折々のことば

2017年8月13日 (日)

深堀好敏さんからのメッセージ 2017年長崎平和祈念式典より

長崎・平和祈念式典 「平和への誓い」 深堀好敏さん

原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3・6キロ離れた長崎県疎開事務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感じ慌てて机の下にもぐり込みました。夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人、金比羅山を越えて帰ろうと山の中腹まできたところ、山上から逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だから…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って歩き始めました。長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。ようやく辿(たど)りついた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。そのあと大学病院へ向かい、さらに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。涙があふれ出るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。 ここ平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。私は、三ツ山に疎開していた両親に姉の死を報告し、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘(だび)に付しました。その日は晴天でした。頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気がせまり目がくらみそうでした。母は少し離れた場所で地面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。

たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、得体(えたい)のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろしいことでしょう。私は「核は人類と共存できない」と確信しています。2011年3月、福島第一原子力発電所の事故が発生し国内の原発は一斉に停止され、核の脅威に怯(おび)えました。しかし、リスクの巨大さに喘(あえ)いでいる最中、こともあろうに次々と原発が再稼働しています。地震多発国のわが国にあって如何(いか)なる厳しい規制基準も「地震の前では無力」です。原発偏重のエネルギー政策は、もっと自然エネルギーに軸足を移すべきではないでしょうか。戦後「平和憲法」を国是として復興したわが国が、アジアの国々をはじめ世界各国から集めた尊敬と信頼は決して失ってはなりません。また、唯一の戦争被爆国として果たすべき責務も忘れてはなりません。

私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います。

2017年(平成29年)8月9日 被爆者代表 深堀好敏


朝日新聞DIGITAL HPより)

2017年8月12日 (土)

2017年 長崎平和宣言

2017年8月9日 長崎平和宣言

 「ノーモア ヒバクシャ」  この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。  核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。  私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。  しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。    核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。  安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。
 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。
 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。
 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
 
 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。
 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。
 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。
 
 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。
 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。
 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2017年(平成29年)8月9日 長崎市長 田上富久


(長崎市HPより)

 sun

2017年8月9日(水) 早朝から暑さと眩しさに襲われた日でした。
しかし、原爆が投下され、上空で爆発し、熱線を浴びた方々が その肌で感じた熱さはどれほどのものだったことでしょう。想像を絶します。
一度手にした武器を手放せない人間の弱さ
一瞬でも相手への脅威を感じてしまうと ぬぐい去れない 相手への恐怖心
仮想敵国の脅威を煽り、武器の売買を正当化し、その経済効果による恩恵を目論む ほんの少数の権力者・関係者たち
それらが集まって、人類は結局は自分で自分の首をしめている。

被爆された方々が挙げてくださっている声を聞き、声に聞く

2017年 広島平和宣言

2017年8月6日 広島平和宣言

皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍(しかばね)。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で剝(は)がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷(やけど)した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。

このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄(ほの)めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨(むご)たらしい目に遭(あ)うのは、あなたかもしれません。

それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。15歳だった被爆者は、「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲(しの)ぶと、今でも耐えられない気持ちになります。」と言います。そして、「一人一人が生かされていることの有難さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか。」と私たちに問い掛けます。

また、17歳だった被爆者は、「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい。」と語っています。

皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。

為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。

その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。

特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

平成29年(2017年)8月6日  広島市長 松井一實


広島市HPより)

2017年6月19日 (月)

見えない部分、見えていない部分、見たくない部分の方が大きい

宮部みゆき 『模倣犯』より

人間が事実と真正面からから向き合うことなんて、そもそもあり得ないんだ。絶対に無いんだよ。もちろん事実はひとつだけだ。存在としてはな。だが、事実に対する解釈は、関わる人間の数だけある。だから、事実には正面も無いし裏側も無い。みんな自分が見ている側が正面だと思っているだけだ。所詮、人間は見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じないんだよ。

 book

何が正しくて 何が間違っているのかなんて、結局 答はないのだろう。
時代によって、集団性によって、環境や境遇によって、そのときの気分によって、人間の物の見方や考え方は、いとも簡単に変わってしまう。
考え方が変わるというのは、まだましかもしれない。考えているのだから。「今、何の問題も感じないから、面倒くさいこと考えなくてもいいじゃん!」という思考停止もあることを思えば。

同じ物を見ていても、同じ物を食べていても、感想はバラバラ。
所詮、人間は自分がかわいい。

事実の一側面しか見ていないけれど、その“正面”が、ほんのピンポイントなのか、見える範囲全体を見わたしているのかでも、見え方は違う。そして、考え方も。で、見えていない部分があるんだなぁということを知っていれば、さらに考え方が膨らんでくる。

2017年6月18日 (日)

「愛し」「美し」を「かなし」と読む 「かなし」が含む慈しみ

久しぶりに 柳宗悦さんの『南無阿弥陀仏』を拝読、感嘆。

「悲」とは含みの多い言葉である。 二相のこの世は悲しみに満ちる。そこを逃れることが出来ないのが命数である。 だが悲しみを悲しむ心とは何なのであろうか。 悲しさは共に悲しむ者がある時、ぬくもりを覚える。悲しむことは温めることである。 悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかったか。 悲しみは慈しみ(いつくしみ)でありまた「愛おしみ(いとおしみ)」である。 悲しみを持たぬ慈愛があろうか。それ故慈悲ともいう。仰いで大悲ともいう。 古語では「愛し」を「かなし」と読み、更に「美し」という文字をさえ「かなし」と読んだ。 信仰は慈みに充ちる観音菩薩を「悲母観音」と呼ぶではないか。 それどころか「悲母阿弥陀仏」なる言葉さえある。 基督(キリスト)教でもその信仰の深まった中世紀においては、マリアを呼ぶのに、‘Lady of Sorrows’の言葉を用いた。 「悲しみの女」の義である。

2017年6月17日 (土)

もし民意を尊重すると言うのであれば、強行採決する必要などありません。しかし強行採決したということは…

2017年6月17日(土) 「東京新聞」朝刊 「本音のコラム」

地球の反対側でも    師岡 カリーマ

 奇妙な1日だ。母の国 日本の国会で「共謀罪」法案の強行採決が行なわれていたちょうどそのころ、父の国 エジプトでも、民意や司法の判断を踏みにじるゴリ押し採決が行なわれていた。ふたつの島をサウジアラビアに譲渡する協定が、議会で批准されたのである。
 (多額の援助や投資と引き換えに?)主権が移譲されたのは紅海の要衝に浮かぶ二島で、国内の合意を得ることもせず、憲法にも反して、シシ大統領の一存で「領土を売った」として、エジプトでは強い反発を招いた。
 最高行政裁判所は協定を無効とし、二島をエジプト領とする判決を言い渡したが、この裁判で活躍した著名な人権弁護士は先日、「抗議デモで品位を乱す手ぶりをした」容疑で逮捕されている。来年の大統領選立候補に意欲を見せるが、有罪ならその道は閉ざされる。彼を支援する若者も数多く拘束されたと聞く。
 今回は、来月予定される最高憲法裁判所の判決を待つことなく、議会に二島譲渡を批准させた形だ。その間、治安部隊に包囲された記者組合本部で抗議集会が行なわれていたが、この日は記者逮捕の知らせがSNSを通じて続々と入ってきた。
 警察国家エジプトと一緒にするな、と叱られたら、素直に謝ろう。だがこうも言える。民意を無視する強行採決は本来、こういう強権政府がすることだと思っていた、と。    (文筆家)

 pencil

つい自国のことでいっぱいいっぱいになってしまいます。そんなときに、当然他の国でも権力者によって民衆が踏みにじられていることは起こっているわけで。
権力者やそのとりまきにとって都合の悪い人物は捕らえられ、都合の悪い情報はもみ消されていきます。そのことをエジプトは示してくださったのであり、このことは、やがて日本でも起こります。いや、既に起こっています。

2017年6月16日 (金)

悪いのはぜんぶ私たち

2017年6月15日(木) 「京都新聞」 配信

「共謀罪」成立、作家高村薫さん「悪いのはぜんぶ私たち」
「共謀罪」法案は、私たちが自由に発言したり、行動したり、時には国に盾突くこともできる、といった戦後民主主義的な価値観を否定するものです。テロ対策や国際組織犯罪防止条約の批准のためといった理由は口実にすぎない。そんなとんでもない法律を、極めて強引な手法で成立させてしまう。しかし、悪いのはぜんぶ私たちですよ。政権のウソを見抜くことができず、高い支持率を与え、好き勝手にさせてしまったのだから。
「テロ対策」というのはまやかし。再三の指摘にもかかわらず適用範囲はあいまいなままで、対象となる罪もテロとは無関係なものが多数含まれている。他方で、都合の悪い異論を封じ込めるに、これほど便利な法律はない。今は、政府の方針に堂々と言論で反対することができるけれど、共謀罪があれば、そうした行為と、処罰対象となる「反政府運動」とを結び付けるのは簡単。ほんの一歩、あるいは半歩ほどの違いしかない。
犯罪の兆しを言動から探るには、日常的な監視が必要になる。メールやスマートフォンのアクセス記録、位置情報などが常時収集される社会が当たり前になる。テロ防止の実効性は不明だけれど、市民への威圧効果は十分です。異論が封殺され、物騒なことには口をつぐむ。非常に均質な社会になるでしょう。
では、なぜ政府のウソを見抜けなかったのか。高い支持率を与えてしまったのか。それは考えることを放棄してしまったから。今の日本は情報が多すぎて「何が最善なのか」「何が本当なのか」が見えにくい。分かるのは「結局、世の中難しいね」っていうことだけ。そこで、自分で決断することに限界を感じ、ある種威勢の良い言葉で現状をスパッと切ってくれる政治家に飛びついてしまう。
国会の論戦も、旧態依然とした保守対リベラルの構図に終始し、無関心を加速させた。冷戦時代は、市民の生活感覚として保革の対立は理解できたけれど、今やそんな感覚は皆無でしょう。だから野党の批判も、大きな反対の動きにはつながらなかった。
繰り返しになるけれど、悪いのは私たち。ある意味、平和や民主主義が保障されてきた戦後社会に慣れすぎていた。安心感を覚え、権力に対する警戒心が失われていた。そう、この70年、権力は「優しい顔」をしていたんですよ。よく注視すると本当は違うけれど、市民感覚として権力は怖くなくなっていた。いつ権力が私たちに牙をむくか分からないのに。共謀罪はまさにそういう法律だったのです。私たちは本当に取り返しのつかないことをした、今は、そのことを肝に銘じることしかできない。

2017年6月11日 (日)

グレン・グールドの9分32秒

2年前に75歳で逝った詩人・長田弘さんに、「グレン・グールドの9分32秒」という詩がある。9分32秒とは、天才グールドがピアノで弾いた、ワーグナーの歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕前奏曲の録音時間だ

 針がレコードに落ちるまでの、
 ほんの一瞬の、途方もなく永い時間。
 ワーグナーのおそろしく濃密なポリフォニーから
 すばらしく楽しい対位法を抽きだして、
 響きあうピアノのことばにして、
 グールドが遺した
 9分32秒の小さな永遠

時間とは「一人のわたしの時間をどれだけ充実させられるかということでしか測ることができないもの」と、詩人は説いた。だから、時間をはかる単位は時分秒ではなく「充実」なのだと(『幼年の色、人生の色』)

そんな詩人が大切にしたのは、「時計の針で測る時間でなく、音楽で測る時間」。じっと聴き入り、時を忘れる濃密な時間である

詩は続く。

 芸術は完成を目的とするものではないと思う。
 微塵のように飛び散って、
 きらめきのように
 沈黙を充たすものだと思う。
 あらゆる時間は過ぎ去るけれども、
 グールドの9分32秒は過ぎ去らない。
 聴くたびに、いま初めて聴く曲のように聴く…
 人生は、音楽の時間のようだと思う

時分秒ではなく、「充実」という単位ではかる時間を持ちたい。あすは、時の記念日。
(「東京新聞」 2017年6月9日(金) コラム「筆洗」より)

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長田弘さんの詩は、いくつも読んできたけれど、「グレン・グールドの9分32秒」という詩は知りませんでした。
6月も早くも中旬に入りました。ついこのあいだ6月に入ったと思ったのに。
「時の経つのが早いなぁsweat01」なんてつぶやくと、妻から「時間の経つスピードは同じよhappy01」と突っ込まれます。確かに、1秒の長さは同じですよね。ということは1分も、1時間も、1日も、1年も…
「年を重ねると、どんどん時間が経つのが早くなるねぇ」なんて会話もあるけれど、生まれたばかりの赤ちゃんも、何年も喜怒哀楽を重ねて来た先輩も、時間の経つスピードは同じ(はず^^)。

同じ時間を生きているのだから、「空過(くうか:空しく過ぎゆく)」よりも「充実」ではかる時間を生きたい。

2017年6月 8日 (木)

肝苦りさ(ちむぐりさ)

2017年6月8日(木)0:00~ Eテレ ETV特集「沖縄を叫ぶ~彫刻家・金城実~」(再放送)視聴

番組内容(番組HPより)

沖縄や戦争、人間の尊厳をテーマに創作を続けてきた彫刻家・金城実(78歳)。「芸術は解放の武器たりうるか」と自らに問いかけ、差別や貧困の現場に身をおいてきた。70年代には作品をアトリエから持ち出してキャラバンを行い、闘う芸術家として知られるようになる。圧倒的な存在感で迫る彫刻作品。沖縄から東京、大阪、そしてふたたび沖縄へ。人びととの出会いの中で育まれた思想。その型破りな日々と人生を見つめる。

金城さんのことば(私の覚え書きです)
「かわいそう」と「肝苦りさ(ちむぐりさ)」ということばがある。どちらも似ていることばだが、「かわいそう」は上から目線のことば。「「肝苦りさ」は沖縄のことばで、他者(ひと)の痛みを自分の痛みとして感じる」といった意味です。
(以上)

「沖縄の基地問題」と表現されるけれど、基地問題としては、「日本の」であり、「日米の」であるはず。そらが「沖縄の」と表現することは、やはり基地を沖縄に押し付けているということの表われ。それでいて、「沖縄の人たちがかわいそう」という目線は、金城さんが仰るように「上から目線」でした。
沖縄の方々の苦しみは、イコール私たちの苦しみであるはず。そのことに気づかずに、「かわいそう」「なんとかしなければ」というのは、私もまた沖縄の方々を苦しめる者のひとりでした、ということ。
沖縄の方々は、私たちの苦しみを引き受けてくださっている。自分だけの苦しみではない。他者の苦しみも含めて、我がこととされる方々だからこそ、「肝苦りさ」ということばが生まれてきたのだと、金城さんのインタビューを聞いていて感じる。「肝」…内蔵が、こころの底が、「苦しい」ということ。世界全体の苦しみを、我がこととして受けとめていることば。

ご自身の作品に触れながら涙される金城さん。
「作家が自分の作品に泣いているようじゃ落第。でも、思い出すと泣けてくるんや」
それだけ、苦しみを、想いを、願いを込めて作品を作られているのですね。
画面に時折でてくる作品の表情が、人間以上に人間的で、なんども息を呑んで見ました。
本放送を見忘れてしまったのですが、再放送でお目にかかれてよかったです。

2017年6月 6日 (火)

自己とは何ぞや

6月6日 清沢満之先生のご命日(1903年還浄)
清沢先生のことば「自己とは何ぞやこれ人生の根本的問題なり。」が、最近胸にひっかかっています。
というのも、掲示板今月のことば「人間の愚かさは 何に対しても答えを持っているということです ミラン・クンデラ」に対する文章を書いた際、清沢先生のことばに触れなかったからです。原稿を印刷屋さんに入稿した後で、清沢先生のことばを思い出しました。

人間の愚かさは、何に対しても答えを持っていること。答えではなく、問いを持つということが大切だと思います。
旨、文章を書いたけれど、
その「問いを持つ」ことの内容として、
「自己とは何ぞや これ人生の根本的問題」という視点がなかったような(皆無というわけではないのだけれど)。
「私は何者か?」「私は、私自身と出遇う生き方をしているのか?」という問いを持たずに生きている(動いている)我が身を知らされました。
ちょっと胸に突き刺さって、痛いですcoldsweats01

清沢先生のことばは続きます。
自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾に、現前の境遇に落在せるものすなわちこれなり
阿弥陀さまにお任せして、我が境遇に実を落ち着かせて生きる者。私とは、この他にありません。

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