イメージ

2006年4月14日 (金)

想像してみるんだよ

イメージ イメージ イメージが大切だ
中身が無くてもイメージがあればいいよ

                The Blue Hearts 「イメージ」

希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」
想像してみるんだよ

                Mr.Children 「くるみ」


イメージは、
自分を解放するものでもあるし、
自分を枠に閉じ込めてしまうこともある。

プラス思考・マイナス思考って言い方もある。

こっちがよくて、こっちがダメとか決め付けることではない。
いろいろ考えながら生きているという事実。

イメージを持つことからすべてが始まる。
イメージ通りの世の中なんてありはしない。
イメージを破られるから、疑問をもつ・興味を持つ・想像力をもっと膨らませる。

考えること、想像することが大事。
そこから物語が生まれてくる。

2006年4月13日 (木)

イマジン

人々が平和に暮らすことを想像しよう

2001年9月11日 ニューヨーク同時多発テロが発生しました。
テロ後、ジョン・レノン夫人のオノ・ヨーコさんがニューヨーク・タイムズ紙に広告を掲載しました。
白地のページにの「イマジン」の一節だけを載せた広告でした。
“ジョン・レノン”“オノ・ヨーコ”“イマジン”など表記せず、
人々が平和に暮らすことを想像しよう
とだけ書かれていました。
名前など出さない方がより効果的で、メッセージはすべてこの一節に込められているから。

テロ後、平和・愛国心・連帯を訴える広告が多数出されました。団体や企業の名のもとに。
発信主をハッキリさせておく責任もあるけれど、それぞれの団体や企業が、それぞれの名のもとに連帯を呼びかける矛盾もある。

テロ後、ジョン・レノンの「イマジン」は業界の自主規制により、放送が控えられたと聞きます。
なぜでしょう?
国を越えて、(自分たちに危害を加えたものをも含めて)全世界が平和に暮らすことを拒んだからでしょうか。
日本でも教育基本法に「愛国心」の表記をするしないが議論されていますね(思いっきり妥協案が出てきたような気がしますが)。
愛国心」を持つということは、「自分さえよければいい」という思いと表裏一体だと思います。
自・他といった想いを越えたところで平和について考えなければ、平和を願ったつもりが更に争いを招いてしまいます。
   
   
「ジョン・レノンの『イマジン』は、想像することの大切さを私たちに訴えているよ」
…仏教青年会でそう教えられて、そういえば、テロ後にオノ・ヨーコさんが広告を出してたなと思い出しました。

「テロ後に門徒さんに、『こういうことが起きたら嫌だ』って想い続けてくださいって訴えました。
なにかしよう、なにか出来ることはないか、なにも出来ないとか考える前に、
二度とこういうことは起きてほしくないと想い続ける、その想いが大事だって言いました」
…そのように話してくれたお坊さんもいらっしゃいました。想い続けることの力の偉大さを感じました。

     念ずれば花ひらく 
                坂村 真民

2006年4月12日 (水)

イメージ(つづき)

昨日の記事で書いたとおり、イメージで物事を見ている、決め付けている自分に気付きました。
そういう想いを、三田にあるお寺の仏教青年会で発題してきました(誕生日を祝ってくれたお寺とは別のお寺の青年会。月に2ヵ寺の青年会に参加させていただいているのですが、今月はその2ヵ寺とも発題当番でした。ありがたいことです)。

夜遅くに子供を連れた親を見て、「あ~ぁ、こんな時間に子供を連れてコンビニに来ちゃだめだよ」と思うことと、 僧侶が××したら「僧侶のくせに××するなんて!!」という批判が出ることは、根っこの部分は同じだなと思いました。

世間が僧侶を見る目も、私が子を持つ親を見る目も、イメージで物事を見ているにすぎない。他者をイメージで見て、「らしさ」を求める。イメージから逸脱したときには非難の目で見てしまう。
イメージで物事を見るということは、自分勝手な固定観念を生み出す。このようなものの見方が差別を生み出す一因なのかもしれない。

 ☆イメージで物事を見ていたなぁってこと、ありませんか?
 ☆そもそも、イメージの元ってなんでしょう?

「イメージで物事を見てませんか?って発題だけど、誰だって見てるでしょ。第一印象なんて、イメージが先だよ」
…その意見を聞いて、目からウロコでした。そうですよね、誰を見るにも、何をするにも、先ずはイメージからですよね。

「かっちゃんはさぁ、“イメージ”をマイナスのものとして見ているよね。固定観念とか偏見とか先入観って意味で。
でも、“イメージ”には想像力というプラスの面もあるよ」
…そうなんですよね。“イメージ”のマイナスの面にばかりに意識が行ってしまい、想像する力・考える力という面での“イメージ”を見落としていました。イメージする力があるから、ゼロから出発しても、歩いていけるんですよね。

「“イメージ”は自分を変える力を持っています。人間は“イメージ”を駆使して生きている生き物なんです。
持論ですが、戦争はなくせないと思っていました。でも今日の発題によって、平和な世界をみんなが想像すれば、みんなが戦争をなくそうと想えば、戦争はなくなるかもしれないと思いました。
“イメージ”には、人間を幸せにする力が込められています」
…その方は、私が“イメージ”と表現したものを、“物語(ファンタジー)”と表現され続けてきました。
人間には物語があり、その物語が生きる力となる。それなのに、現代ではその物語が希薄になっている。
物語(ファンタジー)の話、今まで何度も聞いてきたことなのに、初めて自分の中にスッと入ってきたような気がしました。
   
   
想像し、創造する。イメージする力が生きる力となる。
良くも悪くもイメージしてしまう私だけれど、なにごともイメージから始まる。
いろいろなこと、イメージしてみていいんだ。そこが出発点なのだから。

自分ひとりで考えていると、自分の考えの中に閉じこもってしまう。
自分の考えだけが正しくて、自分が正義で、他者が見えなくなってしまう。
発題することによって、視野狭窄になっていた自分に気づかされました。

2006年4月11日 (火)

イメージ

後輩(お寺の子 まだ学生さん)が言いました。
「メディアは、坊さんが事件や問題を起こすと『僧侶という立場でありながら、このような事件を犯すとは僧侶失格である』って取り上げるじゃないですか。僧侶だとなぜ このような取り上げられ方をするんでしょうね。僧侶って、どうあるべきなんでしょうね」

「坊さんは悪さをしないってイメージでもあるんじゃない? 言いたい人には言わせておけばいいじゃない。 自分がどうあるべきかをしっかり持ってれば」(つれない返事でした。ごめんね)
   
    
そんな会話をして後輩と別れた後、コンビニに立ち寄りました。日付が変わろうとしている時間でした。
コンビニには、幼稚園ぐらいのお子さん2人連れたお母さんがいました。
その光景を見て「あ~ぁ、こんな時間に子供を連れてコンビニに来ちゃだめだよ」と思いました。
そう思った瞬間、後輩の話が思い起こされました。

「そうか、イメージで物事を見てるなぁ。“僧侶はこうあるべき” “子を持つ親はこうあるべき”って。
今自分が子連れの母親を見た目も、メディアが僧侶を取り上げる目も質は同じだなぁ。
自分の中で勝手にイメージを作り上げて、それに合うと良しとして、それから外れるとダメとする」
そんな自分に気付かされました。

日付が変わろうとしている時間にコンビニに行く私自身だって、よく考えると「あなた なにやってんの!?」って話なんですよね。
自分が見えていませんでした。

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