パブリック

2020年6月14日 (日)

市民の誇り

「東京新聞」2020年6月13日(土)朝刊 「本音のコラム」

 市民の誇り 師岡カリーマ(文筆家)

 ロシア観光の楽しみのひとつは、チェーホフなど著名人の在りし日のまま残された住居の見学。その数は実に多く、7回旅してまだ見きれない。プーシキン美術館では、決闘で重傷を負った詩人の最後の一日を追体験し亡くなった書斎を通って最後に彼のデスマスクと対面するよう、高齢の女性係員がさりげなく導いてくれた。作曲家チャイコフスキーやスクリャービンの家では、彼らへの思いを語るスタッフの目に涙が浮かんだ。大衆が芸術文化に抱く誇りはただならぬものがあり、私も毎回素直に感動する。
 そういえばフランスのパリで作家ユゴー宅を見学した際も、入場無料に驚く私に係員は「市営だからね」と胸を張った。
 文豪ゆかりの老舗旅館「鷗外荘」が閉館と本紙で読む。コロナの影響で経営が悪化し、森鷗外の旧邸を守る余力があるうちに廃業を決めたという心意気に、ロシア人やフランス人と同じ誇りを見た気がした。古い家屋が残りにくい日本では大変貴重な史跡だ。公金で保存する価値があると思うが、一般市民の方が文化への思いは強いようだと今回のコロナ禍で感じたのも事実だし、クラウドファンディングによる保存も市民主導の日本らしくていい。以前、愛国教育が取り沙汰されたときも書いたが、この旅館のような人々がいる国民に「自国文化への誇りを」教えようなど、筋違いというものだ。

インドを旅したとき、「国立ガンジー博物館」へ行ったことがある。質素な博物館だったが、彼の書斎がそのまま残されているのが印象的だった。

東京都台東区根岸に、正岡子規の旧居「子規庵」がある。亡くなるまでの8年間を過ごした。昭和20年(1945年)に、戦火により焼失し、現在の建物は再建されたもの。とはいえ、正岡子規が結核で苦しみながらも句を詠んでいた姿が思い起こされる。屋内の写真撮影は禁止だったが、そのことがより、子規庵を維持していきたいという想いを感じさせた。

長崎の「如己堂」が好きだ。永井隆博士の家屋で、「長崎市 永井隆記念館」になっている。永井博士は、自らも被爆し、お連れ合いを亡くされた。悲しみのなか、被災者に寄り添い、その救護にあたられた。
長崎といえば、平和記念公園・原爆落下中心地・原爆資料館には足を運ばれると思うが、そのすぐ近くに「如己堂」はある。コロナ禍が収束し、県を超えての往来が気兼ねなくできるようになり、長崎に行く機会があったら、ぜひ訪れていただきたい。

師岡さんのコラムを読み、先人の足跡を尋ねられる場所を、私なりに回想してみた。
決して立派な建物ではなくても、そこに先人の息吹を感じる。感じる心は、想像する力も活性化する。そういう場所は、なくてはならない場所なのだと、そういう気持ちが自然に湧きおこる。
「プライド」と表現すると、独りよがりの自己満足の臭いがするけれど、
「誇り」というと、他者の生き方から何かを感じ、想像して得た揺るぎない決意の匂いがする。
それ(誇り)は決して、誰かから大上段に植え付けられるものではない。市民・大衆の間から、自然と沸き起こってくるものだ。押し付けられる者でも、強要されるものでもない。
誇り高き生き方は、自分ひとりで成されるものではない。人と人との出会いをとおして、紡がれてゆくもの。

酒場の「パブ」は、「パブリック」の「パブ」。
つまり、盃を交わしながら語り合う場、語り合う人々、語り合うことを意味する。
自分の生きる身近な場で、そこにつどう人びとと語り合い、語り合うことを通して、自分が住む地域、そこに根付いている文化や芸術に誇りを持つ。そのことが、私が生きることの誇りを裏支えする。

(付記)
いろいろな方のコラム・文章を読んでいるうちに、「文化や芸術をないがしろにして、人の生きるエネルギーは生まれない」という想いが湧き起こり、11日~13日、続きもののつもりで投稿しました。
13日の投稿で区切りをつけたつもりでした。けれど、13日の投稿をしたあとで、13日朝刊に目を通したら、師岡さんのコラムが目に留まり、「これだ!」と感じました。
文化や芸術をないがしろにして、誇りは生まれない。
文化や芸実をないがしろ、二の次にする政治のもとで、その国に対する誇りや愛国心など生まれるはずもない。
「愛国心」などと言ってはいるが、実は感動する心や自ら考える感性、そこから生まれた誇りなどを持たれたくないのが現代の政治を司る人たち。
感動すること、想像すること、そのことを通した誇り(権力を持つ人に扇動された根拠のない誇りではなくて)を持つこと。
そういうことを成す力が、パブリックなのだと想う。
11日~14日の投稿、「パブリック」のカテゴリーでくくりました。

2020年6月13日 (土)

コモンの解体

パブリックな人 内田樹

(前略)
 「コモン」というのは「入会地(いりあいち)」のことである。誰の所有物でもなく、誰でも利用できるひろびろとした場所のことである。昔はそういうところで人々は自由に牛や羊を放牧していた。でも、「囲い込み」が行われて(今で言う「地上げ」である)、誰でも使うことができた土地は「私有地につき立ち入り禁止」になった。行き場を失った自営農たちは貧困化して都市プロレタリアとなって、産業革命のための労働力を供給した、と世界史では習った。
 「コモン」の私有地化は資本主義を加速する。だから、私たちは「自分らしさ」を誇示し、「自分の能力」や「自分の成果」をうるさく言い立て、「自分の割り前」を要求し、「パーソナルスペース」への他人の侵入に憤激するようになった。今の人は公共財を他人と共有して、適切に共同管理する技術をもう持っていない。必要ないと思って捨てたのだ。
(後略)
 (『暮らしの手帳』第6号(2020年6‐7月号)より)

昨日 一昨日と、「東京新聞」のコラムを紹介させていただきました。
文化や芸術は、すべての人々のために平等にあるはずのもの。にもかかわらず、権力者は文化や芸術に公共性を見ず、民衆の側も、決してすべての人が受け入れているわけではない。お金の分配、ということになったら、文化や芸術は二の次にしてしまう。
本当は「文化や芸術やスポーツ」と書こうとした。けれど今は、オリンピック・パラリンピックが来夏に控えている(開催されるのかされないのか、現時点では分からないけれど)。政治に関わる者は、今はスポーツを、オリンピック・パラリンピックを大事なこととして位置付けているから助成をしてくれる。けれど、目の前に大きな大会がなければ、関心すら示さないだろう。オリンピック・パラリンピックの競技ではないスポーツに対しては、見向きもしないだろう。民衆も、特定のスポーツや選手にお金を使うことを、必ずしも良しとは思っていない。だからこそ、メダルの色という対価を求める。

無形のもの、才能に長けた人やその才能自身に対する目は、実はかなり厳しい。
恩恵を感じたときには「感動しました」「おかげで元気が出ました」「私も頑張ろうと思います」などという声が挙がるが、それは、なんらかの形で結果が出たときの話。
結果とか、恩恵とか、対価とか関係なく、共有することは、かなり難しい。

「それが人間」と言ってしまえばそれまでだが、内田樹さんの文章を読んでいて、「コモン」の喪失が大きな原因か!?と思った。
「ここは私の土地だ」などと言われることなく、本当に場を共有していたとき、場を共有する誰かが、(文化でも芸術でも体を動かすことでも)何か大きなエネルギーを発しているとき、自然に我がこととして受け入れられたのではないだろうか。

しかし、「コモン」が解体し私有地化され、支配と被支配の関係ができ、共有するものを喪失し、結果、少しでも自分の取り分を多くするための主張が始まったのではないだろうか。そこに、共有という感覚はない。

だから、

現代人の、
結果を出した英雄を讃え、
ミスを犯した人間を執拗なまでに叩く姿の原因が、コモンの解体にはじまったのだと感じた。

2020年6月12日 (金)

必要とされてきたから、今、あるのです

「東京新聞」2020年6月2日(火)朝刊 「筆洗」

作家の太宰治がある場所について書いている。「何をしても不安でならぬ時」や「心の弱っている時」にそこに飛び込みたくなるという。その場所にいれば、少しホッとし助けられる。「あんな、いいところは無い」-。どこだかお分かりか▼映画館である。世間から切り離された真っ暗な空間。そこに映しだされる物語に「観衆と共に、げらげら笑い、観衆と共に泣く」。それが救いとなる。映画は「優しい慰め」。よく分かるという人もいるだろう。終戦直後のカネのない時代にも映画館に大勢の人が詰め掛けたと聞くが、これも「心の弱っている時」と関係があろう▼「あんな、いいところは無い」場所が帰ってきた。東京都は一日、新型コロナウイルス対策の休業要請をやや緩め、これによって映画館が営業を再開した。また一歩「普通の日」に近づいた。再開に長蛇の列ができたところもあったそうだ▼不要不急の外出。映画館へ行くのもそれに該当するのだろう。けれども不要不急なものが生きていく上でどれだけ大切で欠かせぬ存在だったか。そう気付かされた自粛期間中の日々だった▼朗報の一方、コロナの影響で映画館や劇場、ライブハウスなどの娯楽施設の中には経営が厳しいところもあると聞く。存続の危ぶまれるミニシアターもある▼人を慰め、夢見る場所を守りたい。その場所は無論、「不要」ではない。

 

「不要不急」か否か

その場所が大切か否か

それは、人それぞれ。

映画館や劇場、ライブハウスなど・・・コロナ禍の前は、ほとんど行かない場所だったのに、外出自粛・営業自粛となった途端に、行きたい‼と思った場所もあるのではないだろうか。

文化や芸術に対して、なにも感じない人、低い優先順位に位置付けている人もいることだろう。

けれど、人びとに生きるエネルギーを与えるのは、文化や芸術。

文化や芸術が衰退している地域や国は、元気がない。

コロナ禍の初期、ドイツ政府は、「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と、文化や芸術関係の職に就く方々の生計を維持することに努めると語った。

そのことが、ひいてはそこに生きる人々を元気にする。

公益性を理由に文化や芸術の必要性を貶めたならば、私たちは、不安な時、心の弱っている時に頼りとする場所を失う。

文化や芸術は、共に笑い、共に泣く潤滑油。

私たちの安心できる場所を、自ら失ってはならない。

(昨日の投稿から、続けて読んでいただければと思います)

2020年6月11日 (木)

【リバティ】さまざまな運動や闘いを通して得た自由

「東京新聞」2020年5月31日(日)掲載「本音のコラム」

 大阪人権博物館の休館 前川喜平

 大阪人権博物館(通称 リバティおおさか。以下「リバティ」)が5月31日限りで休館する。1985年大阪人権歴史資料館として開館以来、日本で唯一の総合人権博物館として170万人の来館者を迎えてきた。2017年の夜間中学生展は僕も見学に行った。
 リバティは、大阪府、大阪市、部落解放同盟大阪府連などが拠出した公益財団法人だ。所在地は市有地だが、もともと地元被差別部落の住民が大阪市に寄付した土地に建てた旧栄小学校の跡地だ。リバティの建物はその校舎を模している。
 リバティの休館に至る因縁は、08年橋下徹大阪府知事(当時)が展示内容の変更を求めたことに始まる。リバティは府教委・市教委と協議の上展示内容を改変したが、12年に橋下大阪市長(当時)が「僕の考えに合わない」と非難。「公益性がない」として13年度から市の補助金を打ち切った。14年には土地の無償貸与をやめ、年間2700万円の地代を要求。さらに15年には、土地の明け渡しなどを求めて提訴した。それから5年、リバティはついに力尽き、建物を撤去し土地を明け渡す和解に応じた。22年の再出発を期しているが、具体的なめどは立っていない。
 大阪人が世界に誇るべき人権の拠点が、大阪市によってつぶされた。大阪人の皆さん、本当にこれでいいのですか?
(現代教育行政研究会代表)

 

このコロナ禍、その対応に率先して当たっている印象の吉村洋文大阪府知事。
国の対策が後手後手で、対応が遅々として進まず、給付金の出し渋りを目の当たりにしているゆえ、吉村知事のハキハキした物言いは頼もしくも見えてきます。それだけ勉強をして、対応を協議していることの表われだと思います。
けれど、吉村知事も維新の会の方です。

橋下大阪府知事時代、大阪で学校の先生をしていた友人が嘆いていました。教育関係への予算が減り、生徒に配るプリントの数も人数分キッチリ刷らなければならないほど管理が厳しくなり、気持ちにゆとりがない、と。
また、大阪フィルハーモニー交響楽団への助成金の凍結、社会福祉協議会への交付金の凍結など、日ごろそれほど気に留めていないけれど、無くなったら、弱体化したら困る部分への助成がカットされています。
吉村知事も、IR事業への関心は強く、コロナ禍以前も今も、カジノ事業への意識は変わらないとのことです。

頼もしさに目を奪われて任せきってしまうのではなく、何をしているのか、何をしていないのか、何を考えているのか・・・コロナ対応以外に、私たちも関心を示していないと、失ってはならないものを失いかねません。気づいたときには手遅れになっていまします。

ということは、吉村知事に対してだけのことではなく、すべての政治に関わる方に対して言えることですが。

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