つぶやき

2018年2月23日 (金)

出会いが人を育て 別れが人を深める

2018年2月20日(火)
金子兜太さん死去 98歳
現代俳句協会名誉会長
戦後、俳句に社会性や時代性、思想を取り込む革新をもたらし、俳誌「海程」を創刊するなど、戦後の俳句改革運動をリードされた。
さいたま市の女性が詠んだ俳句 「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」 が、さいたま市公民館の月報への掲載を拒否された。その際、金子兜太さんは、「俳句に詠んでいけないものはない。社会のことを詠むのはあたりまえ」と、女性を激励された。
このことがきっかけで、「東京新聞」において「平和の俳句」が募集、掲載される。その選者を、いとうせいこうさんと共に努められました。

戦争を知り、戦争は絶対ダメだ!と伝えてくださる方が、また一人逝った(浄土へ還った)。
選ばれた「平和の俳句」を読むだけで、金子兜太さんの俳句を読んだことはなかった。足跡を確かめたい。

金子さんの死をニュースで知り、でも、数日前に通信社の「金子兜太さん死去」の誤報を見ていたので、驚きよりも「あぁ、来るときが来てしまったか」という想いでいた。
その晩、子どもたちに「さぁ、寝ようか」と声をかけたときに、スマホにニュースが入った音がnote
見ると、「俳優 大杉漣さん死去」の報がsign01 いや、ビックリしました。
子どもたちを寝かしつけて、テレビをつける。ピョンチャンオリンピック スピードスケートパシュート女子決勝で、日本チームが金メダルを獲得したレースを、ちょうど放映していた。おめでとうございます。チャンネルを変えると、カーリング女子の試合を中継。あれだけの体力と精神を使う競技を9試合も。そして準決勝へ。
そして、チャンネルを変えると大杉漣さん出演のドラマ「バイプレイヤーズ」を放送中。ドラマを見て、床に就きました。
翌朝は、パシュートの金メダル以上に、大杉漣さんに関する報道が!! 大杉漣さんを知る誰もが、急な別れに驚きを隠せない様子(それはそうですよね)。とても気遣いの人で、趣味も多様だったそうですね。数多くのドラマやCMでお見かけし、舞台も出られて、ご家族や友だちとの時間を趣味も大切にされ、こういう方は、どのようなスケジュールでいらっしゃるのだろう?と、いつも想っています(私は時間を使い方がとても下手なので)。

大切な方との別れは、悲しいですね。
でも、先往く人との出会いのおかげで私の中に何かが残っているから、別れを悲しく想える。
別れは、私を深める。

2018年2月21日 (水)

人びとは残酷である。しかし、人は優しい。 タゴール(インドの詩人)

2018年2月19日(月)の「東京新聞」朝刊(12版)を、全体を通して読んでいて、現政府の危うさと稚拙さと脆(もろ)さを感じた。

 book

「本音のコラム」

差別的な妄想 宮子あずさ(看護師)

 政治学者の三浦瑠璃(るり)氏が、出演した番組で、北朝鮮のスパイが大阪に多く潜伏していると発言。批判を浴びている。
 訪問看護でうかがう先にも、類似する妄想を持つ人がいる。今回の件で、在日コリアンの人たちの怒りを聞くにつけ、自分の対応に疑問を持つようになった。
 私はこれまで差別的な妄想に対して「妄想だから仕方がない」と考えるようにしてきた。ある男性はいつも無音のテレビを見ていた。「放送の音は嘘。工作員へのメッセージが隠されているんです。だから、話している人の唇を読まなくちゃなりません」と話す。私はあえて反論せず、なるべく話をそらした。
 その後、彼はがんで亡くなったのだが、妄想におびえた暮らしを思うと、今も気の毒になる。妄想自体は病気。そこで彼の思想性を問うのは酷な話である。また、妄想を頭ごなしに否定しても、病状はよくならない。
 一方で、現実感が持てるよう関わるのは、看護の基本。「私は、工作員なんてここにいないと思う」と現実を伝えてもよかったように思う。この関わりは理にかなっているし、私自身の気持ちを守るために、言うべきだったと思うのだ。
 看護師にも大事にしたい価値観がある。私は差別のない世界に貢献したい。差別がとがめられぬ現状だからこそ、差別を肯定しない態度にこだわりたい。

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一面

「北の脅威」政府に矛盾
衆院選「危機的」→安保法訴訟では否定

「北朝鮮の脅威」を巡る政府の主張の矛盾が明らかになった。安倍晋三首相が昨年10月の衆院選で、北朝鮮情勢が「危機的な状況」だと強調した一方、同時期に行なわれた安全保障関連法に関する訴訟では、米国と北朝鮮が衝突する危機にあることを政府自身が否定し、主張を大きく変えているためだ。野党は政府の説明を「二枚舌」と批判。今後の国会審議で追求を強めることも予想される。(新開浩)

 衆院選を通じ、首相や小野寺五典(いつのり)防衛相は、核・ミサイル開発を進める北朝鮮と、武力行使を含む「全ての選択肢」を否定しない米国との間で、昨年末から今年初めにかけ、緊張が極度に高まる可能性を訴えた。
 首相は衆院選前日の演説で「北朝鮮の危機がある中で、安保法を廃止すると言う人は、あまりにも無責任だ」と強調した。
 一方、集団的自衛権の行使を容認する安保法が憲法九条に違反するとして、陸上自衛官の男性が、集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」での防衛出動命令に従う義務がないことの確認を、国に求める訴訟を起こした。
 一審の東京地裁は昨年三月の判決で「原告の部隊に出動命令が出る具体的な可能性があるとは言えない」などとして訴えを退け、男性は東京高裁に控訴した。
 衆院選から約一カ月後の11月末、法務省は高裁に提出した準備書面で、男性が主張した米国と北朝鮮との武力衝突の可能性を「抽象的な仮定」と指摘。存立危機事態が発生する可能性についても「現時点における国際情勢」を理由に想定できないとした。国は北朝鮮情勢の深刻な危機を認めなかったことになる。
 しかし、東京高裁は先月末の控訴審判決で、安保法の成立を理由に、存立危機事態の発生を想定できないとした国の主張を「採用できない」と判断。男性の訴えは「適法」として一審判決を取り消し、審理を東京地裁に差し戻した。
 衆院選と控訴審での政府の主張の食い違いに関し立憲民主党の枝野幸男代表は14日の衆院予算委員会で「一方で、すぐにもミサイルが飛んできそうな危険をあおりながら、一方では具体的な危険はないと堂々と主張している。二枚舌ではないか」と批判した。上川陽子法相は予算委で、訴訟での法務省の主張を説明しただけで政府内で主張が異なる状況は変わっていない。

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二面

拉致問題で教員に研修
今秋から 政府、若者へ啓発強化

 政府は北朝鮮による日本人拉致問題を巡り、小中高校の教員を対象とする研修を今秋から実施する方針を固めた。内閣府による昨年秋の世論調査で、拉致問題への若年層の関心が低い傾向が出たことを踏まえ、啓発活動を強化する。教員に拉致問題に対する理解を深めてもらい、授業内容に反映するよう促す。政府筋が18日、明らかにした。
 拉致問題を風化させないとの意思を北朝鮮に示す意味合いもある。政府関係者は「日本国民全体が拉致問題を解決するとの思いを持ち続けることが重要だ」と説明する。
 内閣府が昨年10~11月に実施した外交に関する世論調査で、北朝鮮への関心事項を複数回答で聞いたところ、拉致問題を挙げた人の割合は18~29歳が最も低く64・9%。最多は60~69歳の85・3%で、若い世代の拉致問題への関心が薄れつつある現状が浮き彫りになった。政府内では、2002年の拉致被害者五人の帰国から15年以上が経過し、拉致問題を知らない小中高校生が増えているのではないかとの懸念が広がっている。
 政府は4月以降、都道府県や政令指定都市の教育委員会事務局を通じ研修参加者を募集する予定。当初は数十人規模の参加を見込む。拉致現場視察や被害者との懇談のほか、実際に授業で拉致問題を取り上げている教員と指導法を意見交換する場も設ける。政府が毎年12月に開く拉致問題に関する国際シンポジウムへの参加も求める。

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(雑感)
拉致問題が風化しているから、小中高の教員を対象とする研修会を実施し、授業内容に反映するように促す。って、ひどくと思います。拉致問題が風化している、関心が薄れていると感じるのならば、それは、自分たち(政府)が何もしていないことの表われなのではないですか?(実際に動いている方はいることと思いますが)  政府が北朝鮮と交渉を続けている過程を示す、拉致被害者ご家族との連絡を密にする。そのような姿勢を見せていれば、決して風化はしないし、関心が薄れるということもありません。

風化させたくない。と、言いながら、自分たちがしてきたことは無かったことにしようとする。お金で解決を図ろうとする。
ひとたび戦争が起これば、目を覆いたくなるような現実が日常となってしまいます。自分が被害を被る身ともなるし、加害者ともなり得る。それが、戦争。「話の分かる相手ではない」「何をしてくるか分からない奴等だ」「昔やったことの反省がない」と言うけれど、そのまま同じことを言われているかもしれない。で、言われている内容も決して間違いではない。
戦争が起こらないために、戦争を起こさないために、政治家として交渉に尽力してほしいと思います。戦をするための法案を通すために、「北朝鮮の脅威」を声高に叫びながら、都合が悪くなると否定する。何か、妄想でも膨らましているかのような。
同じ2月19日の朝刊 スポーツ欄に、スピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒選手と、銀メダルに輝いたライバルであり親友である李相花選手(韓国)の、お互いを讃え合うことばが載っていました。

(李相花選手は)力を尽くしたレース後、小平からは「今もあなたを尊敬している」と言葉を掛けられたという。涙で抱き合った元女王は「私もあなたを誇りに思う」と応じた。

どの報道機関も大きく取り上げていました。最大のライバルであり、最大の親友。
お互いの国どうしの関係を見ると、決して良好な状況ではないけれど(誰がそうしてる?)、人と人との結びつきは、国境も、ライバルという関係も越えて、手を取り合うことが出来る。お互いを尊敬し、お互いを成長させる。国と国との関係になると難しいのでしょうか? 小平選手と李選手の関係を、ちょっといい話とか美談の体で報道するのではなく(受け止めるのではなく)、人と人とは、そういう関係が結べるんだと、受け止められたら。私の日常は、私と国との関係で生きているのではなく、私と目の前のあなたとの関係。人と人。そこから一歩一歩の、一日一日の歩みを大切にしたい。

新聞の読み応えのある朝でしたsun

2018年2月14日 (水)

服や食によってお育ていただいている私です

公立校の制服(標準服)をアルマーニに決めたというニュースで、論争が起きています。
そのことの是非については書きませんが、校長先生の説明の中で「服育」ということばが出て来て、そこに違和感がありました。
「服育」という表現を初めて耳にしたのですが、ことばとしては既にあるようですね。
「服育とは、主に衣服に関連する事項を通して、TPO・マナーなどの社会性、環境問題、健康・安全、国際性・文化等に対する理解を深めさせ、子どもの生きる力を育てようという取り組み」とのこと。
かつて「食育」ということが言われましたが(今でも言われていますが)、上記「服育」に照らすならば、「食育とは、主に食に関連する事項を通して云々」ということでしょうか。
確かに大切なことですが、服や食を通して、子どもたちに教育するという姿勢がとても高圧的です。
TPOを気にしない服装をし、着る物や食べ物の他文化をひやかしてみたりバカにしてみたり、値段が手頃だからといって着る物をサッサと捨てたり「恵方巻」だとか騒いで大量の巻物を廃棄処分したり・・・そんな生活をしている私たちが、どの口で「服育だ」「食育だ」と言えるのでしょうか?
TPOに合わせた服を身に着ける。「いただきます」「ごちそうさま」の姿を見せる。私たちが身に着ける衣服や口にする食料の背景には、貧しい国に生きる方たちが安い賃金で働かされている現実を伝え。想いを馳せる。
常日頃の姿勢で、子どもたちに伝えることができます。子どもたちは、大人の姿を見ています。私自身が衣服や食物、その背景について想いを巡らす。その姿は、周りの人に、次の世代に伝わっていくことでしょう。そのことが「服育」や「食育」の姿勢ではないでしょうか。

「子育て」という言い方をしますが、そういう ことば はなく、本来は「子育ち」だったと聞きます。
子どもたちは、親や周りの人の愛情を受けて育ち、目にするもの耳にするもの感じるものを身心に受けて、自然に成長していきます。子は育っていくもの、子育ちするものなのです。
それが、いつの頃からか、親の要望(こうそだって欲しいと習い事や幼児期からの教育に熱心になる)、親の都合(忙しいから大人しくしていて欲しい、これで遊んでいてとずっとテレビを見せたり、スマホに子守をさせる)最優先で子どもを育てる「子育て」をするようになりました。子ども中心から大人中心になったということでしょうか。
「服育」も「食育」も悪いことだとは思いませんが、大人の事情の押し付けなのか、先ずは私自身が想いを馳せ、そのうち共に考えてゆけるようになるのか。

2018年2月10日 (土)

石牟礼道子さん

2018年2月10日(土) 石牟礼道子さん還浄

「毎日新聞」2018年2月10日(土)より

人間の極限的惨苦を描破した「苦海浄土(くがいじょうど)」で水俣病を告発し、豊穣(ほうじょう)な前近代に取って代わった近代社会の矛盾を問い、自然と共生する人間のあり方を小説や詩歌の主題にすえた作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが10日午前3時14分、パーキンソン病による急性増悪のため熊本市の介護施設で死去した。90歳。葬儀は近親者のみで営む。喪主は長男道生(みちお)さん。

公害告発の端緒
石牟礼道子さんは1927年、熊本県宮野河内村(現・天草市)に生まれた。家業は石工。生後まもなく水俣町(現・水俣市)に移り、水俣実務学校(現・水俣高)卒。代用教員を経て、58年、谷川雁らの「サークル村」に参加。詩歌中心に文学活動を始めた。

 59年には、当時まだ「奇病」と言われた水俣病患者の姿に衝撃を受け、「これを直視し、記録しなければならぬ」と決心。69年、水俣病患者の姿を伝える「苦海浄土」第1部を刊行。70年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、辞退した。同書は日本の公害告発運動の端緒となるなど戦後を代表する名著として知られる。74年に第3部「天の魚」を出し、2004年の第2部「神々の村」で「苦海浄土」(全3部)が完結した。

 水俣病第1次訴訟を支援する「水俣病市民会議」の発足に尽力する一方で、水俣病の原因企業チッソとの直接対話を求めた故・川本輝夫さんらの自主交渉の運動を支えるなど、徹底的に患者に寄り添う姿勢とカリスマ性のあるリーダーシップから「水俣のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる。患者らの怒りを作品で代弁して「巫女(みこ)」に例えられるなど、水俣病患者・支援者の精神的支柱となった。

 73年、「苦海浄土」などの作品で「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞。93年、「十六夜橋」で紫式部文学賞。03年、詩集「はにかみの国」で芸術選奨文部科学大臣賞。04~14年、「石牟礼道子全集・不知火」(全17巻・別巻1)が刊行された。

 03年ごろから、パーキンソン病を患い、人前に出る機会は減ったが、口述筆記などで執筆活動を継続した。句集を出版するなど書く意欲は衰えなかった。

早朝の訃報に驚いています。
2月7日(水)「読売新聞」の文化欄 読売文学賞の人びと③ にて
『評伝 石牟礼道子 渚に立つひと』で評伝・伝記賞を受賞された米本浩二さんの記事を読み、久しぶりに『苦海浄土(くがいじょうど)』を読み返そうと、本棚から本を出してきたばかりだったからです。

米本浩二さんは、3年にわたり石牟礼道子さんを取材されます。

「渚」とは、近代と前近代、生と死、見えるものと見えないものの狭間で生きる、要するに「世の中とそりが合わない」作家の立ち位置を例えたものだ。
「彼女自身は当たり前に世の中を生きたいんですよ。でもそうできなかった。『苦海浄土』は彼女が自分と同じ孤独を患者さんの中に見いだして、彼女自身が救済されるために書いたものだと思います」
(「読売新聞」記事より)

米本さんが受賞の知らせを自分の石牟礼道子さんに報告すると、まるで自分のことのように喜んでくださったとのこと。
米本さんは、受賞そのものよりも、石牟礼道子さんが喜んでくださったこと、そのことが嬉しい。書いてよかったと述懐されています。取材後も熊本に通い続けられた米本さん。「青少年向けの石牟礼道子伝に挑戦したい」と生涯の仕事に出会われたと、記事は結ばれています。

石牟礼道子さんが為されたお仕事。その姿に感動、共感し、石牟礼道子さんの姿を通して、若い世代に伝えるべきことを伝えなければと、筆をとられた米本浩二さん。

想いや教えやことばは、人を通して伝わっていくものです。そこに体温が生まれます。
『苦海浄土』を読み返させていただきます。

2018年2月 6日 (火)

おにたのぼうし

昨日投稿した「2018年2月の掲示板のことば」の文章を書きおえて、娘の国語の教科書をパラパラめくっていたら、あまんきみこさんの「おにたのぼうし」というお話に出会いました。
読んでいて、切なくなってきました。
こころやさしい おにた が、節分の豆まきに こころ悩ます内容です(これ以上内容には触れません。絵本をお読みいただければ幸いです)。

「鬼」というと、こわい者、自分を傷付ける者というイメージができてしまっていますが、鬼も、こころがある生き物。こわくって、私を傷つけて・・・なんて、理由もなくするはずはありません。

娘の習い事の時間中、雪がちらつく中、車の中で教科書を手にしたのですが、読み終えて涙ぐんでしまいましたweep

その晩、出来上がっていた寺報を書き直しました
おにもやさしいんだよと思いながらpencil

2018年1月28日 (日)

「氏」というのは、良くも悪くも人心を縛る

「東京新聞」 2018年1月27日(土)朝刊
コラム「本音のコラム」より


夫婦別姓で絆を 師岡カリーマ(文筆家)

 概して保守的で父権主義が根強いにもかかわらず、私が育ったエジプトをはじめ、イスラム社会では通常、女性の性は結婚後も変わらない。生みの親は生涯不変だが、配偶者は替わり得る。結婚は個人と個人との契約だ。うまくいかなけらば解消できる。だから個人を識別する根拠となるのはその人が「誰の子か」であって「誰の配偶者か」ではあり得ないのだ。
 夫婦別姓の国々では家族の絆が弱いとか、子が情緒不安定だといった話は聞かない。むしろエジプトの夫婦げんかは、しばしば双方の実家を巻き込み、壮大に盛り上がって、切りのいいところで雨降って地固まる。離婚率は日本とほぼ同じだ。
 夫婦同姓を強要する法律にメリットがあるとは思えない。夫婦別姓が解禁された場合、離婚率の上昇は確かにあり得るだろう。いちいち姓が変わらなければ、体裁に縛られることなく、離婚や再婚がしやすくなる。でも、それって悪いこと?
 今まで我慢を強いられてきた男女の選択肢が増えるのは、むしろ健全なことではないか。強制的な同姓制度で無理やりつなぎ留められた家族が幸福だとも思えない。
 そういえば、スペインやポルトガルも夫婦別姓で、子は父母の姓を併記する。仮に離婚しても、子は姓によって両親とつながり続けるわけだ。家族の絆を優先するなら、いっそそれを検討してはどうだろう。

pencil

〈雑感〉
妻は、私と結婚してくれました。それだけでも有り難く嬉しいことなのに、同じ「白山」の姓まで名乗ってくれました。個人的に、とても嬉しく想っています。
日本に生まれ育ったためか、結婚したら(入籍したら)夫婦同姓になることは当たり前のことと、疑問に思ったこともありませんでした。夫婦同性・別姓の問題が取り上げられるようになってからも、「結婚したら同じ姓を名乗ってほしいな」と考えていました。
しかし、「夫婦同姓」を主張している方々の声(「明治の民法制定以来、日本に定着している制度を変える必要はない」「姓が別だと、家族の一体感が保てない」「姓が別だと、家族間の絆が薄れる」「「姓が別だと、子どもの情緒が不安定になる」など)を聞けば聞くほど、「夫婦同姓にこだわる意味あるの? 同姓か別姓か選べるようにすることが何故ダメなの?」と、疑問ばかり浮かんできます。
こういうときに「一体感」や「絆」などという言葉を出すけれど、日本の家族の仲がいいとして、それは夫婦(家族)同姓だからなの? と思ってしまいます。 「絆」云々言うのであれば、師岡さんがおっしゃるように、「スペインやポルトガルも夫婦別姓で、子は父母の姓を併記する。仮に離婚しても、子は姓によって両親とつながり続けるわけだ。家族の絆を優先するなら、いっそそれを検討してはどうだろう。」ということの方がよほど説得力があります。昨朝は、ここの文章で目がパチッと覚めました。
それに、夫婦同姓を頑なに主張する方には、結婚して姓をあらためる労力。離婚の際に、そのままの姓で生きるか、元の姓に戻すかを悩み考え、その手続きをするエネルギーのことなど、想像もされないことと思います。一言で「離婚」といっても、仲が冷めたから、絆が失せたからするばかりではありません。経済的事情から、離婚の形を選ばなければならないご夫婦を何組か見てきました。お互いのことを想い続けているのですよ。そういう意味では、離婚してもなお深い絆で結ばれています。
紙一枚、名字が同じか別かでその強弱が変るような関係ではないでしょう。人間って。

2018年1月24日 (水)

もう少し

松坂大輔投手の獲得を決めた 中日 森監督のことば
ゆっくり見させてもらいます。どういうことをしてくれるのか。楽しみにしています。結果が出せれば、1番いいですけど、我々がバックアップしながら、松坂世代、松坂世代といってその後ろ姿を追いかけてきた若い選手もいるんで、あるものを全部見せて、使って、言葉で、体で、色んな後ろ姿でウチの選手に色んなことを教えてやってほしい。それだけです

松坂世代と形容される多くの選手のプレーに一喜一憂し、プロ野球観戦を楽しませていただきました。
松坂世代の選手の多くが引退し、当の松坂投手自身も引退の危機にありました。
「もう一花咲かせて欲しい」と、松坂投手に期待を押し付けてしまうけれど、ここまでたくさんのものをもらってきました。かつて、清原和博選手が引退の危機に瀕したとき、「彼の花道を作る」といって、故仰木彬監督がオリックスに呼び寄せたことがあります。松坂選手も、自分が納得するまで、燃え尽きるまでやってほしい。それが許される選手ではないでしょうか。松坂世代松坂世代と御輿を担いだ者も、選手生命尽きるまで、彼の姿を目に焼き付ける責任があるのではないでしょうか。
(中日の優勝を願っているファンからすれば、そんなことも願っていられないでしょうが。とはいえ、松坂の活躍でチーム成績が上がれば良いですね)

松坂が、高校野球決勝で魅せたノーヒットノーラン。夏の暑い中、新宿の家電量販店の前で、多くの人々と共に松坂の快投を見た記憶が残ります。

松坂世代の、巨人を自由契約となった村田修一選手も、どこか契約が決まりますように。

2018年1月23日 (火)

大事ありませんように

2018年1月22日の降雪、想像していたよりも深く積もり、影響を受けた方々もいらっしゃることと思います。
雪はやんでも、踏み固まって氷った地面がすべります。引き続きお気を付けください。
境内の雪かきが追いつきません。長靴を用意していますので、お墓参りの方は寺へお声がけください。

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2018年1月17日 (水)

暴発

2018年1月16日(火) 昨年、ノーベル平和賞を受賞した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長と、与野党代表らによる公開討論会が開催された。
フィン事務局長は、日本政府に核兵器禁止条約への署名を求めたが、明確に賛同したのは共産、自由、社民3党と参院会派「沖縄の風」だけ。核抑止を理由に自民、公明両党の与党は慎重で、他の野党も明言はしなかった。

 typhoon

同じ日、カナダ西部バンクーバーで、北朝鮮の核問題を協議する外相級会合が開かれた。
各国は北朝鮮が非核化を受け入れるまで圧力強化を継続していくことで一致した。
会合には、カナダ・米国の他、韓国、日本やインドなど約20カ国が参加。中国やロシアは招待されなかった。

 typhoon

自分はオモチャを持ち続けて、それでいて持っていない人、持とうとしている人に「持っちゃダメだよ。認めないよ」と高圧な態度で迫る。
対話が成立しないのは、相手のせいばかりではなく、自分自身の問題でもある。

2018年1月14日 (日)

今年 2018年は戌年(いぬどし)ですね。
「戌」という漢字の部首は「戈」(ほこづくり)です。

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「戈」という漢字は見慣れませんが、『仏説無量寿経』の中に「兵戈無用(ひょうがむよう)」ということばが出て来ます。「仏教広まるところには、兵も戈(武器)も無用である」という意味です。
しかし、兵や戈の数や充実を競い、争いが起ころうとしている、否、現に争いが起きています。
ということは仏法は広まってないということか? という自問自答も生まれます。

昨日、
「仏法は説よりも聞にはじまる」(曽我量深)
「人間を尊重するということは相手の話を最後まで静かに聞くことである」(安田理深)
ということばを紹介(投稿)しました。
「聞」の欠落は、人間不信へと通じると教えられています。
「戈」で脅し合いをするのではなく、聞き合うことが求められています。
仏法が広まっていないのではなくて、聞く耳を持たない“わたし”が浮き彫りになっています。

「戌」には「滅」の意味も含まれるそうなのですが、「戌」という漢字の中に「戈」があるからといって、武器でもって人と人とが いのちを奪い合い 消し合いする世の中になりませんように。相手を傷つけることは、やがて自身の滅亡へとつながります。

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