折々のことば

2020年3月29日 (日)

スカーレット

2020年3月29日(日)
寒さがもどった朝を迎えました。起きたときは雨が降っていたので、「あ、天気予報はずれ♪」などと思っていたのですが、朝一番のお湯を沸かしているとき、窓の外の景色は雨からみぞれ、みぞれから雪、小さな粒の雪から綿あめみたいな雪へと、みるみる変化していきました。
地面が雨で濡れていたので、積もりはしないだろうと高をくくっていましたが、あっと言う間に雪景色となりました。
親鸞聖人も雪をかぶっています。

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NHK朝ドラ「スカーレット」が昨日(2020年3月28日)最終回を迎えました。

私は、朝ドラを毎朝欠かさず見ているわけではありません。妻が毎朝欠かさず見ていて、朝の掃除から戻ってきたときに妻が見ていたら一緒に見るような見方なので、全編を知っているわけではありません。にもかかわらず、感動的なシーン、悲しいシーンで私が涙すると、「たまにしか見ないのに、よく泣けるわね‼」と嫌味を言われてしまいます。

さて、今回の「スカーレット」は完全オリジナルで、主人公の実在の人物はいないと思っていました。
いえいえ、神山清子(こうやま・きよこ)さんという、女性陶芸家の草分けの方のお話だったのですね。
朝ドラ大好きな僧侶の先輩が、「白山君、あのね、朝ドラではまださわやかに描いているけど、本当はもっとドロドロした話なんだよ」と、会うたびに聞かせてくれました。神山さんの自叙伝でも読まれていたのですかね^^

最終回の放送を見終え、『東京新聞』をひらくと、「あの人に迫る」のコーナーに神山清子さんが載っていました。
本当だ、ドロドロだ(ご自身で語られています)と思いました ^^💧

でも、陶芸の世界で女性が認められていない時代(とき)、誰にもまねのできないものを作って、この作品を見れば神山清子の作品だ!と思ってもらえるものを作るという熱意を持って作品作りをされていたそうです。

同じような物が出てきたら、私が死んで消えちゃうじゃないですか。誰が見ても「あ、清子さんやな」って分かるインパクトが欲しかってん。

ドラマでは息子の武志さんが26歳で亡くなりましたが、実際にも息子さんが31歳で亡くなられています。
29歳の時に慢性骨髄性白血病が判明し、それから親子で骨髄バンク設立運動に奔走されました。神山親子の尽力により、骨髄バンク設立の動きが加速したそうです。

ドラマでは、喜美子が涙を流すシーンはなかったと思います。気丈にふるまっていました(←見てないだろう!と突っ込まれるかもしれませんが)。
神山清子さん自身も、息子さんの病気が分かってから、息子さんと約束をされたそうです。「泣かないこと。涙を落とさないこと。笑って死ぬんだ」ということを。

何もなく、泣きながら死ぬんやなくて、笑顔で「ありがとう」って言われながら死んだ方がいいじゃないですか。最後の贈り物として、みんなからの「ありがとう」という言葉をあの子にあげたかった。

そのような気持ちがあったそうです。ドラマに反映されていたのですね。
ちなみに、ドラマで、喜美子の工房に並んでいた壺や器は、神山さんの作品だそうです。再放送されるときは、そこにも注目したいです。

(引用文は、「東京新聞」2020年3月28日(土)朝刊より)

2019年12月22日 (日)

つくべき縁 はなるべき縁ともに

「言の葉」サイトで取り上げられていました。

2019年師走(12月)の言葉

つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなるる

2019年11月 7日 (木)

後に生まれん者は前を訪え

昨日の投稿で、報恩講での海法龍先生のお話に少し触れました。「弔」と「訪」と「尋」について。
お話を聞いていてちょっとビックリしていました。
報恩講の支度をしているとき、妻と「訪」について会話をしていたからです。

本堂のホワイトボードに張ってある言葉を外す際、その言葉を見ながら妻が呟きました。

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「『後に生まれん者は、前を“尊べ”』 とか 『“敬え”』じゃないんだね。亡くなった人を尊びましょうとか敬いましょうっていうのは よく聞くけど、道綽大師は“訪え”って言ってるんだね。」

「そういわれるとそうだね。日本語では、「とむらい」というと“弔”の他に、この“訪”もあったから、『弔うということは、訪うこと。つまり、たずねることです』という論が成り立つんだけど、道綽大師は中国の方だから、『「弔」と「訪」は読み方も同じだから、意味も通じ合える』なんてことは考えないよね。ということは、道綽大師は、『弔うということはつまり訪ねることである』ということを感じていたんだね。」

なんてことを、本堂の支度をしながら話していました。

報恩講で海先生のお話を聞いたあとで、先生に感想をお伝えしている方もいらっしゃいました。
「道綽大師の言葉(↑写真の言葉)を思い起こしながら、先生のお話を拝聴していました」。
南無阿弥陀仏(‐人‐)

前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。
道綽大師

2019年10月25日 (金)

種をまかねば育たない

種をまかねば、一生花なんか咲かねんだ。あんたみたいに、種もまかないで 幸せの花咲かそうと思っても、無理に決まってる!!
ドラマ「同期のサクラ」(第3話 2019年10月23日放送分より)
(ドラマの中では、この部分は方言で喝破しているので、もっと感情いっぱいのセリフです。)

妻が録画していたドラマ「同期のサクラ」(主演 高畑充希)を見て、思わず涙ぐんでいた。

サクラのような、真っ直ぐな人間が馬鹿を見るような世の中は、なんか間違っているなぁ・・・

と思う反面、真っ直ぐな人間ばかりになったとき、真っ直ぐに物事が進むかといったら、そういうわけにはいかない。真っ直ぐな人間どうしがまたぶつかってののしりあい、喧嘩、争いが起きてしまう。それに、そうなることを防ぐために、人間は防衛本能として自分を隠したり、偽ったり、他人に合わせたりするようになったのではないだろうか。

「最近の子は、他人との確執を好まないから、極力人と交流を持たないようにしたり、自分を出さないようにしている」なんてことを言う人がいるけれど、それは逆で、確執が生じないための行動を、しているのかもしれない。もっとも、それもまた、声の大きな人、権力を持った人を利して、その人らが振るう暴力(ハラスメント)によって、苦しむということが起こるのだけれど。

上記の「種」の話に感動しました。
種をまくことによって、次が生まれ育ち、広がってゆく。そしてまた種が生まれ、次のいのちへと繋がっていく。次の展開へと広がりを持つ。
「種」は、誕生と、広がりの象徴なんです。
そういうことを、強く想う。
第3話のなかで、このシーン(セリフ)が一番突き刺さりました。

それから、おじいちゃんのFAXも達筆で、心がこもっていて、ほれぼれします。

2019年10月 9日 (水)

仏法不思議

2019年10月9日(水) 西蓮寺聞法会

ご本山発行『真宗の生活』を拝読してお話。
今日は「10 仏法不思議」 (藤原千佳子先生著『仏さまのよびかけ』より)

親鸞聖人の和讃 3つにふれながら「仏法不思議」についてお話しました。

〇いつつの不思議をとくなかに
 仏法不思議にしくぞなき
 仏法不思議ということは
 弥陀の弘誓(ぐぜい)になづけたり
  (親鸞聖人「高僧(曇鸞)和讃」)

【試訳】
五種の不思議(衆生多少不可思議・業力不可思議・竜力不可思議・禅定不可思議・仏法力不可思議)の中でも最高の不思議は仏法力不可思議です。
なぜかというと、凡夫がたすかる弥陀の本願が説かれているからです。「不断煩悩得涅槃」が不思議なのです。
凡夫のおもいはかることのできないところで、凡夫のたすかる本願が誓われ、たすけられてもそれを知らざるほどに広大な力がはたらいている。
それを不思議というのです。

〇浄土真宗に帰すれども
 真実の心はありがたし
 虚仮(こけ)不実(ふじつ)のわが身にて
 清浄(しょうじょう)の心もさらになし
  (親鸞聖人「正像末和讃」)

【試訳】
浄土真宗に帰依しました。阿弥陀如来のすくいを頼りとしてまいります。
真実に帰依したけれど、その帰依した真実によって照らし出されたのが、真実など一点も無い私の姿でした。
阿弥陀如来は、清浄にして真実なるものである。その清浄真実なるものが私にはたらくとき、私の不実であり煩悩に汚れている姿がはっきりと見えます。
浄土真宗に帰依したおかげで、私に真実の心がなかったのだということが知らされました。

無慚無愧(むざんむき)のこの身にて
 まことのこころはなけれども
 弥陀(みだ)の回向(えこう)御名(みな)なれば
 功徳(くどく)は十方(じっぽう)にみちたまう
  (親鸞聖人「正像末和讃」)

【試訳】
慚愧(ざんき)なきを畜生と名づく」(『涅槃経』)
「慚」も「愧」も、どちらも〈はじる〉という意味です。「慚」は内に向かって自らをはじること「愧」は他者に対して自らをはじることであると釈尊は説きます。
真実の心などない無慚無愧である私に、阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」の念仏を回向してくださいました。
阿弥陀如来の光明は、無慚無愧の私を含め、すべての人々に行き渡っています。

ご自身の内面を見つめ、阿弥陀如来に出遇われた聖人の姿勢が強く表現されている和讃であると、あらためて感じました。

「不思議」について、
目の前にあるものが無くなったり入れ替わったりして「わぁビックリした!!」が不思議ではなくて、
衆生(人間)の思いはからいを越えて、阿弥陀如来から「南無阿弥陀仏」の念仏を回向されている(いただいている)ゆえに不思議なのです。
というようなことをお話しました・・・

で、“不思議”なことに、今日の聞法会の数日前、藤原千佳子先生から、先生のお寺の寺報「法爾」が届きました(教区同朋大会でお世話になってから、寺報やお手紙のやりとりをさせていただいています。ありがたいことです)。
その寺報に、金子みすゞさんの「不思議」という詩が載っていました。

不思議   金子みすゞ

私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。

私は不思議でたまらない、
青い桑の葉たべている、
蚕が白くなることが。

私は不思議でたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだ、ということが。

「あたりまえ」に思っていることが、どんなに「あたりまえ」でないことか!! どんなに有り難いことか!!
藤原先生の文章をテキストにしながら、藤原先生の寺報からさらに言葉を教えていただき、不思議なご縁をいただきました。
南無阿弥陀仏

お話終わってお茶の時間
毎回参加してくださっているおじいちゃんが、お話を切り出してくださいました。
「今日は私の誕生日でして、94歳になります。正直、こんなに長く生きられるとは思っていませんでした。不思議です。しかも今日、自分の誕生日に聞法会が重なって、みなさんにお会いできて、みなさん私が今話していることを聞いて下さって、不思議で、有り難い気持ちでいっぱいです。不思議がいっぱい積み重なって、今日という日を迎えられました。みなさんありがとうございます」
その他にも、戦前・戦中・戦後の話をしてくださいました。東京の発展に勤められた人生です。一緒に聞いていた小5の娘も、おじいちゃんの熱弁を聞いていて、「大事な話をきかせてもらいました!!」と感動していました。
今日の私の話が「不思議」についてだったから、おじいちゃん“不思議”を連呼されたのではありません。お話は ほとんど聞こえていないのですが、にもかかわらず、「不思議」について語られ始めたので、ビックリしました。おじいちゃんは、西蓮寺寺報を道すがら手に取ってから、聞法会に来て下さるようになりました。
おじいちゃんの姿を見ていて、まさに「仏法不思議」を思いました。
聞法会の場で教えを語る以上に、姿そのものが教えを表わしている。だから、聞法の場とは教えに出遇う場であり、人に出会っていく場として大事にされてきたんだなぁと感じました。

嬉しい聞法会でした。

2019年10月 6日 (日)

慚愧の心

二つの白法(びゃくほう)あり、よく衆生を救(たす)く。
一つには慚(ざん)、二つには愧(き)なり。

耆婆(ギバ)という医者が、苦しむアジャセに語りかけます。

「アジャセ王よ、仏陀釈尊は常にこうおっしゃっています。
『2つの尊い教えが、人を救うのです。1つは慚、もう1つは愧です』と。
慚も愧も、どちらも “はじる” という意味です。
「慚」は内に向かって自らをはじること、
「愧」は他者に対して自らをはじることだと説きます。
この慚愧の心こそが、人を救う尊い法なのだとおっしゃっています」

6人の大臣はアジャセ王に「あなたは悪くない」と慰めました。
しかし、ギバは言います。

「アジャセ王、あなたは罪を犯した。
しかし、今のあなたには慚愧の心があります。
その心があるからこそ、あなたは救われます。
どうか仏陀釈尊にお会いになってください」と。

※このお話は『涅槃経』に書かれているアジャセ王の救いの物語の一部です。
 『涅槃経』は、親鸞の主著『教行信証』にも多く引用されています。

現在(いま)、なぜか耆婆のことばが身に響いてきます。

2019年6月10日 (月)

あめだ

雨が好きだ

世界の輪郭が
ぼんやり煙って

私も一緒に
すいこまれそうになる

雨の音が好きだ
すごく落ちつく

まるで やさしく手当て
してもらってるみたい

山も木も
   草も屋根も

そして
 私も・・・


ああ
そうだ

雨だ

修ちゃんは
雨に似てる

姿を見るだけで
ほっとする・・・

泣きたくなって
しまう

迷子になると
いつだって かならず
捜しに来てくれた

いつだって
やさしい手を
差しのべてくれた

その手は いつも
あたたかかった

そうだ 修ちゃんは きっと 私の雨だ

一緒に いると 深く 息ができて

草や木みたいに ぐんぐん のびて ゆけそうな気がする

いつも 困ったような 顔で やさしく笑う

私のだいじな

   だいじな ひと

        『ハチミツとクローバー』第10巻 羽海野チカ(集英社)より 

2019年5月22日 (水)

しあわせ

『JAF Mate』 2019年6月号を読んで・・・

白石玄さんの連載「幸せって何だろう」 父として生きる

 幸せとは何かと問われて、これまで幸せについてあまり考えたことがないことに気がついた
   (中略)
 ぼくは6歳で父を亡くしたのだが、思い返せばその頃から、自分が幸せかどうかを考えることを放棄してしまったような気がするのだ。
   (中略)
 ただ、最近、こういうのが自分にとっての幸せなのかもしれないなと思うことがあった。先日、もうすぐ2歳になる息子を連れて、初めての父の墓参りに行ったのだが、柄杓(ひしゃく)で墓石に水をかけるのを息子にやらせてみたら、よたよたとうしろに下がった息子が、バランスを崩して水の入ったバケツにお尻からはまってしまった。ずぶ濡れになった息子は、ぼくや妻に笑われながら、墓の前で全裸になって服を着替えた。そしてそのあと線香をあげ、息子と一緒に父に手を合わせたときに、じんわりと胸に込み上げてくるものがあったのだ。息子を父に会わせることができたのが嬉しかったのはもちろんだが、バケツにはまって墓の前で全裸になったのが初対面だなんて、父は笑っているだろう。体の中で生と死がきれいに混じり合うような感覚があって、その瞬間に「あ、今、俺幸せかも」と実感している自分がいた。
  (後略)

 

白石玄さんのことばを読んでいて、祖母(母の母)との別れを思い返していた。
7年前の夏、おばあちゃんは阿弥陀さまのもとへ還っていった。私が幼いとき、おばあちゃんは長崎から出て来て私の面倒を見てくれた。私の礎は、おばあちゃんがつくってくれた。
おばあちゃんが亡くなったとき、母(坊守)はちょうど帰崎していた。これから東京に戻るというときにおばあちゃんの訃報が入った。急きょ、父(住職)の分の飛行機のチケットも手配して、長崎に送り出した。母も父も、長崎のおばあちゃんの通夜葬儀に参列することができた。よかったし、嬉しかった。
おばあちゃんのお見送りをできなかった私は、後日、妻と娘たちと共に長崎に向かった。おばあちゃんの家(母の実家)に行き、おばあちゃんのお骨が安置してある中陰壇の前へ。おばあちゃんと話をする前に、おばあちゃんと共に生活してくださっていた伯父と伯母に挨拶をした。「今までありがとうございます」。言った瞬間、「あ、これダメだ。涙が溢れる。いいや、思いっきり泣いてしまおう!!」と嗚咽しそうになったその瞬間、よちよち歩きの次女が中陰壇に行き、お焼香の香炉に手を伸ばそうとした。伯父・伯母・母・妻・私・・・みんなして「あぶないっ!!」と叫び、私が次女を抱きかかえて事なきを得た。ちょっとした空白の時間が流れ、誰ともなく笑い出した。みんなで笑った。涙も吹き飛んだ(泣けなかった、泣くタイミングを逸したというわけではなくて、みんなで笑えたことが、私にとっての嗚咽になった)。
長女は、おばあちゃん(長女・次女からいえば ひいおばあちゃん)に会ってはいるけれど、記憶はない。次女は、会っていない。会っていないけれど、中陰壇前でのやりとりを通して、彼女たちはひいおばあちゃんに会ったんだ。当時、「おばあちゃんに娘たちを会わせることができた」って胸の中で思えた。会わせることが出来た嬉しさを覚えている。
白石さんも、同じようなことを感じられたのではないだろうか。

先日、ある方のご法事を寺でお勤めした。
法事の依頼の際に、お施主さんが「ちっちゃい子どもが6人もいて、お騒がせするかもしれません」と言うので、「賑やかでいいじゃないですか!」と応えた。
私のおばあちゃんの通夜葬儀の際も、私の家族が参列できなかっただけで、孫8人 ひ孫13人(だったかな?)が集まった。とても賑やかだったとのこと。ひ孫のひとりが、「おつやってたのしいね!!」って言ったそうです。同じくらいの年の子がいっぱいいて、みんなではしゃいで、みんなでご飯食べて、それは楽しいよね^^
「おつやってたのしいね!!」ってセリフを伝え聞いて、とても嬉しかったです。おばあちゃんもひ孫たちに、ひ孫たちもおばあちゃんに会えたなぁって。おばあちゃんを ちゃんと送ることが出来てよかったと思いました。
だから、葬送の場においても、法事の場においても、孫やひ孫が集まって賑やかであっていいんです。泣いても笑ってもいいんです。
寺で法事をしたのは、7回忌の方でした。6年経つわけですから、その方が亡くなったあとに生まれたひ孫さんもいました。亡き方と、実際に会ってはいませんが、ご法事を通して、ご本堂で阿弥陀さまを前にして、墓前で、先往く方とひ孫さんはしっかりと出会えました。

昨今「墓じまい」が流行っているようですが、出会いの場をなくしてどう生きてゆくのだろう?と感じます。
ご法事を勤めること、お墓をお参りすることは、亡き方のご供養という意味だけではなく、私が生きるための杖であり、支えであるのだと思います。
手を合わせる、涙を流す、みんなで笑い合う場所を用意してくださって、ありがとうございます。南無阿弥陀仏

2019年5月21日 (火)

同じ、ひとりの人間として出会うということ。そこが奪われると、人間関係は「ねんごろ」さを失ってゆく

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに住んでいるズラータという少女の日記(『ズラータの日記』)に書いてある話です。
10歳のころからの日記。はじめは子どもらしい無邪気な日々が綴られています。
ところがやがて民族紛争が起こり、内乱が進み、そして爆弾が落ち、狙撃兵が狙い撃ちをする弾がどこからともなく飛んでくると。そして友だちの家がいつの間にかどこかへ行ってしまったとか、あるいは友だちが弾に当たって死んだとか、そういうニュースが聞こえてきます。
そういう状況の中で毎日弾を避けて壕に逃げ込んで、壕で暮らしていくなかで、もう友だちもいませんから自分の日記に「ミミ-」という名前をつけて、日記に語りかけるようにして綴っている文章です。
彼女が11歳のころ、1992年11月19日の日記に以下のように書かれています。

ミミ-さま

政治に関しては新しい動きはありません。いくつか決議が採決されて、「ガキども」は(この「ガキども」というのは民族紛争を起している大人をズラータが「ガキども」と非難して呼んでいるのですが)交渉を続けています。そしてこっちでは人が死に、凍え、飢え、泣き、愛する人や友人とはなればなれになっています。
 このばかげた政治というものをなんとか理解したいといつも思っています。この戦争を引き起こし、それを日常にしてしまったのは政治のように思えるからです。戦争は日を消し去ってそれを恐怖で置きかえ、いまでは新しい日のかわりに恐怖がめぐってくるようになりました。この「政治」とは、セルビア人とクロアチア人とモスレム人のことのようです。でも彼らはみんな同じ人間なのです。ちがいなんてありません。手があって足があって頭があって、歩いたりしゃべったりします。それなのに、この三つの人たちをちがうものにしようとする「なにか」があるのです。
 わたしの友だちや、パパとママの友だち、それに親戚にもセルビア人とクロアチア人とモスレム人がいます。もんな混ざっていて、どの人がセルビア人でどの人がクロアチア人やモスレム人かなんて、考えたこともありませんでした。それなのにいま、政治が割り込んできて、セルビア人にはS、モスレム人にはM、クロアチア人にはCをつけて、それぞれを分けようとしています。そしてそれをするために、いちばんたちのわるい、真っ黒なえんぴつを選んでしまいました。苦しみと死ということばしかつづることのできない、戦争というえんぴつです。

〔『人と生まれて』 宮城 顗述 (東本願寺出版)より〕

 

 

 

2019年1月20日 (日)

「すみません」とは、未決済であるということ

最首 悟(さいしゅ さとる)さん

私は長年、水俣病の調査をするうちに、九州の人たちにたくさんのことを教わりました。そのひとつは、「すみません」という言葉の意味です。これは水俣で教わったことですが、「すみません」というのは、「未決済」であるということなんですね。つまり、やってしまったことの責任を一度に全部取ることはできない、まだ果たしていない責任をずっと背負っていくという覚悟をあらわした言葉です。
だから、例えば公害をまき散らした企業の社長が「もう補償は終わった」なんて言うと、ものすごい反発を食らうでしょう。加害者の方から「終わった」などと言ってはいけないのです。
「すみません」と言うのは、責任の放棄では決してないのです。そのこととずっと向き合って生きていくということなんですね。

(真宗大谷派発行 『同朋』 2018年12月号 対談 最首悟さん・宗由美子さんより 

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