お彼岸の風景

2008年3月23日 (日)

ごくろうさま おつかれさま

23日、春のお彼岸も終わりました。
今年は、お中日が珍しく雨だったため、例年に比べてお参りが少なく、その代わりか、最後の土・日のお参りが多かったです。
「みなさま、お彼岸のお参りご苦労さまです」
 
お彼岸中とはいえ、他にもやらなければならないことがあります。
お彼岸が終わると、会合が続いています。そのための連絡を、お仲間とメールでやりとりしていました。
「お彼岸、お疲れさまです。~」 
   
   japanesetea japanesetea japanesetea
  
さて、自分で言いながら、こころの中で疑問に思っていることがあります。
“お彼岸”って、ご苦労さまでお疲れさまなことなのでしょうか?
そうじゃないよなぁって、自分で自分に突っ込んでました。会話中の表現だから気にすることもないのかもしれませんが、“お彼岸”に失礼だなぁって、感じていました。そんなこと思う人もいないでしょうが。
でも体は正直です。5日目の晩は、夕飯食べて、すぐにお風呂に入って寝てしまいました。やはり「お疲れさま」でした。

   cherryblossom cherryblossom cherryblossom 
 
いつの間にか、桜も開花しましたね。
近所の桜も咲き始めました。買い物の途中、ふと目に入りました。からだが疲れている中で、こころがホッとする時間をいただきました。ありがとうございます。
 
あっ、「ご苦労さま」「お疲れさま」じゃなくて、「ありがとうございます」ならいいかな。
 
「お彼岸、ありがとうございます」…意味が分からないですね 

 

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2008年3月22日 (土)

少欲知足

今朝、山門を出ると、掲示板の前にご夫婦がいらっしゃいました。ご主人が大きな声で奥様になにか説いています。
 
「あ、副住職、今月のことば“足るを知る”ってことですよね!! 今の状況を足りると感じれば、なにも欲しがらないし、今の状況に不満なら、どんなに足りていても、まだまだ欲しい。ですよね」
 
「なるほど、そうですね」
 
「な、そういうことだよ。副住職、ありがとう、じゃぁ」
 
と、納得して行ってしまわれました。
 
     ☆ ☆ ☆ 
今月の掲示板のことば
楽(らく)を求めて苦しみに陥る
 苦しみを生きる中で 楽しみに出遇う

 
掲示してあることばを読んで、読んだだけで納得できることばもあれば、納得できない、分からないことばもあることでしょう。でも、答があるわけではありません。もちろん、私が掲示板のことばに対して書いている文章も、答ではありません。一個人の、現在只今の受け止めにすぎません。それを恥ずかしげもなく吐露しているだけのことです。文章によって、こうあらねばならないとか、戒めを訴えているわけではありません。
 
このことばは、
今の私になにを問いかけているんだろう。
今の私を映し出している。
今出会えたということは、なにか訴えかけているにちがいない。
 
ことばが気になったということは(納得できてもできなくても)、今の私の生活環境・心理状態によるもの。
なにも問題がない環境で、こころに迷いもなければ、ことばもおしえも響きません。
ことばが、おしえが、あなたを呼び止めたのです。
 
掲示板のことばをみて、夫婦で思いを語り合っていたご夫婦には、今、なんらかの呼びかけがあったのでしょう。
 
それにしても、今月のことばを見て「足るを知る」ということばで表現してくださったご主人。ことばを真摯に受け止められたんだなぁと感じました。
 

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2008年3月21日 (金)

こころのまよい

今日のお尋ね
「副住職、お内仏(お仏壇)のお線香って、何本が正しいんですか? 私、いつも2本火を点けてたんです。そうしたら、友達が、「2本は迷い線香だ」って言うんです。そうなんですか? 副住職!!」
 
先ずは答から。
何本でもかまわないんです。1本でも、2本でも、3本でも…。
迷い線香と言われたのは、お線香の煙が2本立ち昇り、亡き人がどっちに行っていいのか迷うという迷信からきているかと思います。
何本点けようが、地獄に堕ちたり、逆に、天に昇ったりなんてことは、一切ありません。気にしないでくださいね。
お内仏で、お線香に火を点けるということは、手を合わせ、「南無阿弥陀仏」とお念仏申していることと思います。それで充分なのです。何も気にすることはありません。(昨日の文もご参照ください)。
 
会話の内容
「何本でもいいんですよ。香炉の形に合わせて、お線香を折って、火を点けて、香炉に寝かせてください」
 
「えっ、折って、寝かすんですか!!」
 
「はい、お線香は立てないでくださいね」

「今まで立ててました。どうしてですか?」

「火が点いたお線香を立ててたら、もしも倒れたときに危ないじゃないですか」
 
「そういうことなんですか」
 
「はい^^ 火の点いた方を左にして、香炉にお線香を寝かせてくださいね。お線香は何本でもかまいませんから」
 
「わかりました。ありがとうございます」 
 
 ☆ ☆ ☆
 
いつも思うんですけど、なぜ「これをやったらダメ」とか「こうしなければ先祖が迷う」とか言うのでしょう。言っている方は親切心かもしれませんが、人を不安にさせて、そんなのは親切でもなんでもありません。
お彼岸やお盆のときは、住職や私と話す機会なので、不安な顔をされた門徒さんから、いろいろと質問をされます。
 お線香の本数
 仏花の種類
 ご法事は命日の前にしなければいけないのか
 不幸が続くのは、先祖が迷っているのか
 誰も亡くなってないのに、お墓を買ってはいけないのか
 日の良し悪し・方角の良し悪し、などなど
 
先ずお伝えしたいことは、なにも迷うことはありません。
儀式作法として、形式や守らなければならないことはありますが、だからといって「あれをしたからダメ」「あれをしなければダメ」なんてことはなにもありません。どうぞ迷わないでください。
仏事の、「これはどうしたらいいんだろう?」ということや、
「こういうことを言われてしまったけれど、どうなのですか?」ということがありましたら、
お尋ねください。
迷わないでください。なにか言う人がいたとしても、なにも心配はいりませんから。
 
お線香は、お浄土の香りを表わしています。
煙の本数は気にする必要はありません。

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2008年3月20日 (木)

私自身が願われている。そのことに目覚めるのが、ご供養。

一日雨で、寒いお彼岸お中日
でも、たくさんの方がお参りにみえました。
自分の意思でお参りに出かけたつもりだけれど、そこには、私をお寺に向かわしめたはたらきがある。
 
お寺に来て、山門をくぐり、本堂のご本尊に向かって手を合わせる。
「南無阿弥陀仏」
 
「念仏申す衆生を救いたい」という阿弥陀の本願が、今、私に届いている。
 
亡き人は、私に念仏申せ申せと呼びかけている。
 
雨が降り、寒い一日、せっかくのお休み
亡き人のためにお墓参りしていたつもりが、
亡き人から、念仏申せと呼びかけられていた。
阿弥陀仏の救いの声に目覚めよと、亡き人の声が、私にとどいている。
 
思慕(おも)われているのは、亡き人ではなく、この私自身でした。

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2008年3月19日 (水)

もっとお話したかった

「副住職、亡くなった主人は、副住職とお話するのが好きだったんです。厳しい人でしたけど、副住職とは合うらしくって、お寺に行く日は、副住職とお話をするのを楽しみにしていました。入院中も、副住職と話がしたいって申してました」
 
お参りにみえた奥様に、そのように声をかけていただきました。とても嬉しいことです。
そのご主人は、元気な頃は聞法会にもお出かけいただいていました。
ご自身の体調もすぐれないのに、肝機能障害でダウンした私のことを気遣ってくれました(もう7、8年ほど前の話です)。
ご自身の身にもつらい出来事があったのに、私の身におきた出来事を、自分のことのように哀しんでくれました。
 
またお会いしたいなぁ。
またお話したいなぁ。
でも、当然無理なことです。
 
でも、たとえ 沢山お話していたとしても、亡くなられたら「もっと話しておきたかった」という後悔はつきもの。
これだけ話したからもう充分ってことはない。
だけど、「もっと話しておきたかった」と思える人との出遇いがあった。
その事実だけでも充分なんだなぁ。お遇いできてよかったです。ありがとうございます。

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2008年3月18日 (火)

ゲキの間

昨日、門徒さんから質問を受けました。
 
「副住職、“ゲキの間”ってなに?」
「は?」
「あのね、芝の増上寺で、4月に天井絵の公開があるの。でね、友達が、ポスターに公開日は“ゲキの間”って書いてあったんだけど、“ゲキの間”って何かなぁって言ってたの。お彼岸に副住職に聞こうと思って。ゲキの間ってなに?」
「いや、知らないです。ゲキの間…なんだろうな?」
「そっか、副住職も分からないかぁ」
「増上寺さんは浄土宗ですからね。そちら独特の表現かもしれませんね」
「えっ、うち(西蓮寺)と増上寺さんは違う宗派なの?」
「はい、うちは浄土真宗です」
「そっか、じゃぁ分からないわね」
(「いや、だから分からないというわけでもないけれど…」)
 
という会話があって、気になるので調べて見ました。「ゲキの間」を。
 
「増上寺 天井絵」で検索・・・・・あった、「増上寺のサイト」です。

「一般特別公開日 4月2日~4日(御忌期間中)」
「あぁ、“ゲキ”じゃなくて“ギョキ”だ!! (なんで“ゲキ”って読んだんだ?)」
 
御忌(ギョキ)とは、浄土宗の開祖法然上人の法要のことです。
法然上人のご命日は1月25日なのですが、1月はまだ寒いので、4月に法然上人のご法要をお勤めされるのです。(いつからそのような形でお勤めするようになったのか、詳細はしりませんが)
浄土真宗でいうところの、「報恩講(ほうおんこう)」ですね。
今度門徒さんに会ったら教えてあげよ♪(スッキリ)
 
   ☆ ☆ ☆ 
 
で、今朝のお勤めで読んだご和讃(親鸞聖人作)です。
 
  本師源空命終時
   建暦第二壬申歳
   初春下旬第五日
   浄土に還帰せしめけり

  
「師である源空(法然)上人は、建暦2年1月25日にお浄土に還られました(80歳)」
昨日の会話の次の日に、法然上人還浄のご和讃をお勤めするご縁をいただくとは。驚きました。法然上人が呼んでいるのかしら。

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2008年3月17日 (月)

踏まれても 踏まれても

今日から春のお彼岸です。
月曜スタートということもあり、前の土・日にもお参りが多かったです。
 
この時期になると、境内に自然と水仙が芽吹きます。
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人の行き来があるところに咲くので、春のお彼岸に咲いては、踏まれてしまいます。
でも、咲くことを拒否もせず、毎年毎年咲いては、その存在に気付いた人間の目を楽しませてくれます。
踏まれてしまうかもしれない。でも、咲かずにはおれない。待っていてくれる人がいるから。
苦しみを味わうかもしれない。でも、生きずにはおれない。待っていてくれる人がいるから。
  
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踏まれてしまうのを見かねてか、水仙の周りに棒を立ててくださった方がいます。ありがとうございます。
水仙の周りに柵をしようかな。でも、全体に柵を立ててしまうと、ちょっと鬱陶しくなるなぁ…と、毎年考えているのですが、このように数本棒を立てるだけでも違いますね。いいことを教わりました。
ひとりだけで物事を考えていると、思考が狭くてダメですね。もっといろいろなアイディアがあるのに。
 
それでも、すでに踏まれてしまいましたが…。
人の視野って狭いですね。「どうしてそれが見えないの?」って思うことがあるけれど、興味があることしか見えなかったり、何かに夢中になっているときは何も見えません。視野が広がれば、もっと楽しいのに。

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2007年9月23日 (日)

意巧にきく物

西蓮寺境内の掲示板
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自分の思いどおりにしようとしたら孤独になる
                         鈴木 章子
 
このことばを眺めていた方がポツリと、
「これって、○○さんのことだなぁ」
   
いえ いえ、“私”のことですからね!!
誰かを想像してしまうのは分かりますが、おしえのことばは、“私”を映し出す鏡です。
 
☆  
   
一 前々住上人、御法談已後、仰せられ候う。四五人の御兄弟へ仰せられ候う。「四五人の衆、寄り合い談合せよ。必ず、五人は五人ながら、意巧にきく物なり。能く能く談合すべき」の由、仰せられ候う。
                       (蓮如上人御一代記聞書120)

蓮如上人はおっしゃいました。 
「ご法話を聞いた後、聞いたおしえについて語り合いなさい。おしえは、それぞれが自分の都合のいいように聞いてしまうものです。聞いた人の数だけ理解があります。おしえについて、自分の了解だけで満足せず、聞いた人が集まって、よ~く語り合いなさい」 

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2007年9月21日 (金)

若きとき仏法はたしなめ

病気・怪我・事故などが続くと不安になるのは分かります。
が、べつに何かが憑いているわけではありません。
生きていれば、病気にもなるし、怪我もするし、事故に遭うこともある。
 
「お祓いしてください」
「うちではお祓いはやってないんです」
「あぁ、そういう宗派でしたね」
 
宗派(おしえ)がそうだから、私もそれに従うっていうものではありません。
身の事実をそのまんま受け止める。そういう生き方をしてきた人がいる。その人々が よりどころ にしてきたおしえが浄土真宗だった。
おしえに身を、考え方を合わせていたら、自分に都合の良いものを選び取ることになります。
阿弥陀さまから既に与えられているおしえなのに。 
 
「ことば こころのはな」9月の文章に感想をいただきました。
「信心を得た人が木片と遭遇するのなら、阿弥陀さんの救いは人を選ぶことになりますよね」
 
なるほど、そういう読み方もできますね。しかし、
木片は、阿弥陀さんを信じた人に現われるものではありません。誰もが今、現に、木片を よりどころ としてプカプカ浮いているんです。自分では気づいてないだけで。
  
聞法(おしえを聞く)しても、病気・怪我・事故を避けられるわけではない。聞法していても、病気・怪我・事故に遭うときは遭うし、悪い心が芽生えるときだってある。
でも「聞法しろ、聞法しろ」と勧めるのは、木片の存在に気付いてほしいから。
私は、この娑婆世界を溺れているのではない。木片につかまりながら必死で生きている。
 
溺れるものは藁をもつかむというけれど、病気・怪我・事故に遭ってから おしえ をもとめても、厄を祓いますよと言うおしえとは言えないおしえにつかまり、ブクブクと沈んでいくことでしょう。
普段から法に出遇っていると、やはりその時(病気・怪我・事故に遭った時)は慌てるだろうけど、ブクブク沈むことはない。慌てて藁をつかむことはない。「あぁ、木片があったんだ!」って思えるから。
 
「お祓いはしてませんが、聞法会をやってますから、お出かけください」
そのようにお勧めいたしますが、来てくださった方はいまだかつておりません。 

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2007年9月20日 (木)

今日から秋のお彼岸です

「彼岸」について
暑かった夏。いかがお過ごしでしたか? お疲れ出ていませんか?
夏が過ぎ、秋のお彼岸を迎える時期になりました。お彼岸やお盆には、大勢の方がお寺参りにみえます。亡き人を慕い、 本堂の前や墓前で、手を合わせる。尊いお姿です。
 
春分の日と秋分の日を中日とした一週間を「彼岸」と言います。サンスクリット(インドの言葉)の「パーラミター」(意味:超える・渡るなど)が中国で「到彼岸」と訳され、日本に伝わり「彼岸」となりました。
「彼岸」は浄土の世界。「西方浄土」と表現されるように、浄土は西にあるという思想が、なぜか日本では強いです。太陽が真西に沈む春分・秋分の日に、日の沈む方角を見て、「あぁ、あの方角にお浄土があるんだ」と、私たちが生活している「此岸」から、浄土の「彼岸」を臨み、手を合わせるようになったのだと思います。私たちは、自分では意識していないけれど、阿弥陀如来の浄土へ生まれることを願っているのです。
「彼岸」とは、「彼の岸」へ「渡る」ということです。では、どこから渡るのでしょうか。「此岸」です。「此岸」とは、私たちが 生きている この迷いの世界です。「彼岸」は、さとりの世界・浄土の世界です。「此岸」から「彼岸」へ、迷いの世界からさとりの世界へ渡るのです。
そこで、彼岸に渡るために(浄土に生まれるために)、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」という修行(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若)を努めます。しかし、生死の苦海に沈む我らには、それらの修行を尽くせません。そのような私たちに、彼岸(浄土)の阿弥陀如来は、此岸の衆生を救いたいと願いをかけられています。彼岸から此岸に、救いの声(弥陀弘誓のふね)が響いている。その声が届いているからこそ、「南無阿弥陀仏」と、手が合わさるのです。
 
お彼岸は、亡き人を偲ぶ仏教週間ではなく、自分自身を見つめなおす大切な時間。
「ちょっと立ち止まって、自分の歩みを確かめてごらん」。亡き人からご縁をいただいて、自分を見つめなおす時間をいただいているのです。それが「お彼岸」。
お墓参りに行く際に、「車混んでるなぁ!!」なんて、イライラしていませんか?
 
 
註:お寺の新聞「ことば こころのはな」の裏面をアップしました。

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2007年3月20日 (火)

堂々と死ぬ(ルビ…いきる)

最近西蓮寺に墓地を求められた方がお参りにいらっしゃいました。
その方のお家は、まだどなたも亡くなられていないのですが、生前からお寺とお付き合いしておきたいという想いがあって、墓地を求められました。そういう意味では、急いで墓地が必要というわけではありません。

その方が半分悲しそうに、半分呆れた感じで言われました。
『副住職、友達に墓地を買ったって言ったんです。そうしたら、なんて言ったと思います? 「まだ誰も死んでないのに墓地なんて買ったら、あの世から呼ばれるわよ!! やめなさい」ですって。そんなことないですよねぇ』

はい、そんなことないです。
それを証明する術はないけれど、墓地を求めることと寿命の長短に関係性はまったくありません。
仮に、墓地を求めた直後に亡くなられても、それはその人の寿命だっただけのこと。墓地を求めてからも長生きしたとしても、それも、関係はないこと。
 
お墓とか、法事とか、生き物の生き死にに関することって、どうして「あれはダメ、これはダメ」っていうことが言われるのだろう。
粗末にしてはいけないことだけど、「あれをしたから、こうなった」「あれをしなかったから、こうなった」って言っても、まったく関係性のないこと。
そういうことがまことしやかに言われるのは、そういうことを言われて不安に思うのは、
「いのち」あるものは、いつか「いのち」終えるという、当たり前のことを当たり前のこととして生きていないから。
死に向かって歩いている。怖いですか?不安ですか?自分には関係ないことですか? でも、誰にも平等に訪れる真実です。
真実から目を逸らしていると、「○○をしたらすぐ死ぬ」とか「○○をしなかったから死んだ」とか、なんの根拠もないことに惑わされてしまいます。
 
自分の中で迷信に縛られているだけなら仕方ないけど、他人にまで「お墓買ったら呼ばれるよ」なんて言うのは、いかがなものかと思います(さて、何に呼ばれるというのでしょう?)。
 
さぁ、堂々と、死に向かって生きてください。

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2006年9月26日 (火)

彼岸花

今日はお彼岸の最終日
連休も明け、雨だったためお参りも少なかったです。
静かなお彼岸最終日でした。

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お彼岸に入っても咲いてなかった彼岸花ですが、今日咲きました。
お彼岸にギリギリ間に合いました^^
   
   
彼岸中に尋ねられました。
「副住職、お墓のお花にバラはいけないんですか?」
「いや、いいですよ。亡くなった方の好きなお花を挿してあげてください」

お墓のお花は、決まりごとがありません。
亡くなられた方が好きなお花があれば、それを挿してあげてください。

ただ、お内仏(お仏壇)は決まりがあります。
次の花を挿してはいけません。
 1、匂いの強い花
 2、トゲのある花
 3、造花

「匂いの強い花」というのも線引きが難しいですね。金木犀はお内仏にはふさわしくありませんね。もっとも、金木犀は花がすぐにポロポロ散ってしまいますから飾れませんね。

「トゲのある花」はバラが真っ先に思い浮かびますね。バラが好きな人も多いと思います。どうしても飾りたい場合は、お内仏の中の花瓶に挿さずに、お内仏の外に飾ってはいかがでしょうか。

「造花」はお内仏だけでなく、お墓にも飾らないほうがいいと思います。
「いつまでも綺麗な花を」という想いがあってのことでしょうが、それが習慣化してしまうと花を替えなくなる、つまりは手を合わせなくなってしまいます。
お花、どっち向きに挿しますか? お内仏の内側やお墓に向けて挿しますか? 挿しませんよね。私の方を向けて挿しているでしょう。亡き人に対してお花を供えているつもりが、自分に対して向けられている。手を合わせて南無阿弥陀仏と念仏申す機会と共に。
亡き人は、私のことを想い続けていてくださるのです。
お内仏のお花、造花を挿して満足してしまわずに、たとえ一輪でもいいから生きたお花を挿して、毎朝お水を足してください。すると、自然に手も合わさることでしょう。亡き人の呼びかけに応えることになります。

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2006年9月25日 (月)

赤松

西蓮寺山門をくぐって正面に本堂があります。本堂右手に大きな赤松があります。樹齢100年は越えているでしょうか。
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お彼岸中、植木屋さんが赤松の手入れをしてくださっています。
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危ないものが落ちてくるわけではありませんが、念のため「頭上注意」の看板を置いておきました。
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「頭上注意」の看板を見て、上を見上げた門徒さんが言いました。
「副住職、こんな立派な松があるのに、いままでジッと見たことがありませんでした。それくらいのゆとりもなく生活してたんですねぇ。ゆっくり空を見上げる時間って必要ですね」
「そうですねぇ」
松を見上げながら、ふたり会話を楽しんでいました。

そういえば、こんなにゆっくり松を見たことなかったなぁ。
なんて想っていたら、松に登ってみたくなりました(○○だからすぐに高い所に登りたがる)。
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植木屋さんが帰ってから、松に登ってしまいました。
「へぇ~、松はこんな景色を眺めてるんだぁ」
感動してしまいました。

 下から見上げた松や空
 上から見下ろした山門や本堂
見慣れているはずのものが、全然違って見えました。


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2006年9月24日 (日)

きょうのわんこ

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大きな体を揺すって、ご主人様と一緒にいつもお墓参りに来てくれます。

今朝はひんやり涼しかったです。
だんだんと暑くなり、昼過ぎには日差しも強く、ちょっと動くと汗ばむ陽気でした。
ワンちゃんも日陰を見つけて休んでいました。

日が暮れるとともに寒くなってきました。
暑さ寒さも彼岸まで。気候不順の折、風邪をひかれている方も多く見かけました。
みなさま おからだご自愛ください。

ワンちゃん、ようこそお参りくださいました。

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2006年9月23日 (土)

ニャンコ先生

お彼岸お中日たくさんの方がお参りにみえました。
あわただしい中、ふと中庭を見ると、ネコが寝てます。まるで自分の家のように^^

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しっかり休んでるなぁって感じです。
お休みの日、こころの底から休んでますか? つい仕事を片付けてしまったり、頭の中で仕事のことを考えてしまったりしていませんか?
休むときにはしっかり休む。そうしてこそ、次に大きな一歩が踏み出せるものです。

仕事をしている中での休みという意味だけでなく、
今 仕事をしていない人も、何もする気が起きないという人も、人生に疲れてしまった人も、それは、今は休むべき時なんだよという呼びかけかもしれません。
休むときは休むがよくそうろう。あせること、気兼ねすること、自己嫌悪することはなにもありません。

ふてぶてしく寝ているネコから教えられました。
しっかり休んでいるなぁって感じましたが、「今日の夕飯、なに食べようかな」なんてしっかり考えているかもしれませんね。


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「ジロッ」
シャッターを押したら気付かれてしまいました。
にらまれてしまいました。凄みがあります。
    
   
              
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「フンッ」
ふてくされてしまいました。
逃げるでもなく、ホント自分の家のようです。

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2006年9月22日 (金)

人のうれしいことを

「人のうれしいことを、うれしいと思えない人生なんてつまらないじゃないですか^^」

 つらい想いをされてきたのに 
  今は笑顔でそんな風に言える
 いつも元気をもらってます
  ありがとうございます

 幸せだから感謝するのではない
   感謝しているから幸せなのです

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2006年9月21日 (木)

金木犀

今朝、玄関から出るとあま~い香りがしてきました。

この季節のあま~い香り・・・金木犀(キンモクセイ)です。

お彼岸中に咲くなんて早いなぁなんて思っていたら お参りの門徒さんが

 「副住職、おはようございます。このにおい…金木犀!?」

 「ですね^^」

 「もう咲いてるんですか!! いい匂いですね^^」

人工的なトイレのにおいとは、やっぱ違います^^

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2006年9月20日 (水)

高野槇

「副住職、あれコウヤマキですよね」

「(コウヤマキ? 誰?)」

「門の横の木、高野槇ですよね。珍しいんですよね。新宮様のお印の木が高野槇って聞いて、すぐに西蓮寺さんの槇を思い出しましたよ^^」

「(あぁ!! 高野槇!!) あれ、高野槇だったんですか。知りませんでした」

「普通の槇はよく見るけど、高野槇は珍しいんですよ。一年でチョットしか成長しなくてね、普通のお家ではあまり植えられないんですよ。でも、成長するとまっすぐに伸びるんです。お寺の高野槇を見るの楽しみでした♪」

「そうなんですか。本当に知りませんでした」
   
   
山門の横にある木、高野槇だったんですね。
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数年前に台風で、二股に分かれていたうちの一方の枝が折れてしまいました。
昨年、門前と土塀を改修するときに、「この木、どうしようか」なんて話していたのですが、残しておいて良かったですね^^;

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こちらが普通の槇です。
(“普通の”って言うのもおかしいですね。名前を聞いたのですが忘れてしまいました)

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左が高野槇 右が普通の槇の葉です。
細い葉が特徴ですね。

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2006年3月24日 (金)

お彼岸も終わり…

今日で春のお彼岸も終わりです。
風が強く、寒いお彼岸だった気がします。
気候には恵まれなくても、道路が混むのがわかっていても、お彼岸にはたくさんの方がお墓参りにみえます。

そういえば、
雨風の強い日や大雪の日に、「今日は誰もお墓参りには来れないなぁ」なんて思っていると、ピンポ〜ン♪と玄関のベルが鳴り、「今日は○○の命日なんですよ。お墓参りに来ました^^」ってみえる方がいます。
思い返してみると、そういう人って、笑顔だなぁ。
お墓をお参りすることが楽しいというか、亡くなった人に会っているのでしょうね。

そういうのを信仰心というのかどうかという議論は別にして、
お参りする気持ちっていうのは、日本人はまだまだ持ってるなぁと思うわけです。
そういう気持ちがあるということは、人を慕う気持ちだってあるはず。

そんな気持ちを、
お彼岸や命日の日だけでなく、
亡くなった大切な人に対してだけでなく、
いつも、誰にでも向けられたらなぁ・・・と思いながら この一週間過ごしていました。

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2006年3月21日 (火)

WBC優勝

王ジャパンおめでとう!!

やっぱ野球は楽しいなぁ

暖かくなってきたし、体を動かしたくなってきました

(久しぶりの更新がこんな記事ですみません)
    
     
追記(3月23日)
3月21日はお彼岸のお中日でした。
朝からたくさんの方がお墓参りに来られました。
スッゴイたくさんの人でした。
「今日はいったいどれだけの人が来るんだ!!」(心の叫び)
    
    
ところが、昼過ぎには お参りされる人の姿が極端に減りました。
「あれ! 午前中の勢いは?」
お中日の昼間にお参りの人が減るのも珍しいなぁと思っていました。
    
    
午後4時過ぎ、そろそろ片付け始めようかなぁなんて思い始めた頃、また人の波が。
「え! なんで?」
普段のお中日とは違う人の流れ。なんでかなぁなんて思っていたら、理由がわかりました。
    
    
「副住職、こんにちは ニッポンやったねぇ!! 途中の電気屋さんの前でテレビ見てたら遅れちゃったよ^^」
「副住職野球見てた!? 王さんよかったねぇ テレビ見始めたら、出かけられなくなっちゃって^^」
    
    
うん、納得
みんな笑顔でした^^
     
    
    
王ジャパンのクローザー 大塚投手のブログです。
http://blog.so-net.ne.jp/aki-otsuka/
試合が終わるとブログを更新されていて、臨場感があって、想いが伝わってきます。
        
         
          
追記(3月27日)
今日、東京は暖かでした。
久しぶりに草野球をしてきました。
烏山寺町の坊さんチーム「クールサンガ」というのがあり、体を動かしてきました。

今日は 2番でセンター。
WBCの余韻で、気分が乗っていたので、3打数2安打2打点1盗塁
気持ちで動く単純な人だなぁと、我ながら感心してしまいました。

試合は18対3で…敗けました><

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2005年9月26日 (月)

彼岸の悲願

秋の風が吹いてます。
暑かった夏も終わりが近づき、秋の足音が。
こうなると、あんなに暑かった夏も名残惜しいですね(勝手ですね^^)。

今日で秋のお彼岸も終わりました。
暑かったり、涼しかったり、台風が来たり。
春もそうですけど、お彼岸の頃って気候の変化が激しいですね。
こういう時期って、人のこころの変化も激しいです。
哀しかったり、ウキウキしたり、泣きたかったり、笑いたかったり、いやに冷静だったり…。
こころの動きが激しい、その時はしんどいけれど、ふと気が付いた時には気持ちが落ち着いていたりする。
風が突然ピタッと止むように。
暑くもなく、寒くもなく、心地よい気候があるように。
人も自然の一部なんですね。

人と自然の共存・共生? 対等・並列な発想です。

人は自然の一部。
自然の中を生かされているという感覚を見失いたくないなぁ。
その感覚を見失わないってことは、生まれた意義と生きる喜びを見つけるってことなのかも。

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2005年9月23日 (金)

感謝

お彼岸にはたくさんの方がお墓参りにみえます。
今日は3連休の初日と重なったこともあって、例年のお中日以上に
道路が混んでいたようです。お寺も人がいっぱいでした。
みなさま、お疲れ様でした。

家族揃ってお参りされる方もたくさんいます。
寺の山門をくぐって、参堂を歩いて、本堂の前まで来て…
おじいちゃんやおばあちゃんが本堂正面の阿弥陀さまに向かって手を合わせます。
お父さんお母さんが手を合わせます。
そのお子さんも、一緒になって手を合わせます。
「ナムナムしなさい」と言われてもいないのに。   心和む風景です。

教えよう教えようと力むよりも、先ず自分がやってみせる。
叩き込まれた知識・作法より、こころに沁み込んだ想いは、いつまでも相続されていきます。

自分が嫌なこと、苦手なことをさせようとしても、後は続かない。
自分がこころを込めてやっていることは、たとえ誰かに伝えようという想いがなくても、自然と伝わっていくものです。
(それだけに、お行儀悪い態度も子供はすぐにマネします。気をつけましょうね^^)


  無理に強いられた学習というものは、
     何ひとつ魂のなかに残りはしない。

                      プラトン


お彼岸のお中日、どんなに道路が、電車が、バスが混んでいると分かっていようとも、お参りせずにはおれない。
その気持ちというのは、自分が起こしているのではありません。
私に先立って生きられた方々の姿や想いが、私に相続された表われなのです。

手を合わせるのは、先祖への感謝ではありません。
連綿と受け継がれてきたいのちが、今、私の中を生きているから手が合わさるのです。

私が、感謝するのではない。
感謝の連続のいのちを、今、私が生きているのです。

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2005年9月20日 (火)

どう答えますか?

今日は彼岸の入りです。
先の3連休にけっこうお墓参りにみえているので、今日はお彼岸の
お中日のような感覚です。
でもお彼岸は今日から1週間。すでに体が疲れてしまってます(年ですかね)。
  
   
お参りにみえた門徒さんから相談を受けました。
5歳になるお孫さん(女の子)がいるのですが、その子が生まれて6ヶ月の時にお父さんは亡くなられました。
今までは「お父さんは遠い国にいるんだよ」と話してきたそうですが、
最近なにか変だなぁということに気付いたらしいのです。お父さんに関する質問攻めだそうです。
で、本当のことを話すべきなのか否か、おじいちゃんとおばあちゃん、おかあさんは迷っているのです。

私は、「話す時期が来たということだと思います」と言いました。
その子にはお兄ちゃんがいて、お兄ちゃんはすべて理解しているらしいので、なおさらキチンと話してあげた方がいいなと思いました。
葉っぱのフレディ』という絵本を薦めたのですが、すでに持ってらしたので、お孫さんと一緒に読んで、折を見て、本当のことを話してあげたらいかがですかと言いました。


子供は、大人が考えるよりも、ずっとずっと賢いです。理解力があります。隠そうとしても、ごまかそうとしても、そのことに気付きます。
こちら側から事細かに説明を切り出す必要はないけれど、聞かれた質問には、大人に対するのと同じように答えてあげるべきだと思います。

あなたなら どのように答えますか?

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2005年3月23日 (水)

お彼岸の風景7

今日でお彼岸も最終日。春のお彼岸はお参りが多いです。
お参りにみえる人の姿を見ていると、「日本人は無宗教」とか、「宗教は恐い」と言われていることが嘘のように思えます。
作家の五木寛之さんが百寺巡礼を終えた感想で「日本は世界有数の宗教国家ではないだろうか」と語っていました。なんだか分かるような気がします。
地下鉄サリン事件以降(かな?)、堂々と「私は何教です」「私は何宗です」と名のれない雰囲気が出来てしまったと思います。「無宗教・宗教は恐い」と言っとけば、それが多数派で、自分が責められることがないですものね。
既成宗教の怠慢とも言われますが、自分はそうは思っていません(僧侶だから自己弁護してるように思われるかな。そういうわけではないのだけど)。宗教・仏教に関心を持っている人ってけっこういます。そういう人を、「変わった人」という目で見る環境に問題があると思います。
「寺報を毎月ください」と言ってくれる人、「“白骨の御文”の現代語訳がほしい」と言ってくれる人(そう言ってくれたおかげで、試訳をして、読み物を作ることができました)、お寺に行くから副住職がいる日を教えてくださいとメールをくれる人、などなど。実際、宗教・仏教に関心のある人はたくさんいる。そういう人と関係を持てるか。そういう意味での責任はこちら側にあると思っています。

追伸
お彼岸に入ってから、このブログへのアクセス数が増えている(といっても30前後だけど。でも、今までは一桁でしたから)。毎日書くようになって、ヒットしやすくなっているのでしょうか。期待しているものと違ってたらごめんなさいね。

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2005年3月22日 (火)

お彼岸の風景6

3連休も終わり、今日はとても静かでした。
天気が不安定なこともあって、お参りは少なかったです。
お墓にはきれいな花があがっています。
でも、夕方頃から吹き始めた強い風邪で、せっかくのお花が飛んでしまいます。

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2005年3月21日 (月)

お彼岸の風景5

3連休最終日。今日もお参りが多かったです。
午前中、風邪が強かったですね。花粉症持ちにとってはたまったもんじゃありません。
寺に来る方を見てると、今年はマスクをしている方がとてもとても目立ちます。今年初めて花粉症になったという人もたくさんいました。気の毒ですね。私もかなりひどい花粉症持ちですが、薬が合っているのか、マスクをするほどではありません。

不思議な現象なのですが、お参りの方が来るときは、ワーッと大勢の方が来るんですよ。
その波が引いたかと思うとガラーンとして、全く暇になるんです。
うまい具合に分散されるといいんだけど…。
寺に顔を出してくださる方の中に、“あっ何か話したいことがあったんじゃないかなぁ”って雰囲気の人がいるんです。でも、たくさん人がいるからって遠慮して、挨拶だけして帰ってしまわれます。
ゆっくりお話ができなくてゴメンナサイ。
お彼岸中はどうしても事務的な対応になってしまい、心苦しいです。
寺の行事のないときにお出かけください。ゆっくりお話いたしましょう。

追伸
マスクと帽子と花粉よけメガネをしたまま挨拶してくださる方、誰だか分からないまま返事をしているときがあります。申し訳ありません。

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2005年3月20日 (日)

お彼岸の風景4

お彼岸に限らず、お参りに来た方には「西蓮寺掲示板のことば」という寺報をお渡ししています。
今日、寺報をお渡ししたら、「ことば」をその場で読まれて、文章のモデルになっている境内の梅の木を実際に見て、「本当だ。幹はがらんどうだけど、生命の力を感じますね」と言われた方がいました。
文章をすぐに読んでくれたこと、すぐに文中の梅を探されたこと、一緒にその梅の木を見られたこと、感想を言ってくれたこと、生命の力を感じてくれたこと、いろんなうれしいことが同時にたくさん来てくれました。
今日はお彼岸のお中日、たくさんお参りの方がみえ、少々疲れてましたが、一気に疲れも吹き飛びました。

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2005年3月19日 (土)

お彼岸の風景3

世間は今日から3連休。お墓参りもたくさんみえました。
道路は大渋滞だったようです(寺にこもりっきりなので、外の様子が分かりません)。
流山から4時間かけてこられた方もいました。お疲れ様です。
お墓参りが多くて、何か忘れてるな〜と思いつつ、法務をこなしていました。
いつの間にか日が暮れていました。
何を忘れているのか、夕飯を食べる時に気付きました。
私、お昼ごはんを食べることを忘れていました。

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2005年3月18日 (金)

お彼岸の風景2

快晴。春の日差しが心地よく感じました。
午後3時、雨が降りましたが、すぐに通り過ぎてゆきました。
雨雲が通り過ぎると、風が吹いてきました。
お彼岸中、必ず風の強い日があります。
廊下はザラザラ、表のベンチもザラザラ。
せっかくの墓地花も飛び散ってしまいます。

お彼岸2日目。平日でしたが、多くの方がお墓参りに来ました。
ここ数年、お彼岸中のお墓参りが分散されてきた気がします。
お中日は道路が込みますからね。

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2005年3月17日 (木)

お彼岸の風景1

いつからだろう、雨の降る日に心弾ませるようになったのは。

土。
カサカサに乾いた土が、みるみる湿気を含んでいく。
薄〜い白っぽい茶から、濃〜いこげ茶に色が変わっていく。
水分を含み、輝きを増している。
乾いた土に、生気がみなぎり始める。
 
花。鉢植えの花。
ジョウロから注がれる水よりも、天から降り注ぐ雨の方が、花も喜んでいる気がする。
植物の瑞々しさが、空気をやわらかくする。

土のにおい 花のかおり 静かな空気
心弾ませると言ったけど、心に静寂を与えてくれると言ったほうがいいのかも。
そんな雨の日が、とても好きだ。


う〜ん、「お彼岸の風景」と関係ないですね。
でも、彼岸の入りの日、お墓参りに来る方には気の毒でしたが、私は雨の風景を静かに眺めていました。
ちなみに、「じょうろ」って漢字で「如雨露」って書くんですね。初めて知りました。

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