なにを急いでいるの?
《シーン》
京王線に乗っていて、
お母さんと娘さんが乗ってきました。
娘「この車両、何号車?」
母「4号車よ」
娘「よかった。電車がぶつかっても死なないね。
死ぬのは1・2両車に乗ってる人だもんね」
聞くともなしに耳に入ってくる母娘の会話。
「えっ!そんなこと言うの?
まぁ、子どもらしい素直な感覚なのかなぁ…。
お母さんは諌めないのかなぁ」
なんて思いながら聞いていると、
母「バカねぇ。横から突っ込まれたら4号車だって死ぬわよ」
「えっ!!」(心の中の叫び)
娘「じゃぁ、いちばん後ろの車両なら大丈夫だね」
母「後ろから突っ込まれたら死ぬでしょうが」
娘「そっかぁ」
母娘の、この件に関する会話はここで終わり、まったく違う話題に変わりました。
お母さんは、娘さんの他の話しかけはほとんど無視してたのに、その話しかけにだけ丁寧に(?)応じてました。
《考えたこと》
この会話の根底にあるものは何なんだろう。
事故が起きるはずがないという、根拠のない思い。
自分たちが事故に遭いさえしなければいいという、自己中心的な思い。
そんな思いが見えてきます。
JR西日本福知山線の事故から半年経ちます。
JRはさんざん叩かれました。JRは安全運転に努める義務があります。事故が起きたら、責任も取らなければいけません。
しかし、事故が起きた背景を見直すと、1分1秒の遅れも許さない私たちの責任もあると思います。しかも列車は過密ダイヤ。普段事故が起きないことのほうが不思議です。でも、事故が起きないことは当たり前だと思っているから、感謝の気持ちなんてないでしょう。で、ダイヤが乱れたり、事故が起きたりしたら、責任追及。自分には責任がないとでも思っているのでしょうか。
少しのタイムロスも許せず、便利さばかり追求し、それが崩れたら責任転嫁。
そんな私の姿を省みず、他に責任を押し付ける。
「自分を省みず、他人のせいにする」
列車事故の件に限らず、日常の私の姿です。
不思議に思うこと…
交通の便が良くなれば良くなるほど、時間に追われている。
電車やバスに乗り遅れても、すぐに次が来るのに。
閉まるドアへ駆け込み乗車。ダイヤの乱れにイライラ。乱れてなくてもイライラ。
交通の便が良くないところへ行っても、イライラしている人は見かけない。
電車やバスに乗り損ねると、次までかなり待つのに。
次の電車(バス)を待ちますか。ダイヤが乱れても気にならない。
電車やバスの運転手さんが待っててくれることもある。
交通の便が良い方が、イライラする必要はないのに。
交通の便が悪い方が、乗り遅れまいと必死になりそうなのに。
おもしろい現象です。