第11回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会

2019年9月27日 (金)

大多数の国民に属する私

秋彼岸中、本山より『真宗』『同朋』「同朋新聞」が届く。

『真宗』2019年10月号「ハンセン病はいま〈260〉」に、9月20日の投稿でも紹介させていただいた徳田靖之先生の文章が掲載されていました。

 今回の熊本地裁判決が、社会を構成する私たち一人一人に対して投げかけた課題について、私見を申し述べておきたい。
 そもそも、今回の家族訴訟が提起された趣旨(目的)の一つは、家族を差別し、偏見にさらし続けてきた社会の側の加害者責任を明らかにすることにあった。
 この点について判決は、「内務省及び厚生省等が実施してきたハンセン病隔離政策等により、ハンセン病患者の家族が、大多数の国民らによる偏見差別を受ける一種の社会構造を形成し、差別被害を発生させた」と判示している。この判決の意味するところは、差別・偏見の根本原因は、国による隔離政策にあるが、現実に差別偏見してきた直接の加害者は、大多数の国民らであることにある。
 判決を受けて、私たち一人一人には、その大多数の国民に属するのではないかということを自らに問いかけることが何よりも求められる。
 そのような形で、自らに問うことが、私たちがハンセン病問題を私の課題として把握し直すという第一歩になるのではないか。
 ハンセン病問題の当事者とは、誰のことを意味するのかということが問われて久しいが、その難しい問いへの答えを今回の熊本地裁判決は、用意してくれていると私には思われる。

(ここからは、私白山勝久の私見)
責任の所在を他者におくほど楽なことはない。最近問題になっているクレーマーや他者をあおる人々は、自分と世間・自分と他者とを切り離して、楽なところに立っているつもりなのだろう。けれど、世間や他者と切り離して私はない。すべてはつながっている、関係を持っている。
ハンセン病隔離政策によって生じた、患者やその家族への差別問題も、その人々と切り離してある私を優位に立てるがゆえに起こっている。切り離して考えると、当事者意識だって湧いてこない。
9月25日の投稿で、ニューヨークの国連本部で開かれた気候行動サミットにおけるグレタさんの訴えについて触れたけれど、グレタさんの声を自分とは切り離して聞くのか、当事者として聞くのかで、その聞こえ方は180度違うものとなる。グレタさんに対して、「言っていることがおかしい」とか「誰かそそのかしている人がいるのだろう」とか「正気でない」などという非難があるという。グレタさんは、自分のことを語っているのではなく、グレタさんもあなたも私も住むこの大地(地球)のことを語っている。つまり、私も当事者。グレタさんへの問いかけ(バッシング)ではなく、自らに問うということがなされてもおかしくない。

ハンセン病問題全国交流集会に参加した後ゆえに、なおのこと徳田靖之先生の訴えが、グレタ・トゥーンベリさんの訴えが、目の前のこととして突き刺さっている。

2019年9月20日 (金)

「当事者とは誰のことか」

2019年9月13~14日
第11回 真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会 富山 に参加して

会場にて徳田靖之先生の本が販売されていたので購入。
『「当事者とは誰のことか」-「らい予防法」廃止からの20年を振り返って-』
真宗大谷派奥羽教区共生研修会でのお話を起こされたものです。

徳田先生は、前回第10回大会の講師。そのときに「当事者とは誰のことか」をお話いただき、とても印象に残っています。
ハンセン病問題を考えるとき、病にかかられた方とかかっていない人、回復者と支援者、関心有る人と無い人など、ふたつの立ち位置で考えがちです。
しかし、そのような立ち位置・見方ではなく、「ハンセン病問題について考える」といったときに、果たして“当事者”とは誰のことなのか。そのような問題提起をいただきました。

差別問題というと、差別する人の“悪意”が問題となりますが、差別とは、決して悪意から生じるものだけでなく、“善意”から生じることもあります。

「救うという意識、気の毒な人たちを救ってあげるという意識の中に、この差別・過ちの根が潜んでいると思うわけです。」

「救う側にいる人間はいつまでも救う側にいて、救われる側にいる人はいつまでも救われる側にいることが前提となっていてその立場が入れ替わるということがありません。」

「日本のハンセン病問題が示している立場という問題、そこにはハンセン病問題に関わる崇高な志を抱いている方たちが、こうした気の毒な人たちを救ってあげるというそういう考え方で手を差し伸べてき続けたということにあるのではないか。」

「ハンセン病問題の当事者ということを考えていく際に、加害者とか被害者とかいう、そういう位置付けを越えてハンセン病問題を考えていく。そこに私はハンセン病問題の当事者ですという考え方が生まれてくるヒントがあるのではないかと思っているわけです。」

自分を“当事者”として考えたとき、それでもまだ自分を救う側において考えがちです。なかなか越えられない壁がある、私自身の中に。二項対立のものの見方がこびりついているゆえ、なかなか越えられない壁が私自身のなかにあります。

同じ人と生まれて、生老病死を見つめる。南無阿弥陀仏

  (「第11回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」のカテゴリー、了)

2019年9月19日 (木)

未来の世代に伝えていくために

2019年9月13~14日
第11回 真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会 富山 に参加して

今回の交流集会の案内文にこのように書かれています。

「富山県にはハンセン病療養所がありませんが、「イタイイタイ病」という公害病の被害の歴史があり、患者本人だけでなく、家族親族も苦しい生活を強いられました。それはどんな被害であるのか。ハンセン病問題とイタイイタイ病問題との重なりから見えてくる相(すがた)を思い、聞こえてくる声を聴き、共感の世界を広げたい。そして未来の世代に伝えていきたいということを願って開催します。」

ハンセン病だけではなく、イタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくなど、病気を患うだけでも大変な想いをされているのに、偏見・誤解・無理解などから生じる差別によって、「病そのものとは別の苦しみ」を受けなければならない方々がいました。病に襲われた方々だけでなく、その家族・親類もまた、差別を受けてきました。
差別心を持つ人間のすがたは、その県に療養所があろうがなかろうが、どこの県、どこの地域においても、知り、考え、見つめなければなりません。
富山の地において、イタイイタイ病対策協議会会長のお話しを聞くことができたこと、そして、療養所がなくともハンセン病問題に向き合い、「人権の回復と差別のない社会をめざして」取り組みをされている方々の活動報告(あゆみ)をお聞かせいただけたことは、心に響き、目が覚める想いでした。
ありがとうございます。

2019年9月18日 (水)

ひとりで見る夢は夢に過ぎないが、

2019年9月13~14日
第11回 真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会 富山 に参加して

2日目のリレートークの時間
ハンセン病回復者の方が力強くお話しくださいました。
「隔離政策がなくなることはない、裁判で国に勝てるわけがない、ハンセン病のことを理解してもらえるはずがない等々言われてきましたが、この20年で大きく動きました。変わりました。こうしてみなさんが集まってくださって、多くの方がお話くださっているじゃないですか!! こんなこと、20年間だったら考えられなかったことですよ」
とお話しくださり、ひとつのことばを繰り返し紹介してくださいました。

「ひとりで見る夢は夢にすぎないが、
みんなで見る夢は現実となる。」

声の力強さとともに、言葉の持つ強さ、場に人間が集う熱が伝わってきました。
ありがとうございます。

2019年9月17日 (火)

わたしと あなたと あみだ

2019年9月13~14日
第11回 真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会 富山 に参加して

基調講演を聞いていたり、参加者との交流を持ったりしていて、ふと「宗教が原発問題やら死刑制度廃止について語るのは違和感がある」と言った門徒さんの言葉を思い出した。
その門徒さんからすると、ハンセン病問題全国交流集会を真宗大谷派が主催して行なうことにも違和感があるのだろうな、と思った。

親鸞聖人の教えに出遇い、教えを聞き続けていくと、阿弥陀への讃嘆と自己への懺悔が、南無阿弥陀仏として出てくる。
真宗大谷派が原発問題や死刑制度に対して踏み込んだ声明を出し、ハンセン病問題に関わるのは、深い懺悔があるから。その大地(土台)には、阿弥陀への帰依がある。
原発問題や死刑制度、ハンセン病問題等々について意思表示をするのは、なにも時の政府・権力を貶めようとして声を挙げているのではない。教えに触れて自己内省していったとき、そのとき自ずと出てくる声なのだと思う(出て来ないから聞き方が間違っているとか、出て来たから聴聞の仕方があっているとか、そんな話ではなくて)。
この世で起こる様々な出来事について、他者を責めるのでも、他者のせいにして溜飲を下げるのでも、他者を貶めて自分の地位を高めようというのでもなく、ただただ自己の問題として見つめなさいという声が聞こえてくるのだと思う。
自己を見つめたとき、周りの人々が見える。周りの人々が見えたとき、自己が顕かになる。そのとき、阿弥陀というものに手が合わさる。わたしとあなたとあみだの関係が、ある。

社会問題に顔を突っ込むのは、正義の味方ぶって、善人者ぶってのことではない。
この問題は、私自身が引き起こしたものであった、私たち一人ひとりの課題であった。
それゆえ声を挙げるのです。
と、会場に身を置きながら感じていました。南無阿弥陀仏

2019年9月16日 (月)

偏見差別の克服→私たち一人ひとりの課題

2019年9月13~14日
第11回 真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会 富山 に参加して

国の隔離政策によって、ハンセン病回復者とそのご家族がいわれなき差別を受けてきた歴史がある。
2019年6月28日 熊本地裁が国の責任を認めました判決を報道で知ったとき、「よかった」と思うよりも、「知らないということの罪」を強く感じ、また申し訳ない気持ちに覆われました。
ハンセン病と診断された人々、その家族を、差別の目で見てきたのは、国と呼ばれる大きな実体なきものではなく、私の目。

国の言うこと、専門家の言うこと、権力を持った者の言うことに寸分の疑問も持たず信じることによって、どれだけ人を傷つけていることか。

隔離政策が為された当時、そのことを否定するだけの情報を得ることは難しかっただろう。けれど、ネットが普及し、情報が溢れているという今の時代においても、正しい情報を得るということは難しい。
そもそも、何が本当で何が嘘か分らない。自分が被害に遭わなければ、他の人のことはおかまいなし。自分の信じていることが間違っていた!なんて情報は知りたくない。そういう前提でネットを通して情報に接していると、情報は素通りしていく。
やはり、国や、大きな組織や、力を持った者に呑み込まれていくのだろう。

けれど、国が何を言おうが、たとえ病気の内容が伝えられている通りであろうがなかろうが、差別を受けていい人間(個人)などいるはずもなく、国策の正しい間違っているに関係なく、個が個を攻めることは、結局のところ攻めている者自身も傷つく。自分で自分を傷つけている。
6月28日の報道は、否、小泉首相が謝罪したときに既に、“私”は他者(ひと)を傷つけることを通して“私”自身を傷つけていた、という気づきをもらっていた。

今回の交流集会の基調講演で、黒坂愛衣先生(東北学院大学准教授)がお話の最後に

「偏見差別」の克服
家族の人々が、ハンセン病であった身内がいる事実につ隠さなくて済む社会を、どうやって実現できる?
→わたしたち一人ひとりの課題

と、お話くださいました。
小泉首相や安倍首相が謝罪をしたからといって、ハンセン病回復者の方々やそのご家族が、「私、ハンセン病だったんです」「うちの家族がかつてハンセン病を患っていまして」などと口にすることはできません。今でも必死で隠している方もいます。それは、偏見や誤解から差別の目で見る“私”がいるから。
偏見差別の克服は、国の仕事ではなく、私たち一人ひとりの課題なのです。

交流懇親会の場において、初めて参加された方とお話をしました。
その方は、「ハンセン病回復者の方々やそのご家族を、“差別を受けてきたかわいそうな方々”という見方をするのは違うと思うんですよ。そういう集会なのかな?とも思って参加したのですが、そうではありませんでした。黒坂先生が、“私たち一人ひとりの課題です”とお話しくださって、自分のこととして考える集会なんだっているのが伝わってきて、参加してよかったです」
と感想を語ってくれました。私も同じ思いです。そういう話し合いの場を持てて、とても嬉しかったです。

2019年9月15日 (日)

ひとり一人の身に起きた事実

2019年9月13~14日
第11回 真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会 富山 に参加して

本年6月28日、ハンセン病患者への隔離政策により家族も深刻な差別を受けたとして国に損害賠償と謝罪を求めた集団訴訟の判決で、熊本地裁は国の責任を認めました。いわゆる「勝訴」と表現される判決が出て迎えた全国交流集会でしたが、お祝いムードなど微塵も漂っていませんでした。それも当然です。不当な隔離政策を受けたうえ、その方々だけでなく家族までもが差別を受け続けて“いる”事実が明らかになったのですから。

隔離政策という現実は、報道によって知ることができる。
けれど、誤った政策、誤解や偏見から生じる差別を被るひとり一人に、苦しみ悲しみ孤独といった事実がある。
その事実は、語られることがなければ、周りの者は知る由がない。
けれど、誤解や偏見で固まっている私たちが、果たして聞く耳を持っているだろうか。自分の受け止めが間違っていたんだと指摘されて、「私が間違っていました。私の誤解や偏見からつらい想いをさせていたね。ごめんなさい」と言えるだろうか。
現実は知ることが出来ても、事実はなかなか知り得ない。その事実も、一人ひとりの人生の中で実際に起きた悲しい事実。それがやっと、現実という殻を打ち破って事実として表出した。
つまり、悲しみ つらさ 淋しさが表出したということ。
私のことを知ってもらうために、私の悲しい過去・つらい過去・淋しい過去を話すだろうか。話せるだろうか。話したいだろうか。
そういう、話したくないことを話さなければならない、そんな状況に、私は回復者の皆さんを、そのご家族の皆さんを追い込んでいました。

現実を語ることはできても、事実を語ることは、覚悟のいること。
でも、語ってくださる方々のおかげで、事実を知る、感じることができます。ひとり一人の身、それぞれの家族に起きた事実を。

2019年9月14日 (土)

顔と名前の通じる関係 自分の名前を名乗ることができる人生

2019年9月13~14日
第11回 真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会 富山 参加

ハンセン病回復者の方々と再会
「〇〇さんこんにちは・・・」
私が自分の名前を名のろうとしたとき、〇〇さんの方から
「やぁ、白山さんこんにちは。久しぶりだね。よく来てくれたね」と声をかけていただいた。

前回2016年4月の姫路大会以来、3年ぶりにお会いしたのに、私の顔と名前を覚えていて下さった。
とても嬉しかった。
顔と名前の通じる関係、自分の名前を名乗ることができる人生

当然と思われることを、できない人生を送らされた方々がいる。
その方々と、手を差し伸べてこられた方々と再会し、温もりをいただいて帰ってきました。

ありがとうございます

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