まれたいと願ったイダイケは続けて言いました。
「阿弥陀仏の世界に生まれたいと思えた私は救われました。しかし、お釈迦さま亡き後、苦悩の世界に苦しむ衆生は、どうしたら阿弥陀仏の世界に生まれたいと思うことができるのでしょう?」
自分のことでいっぱいいっぱいだったイダイケが、後の世の衆生のことを気にかけています。
このように想える人の誕生が、阿弥陀仏の世界の相続になるのです。そう、たとえお釈迦さまの身は滅んでも。お釈迦さま滅後約2500年、今も阿弥陀仏を想う人、南無阿弥陀仏と念仏申す人がいます。この私に阿弥陀仏の慈悲の光がかけられている証拠です。そして、私がいるということは、これからも相続されていくのです。ここに「真宗の救い」の伝統があるのです。

諸仏の世界・浄土とは、今生きている世界とは別に どこかに楽しい世界があるというのではありません。国土の問題ではないのです。私がどのような生き方をするかという問題なのです。
この悩み多き人生を 嫌だ嫌だと言いながら生きていくのか、悩み多き人生だけど この人生こそ私の人生と歩んでいくのか。南無阿弥陀仏と念仏申しながら。その違いが、この世を穢土として生きていくのか、浄土として生きていくのかの違いになるのです。
浄土とは、死んでから行く世界ではありません。今、私がこの世を浄土として生きていけるのか、生き方を問われているのです。
 
 
 
「一楽先生の話より先に光が丘公園で感じたことを書いてしまいました。順番が逆でしたね^^;」なんて書きましたが(こちら)、実は浄土についてのお話をいただいた後だったので、公園に身を置きながら浄土について考えていたのです(こちら)。だから、私的には順番どおりのこと。
一楽先生のお話を聞いて、感じたことを書いてきました。かなり長くなってしまいましたが、お付き合いしてくださり、ありがとうございます。

2006年9月 8日 (金)

私が一体何をしたというのでしょう!!

アジャセ王は、なに不自由なく大切に育てられました。
が、アジャセ王が大きくなられてから、ある男が現われます。名をダイバダッタといいます。

ダイバは、お釈迦さまの弟子です。戒律をキチンと守り、お釈迦さまを慕う気持ちは誰にも負けませんでした。それだけに、お釈迦さまの教団を継ぐのは私しかいないと強く思っていました。
お釈迦さまは、そんなダイバのこころはお見通しです。教団を自分に譲るよう懇願するダイバを受け付けません。

いらだったダイバは、アジャセの存在に目をつけます。
アジャセに王位を継がせ、自分はお釈迦さまの教団を継ぎ、よりよい国を作ろうと持ちかけます。
王と王妃に大事に育てられたアジャセは、なぜ今父王を退けて自分が王位に就かねばならないのか納得できません。

そこで、ダイバはアジャセ誕生の秘密をバラしてしまいます。
アジャセは驚き、怒りました。
「みんなで私をだましていたのか!!」

アジャセは王を幽閉し、餓死させようとしました。
イダイケは密かに王にさしいれをし、生き永らえさせていたのですが、それがバレて、イダイケまでも閉じ込められてしまいます。

牢の窓から、お釈迦さまが説法されている耆闍掘山(ギシャクッセン)が見えます。
現状に思い悩み憔悴したイダイケは頭をさげ、こころの底から願います。
「釈尊よ、どうか私のために教えを説いてください。もうこんな世の中はたくさんです。でも、お釈迦様が直々においでくださるのは恐れ多いこと。どうぞお弟子を遣わしてください」
このように願い、イダイケが頭を上げると、イダイケの前には、弟子の目連と阿難を伴ったお釈迦さまが立っていらっしゃいました。
   
   
「お釈迦さまにおいでいただくのは恐れ多いこと」と謙虚なイダイケ。
それなのに、お釈迦さまが現われてくださった。
どれほど感謝されることでしょう…
  
  
「釈尊よ、私が一体何をしたというのでしょう!! どうしてあんな悪い子が生まれてきてしまったのでしょう!! うちの子(アジャセ)をそそのかしたダイバダッタはあなたの弟子であり、しかも親族。あなたがもっとキチンと教育していればこんなことにはならなかったのに!!」

イダイケは、不満の限りをお釈迦さまにぶつけ、なじりました。


※一楽先生のお話の聞き書き、もう少し続きます。が、「王舎城の悲劇」について書かないと先に進まないので、だいぶ省略して書かせていただきました。
このイダイケの姿、他人事に見えますか?

2006年9月 7日 (木)

祝・男児お誕生

男児のご出産を望まれているご夫婦がいらっしゃいました。
そのご夫婦には、跡取りとなるお子様の誕生が期待されていました。
誰もが「お子様はまだですか?」「男児はまだですか?」と声をかけます。当のご夫婦こそ、一番気にされているのに、一番望まれているのに。

そのご夫婦のご心労はどれほどのものだったでしょう。
そのご夫婦のプレッシャーはどれほどのものだったでしょう。

ご夫婦は、占い師に尋ねます。
「私たちが子どもを授かることはあるのだろうか…」
「ご安心ください。お子様を授かることでしょう。
ただし、山奥に住む仙人がお亡くなりになられて、その生まれ変わりとしておふたりのお子様は誕生いたします」

夫は山奥の仙人に遣いを出します。
「仙人、お前のいのちは あと どれほどだ」
「私の いのち はあと3年でございます」

それを聞いた夫は3年も待ってはいられないと、山奥の仙人に刺客を出して…殺してしまいます。

仙人が亡くなられて、夫人は懐妊されます。
喜んだご夫婦は、占い師に尋ねます。
「私たちの子どもは、男か?女か?」
「お喜びください。男の子でございます。
ただし、その男の子は成人して後、父上と母上を殺害されることでしょう」

ご夫婦は驚かれます。
せっかく授かった子どもですが、成人してから殺されてはかないません。
いよいよ出産というとき、高いヤグラを立て、ご夫人はそこから赤ちゃんを…産み落としてしまいます。

幸い赤ちゃんは小指を折っただけで、いのちは助かりました。
自分たちを殺すかもしれない…しかし、自分たちが待ち望んで授かった子どもです。姿を見たら、可愛くて仕方ありません。私たちはなんてことをしてしまったんだ。
ご夫婦はお子様を大事に大事に育てられました。

ご夫婦のしたこと、ひどいことだと思われますか?
そのご夫婦のご心労はどれほどのものだったでしょう。
そのご夫婦のプレッシャーはどれほどのものだったでしょう。
その心労やプレッシャーを与えたのは、果たしてだれでしょうか?
 
 
夫の名は、ビンバシャラ王
妻の名は、イダイケ
お子様の名は、アジャセと言います。
「王舎城の悲劇」というお話として、現代にも語り継がれています。
お釈迦さま在世、2500年ほど前のお話です。
2500年ほど前のお話です。今のお話かと思われました?
人間の業は、昔も今も変わらないものですね。


※今日の文章も、一楽先生のお話を聞いて書いているものです。
一楽先生が「王舎城の悲劇」のお話をされたので、元々今日書くつもりでいました。
世の出来事に合わせるつもりはまったくありませんでした。偶然というか、これも縁ですね。
お子さまのお誕生、おめでとうございます。

(余談)
昨日の新聞の朝刊に「紀子さま きょうご出産」という見出しが出てました。
「きょうご出産予定」でも「きょうご出産か!?」でもなく、「きょうご出産」という見出しがとても不自然に思えました。
帝王切開だから「きょうご出産」で良いわけですが…。
そんなこと考えるのは、私だけでしょうか。

2006年9月 6日 (水)

“幸せ”の内容

9月2日 練馬の真宗会館に法話を聞きに行きました。
 一楽 真先生(大谷大学助教授)
  「真宗の救い」
  
  
「幸せになりたい」というけれど、“幸せ”の内容ってなんでしょう。

 ①お金や欲しいものが手に入ることですか?

 ②自分の居場所だと感じられるところを見つけることですか?

 ③何でも思い通りになることですか?

 ④自分を磨いて立派な人間になることですか?

自分のことに置き換えて、考えてみてください。“幸せ”の内容ってなんですか?

①欲しいものが手に入ったとして、満足できますか?
もっともっとと果てしなく欲望追求。
あるいは、手に入れてみたらべつに欲しくなかったとガッカリする。

②今いる場所に満足できないで、どうして他の場所で満足できるだろうか。
「自然はいいなぁ」なんていうけれど、そこに住んでいいですよと言われたら困るんじゃないですか?

曽我量深先生は言われました。
一人では淋しいくせに、人がいると鬱陶しいと思う。それが人間世界。
一人でいると静かだなぁ、人がいると賑やかだなぁと喜べる。それが浄土。

③現代の日本は、かなり思い通りに快適になった世界だと思います。 
こんな暑い夏に、クーラーが利いて快適な環境が用意されている。でも、体はますます自然環境に適応できなくなっている。そこでまた快適さを求める。悪循環です。不便さ不快適さを憎み、悪いことだと感じてしまう私たち。

人との関係においても、自分の思い通りになったとしたら、孤独になりますよ。自分の思いを通せば、そのうち誰もいなくなります。

④自分を磨いて立派になって、そんな私は、私自身が見えていない。
他者の振る舞いはよく見えて、言いたい放題。自分の姿はまったく見えていない。
自分はいいことをしている、正しいことをしている、美しい。そんな思い上がりが強くなれば強くなるほど、周りが見えなくなってしまう。

     
“幸せ”の内容ってなんですか?

「こうなることが幸せ」と思っていたことも、ちょっと考えると“幸せ”ではないことに気付く。喜べない私であることに目覚める。
“幸せ”をぶち壊しているのは、誰のせいでもない、私自身の思いに他ならない。

2006年9月 4日 (月)

点ではなく、線

9月2日 練馬の真宗会館に法話を聞きに行きました。
 一楽 真先生(大谷大学助教授)
  「真宗の救い」

「子どもは育てるものではありません。授かるものです」という授業中の先生のことばに感動しました。生まれて初めて聞きました。

大学の前期試験の答案にこのように書いた学生さんがいらしたそうです。
その学生さんにとっては、今までの自分の考え方をひっくり返された衝撃があったのでしょう。その驚きを先生に直接言うのは恥ずかしい、でも伝えたいという思いで答案用紙に書かれたのだと思います。
感動を伝えたい、分かち合いたいという こころ の動きは腰の重い私に行動を起こさせます。その感動は大切にしてほしいなと思います。

でも、
先生は、学生さんの告白をうれしく思うよりも、「“子どもを授かる”という表現を今まで一度も聞いたことがなかった」という事実に驚かれていました。
私もその驚きの方が大きかったです。

今日では「子どもを授かる」とは言わないし、聞くこともないのでしょうか。

最近は「子どもを欲しい、欲しくない」「子どもをいる、いらない」という言い方をよく耳にします。
『子どもを作ることは行為あってのことだから、その表現があっている。「授かる」なんて偽善だ』と言われたことがあります。思い出してしまいました(TT)
でもそれって、子どもをモノ化した言い方だと思います。自分の「思いのまま」に出来るという発想。
だから「欲しい・いる」と言う人は、子どもが生まれた事実に満足してしまう。「欲しくなかった・いらない」と言う人は、子どもを邪魔者扱いしてしまう。結局はどちらも自分を苦しめてしまう。そして子どもも。

「授かり」の事実は、点ではなく線。
生まれたとき、幼くて可愛い頃、言うことを聞く頃だけの“点”でなく、私の生涯という“線”上を一緒に歩んでいく。

子どものことだけではない、人との出会いも、自分の身に起こるあらゆる出来事も、すべて授かりものだと思います。あらゆる「授かり」の事実によって、私が存在する。
「思いのまま」にならないということではなく、思いを超えたはたらきによって私ができていく。
「授かり」には、大切な意味があるはず。そこに目をつぶらないでほしい。点だけ見ていると、線が見えなくなってしまいますよ。
  
 
※今日の文章は、学生さんがこういうことを書いてましたという先生の話を聞いて、私が感じたこと(感話)を書きました。先生の話そのものではありませんので、ひと言添えさせていただきます。
法話の感話よりも先に、法話の後で光が丘公園をブラブラしていて感じたことを先に書いてしまいました。順番が逆ですね^^;

2006年9月 3日 (日)

間(ま)がもたらす余裕

昨日東京は、歩いていると汗ばむ陽気ではありましたが、爽やかで心地よい気候でした。
練馬の真宗会館に法話を聞きに行ったあと、近くの光が丘公園に足を延ばしました。
とても広い公園で、爽やかな気候の中、ブラブラ歩いていました。

犬の散歩をするご婦人・ジョギングをするおじさん・キャッチボールをするカップル・野球をする家族・サッカーをする家族・スケートボートをする若者・ジャグリングの練習をする中学生・トランペットの練習をする女子大生・虫取りに夢中のお父さんと傍観する子ども・ゴムで手作りの飛行機を飛ばすおじいさんetc etc

いろいろな人が思い思いのことをして過ごしていました。
公園に足を踏み入れてから「なんかいいなぁ」という感覚がありました。広くて爽やかな気候だからかなぁって最初は思いました。
でも、園内を歩いていて気付いたのは、注意書きが少ないなってことでした。「あれをしちゃダメ」「これをしちゃダメ」っていう。
今、公園でキャッチボールや野球なんて出来ないじゃないですか。犬の散歩を禁じている公園もたくさんあります。楽器の練習なんてもってのほか。
でも、そういうことをしてはいけないという注意書きがない。かといって、みんな好き勝手やってるかというと、ちゃんと周りに気を遣っているいるように感じました。

キャッチボール・野球・サッカーをする人たちは、キチンと周りとの距離を保って、犬の散歩をする人はみんな糞の処理袋を持っていました。
まぁ、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。
確かに、ゴミも捨ててあったし、自転車で猛スピードで走るような人もいました。犬の糞を始末しない人もいることでしょう。でも、公園にいる人の多くが、自分なりに決まりを作って、みんなで楽しめるようにしている気がしました。だから、公園に足を踏み入れたときに何かを感じたんだと思います。

今、注意書きやお願いが多いじゃないですか。公園・駅・電車の中・公共の場。「あれはダメ」「これはダメ」「電車は自分の部屋ではありません」とか。
注意書きが必要な社会になってしまったといってしまえば、確かにそうなのかもしれません。でも、注意書きやお願いの多い環境、どう思いますか? 息苦しくないですか? 恥ずかしくないですか? 他人がやってるのは許せないけど、自分はちょっとだけならって甘くなってませんか?

注意書きやお願いが貼ってあるから規律が守られるという面もある。注意もしやすい。
でも、あまり過剰になりすぎると、自分で良い悪いを判断する力がなくなってしまう。
例えば電車の優先席。自分が子どもの頃は「お年寄りと体の不自由な方にお譲りください」とだけ書いてあった気がする。今は「お年寄り・体の不自由な方・妊婦・小さなお子さん連れの方」など、譲る対象が増えた気がする。
譲るのは当然のこと。でも、以前は「お年寄りと体の不自由な方」とだけ書いてあっても、妊婦や小さい子連れのお母さんに席を譲っていた。自分で譲るべき人を判断して、譲ってたと思う。そういう想像力があった。
今は譲る対象を書きすぎるあまり、それ以外の人には席を譲らなくなってしまう。それどころか、譲る対象にすら席を譲らない。困っている人がいる・大変な人がいるという想像力・判断力が欠如してしまっているような気がする。

注意書きやお願いが貼ってないから好き放題する人もいるけれど、ないからこそ、どうしたらいいのか、どこまでならいいのか考える。自分で線引きをする。やらされてするわけではないから苦にならない。みんなが守るから、自分も守る。

思うんですけど、決まりごとを守らない人がたくさんいるように錯覚してしまうけど、守らない人って実は少ないのではないでしょうか。
たとえば、ゴミ捨て場ではないところにゴミを捨てていく人。たった一人だけのこと。それまで何十人・何百人と所定の場所にゴミを捨てていても、たった一人が公共の場にゴミを捨ててしまえば、じゃぁ私もとみんな捨てていく(いけないことをマネする人は多いですけどね)。
捨てられたほうは「なんで? 情けない。張り紙でもしとくか」となってしまう。悪循環。その結果が今の日本なのでしょう。

実際、注意書きがなくなってどうなるのか分かりません。今よりもっとひどいことになるかもしれません。でも、元々注意書きが無い社会だったんですから、そこに戻れないのですか? 一度「注意書き」だらけの世の中に慣れてしままうと、注意され続けないと自分で何も判断できないのですか?
  
  
なんて書きましたが、広~い空間が人間にもたらす余裕ってあるんだなぁって思いました。
公園、スッゴク広いんです。見渡す限りの原っぱ。邪魔なものがなにもない空。
こういう間が欠けてるなぁ、こういう空間が生活には必要なんだよなぁって思いました。
家の中を考えてみてもそうです。今の住宅事情では、廊下や縁側が狭かったり無かったりします。でも、廊下や縁側という空間が、人に余裕やゆとりをもたらしているそうなんです。でも、今そういう空間が無い。こころが閉じこもってしまうのも当然の成り行きなのかもしれません。
(「間取り」と言うけれど、空間をどう取るか、生かすかという意味があるのかもしれませんね)
気持ちが沈んだり、ワッと叫びたくなったら、広い空間のあるところに時間を作って行って、何時間でも身を置きましょう。きっと落ち着きますから。狭くなっていた思考が広がりますから。
(だから飛行場や本山の阿弥陀堂が好きだったのかな)

公園で2時間、ブラブラ歩きながら、時にはベンチに座りながら、空や木々を眺めていました。
贅沢な時間と空間でした(だから どっちにも“間”という字が入っているのかな)。

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