折々のことば

2019年6月10日 (月)

あめだ

雨が好きだ

世界の輪郭が
ぼんやり煙って

私も一緒に
すいこまれそうになる

雨の音が好きだ
すごく落ちつく

まるで やさしく手当て
してもらってるみたい

山も木も
   草も屋根も

そして
 私も・・・


ああ
そうだ

雨だ

修ちゃんは
雨に似てる

姿を見るだけで
ほっとする・・・

泣きたくなって
しまう

迷子になると
いつだって かならず
捜しに来てくれた

いつだって
やさしい手を
差しのべてくれた

その手は いつも
あたたかかった

そうだ 修ちゃんは きっと 私の雨だ

一緒に いると 深く 息ができて

草や木みたいに ぐんぐん のびて ゆけそうな気がする

いつも 困ったような 顔で やさしく笑う

私のだいじな

   だいじな ひと

        『ハチミツとクローバー』第10巻 羽海野チカ(集英社)より 

2019年5月22日 (水)

しあわせ

『JAF Mate』 2019年6月号を読んで・・・

白石玄さんの連載「幸せって何だろう」 父として生きる

 幸せとは何かと問われて、これまで幸せについてあまり考えたことがないことに気がついた
   (中略)
 ぼくは6歳で父を亡くしたのだが、思い返せばその頃から、自分が幸せかどうかを考えることを放棄してしまったような気がするのだ。
   (中略)
 ただ、最近、こういうのが自分にとっての幸せなのかもしれないなと思うことがあった。先日、もうすぐ2歳になる息子を連れて、初めての父の墓参りに行ったのだが、柄杓(ひしゃく)で墓石に水をかけるのを息子にやらせてみたら、よたよたとうしろに下がった息子が、バランスを崩して水の入ったバケツにお尻からはまってしまった。ずぶ濡れになった息子は、ぼくや妻に笑われながら、墓の前で全裸になって服を着替えた。そしてそのあと線香をあげ、息子と一緒に父に手を合わせたときに、じんわりと胸に込み上げてくるものがあったのだ。息子を父に会わせることができたのが嬉しかったのはもちろんだが、バケツにはまって墓の前で全裸になったのが初対面だなんて、父は笑っているだろう。体の中で生と死がきれいに混じり合うような感覚があって、その瞬間に「あ、今、俺幸せかも」と実感している自分がいた。
  (後略)

 

白石玄さんのことばを読んでいて、祖母(母の母)との別れを思い返していた。
7年前の夏、おばあちゃんは阿弥陀さまのもとへ還っていった。私が幼いとき、おばあちゃんは長崎から出て来て私の面倒を見てくれた。私の礎は、おばあちゃんがつくってくれた。
おばあちゃんが亡くなったとき、母(坊守)はちょうど帰崎していた。これから東京に戻るというときにおばあちゃんの訃報が入った。急きょ、父(住職)の分の飛行機のチケットも手配して、長崎に送り出した。母も父も、長崎のおばあちゃんの通夜葬儀に参列することができた。よかったし、嬉しかった。
おばあちゃんのお見送りをできなかった私は、後日、妻と娘たちと共に長崎に向かった。おばあちゃんの家(母の実家)に行き、おばあちゃんのお骨が安置してある中陰壇の前へ。おばあちゃんと話をする前に、おばあちゃんと共に生活してくださっていた伯父と伯母に挨拶をした。「今までありがとうございます」。言った瞬間、「あ、これダメだ。涙が溢れる。いいや、思いっきり泣いてしまおう!!」と嗚咽しそうになったその瞬間、よちよち歩きの次女が中陰壇に行き、お焼香の香炉に手を伸ばそうとした。伯父・伯母・母・妻・私・・・みんなして「あぶないっ!!」と叫び、私が次女を抱きかかえて事なきを得た。ちょっとした空白の時間が流れ、誰ともなく笑い出した。みんなで笑った。涙も吹き飛んだ(泣けなかった、泣くタイミングを逸したというわけではなくて、みんなで笑えたことが、私にとっての嗚咽になった)。
長女は、おばあちゃん(長女・次女からいえば ひいおばあちゃん)に会ってはいるけれど、記憶はない。次女は、会っていない。会っていないけれど、中陰壇前でのやりとりを通して、彼女たちはひいおばあちゃんに会ったんだ。当時、「おばあちゃんに娘たちを会わせることができた」って胸の中で思えた。会わせることが出来た嬉しさを覚えている。
白石さんも、同じようなことを感じられたのではないだろうか。

先日、ある方のご法事を寺でお勤めした。
法事の依頼の際に、お施主さんが「ちっちゃい子どもが6人もいて、お騒がせするかもしれません」と言うので、「賑やかでいいじゃないですか!」と応えた。
私のおばあちゃんの通夜葬儀の際も、私の家族が参列できなかっただけで、孫8人 ひ孫13人(だったかな?)が集まった。とても賑やかだったとのこと。ひ孫のひとりが、「おつやってたのしいね!!」って言ったそうです。同じくらいの年の子がいっぱいいて、みんなではしゃいで、みんなでご飯食べて、それは楽しいよね^^
「おつやってたのしいね!!」ってセリフを伝え聞いて、とても嬉しかったです。おばあちゃんもひ孫たちに、ひ孫たちもおばあちゃんに会えたなぁって。おばあちゃんを ちゃんと送ることが出来てよかったと思いました。
だから、葬送の場においても、法事の場においても、孫やひ孫が集まって賑やかであっていいんです。泣いても笑ってもいいんです。
寺で法事をしたのは、7回忌の方でした。6年経つわけですから、その方が亡くなったあとに生まれたひ孫さんもいました。亡き方と、実際に会ってはいませんが、ご法事を通して、ご本堂で阿弥陀さまを前にして、墓前で、先往く方とひ孫さんはしっかりと出会えました。

昨今「墓じまい」が流行っているようですが、出会いの場をなくしてどう生きてゆくのだろう?と感じます。
ご法事を勤めること、お墓をお参りすることは、亡き方のご供養という意味だけではなく、私が生きるための杖であり、支えであるのだと思います。
手を合わせる、涙を流す、みんなで笑い合う場所を用意してくださって、ありがとうございます。南無阿弥陀仏

2019年5月21日 (火)

同じ、ひとりの人間として出会うということ。そこが奪われると、人間関係は「ねんごろ」さを失ってゆく

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに住んでいるズラータという少女の日記(『ズラータの日記』)に書いてある話です。
10歳のころからの日記。はじめは子どもらしい無邪気な日々が綴られています。
ところがやがて民族紛争が起こり、内乱が進み、そして爆弾が落ち、狙撃兵が狙い撃ちをする弾がどこからともなく飛んでくると。そして友だちの家がいつの間にかどこかへ行ってしまったとか、あるいは友だちが弾に当たって死んだとか、そういうニュースが聞こえてきます。
そういう状況の中で毎日弾を避けて壕に逃げ込んで、壕で暮らしていくなかで、もう友だちもいませんから自分の日記に「ミミ-」という名前をつけて、日記に語りかけるようにして綴っている文章です。
彼女が11歳のころ、1992年11月19日の日記に以下のように書かれています。

ミミ-さま

政治に関しては新しい動きはありません。いくつか決議が採決されて、「ガキども」は(この「ガキども」というのは民族紛争を起している大人をズラータが「ガキども」と非難して呼んでいるのですが)交渉を続けています。そしてこっちでは人が死に、凍え、飢え、泣き、愛する人や友人とはなればなれになっています。
 このばかげた政治というものをなんとか理解したいといつも思っています。この戦争を引き起こし、それを日常にしてしまったのは政治のように思えるからです。戦争は日を消し去ってそれを恐怖で置きかえ、いまでは新しい日のかわりに恐怖がめぐってくるようになりました。この「政治」とは、セルビア人とクロアチア人とモスレム人のことのようです。でも彼らはみんな同じ人間なのです。ちがいなんてありません。手があって足があって頭があって、歩いたりしゃべったりします。それなのに、この三つの人たちをちがうものにしようとする「なにか」があるのです。
 わたしの友だちや、パパとママの友だち、それに親戚にもセルビア人とクロアチア人とモスレム人がいます。もんな混ざっていて、どの人がセルビア人でどの人がクロアチア人やモスレム人かなんて、考えたこともありませんでした。それなのにいま、政治が割り込んできて、セルビア人にはS、モスレム人にはM、クロアチア人にはCをつけて、それぞれを分けようとしています。そしてそれをするために、いちばんたちのわるい、真っ黒なえんぴつを選んでしまいました。苦しみと死ということばしかつづることのできない、戦争というえんぴつです。

〔『人と生まれて』 宮城 顗述 (東本願寺出版)より〕

 

 

 

2019年1月20日 (日)

「すみません」とは、未決済であるということ

最首 悟(さいしゅ さとる)さん

私は長年、水俣病の調査をするうちに、九州の人たちにたくさんのことを教わりました。そのひとつは、「すみません」という言葉の意味です。これは水俣で教わったことですが、「すみません」というのは、「未決済」であるということなんですね。つまり、やってしまったことの責任を一度に全部取ることはできない、まだ果たしていない責任をずっと背負っていくという覚悟をあらわした言葉です。
だから、例えば公害をまき散らした企業の社長が「もう補償は終わった」なんて言うと、ものすごい反発を食らうでしょう。加害者の方から「終わった」などと言ってはいけないのです。
「すみません」と言うのは、責任の放棄では決してないのです。そのこととずっと向き合って生きていくということなんですね。

(真宗大谷派発行 『同朋』 2018年12月号 対談 最首悟さん・宗由美子さんより 

2018年12月14日 (金)

今年の漢字 2018年は「災」。

良寛さんのことばが思い起こされます。

 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
 死ぬ時節には死ぬがよく候。
 これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
 

「災難に逢うときには、逢えばいいのです。死ぬときには、死ねばいいのです。これが災難を逃れる優れた方法です」
衝撃的なことばですが、「あう」を「逢う」と書いているところに大きな意味があります。
災難に「あう」という場合、たいてい「遭う」と書きます。好ましくない出来事に「あう」という意味です。しかし、愛しい人に「あう」という意味を持つ「逢う」を良寛さんは書かれています。
災難や死。私の身に起きて欲しくない出来事を「逢う」と表現する。まるで人生において大切な出来事のように。どうしてそのように表現できるのでしょう。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候」は、良寛さんのお手紙です。三条大地震(1828年11月12日)にあった友人に送ったお見舞いの手紙です。お見舞いの手紙ですが、良寛さん自身も同じ地震の被災者なのです。決して他人事としてのことばではありません。

ふたつの詩を紹介致します。

 雨の日には雨の中を
 風の日には風の中を
         相田 みつを
 
 くだり坂には
  またくだり坂の
   風光がある
         榎本 栄一
 
雨・風・くだり坂…これらは逆境を表わしていることばだと思います。
雨や風の中にいるときは晴れの日を夢見て、くだり坂を歩いているときは平坦な道を待ち望むものです。しかし、望みが叶ったときに雨や風やくだり坂の苦労を忘れてしまっては、たとえ晴れの中にいても、たとえ快適な道を歩いていても、出てくるのは愚痴ばかりです。そんな生き方をしているのが、私の現実ではないでしょうか。
ご紹介した詩は、逆境を生きている人の言葉です。逆境を生きている人のこころの奥底から生み出されてくるのだと思います。決して、逆境から何とか抜け出せて、ホッとしたときに書いたのではありません。逆境を自分の生きる場所として生き続けたのです。雨の中・風の中・くだり坂、そこに私が生きるべき場を見出されたのです。「逢う」ことが出来たのです。
嬉しくて楽しいことこそ記憶に残ってほしいけど、人生において眼に焼きつき、こころに刻まれることは、どうしようもなくつらい出来事ばかりです。不思議です。幸せや平穏無事な生活を望みながらも、生きている事実を実感できるのは、雨風の中を生きているときなのですから。
「あなたが生きるべきはいつの世でもない。あなたが向かうべきはどこでもない。今、あなたが立っている、ここですよ」
雨風の中を生きられた方々の声が、今、私にまで伝わっています。

2018年8月10日 (金)

吾れ、日に三たび吾が身を省みる。

子どもたちのおもちゃや学用品が増えてきたし、もう自分の持ち物をいつまでも残しておいても仕方がないので、物置にある自身の持ち物の整理(断捨離)。
手紙をまとめた箱が出てくる。現代(いま)はメールが当たり前のようになったけれど、学生時代の25年ほど前(四半世紀前か)は、まだ手紙でやりとりしていた時代(時代だって)。
懐かしい名前、見覚えのある字、既に亡くなられた先輩の達筆な字! 目に留った手紙を読み返していると、四半世紀ほど前のことが思い起こされます。しばし読みふける(片付けあるある)。
手紙の、ちょっとおかしい文面や乱れた文字に、「あれ、なんかあったかな?」「疲れてんのかな?」「大丈夫かな?」なんて心配したりしたものです。直接会った友もいるし、私の手紙を読んで連絡をくれた友もいたなぁ。みんな、どうしてるかなぁ。直筆の手紙なんてと笑われる、煩わしがられる時代だけれど、メールからは感じられない息づかいが、手紙にはあります。

そのうちの一通。孔子の弟子の曾子が書いた言葉。それだけが書かれたハガキが出て来ました。

吾れ、日に三たび吾が身を省みる。

人の為に謀りて忠ならざるか。

朋友と交わりて信ならざるか。

習わざるを伝うるか。

友が書き添えてくれた現代語訳には、
「わたしは毎日何度もわが身について反省する。
人のために考えてあげて、まごころからしてあげられなかったのではないか。
友だちと交際して誠実ではなかったのではないか。
よくおさらいもしないことを受けうりで人に教えたのではないか。」と。

私の態度が気になってハガキをくれたのか、
自分自身を問うてのハガキだったのかは分からない。
でも、大切なハガキ。
今になってこのハガキと出遇ったということは、何か意味があることに違いない。
ふと我が身を省みる。
物だけでなく、こころの断捨離(整理)も。

2018年6月15日 (金)

英雄の報酬

日も経って、いろいろな事件が起き、既に記憶の片隅に追いやられていることと思いますが、ベランダから落ちそうな幼児を救出した青年の話がありました。彼の勇気・行動力をたたる気持ちに違いはない。けれど、こころの片隅にモヤモヤが引っかかっていました。「なにか気持ち悪い。なにか間違っている。なにか彼に対してとても失礼なことが起きている。なにか・・・」。
そんなときに師岡さんのコラムを読んで、私のモヤモヤを表現している!と思いました。
気づかぬうちに(いや、気づいているのか?)上から目線で他者(ひと)を評価している私。
目に見えぬところ、評価されぬところで一生懸命に生きている人々のことに思いを馳せることなく、その人々のおかげで楽になっている暮らしを享受している私。
私は、落ちそうなときに、いのちがけで助けてもらえるような人間だろうか?

「本音のコラム」 師岡カリーマ(文筆家)

英雄の報酬

 パリ。4階のベランダからぶら下がって今にも落ちそうな幼児を見るなり、アフリカのマリから来た青年は身の危険を顧みず、超人的な身軽さで外壁をよじ登って幼児の救出に成功した。その様子を撮影した映像は瞬く間に拡散し、マクロン大統領の目に留った。
 英雄とたたえられた「不法移民」に大統領は早速面会。感謝の印として滞在許可と市民権のスピード取得が約束された。
 青年の勇気を私もたたえたい。本人の夢でもあっただろうから、褒美の市民権も祝福したい。でもなんだか複雑だ。フランス国籍はマリ国籍より格上と見なされる不条理が、祝福の拍手に埋もれてしまうからだ。これがカナダ人や日本人なら、仏国籍進呈の必要はない。自明のことだが、経済難民の立場の弱さをこうもあっけらかんと肯定されると、やはり哀しい。「お眼鏡にかなって光栄ですが、お気持ちだけ頂いておきます」とは彼も言えない格差社会の現実。「ぜひ消防士に」という断りにくい就職内定までついてきて、人々はよかったねと喝采する。
 彼の場合はたまたま見物客の撮った映像が人の目に触れた。でも世の中には、誰もやりたがらない仕事を黙々とこなし、誰も見ていないところで人助けもし、底辺で社会を支えていながら、その労働を買いたたかれ、感謝もされない移民が大勢いる。それを思うと、やりきれない。
〔2018年6月2日(土)「東京新聞」朝刊より〕

2018年5月31日 (木)

心を動かされることから逃げるな!!

鈴愛(すずめ)、恋をしろ。

私がなぜお前を弟子にしたか分かるか? 楡野(鈴愛)は他の2人(のアシスタント)とは違う。山を駆け回っていた。そのリアルが重要だ。小宮やボクテとは違うんだ。あいつらの漫画の知識は深い。なぜだか分かるか?漫画ばかり読んだり描いたりしていたからだ。それではダメなんだ。
俺が「恋をしろ」と言うのは、そういうことだ。

リアルを拾うんだ。想像は負ける。
好きな奴がいたら、ガンガン会いに行け!
仕事なんか いつでもできる。
ベタなんか いつでも塗れる。
空想の世界で生きている奴は弱いんだ。
心を動かされることから逃げるな! そこには真実がある。

半端に生きるな。
創作物は人が試される。
その人がどれだけ痛みと向き合ったか、
憎しみと向き合ったか、
喜びを喜びとして受け止めたか・・・
逃げるな!

NHK 朝ドラ 「半分、青い。」 2018年5月30日放送分より
トヨエツ、いや、秋風羽織凄い!!
秋風先生のセリフに、かなり刺激を受けています

2018年3月11日 (日)

想像力で、壁は越えていける

長女、次女と続けて発熱し、看病。子どもの病気はつらい。代わってあげたいけれど、出来るはずもなく。良くなることを念じるのみ。
相手が子どもに限らず、他者(ひと)の身に起きた出来事というのは、代わることができない。私の身に起きたこともまた、代わってもらうことはできない。

東日本大震災から7年。
10年日記の3月11日のページを見返し、この7年の3.11を思い返す。
午後2時46分東日本大震災追悼法要をお勤め。
警察庁によると2018年3月9日現在、震災の死者は1万5895人、行方不明者は2539人とのこと。
報道・記録としては、15,895人 2,539人という数字で表現すべきこともあるけれど、
亡くなったのは1人の人、今もなお行方不明なのは1人の人。
大きい数字が災害の甚大さを表わしているけれど、よく見ると1人の人の人生が奪われたという現実がある。
 
 

安田奈津紀さんインタビュー(東本願寺発行『月刊 同朋』 2018年3月号より)

 今は「難民は」「被災者は」など、主語を大きくして集団をのっぺらぼうにしてしまうんですね。でも難民の方にしても、誰も最初から難民だったわけではありません。シリア難民の人たちに「私の名前は難民ではありません。私の名前は○○です」と言われたことがありますが、集団の中には一人ひとり名前をもつ個人がいるんです。
 シリアやイラクの紛争は、離れたところにいると、どうしても遠い地域の話になりがちですし、集団をのっぺらぼうにしてしまうことで「難民? 何か怖そう」といった漠然として恐怖感も生まれやすくなります。けれども私たちの想像力で、そうした壁は越えていけるんですよね。そのことを伝えるのも私たちの役割ではないかと思っています。

 

「難民は」「被災者は」という表現で、他者(ひと)をひとくくりにして見てしまう。しかも、自分とは切り離した他者として。
大きい主語は、顔を見えなくしてしまう。
死者数 行方不明者数も、顔を見えなくしてしまっているのかもしれない。
みんな、顔を、名前を、人生を、縁ある人びとをもっている。
大きい主語に隠れた1人がいる。1人の人生を想像すると、そこに何十人 何百人 何千人もの人とのつながりがある。その中に私も含まれている。想像を働かせると感じられる、より大きなつながりがある。

大きさに隠されて見えなくなる1人のいのち
1人を見つめていると見えてくるたくさんのいのち。

他者の人生と、代わることはできないけれど、つながっている。
決して他人事(ひとごと)ではない。

2018年2月28日 (水)

私がもらっている給料を半分にすればいい

2018年 冬季オリンピック ピョンチャン大会が閉幕しました。
閉幕前夜、スピードスケート女子マススタートの決勝と、カーリング女子3位決定戦をドキドキしながら見てました。手元には、書かなければならない原稿を抱えながら^^  高木菜那選手 女子カーリングチームの皆さん、おめでとうございます。
オリンピックが閉幕し、次はパラリンピックですね。また楽しみです。

オリンピック中から、選手の方々や関係者のことばが、いくつか名言として書き表わされています。
さすが、人の何倍もの・努力・苦労をして、人生をかけて競技に臨んだ選手の言葉や選手を陰で支えてきた方々のことばは、ことばにいのちが吹き込まれています。
そんな中、私の胸に一番突き刺さったことばは、女子スピードスケート500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒選手・・・を、無名の頃から支えてこられた 所属先の相沢病院 相沢孝夫理事長のことばです。
小平選手への支援金は年間約1000万円とのこと。支援金支出に関して、お金がかかるのであれば、「私がもらっている給料を半分にすればいい」と相沢理事長。なかなか言えることではありません。しびれました。

長野県出身の小平選手が、長野を拠点にして競技を続けたいと決心したとき、所属先が決まりませんでした。そんな中、縁があり、相沢病院の相沢理事長が手を挙げます。
「長野出身の人が、長野でやりたいと言っているのに、どうしてどこの企業も手を貸さないの? それなら、私がやります」と。
「一流になることを期待していたわけじゃない。一流になって、相沢病院の名前が世間に知れても、病院に患者さんが来るわけではない」と、小平奈緒選手の人柄、まっすぐさに惹かれての支援でした。

メダル獲得に及ばなくても、代表選出に達しなくても、選手たちはがんばっています。その選手やスタッフたちが、競技者生活を悔いなくできる環境が整えばいいなと、念ずるばかりです。

選手 スタッフの皆さん、ありがとうございます。
パラリンピックに出場される選手 スタッフの皆さんも、応援させていただきます

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