わたしは傷を持っている
わたしは傷を持っている
でもその傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる
星野富弘
やさしさがしみてくるのは、傷があるからこそ
やさしくされる人だけでなく、やさしさの主こそ傷ついている。
傷があるから、人が見える。
「私は傷をもっている」という自覚は、
視界が開けるということ。
周りが見えるということ。
自分自身が見えるということ。
「鬼」と聞いて どんな想像をされますか?
怖いというイメージで語られることが多い「鬼」
(昔話では愛嬌がある存在として語られることも多々ありますが)。
厳しい人や環境や状況を「鬼のような」と形容することもあります。
怖い・厳しいものとして「鬼」が語られる。
でも、ある時ふと想ったのです。鬼の厳しさの背景には、どんなにつらいことがあったのだろうかって。
鬼の厳しさというものは、自身がつらさ哀しさを経験しなければ生まれてこないのではないか。
どれだけの傷が、その心身に刻まれているのだろう。
傷を受けたから他に対して厳しいということではなくて、傷があるからこそ他に対する厳しさを持ち続けられる。
厳しさとは反対に、愛嬌をもった存在として語られる鬼にだって、その背景にはどんな出来事があったのだろう。傷のない心身で他に愛嬌を振りまくことは、厳しさを保つこと以上に難しい気がする。
厳しい存在であるにしろ、愛嬌のある存在であるにしろ、その背景には想像を絶する物語が込められているのではないだろうか。
身の回りの、厳しくて嫌な奴 笑顔の素敵なあの人…その背景には、なにがあったのだろう。
厳しさはやさしさの裏返し
愛嬌は哀しみの裏返し
わたしは傷を持っている
でもその傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる
やさしくされる人にも、する人にも傷がある。
傷がなかったら、やさしさの関係は生まれない。
傷があるからこそ、やさしさがにじみ出てくる。しみこんでくる。