仏の顔も三度
7月15日に「枯れ木でも親族の木陰は涼しい 」という記事を書きました。
この、お釈迦さまとカーサラ国王のやり取りを由来として「仏の顔も三度」という諺ができたそうです。
今日、「仏の顔も三度」といったら、
「どんなに優しい人でも、失礼なことをしても笑って許してくれるのは3度までですよ」
という意味で使われますよね。
そのためか「仏の顔も三度まで」と間違って覚えている方もいるではないでしょうか。
でも、15日の記事を読んでいただければ分かると思うのですが、
お釈迦さまは3度まで許して、4度目に怒りが爆発したわけではありません。
カーサラ国4度目の出兵の折、お釈迦さまが
「テメエラ、これだけ言っても分からないのか!!」なんて怒って、弟子やカピラヴァスツの民衆を伴って兵を挙げたというのなら「仏の顔も三度」ですけど^^;
お釈迦さまは、母国滅亡を避けられぬ因縁であると悟っていたと思います。
だけど、黙って見ていることも出来ず、カーサラ国王を諭すわけです。
でも、カーサラ国3度目の出兵の折、逆らうことが出来ない因縁を受け入れたのではないでしょうか。
悟りとは、つらいものなのかもしれません。
私たち、「先のことが分かったらなぁ」なんて思うこともありますが、先のことが分かったら つまらないですし、知った内容が哀しい出来事だったらどうしますか? そこから避けられないんですよ!
私たち、先のことが分からないから 希望を持てるのだと思います。先のことが分からないから 一生懸命になれるのだと思います。先のことが分からないから 生きられるのだと思います。
お釈迦さまは、すべてを見通されていた。それ故に苦しまれた。
形あるものはいつか滅びる。
そんな分かりきったことを受け入れるのに、カーサラ国3度の出兵が必要だった。
悟りを得た人であっても、物事の道理を知った人であっても、すべてお見通しの人であっても、現実を受け入れるのは容易ではない。
生きるとは、悟ってもなお苦しみの連続。悟って楽になるのではない。
「仏の顔も三度」…受け容れ難い人生を受け容れて 生きていく。
そんなことを教えてくださっているように感じます。
(補足)
15日の記事では、
お釈迦さまは2度までカーサラ国の出兵を阻止して、3度目は阻止することをやめたと書きました。
だから、「仏の顔も二度」ですよね^^
参考にする文献によって、二度だったり、三度だったりするので、そこは気にしないでください。
この故事のサンスクリットを読む力があればいいのですが…^^;