人間が好き
森達也さんのお話の続き(最終回)
友人「森さんのお話を聞いていて一貫しているなぁって思ったことは、『私たちが望んだ結果である』ということです」
(私の感想)
今までに起きてきたこと、今起きていること、これから起きていること、すべて私たちが望んだ結果起きている。どんな出来事も、事件も、事故も、事象も。オウムのことや戦争のことだって。
「そんなこと、私は望んでない!!」
「そんなことを望むわけないだろう!!」
なんて思う人もいることでしょう。当然の反応だと思います。
でも、「見て見ぬふり」「人のせいにする」「誰かがやるだろう」「私には関係ない」「どうでもいいや」ってことの積み重ねが今起きているすべての物事。
「望む」というと語弊があるかもしれない。でも、私たちが「それで良し」としてきた結果が今。
そんな今を作り出してきた私たち。
しょうがないなぁ、ろくでもないなぁって悲観してしまうけれど…
友人「お話している森さんの根っこの部分には『人間が好き』って想いがあるように感じました」
(私の感想)
「人間が好き」
友人がそう言った瞬間、スッとした気持ちになりました。森さんの本を読んでいて暗い気持ちにならないのは、そういう森さんの想いが根っこにあるからなんだ!! 本の題名にもなっているけれど、「世界はもっと豊だし、人はもっと優しい」という想いが。
「人間が好きです」なんて言ってしまうと嘘っぽいけれど、
言わなくても、話の中から、その人自身から「人間を好き」という想いが満ち溢れて、伝わってくる。そんな人がいるんだ!! そんな話が出来るんだ!!
あぁ、お話を聞きに行けばよかった(TT)
(おまけ)
森さんの講演を聞きに行った友人に お話の内容を聞いて4回に分けて書いてきました。森さんの話を直接聞いてもないのに 申し訳なく思いながら書いてました。
話の内容を語ってくれた友人が とても嬉しそうに話してくれたので、「あぁ、良い場だったんだなぁ」ということを強く感じました。
しかも、実際に話を聞いていない私がこれだけ書いてしまうほど、話を聞かせてくれた。つまり、それだけ「私はこう聞きました」ということがシッカリあるということ。この人(友人)は、“聞く”ということが出来る人なんだなぁって、うらやましく思いました。
私はそういうことが苦手なんです。お話を聞きに行って、友人や親から「どんな話だった?」って聞かれても答えられないのです。「う~んと う~んと…」「え~っと…楽しかったよ」(そんなことを聞いてるんじゃない 怒)
感動したり、心に残っていることはあっても、うまく表現できないのです。つまりは本当に聞いてはいないということなのでしょう。
聞いた話だけではなくて、自分が話した内容もです。
5月15日によそのお寺の永代経法要の法話を頼まれて お話をしてきました。で、その晩に坊守(母)から「今日はどんなお話をしてきたの?」と聞かれて、説明できませんでした。もう一度話せと言われれば話せますけど、要約することが苦手なのです。
森さんのように根幹を成すものが無いからなんでしょうね。
あぁ、聞き上手になりたい(TT)