つぶやき

2019年10月22日 (火)

時間の浪費は、結局は自分が選択している

昨日、小学校にミシン実習のお手伝いに行って・・・
ミシン実習は家庭科の時間なので、専科の先生が就きます。
でも、クラス担任とサポートの先生も入ってくださって実習は進みました。

子どもたちがミシンの糸通しや直線縫いの練習をするときは、保護者がサポートして、
ちょっとざわついて緊張感がなくなったときは、担任が注意します。

実習が進みながらも、担任とサポートの先生は、家庭科室の外で子どもたちのプリントの丸付けをしたり提出物のチェックをしたり。
あぁ、学校の先生はやることが多くて大変だなぁと思いながらチラ見していました。

ちょっとの空いた時間の使い方が自分は下手で、何をするにも1時間2時間まとまった時間でないとなかなか手が付けられなくて・・・
電車の移動時間に本を読んだり、文章を書いたりするのも苦手で、そういう時間を有効に使える人になりたいなぁと思っています。
だからいつも、夜、子どもたちが寝てから仕事に取りかかっています。

先生は、そういうことも言ってられないほど限られた時間の中で仕事をしているから、ちょっとの隙間の時間を大切にされているのですね。
子どもたちを見守ってくださり、勉強を教えてくださり、ありがとうございます。

感謝と共に学校を後にしました。

2019年10月21日 (月)

上糸はあなた 下糸はわたし♪

小学校、家庭科の時間 「ミシン実習のため、お手伝いいただける保護者の方はご参加ください」とのご案内があり、参加(私が)。

ミシンの実習に先生 ひとりでは大変ですよね。
子どもたちはミシンに不慣れだし、怪我をする恐れもあるし・・・。

今日は、ミシンを使うための準備をして、直線縫い・直角縫いの練習まで。
ヒヤヒヤしながらも、みんなキチンと練習までできました。
作品作りが楽しみだね^^

娘が通う小学校は、世田谷区の中でも一番古い校舎(私が通ったときは、世田谷区で一番新しい校舎だったんだけど)。
備品も古いものが多いらしくて、「まだこんなミシンが残っていたんですか!!」と、ミシンの修理に来たメーカーの方が言ってたとか。
子どもたちが使用するものはさすがに新しいミシンでしたが、奥に古そうなミシンがいました。
「古いミシン、多分あなたが小学生のときに使ってたやつだから、そのミシンを使う場合はあなたがサポートに入っていた方がいいでしょ」との妻の機転で私がミシン実習に参加したのですが、幸い(?)新しいミシンで足りたので、古いミシンの出番はなし。
古いミシン出て来ても、私も使えるかどうか分りませんが。

誰も怪我しなくてよかった。
子どもたちと楽しい時間を過ごしてきました^^

2019年10月20日 (日)

一緒にいるから、喜べるし、悲しめる

一人居て喜ばば二人と思うべし、
二人居て喜ばば三人と思うべし、
その一人は親鸞なり

親鸞聖人の遺教と伝わることば
昨晩、風呂で涙を浮かべながら、ふと頭に浮びました。

親鸞聖人は、
「一人居て悲しばば二人と思うべし、」
とは言われなかったんだなぁ

とはいえ、
喜んでいるときも、その背景には悲しくみがあり、
悲しいときも、喜びの経験が土台としてあり、
つまり喜ぶも悲しむも、それぞれ独立の感情ではなくて、すべてを含んでいるから、
聖人が「喜ばば」と言ってはいても、気持ちとしては「悲しばば」も その他の感情も含んでいるはず。
決して、嬉しいときだけ聖人がそばにいて、悲しい時はそばにいない・・・ということではない。

あ、書いていて思った。
喜ぶときも悲しむときも、喜怒哀楽感ずるときは、それに先立って「生きている」ということがあるわけで、
聖人は、「常に一緒にいますよ」ということを、ご遺教として言われたのだと思いました。
南無阿弥陀仏

2019年10月19日 (土)

芸術とは、そもそも評価されるためのものではなかったはず

3歳の子どもが、自分の描いた絵を、恥ずかしくて人に見せられなくて泣いてしまったというお話を聞いた。
なぜ、それほどまでに恥ずかしかったのでしょう。

その子の親は気付いていないかもしれないれど、
謙遜のつもりで「〇〇ちゃんはすごいわねぇ、うちの子なんて全然ダメで」「〇〇ちゃんは絵が(字が)上手ねぇ、うちの子は絵が(字が)うまくかけなくて」という親どうしの会話を、子どもは聞いているもの。そして、傷付いているもの。
そうすると、自分の描いた絵を恥ずかしく思っちゃいます。誰にも見せたくなくなります。
〇〇ちゃんを誉めるのと同じように、誉めてあげてほしいです。

2019年10月18日 (金)

自然(しぜん)は、人を傷つけているだけでなく、自らも傷ついている

玄関のドアを開けて外に出ると、フワッといい匂いが漂っている。
金木犀の薫りだ。
ちょっと不機嫌な朝も、この匂いにどれだけ救われていることだろう。

金木犀の薫り、桜の姿、こころに響く花がある
今日 お墓参りに見えた方が持っていたコスモスも、微妙な色の違いが美しかったなぁ
この時期、薫り松茸味シメジと言われるけれど、松茸もシメジもどっちも美味しい
サンマの不漁がニュースになるように、秋の味覚の代表格 スーパーに行くと、ついサンマの値札に目がいってしまう
栗やミカンを剥いて食べるけど、あの剥いている感触もあって、美味しい!!と感じさせるらしい
夏から秋にかけて、空の雲の表情が明らかに移ろう あの変化も面白いなぁ
日の暮れるのも早くなったけれど、どこからともなく虫の音が 

嗅覚 視覚 聴覚 味覚 触覚
五感を使って自然を感じているんだなぁ

ストレスの発散のために、空を眺めるのもいいらしい
わかる気がする
世田谷区は高い建物が少ないので、墓地の掃除をしていて、地面を眺めていた目を ふと上に視線を上げると、広い空が広がっている。
あぁ、きれいだなぁ 澄んでるなぁ 大きいなぁ と感じる

自然は人を癒す
誰もが身をもって体験している

けれど、自然は人にも牙を剥く
台風による被害は、人間の想定をはるかに超えている
「より強固で大きい堤防を作らなければいけない」と言う人がいるけれど、人知人力では超えられないものがあるということを肝に銘じなければいけないのではないか
超えよう、超えられないものない、なんとかなる・・・という想いも大切だけど、
超えられないものがある・・・と、畏敬の念を持つことを忘れてはいないか

癒やしを自然に求め、「あぁ、金木犀のいい薫りがするね」というときは自然を享受し、
被災したときには、「よりデータを集めて」「よりお金をかけて」「よりハード面を高めて」と、自然を敵に回す

今朝、金木犀の匂いにホッとした瞬間(とき)、そんなことを思った

すべて自然(じねん)

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2019年10月17日 (木)

和らかなるをもって貴しとす

台風15号に続き19号も猛威を振るいました。
明日(18日)以降、全国的に雨が続くと予報されています。
気温も一気に下がり、寒くなりました。
避難されている方、家の片付けを進めたい方のことを想うと、胸が痛みます。
お風邪などめしませんように。

昨年も、強い台風が吹き荒れました(何号だったか忘れましたが)。
その際、西蓮寺境内にある大きな芙蓉の木が折れました。
毎年夏の終わり頃から幾つもの花を咲かせ、蜂が蜜を集めに来ていました。

淋しい想いをしながら、折れた芙蓉を持ち上げたとき、折れた木の外側の古い皮の割れ目から、その中に幹があるのが見えました。
折れた木(皮)の中に、やわらかな幹がしなっていました。幹は折れていません!!
古い皮を剥ぐと、若くてしなやかな幹が姿を表わしました!! 

全体を触ってみると、生きている感触がありました。
「この芙蓉、まだ生きている!! 大丈夫だ!!」と感じました。

古くて固い皮を剥ぎ、支柱でささえてあげました。

今年、その芙蓉は、葉のボリュームや花の数は減りましたが、また花を咲かせてくれました。
台風15号の際、また倒れてしまいましたが、また支柱で支え直して、花を咲かせています。
台風19号にも耐えました。

しなやかな幹の瑞々しさ
強く勢力の大きいものに対するのは、強固さや頑丈さではなく、柔軟さなんだなぁと、芙蓉から教えられました。

 

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2019年10月16日 (水)

雨ニモマケズ 風ニモマケズ⑤(了)

仏前結婚式のご縁から、感じたことをツラツラ綴ってきました。そのタイトルを「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」としたのは、台風が襲来していたからという意味ではなくて・・・

中学生の時に図書室で「宮沢賢治全集」を読みあさっていた記憶はあるのですが、内容はほとんど覚えていません。とはいえ、そんななかでも「雨ニモマケズ」は印象的で記憶に残っていますが、「雨ニモマケズ」は小学生の国語の時間に習っているんですよね。そんな程度の読書力でした。

「雨ニモマケズ」 宮澤賢治

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル
 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ入レズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒドリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ

 南無無辺行菩薩
 南無上行菩薩
 南無多宝如来
 南無妙法蓮華経
 南無釈迦牟尼仏
 南無浄行菩薩
 南無安立行菩薩
    (青空文庫より)
あらためて「雨ニモマケズ」を全文読んでみる。
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ
そういうものになりたいけれど、なれない自分を痛切に感じている宮澤賢治。その痛みが伝わってくる。
私の記憶の中では、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」で終わっていたけれど、その後に「南無~」が続いている。
全集を読んでいたのだから、そこまであることも読んでいたはずなのに。まったく忘れていた。
すがるような気持ち、何かを頼りにしたい気持ちがあったのだと想う。
自分ひとりの力で何事かをなそうとするのではなく、なりたい理想に近付こうとするのではなく、大いなるはたらきの中で生かされている私(私たち)である。
 ソンナコトヲ
 ワスレヌ ワタシデ アリタイ
 南無阿弥陀仏

タイトルを「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」としたのは、いろんなメタファー(隠喩)を込めながら (‐人‐)

2019年10月15日 (火)

雨ニモマケズ 風ニモマケズ④

仏前結婚式も整い、新郎新婦は披露宴の支度のため控室へ。
仏前結婚式を執り行った部屋では、ふたりの加役さんと私(司会)で仏具・結婚式備品等々の撤収作業。
作業中、披露宴にお招きを受けた後輩が、まだ時間に余裕があったので仏前結婚式を行なった部屋へやってきました。

(後輩)「あれ、白山さん、なにやってんですか?」
(私) 「あれ、〇〇ちゃん。私? 私は結婚式の司会」 (^∀^)
(後輩)「!! 白山さん、慶弔どっちもOKですね」
(私) 「もうね、なんでもまかせて!!!!」 (^∀^)v

私の苦労を見てきて知ってくれている後輩(相棒)との軽いやりとり。
7月と8月、お世話になった先輩住職と前坊守の葬儀の式司を務めさせていただき、
10月、東京教区で組を越えたお付き合いをいただいている住職の結婚式の司会を務めさせていただきました。
自分でも、こころのすみっこでチラッと思っていました。お世話になった(お育ていただいた)方々の慶弔に携わらせていただき、人と生まれたことの意味を感じていました。もうね、なんでも来い!!って感じでした(^∀^)
なので、7月と8月の葬儀に際して、お別れがつらいことに変わりありませんが、懸命に生きた人生の先輩方をお送りする務めの一端を担わせていただき、感謝と喜びを感じていました。ありがとうございます。(-人‐)

僧侶というと、葬儀のみを司るように思われているかもしれませんが、仏前結婚式もありますし、門徒さんの七五三をお勤めしたこともあります。
つまり、冠婚葬祭を司るのです。門徒さんは、お寺の住職に「初産式お願いします」「七五三お願いします」「成人式お願いします」「結婚式お願いします」「ご葬儀お願いします」って、人生の節目節目のお願いをしていいのです(決して営業ではなくて)。
お寺の本堂は、いえ、ご本尊と、教えや教えを伝える役目を担った人(僧侶)と、そこに集う人たちがいれば、そこが本堂でしたね。
本堂では、人生の節目を迎え、新しい門出を踏み出せます。

自分の、ではなくて、他者(ひと)の節目に立ち会えることの嬉しさよ!! 南無阿弥陀仏

2019年10月14日 (月)

雨ニモマケズ 風ニモマケズ③

本堂での仏前結婚式から、ホテルの会場の一室での仏前結婚式への変更

ご本尊(阿弥陀如来)は三つ折り本尊でもかまわないのですが、住職(新郎)の強い意志によりお寺のご本尊が遷座(移動)されました。
住職の人生の歩みと共に ずっと一緒にいてくださったご自坊の阿弥陀さま。その阿弥陀さまに見守られて、仏前結婚式は勤められました。

仏前結婚式もお開きとなり、金屏風の前にある阿弥陀さまを前に、司婚者と話をしました。

(司婚)「阿弥陀さまを遷座するとは驚いたけど、やっぱり違うねぇ」
(私) 「そうですね。(立像の)阿弥陀さまがいると、安心しますね」
(司婚)「阿弥陀さまがいて、場が作られた式だったね」
(私) 「阿弥陀さまがいるところが、聞法の場になるんですね」
(司婚)「だから、“本堂”って あの伽藍のことではなくて、ご本尊と教えとそこに集まる人たちがいて、そこが“本堂”になるんだね」
(私) 「そうですね。だからこの場も“本堂”でしたね。お寺とは、建物のことではなく、場のことである、と教えていただきました」

南無阿弥陀仏

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2019年10月13日 (日)

雨ニモマケズ 風ニモマケズ②

10月12日の仏前結婚式(その2)

午前10時30分 仏前結婚式開式

滞ることなく結婚式は進行し(実は、まったく進行に差し支えはない程度の予定外の出来事がいくつか起きていました(^∀^) 笑い話 笑い話)、 
司婚者の法話をいただく時間になりました。

「最大規模の台風が近付いています。台風のニュースに関して“最大”とか“最高”という表現をよく耳にします。
親鸞聖人は、法蔵菩薩が起された願を“無上殊勝の願”と仰っています。“無上”であり“殊勝”である。このうえなくすぐれた願いである、と。
私たちが“このうえない”というとき、私たちの思い計らいの中での “このうえない”と言っているのではないでしょうか。
けれど、親鸞聖人が法蔵菩薩、阿弥陀如来の願を“このうえない”と仰るのは、私たちの思いを越えた はたらき のことを仰っています。
“最大”規模の台風というとき、自然というものが、私たち人間の分別を越えた力を持っているという畏敬の念があるでしょうか。
そんなことを、今来ている台風から問われているということも、考えられるのでないかと思います。
ご夫婦共に親鸞聖人の教えを聴聞する生活を送ってください」
(私の如是我聞・・・私はこう聞きました)

仏前結婚式中に法話があるのは、このうえなくいいですね。
南無阿弥陀仏

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