阿弥陀如来
真宗の基礎的なことに立ち返ったのは、“悪人”について考えたかったのではなくて、阿弥陀如来のことを想ったから。
如来…“如”より来るもの。 “如”とは真実なり。
真実は分からないもの。分からないものだけど、実は私自身。
私…縁によって生かされる身。必然の生と死を生きる身。
阿弥陀如来は、この私自身だった。
真宗の教えで、
“悪人”を他者に見るのではなく、
私こそ“悪人”でしたと感得する自己内省が大切ですと教えられる。
でも、阿弥陀如来を外に見た自己内省は反省にすぎない。
自分自身が内省(反省)するのではない。
内なる阿弥陀如来が呼びかけてくださっている。ずっと前から。これからもずっと。
そんな大きなはたらきを受けながら、私は生かされている。
すでに自己内省のいのちを生きている。
私がするのでも、感得するのでもなかったんだなぁ。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏