偶然は必然

2006年5月12日 (金)

ありがたい偶然は 必然

ありがたい偶然は 必然って言うんだよ
話をしていて、ふっと出てきた ことば。
自分でも驚いた。
 「ありがたい偶然は 必然かぁ…」(こころのなかで噛み締める)
   
  
ご恩でできた私。
いろいろな出会いがあった。 いろいろな出来事があった。
そのうちの ひとつ が外れただけでも今の私はいない。

出会いが出会いをふくらませる。
ある人との出会いが、ほかの人との出会いに広がる。
ある出来事によって、新しい道が開かれる。
ある人との ある出来事との出会いによって、私の感情・気持ちが大きく変わることがある。
殻に閉じこもっていた私の想いが、大きく開かれる、正反対に転換されることがある。
出会いが私を成り立たせる。

反対に、嫌な人との出会い、二度と起きてほしくない出来事との出会いもある。

「“ありがたい”偶然」って言うと、「“ありがたくない”偶然」もあるように思ってしまう。
自分の希望通りになったとき、自分に有利になったとき、感謝するとき、「ありがたい♪」と言うけれど、「“ありがたい”偶然」の “ありがたい” は、そんな「ありがたい♪」ではない。
突き詰めれば、すべてが「ありがたい偶然」。つまりは必然だったということ。
あの出会いも。この出会いも。

有ること難い偶然の連続・積み重ねで今の私ができた。
良い出会い 悪い出会い…自分で色分けしてしまうけど、出会いはすべてが必然。良いも悪いもない。
私を成り立たしめるために ありがたい偶然が積み重なった。
いや、ありがたい偶然の積み重ねによって 私ができた。
    
     
そういうことを考えていてネットを散歩していたら、
出会いは必然。会うべきして会う
という ことば に出会いました。
(本山 東本願寺の青少幼年センター準備室 のHPです)

想いを持って生きるということは、その想いにつながる何かに出会えるものですね。
それも「ありがたい偶然」の積み重ね。つまりは必然。
               南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

2006年5月11日 (木)

いのちの根っこ

親鸞聖人がお示しくださったお念仏の教え…「ただ念仏」。
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」とお念仏称える生活を、喜びを持って実践された念仏者を妙好人(みょうこうにん)と言います。

昨日の記事に書いた 浅原才市さんも妙好人として知られています。
その才市さんが、

ご恩思えば みなご恩 この才市も ご恩でできました

と、おっしゃっています。
この ことば を初めて聞いたとき、「ご恩でできました」というところが響きました。

「ご恩」というと、「いただく」と言いたくなりませんか?
「ご恩をいただきました」と言いそうなところを 「ご恩でできました」と言われる。

「ご恩をいただく」と言う時、「いただく」私が先に存在していることが前提になります。
私がいて、その私が さまざまなご恩をいただく。
その発想では、いただいたご恩に対して選り好みをしてしまいます。
あのご恩はありがたかったけど、このご恩はいらなかった(そんな言い方はしないですけどね)。

「ご恩でできました」と言う時、いくつものご恩が積み重なって、今の私がいるんだなぁということが実感されます。
ひとつだけじゃない、いろいろなご恩の積み重ねによって、今の私が出来上がった。
いろいろなご恩…そう、良いご恩だけでなく、つらいご恩、悲しいご恩も含めて。
あんなことさえなければ、どうしてこんな目に遭うのかなんて悲嘆してしまう出来事も、すべて私を成り立たせるためのご恩だった。

才市さんのことばに出会ったとき、
「ご恩をいただきました」ではなく、「ご恩でできました」と表現されたのを聞いたとき、
有り難い いのち の、
感謝してもしきれない(済まない) いのち の根っこに触れたような気がしました。

2006年5月10日 (水)

すみません

「すみません」
謝って、それで済ませた気持ちになってなかっただろうか。
それで済ませた…そう、「すみません」って「まだ 済みません」ってこと。

何が済まないのか…いただいている ご恩に対する感謝
“感謝”って書くと、ことばで表わしたり、誠意を示したりしなきゃと思ってしまう。
でも、どんなに謝っても、感謝しても、誠意を示しても、しきれないという意味での「すみません」
謝らなくていいとか、無駄とかいう意味ではなくて、
どんなに「すみません」と言っても、済まないほどのご恩をいただいて 今の私がいるという事実。

「すみません」
謝意のことばではなくて、今を生きているありがたさを想うことば

「すみません( -_-)」って暗い顔をして言うものではなくて、
「すみません(^-^)」って笑顔がこぼれてくるものなのかもしれない。

ご恩思えば みなご恩 この才市も ご恩でできました
                          浅原 才市

「この才市も」の「才市」の部分に自分の名前を入れてお読みになってみてください。

2006年5月 9日 (火)

ありがとうございます

「ありがとうございました」
と、つい言ってしまうけど、
感謝の気持ちが過去形になってしまうことはない。
過去形にしてしまってもいけない。
それともサッサと忘れてしまいたい感謝なのかな?

「ありがとうございました」と言ったからといって、
べつに過去形にしたつもりはないけど、
「ありがとうございます」の響きが美しい。

「先日はありがとうございます」
文法的に「おや?」って思われるかもしれない。
でも、感謝の気持ちは現在形。
   
   
いつもお読みいただいて ありがとうございます^^

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