いつか きっと

2006年8月18日 (金)

循環彷徨

今、砂漠に立っています。
周りには山も丘も木も池も、目印になるものは何もありません。
どこを見ても一面砂漠です。
さぁ、まっすぐに歩き出してみましょう。
   
ザッ ザッ ザッ ザッ…
   
疲れましたねぇ。
どれくらい歩いたことでしょう。

まっすぐ歩いてきたつもりでしょうが、実はまっすぐじゃないんですよ。
利き足の方に流れていくらしいのです。
だから、もっともっと歩き続けると、円を描いてしまうので元の位置に戻って来てしまうのです。
これを「循環彷徨(じゅんかん ほうこう)」と言うそうです。

一生懸命に歩いてきて、「ずいぶん歩いたなぁ」って気付いたらスタート地点だった。
一生懸命に頑張ってきて、「頑張ったなぁ」って振り返ったら何も変わってなかった。

自分の感覚だけを頼りに歩いていると、自分が正しいと信じて頑張っていると、物事何も先に進まないものです。
「自分はいったい何をやってんだろう」と愚痴が出るのも、自分だけを頼りとしてきた結果なのかもしれません。

努力が無駄というわけではなく、人生何か目印が必要なのです。自分が間違った方に進んでいないかを教えてくれる目印が。
それが阿弥陀さまなわけです。「こっち こっち」って呼んでくださっているのに、それに気付かず自分の思いのままに突き進んでいく。だから、どれだけ進んでも元のままであったり、他の人とぶつかってしまったりするのです。

「自分の人生、自分の思うままに生きて勝手だろ!!」
「はい、勝手です。でも、グルグル同じところを歩くことがあなたの思いなんですか?」

「こっち こっち」と呼んでくださっている“阿弥陀”さんとは、“無量のいのち”ということ。
数限りない“無量のいのち”が、私の人生の目印になってくださっているのに、それを無視して生きている。“いのち”を自分だけのものと勘違いしながら。
   
   
戦争から61年後の夏、循環彷徨している私たちの姿が浮き彫りになりました。
目印なく歩んできた結果ですね。


2006年8月17日 (木)

なんで人間は聞法するのかねぇ

なんで人間は聞法するのかねぇ

安田 理深先生(1900~1982)という真宗の教学者がいらっしゃいました。
その安田先生が晩年に「なんで人間は聞法するのかねぇ」とお見舞いに来られた方に言われたそうです。

見舞いの人はびっくりします。仏教を、真宗を、親鸞聖人の教えを生涯聞き続けてこられた先生が言われたのですから。でも、見舞いの人に質問したのではなく、自身に問いかけるような言い方だったようです。
人生の晩年に、自分の聞法生活を自ら問われた。

聞法って、生涯聞法なのですね。
聞いて答が出る。聞いて悩みがなくなる。聞いて争いが解決するわけではない。
聞いても答えは出ない。聞いても悩みはなくならない。聞いても争いは解決しない。
では、何で人間は聞法するのか。
  
あっ!!
「聞いても答えは出ない。聞いても悩みはなくならない。聞いても争いは解決しない」
って当然のように書いたけれど、答が出る・悩みがなくなる・争いが解決するって、勝手に聞法の利益を決め付けてました。
聞いた結果を自分で予想・期待してはいけませんね。
たまたま「聞く」ご縁をいただいた。それだけでご利益なのに。

自分が聞法していたつもりだけど、そういう場が用意されてたんだなぁ。
それだけで喜ぶべきこと。
  
で、安田先生は「なんで人間は聞法するのかねぇ」と仰られた後に、
春になったら、木が芽吹くようなものかねぇ」と言われたそうです。

「木が芽吹く」ことを、答が出る・悩みがなくなる・争いが解決すると受け取ってしまっては、予想・結果を求めての聞法になってしまう。問題解決の聞法になってしまう。
聞法するということそのものが、「春になって、木が芽吹」いた状態なのではないだろうか。
すでに芽吹いているのですね。
私の中にある いのち が、芽吹いているんですね。

2006年8月16日 (水)

いつか きっと

 如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 ほねをくだきても謝すべし

     親鸞聖人「正像末法和讃」より

親鸞聖人の「恩徳讃」という和讃(仏を讃えるお歌)です。

「べし」の響きが「命令」の助動詞と勘違いされることがあります。
そうすると、
 阿弥陀如来の恩徳は身を粉にしてでも報いなさい。
 先輩先生方の恩徳も骨を砕いてでも感謝しなさい。
というような意味になってしまいます。

親鸞聖人は、
阿弥陀如来の慈悲に包まれて生かされている私であることを喜ばれた方です。
その阿弥陀如来の慈悲に気付く縁をくださった先輩や先生方との出会いに感謝された方です。
親鸞聖人の著作の根底には、如来・師主知識と出会えた喜びの気持ちが込められています。その気持ちを表わされたのであって、価値あるものだから報いなさい・感謝しなさいと命令されているのではないのです。

小賢しい言い方になってしまいますが、「べし」は「当然」や「推量」の助動詞で、「当然~する」「~するようになるだろう」といった意味になります。
 (教えをいただきながら生きていると、)
 阿弥陀如来の恩徳に、身を粉にしてでも報いる時がくるであろう。
 先輩先生方の恩徳にも、骨を砕いてでも感謝するときがくるであろう。
日々の生活の中で教えを聞いていれば、必ずいつか阿弥陀如来に、師主知識に出会えた喜びを感じられる日が来るに違いない。いや、当然来ます。(だから教えを聞き続けてほしい。)
そのような想いが込められた和讃です。

「身を粉にしても」「ほねをくだきても」とは、そうするほどに報いるようになるとか感謝するようになるという意味ではなく、私たちが生きている姿そのものを表わしているのだと思います。
楽しいこともうれしいことも、つらいことも哀しいこともある生活・人生。それぞれに一喜一憂して悩む苦しんできたけれど、それをどうにかしようと思うのではなく、一喜一憂のままに生きていけるようになる。そういう姿を「身を粉にしても」「ほねをくだきても」と表現されたのだと私はいただいています。
  
  
で、実はここからが本題。
昨日の文章で、聞き続けていくことの大切さを書きました。
でも、聞くということがなかなか難しい。
自分の思考に合ったものを受け入れていく、一時の慰めを求める、耳障りのいいものを良しとする…。そんな聞き方しかしてこなかったのではないだろうか。
それでは、いつまで経っても「報ずべし」「謝すべし」時はこない。
お話を 自身の一大事として聞き続けていかなければ、こころの底から喜びが湧いてくることはない。
お話を 自身の一大事として聞き続けていれば、そのときは頷けなくても、そのときは哀しくても、いつか生き方が変わる日が訪れるにちがいない。当然来る。

戦争の体験談も、
体験談を聞く会を催した主催者や、語り手に「戦争はこんなに悲惨なのだから、繰り返してはいけない。平和な世の中にするべきである」という想いが込められてしまうと、せっかくの話も伝わらないかもしれない。
「いつか平和な世の中がくるにちがいない。いや、きっとくる」 そういう想いのままに語り続けていけば、いつかきっと花開くときがくるにちがいない。いや、いつかきっとくる。

聞く方も、「響かないんだよね」「ピンとこないや」「そんな恐い話聞きたくない」で止まらずに聞き続けてください。
「こういうことを伝えようとされていたのかな?」「こんな哀しい気持ちを経験されたのか!」「知らないで済むことじゃなかったんだ」ってふと思える日が来るから。いつかきっと来るから。

2006年8月15日 (火)

8月15日

戦争の悲惨さは語り継いでいかなければならない。
この時期、戦争を体験された方に、自身のお話をしていただく場があります。
そのお話を聞いて、“戦争は恐いんだ・いけないんだ・なくすんだ”と、心新たにする若者が大勢いる。
反面、“響かないんだよね・ピンとこないや・そんな恐い話聞きたくない”という感想を述べる者もいるという。

「そんなこと言うなよ!!」と思う方もいると思いますが、でも正直な気持ちなんだと思う。今や日本とアメリカが戦争をしたことを知らない人もかなりいるという。

戦争の悲惨さ・つらさ・恐さは、実際に体験しなければ分からないことです。
戦争に限らず、つらさや哀しさは体験した人にしか分からない。
分からないけれど、「分からないから、分かる必要ないや」って話ではない。
そのつらさ・哀しさに こころ を寄せる努力を惜しんではいけない。
分かろうとする、何かを感じ取ろうとする想いを失ってはいけない。

“響かないんだよね・ピンとこないや・そんな恐い話聞きたくない”
正直な気持ちを語ってくれて、ありがとう。
戦争の体験談を聞いた瞬間に「感動した!!」って言ってしまえるほうが、その場限りの想いになってしまうかもしれない。

こころ動かされた人も、なにも感じなかった人も、これからどう動くのか。

話を聞き続けること。そこから何かが動き出す。
話をし続ける。戦争の体験談を話すのは、実はとてもエネルギーを必要とすることだと思います。出来ることなら思い出したくないことだもの。
だから、口を閉ざしたままの人もいる。
だけど、語らずにはおれない人もいる。
そして、戦後61年(第二次大戦だけが戦争ではないけれど)、今まで語ることを避けていた人々が語り始めてもいる。

どうして今になって語るのか。61年も経っているのに。
どうして今になって語らなければいけないのか。61年も経っているのに。

果たして、自分の中でイメージを、想いを膨らませる作業をしてきただろうか。
話を聞いて、ただ感銘を受けるだけであったり、何も感じないだけであったり、そこにとどまっているのならば、
“戦争は恐いんだ・いけないんだ・なくすんだ” も
“響かないんだよね・ピンとこないや・そんな恐い話聞きたくない” も同じ事。

「戦争の悲惨さは語り継いでいかなければならない」と最初に書いたけど、
バトンのリレーでは、年月が経てリレーすべきバトンは壊れてしまう。
雪だるまのように、少しずつ少しずつ大きくしていかなければ、語り継いでいることにはならない(「雪だるまは溶けちゃうよ」なんて言わないでくださいね。たとえが下手くそでごめんなさい)。

人の話を聞くってことは、自分をその立場に置いてみることかな。
上の空で聞いたり、耳の右から左へスルーしていったり、自分勝手に解釈したり(自分をその立場に置くことと紙一重でむずかしいけれど)することを聞くとは言わない。
それでなくても聞いた話って、語り手が伝えたい想いの十分の一も伝わってないのだから。

つまりは、聞いてこなかったのかもしれない…

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