つぶやき

2018年12月 8日 (土)

イマジン

数日前、ご法話を聴聞。
ご講師が、「あと数日で12月8日を迎えますね。さて、何の日でしょう?」と、聴衆にお尋ねになりました。
そこまでのお話の流れで、「成道の日」のことを言われているのはわかりましたが、聴衆から「真珠湾攻撃の日」の声が。
「そうですね。その日であることも忘れてはいけませんね」と、冷静に丁寧に話されるご講師。それから、「成道の日」、お釈迦さまがさとりを開かれた日であることをお話されました。
私の中で「ジョンレノンの命日!」であるも思い起こされました。

想像してごらん 人のことを想うということを
想像してごらん 平和な世の中を
想像してごらん 想像するということを

みんなの中には ひとり ひとり がいる
ひとりの中には みんながいる

2018年12月 7日 (金)

機械の目よりも

2018年10月28日、ハロウィン直前の東京・渋谷での軽トラックの横転事件。
警視庁は、現場にいた人たちが撮影した動画や防犯カメラの映像を分析するなどして、特に悪質な4人を逮捕したとのこと。
たしかに、羽目を外しすぎです。逮捕されても仕方ないと思うし、地元商店街の方々は安堵されたのではないでしょうか。
とはいえ、防犯カメラの性能や設置数、警視庁の執念には驚かされます。
悪いことをした人が捕まる。それは良いことですが、もう監視社会ですね。
「防犯カメラを街中に設置する」という話が出た当時、「プライバシーの侵害だ」と、世論的には反対が多かったように記憶しています。けれど、実績を積むと、「安全のため、犯人逮捕のために必要だ!」という声が多数を占め、防犯カメラはこれからも増えていくことでしょう。
「自分は見られてはいけないことなどしないから困らない」とお考えの方もいるでしょうが、悪いことをしていないにしても、見られている、記録されているのですよ。怖い社会・窮屈な社会だと思いませんか?
それに、犯罪抑止になるのか?

東名高速あおり死亡事故で、罪に問われている被告の裁判員裁判が3日から始まりました。
運転する者として、あおりは怖いです。
ドライブレコーダーが売れているそうです。そうですよね。記録しておけば、あおられたときに証拠になるし、ドライブレコーダーが付いていることが、あおりドライバーに分かれば、あおらずに サッサと行ってしまうかもしれないですしね。
けれど、あおり運転の摘発は増えているとのこと。ドライブレコーダーの証拠があるから、摘発が増えているのかもしれません。けれど、記録されていることが分かっていても、それでもとんでもないことを しでかしてしまうのが人間なんだなぁと痛感しています。

ドライブレコーダーも、抑止にならない 人間の暴走。
幼い頃に言われた「お天道様が見ているよ」のひと言が、大人になっても思い起こされて、すんでのところで立ち止まって人もいるかもしれない。
機械の目よりも、自分を見つめる眼を持ちたい。

2018年12月 6日 (木)

通信障害

2018年12月6日(木)
ソフトバンクの通信障害により、ソフトバンクのサービスを受けられない状態が長時間に及んだ。
通話もできず、ソフトも使えず、多くの方々が困っている映像が流れた。
通信障害によって生じた不便を受けて、「偏重するのも考えものですね」「こういう状態は、これからも起こり得ることですから、私たちはその対策もしておかなければいけませんね」と、キャスターやコメンテーターは言う。
その通りなのだけれど、これほどまでに私たちの生活になくてはならないものになっていたことに、あらためて驚く。
スマホに依存されている方は大変だなぁと感じる。私もユーザーではあるけれど、ほとんど利用していないに等しい。使いこなしていないという言い方もできるけれど。
あまりどっぷりつかってなくて良かったと思いつつ、妻とお付き合いをしていた頃のことを思い出す。
デートの約束は「○月○日の何時に どこどこで」程度。
「どこどこで」とは、「新宿で」「池袋で」レベルでの約束。
で、約束の時間になったら携帯で電話して、お互いの居場所を確認して、分かりやすいところで落ち合う。
あぁ、そんなときに通信障害になってたら大変だ!sweat01

懐かしいことを思い出させてもらったソフトバンクの通信障害。
そんな12月6日は、結婚11周年。ありがとうheart01
うちは、通信障害になっていないと思うけど・・・

2018年10月21日 (日)

ある意味ホラーより怖かった

ある日、ある電車の始発駅から電車に乗る。そんなに乗る人もなく、多くの席が空いている。
そんな中、ドアの横に立っている女性が。発車前からうつらうつらしている。手にはTDLの袋が。朝早くから遊びに行ったのかな、眠たいんだねぇと察してみる。
電車も出発し、その女性は立ったまますでに眠りの世界に。
座席に座りながら眠りに就き、舟をこいでいる人はよく見かけるけれど、立ったまま寝る方は、あまり見たことがない。
突然、紐で操るマリオネットを急に下に下げたかのように、彼女がガクンッと身を崩した。
座席で眠りながらカクンッとなったとき、恥ずかしさを取り繕いながらも、しばらくは起きていようと努めるのだけれど、その女性はガクンッとなって目を覚ました次の瞬間にはもう寝ている。ずっとその繰り返し。私だけでなく、車内のすべての人が彼女の様子を気にかけている。いまだ席もたくさん空いている。なにゆえ座らないのだろう。みんなそう思っていたのではないだろうか。
あろうことか途中でスマホを手にし、で、また寝ている。 ゴツンッ ゴツンッ。スマホを落とす音まで車内に響き始めた。
ずっと彼女が立っているのとは反対側のドアが開いていたのだけれど、ついに彼女の側のドアが開く駅に。手にスマホ、彼女自身も寝ながら立っている。みんなが彼女を注視している。無事ドアが閉まり、みんなホッとしている。
これは、声をかけた方がよかったのだろうか。でも、あらぬ疑いをかけられてもつらい・・・。

始めは心配しながら気にかけていたのだけれど、途中からそのヒヤヒヤに胸がドキドキしてきた。「眠たいんだね。お疲れさまcoldsweats01」から「頼むから起きてくれぇ~sweat01」へ。
昨日の投稿同様、自分自身の中で勝手に感情を抱き、勝手に感情が変わるのが面白い(「面白い」って表現で合っているのか否か・・・)。相手がしていること自体は何も変わっていないのに。

なんて所で私の降車駅に到着。彼女はまだ乗っている。
無事に目的駅に着き、家に着いただろうか。スマホは無事だったでしょうか。

2018年10月20日 (土)

護美(ゴミ)

毎朝近所の公園を掃除していると、レンジでチンして食べられるご飯とレトルトカレーのゴミが捨ててある。
ご飯の器には当然カレーがついていて、正直きたない。
そういえば、このゴミを毎朝見かけるようになったのが掃除を始めたきっかけだ!
毎朝毎朝、公園のベンチの、横にある草むらにポイ捨てしてある。

「ゴミはゴミ箱へ捨てろよ!」
「食べ終りのゴミ、きたないなぁ」
「よくもまぁ毎日同じ物を食べ続けるなぁ」
などなど、よくもまぁ愚痴が出るものだとhappy01、掃除をしている。

なんてことをしているうちに、いつの頃からか私のこころの中に変化が。

「一人で淋しくないのかなぁ。いや、淋しく食べてるんじゃないかなぁ」
「これしか食べられないのかなぁ」
「お金、ないのかなぁ」
などなど、まだ見ぬゴミ捨て主に、同情というか憐れみというか心配というか・・・べつに上から目線で物を言っているわけではないけれど、単なる怒りから相手を想像してみる気持ちに、心が変化していることに気がつきました。

で、最近はそのゴミがなくなりました。

「どこかに引っ越したのかなぁ」
「体壊したのかなぁ」
「元気でいるだろうか?」
なんて思ってみたりして。

このゴミのおかげで、少しは公園の美化に貢献させていただいています。
でも、ゴミはゴミ箱へgood

2018年10月19日 (金)

かき

先の台風の際に折れたであろう柿の木
その柿の木の、折れてぶら下がった木に、柿がいっぱいなっていました。

折れても いのちは 生きている 実がなり 種が土壌に落ち また新しいいのちとなる

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2018年7月 9日 (月)

反省(懺悔)と感謝(讃嘆)を合わせ持っている人を「人間」といいます

2018年7月6日(金) オウム真理教元代表 麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の死刑が執行されたのを皮切りに6人の元幹部の死刑が執行される。

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昨晩(7月5日)、ご門徒のお通夜に車で20分で着いた斎場に、今日のお葬儀には1時間近くかかってたどり着いた。
渋滞に巻き込まれて少し焦り始めた頃、「麻原死刑囚の死刑執行」のニュースが入る。驚きと共に、胸騒ぎがした。
車を走らせること数分・・・
松本死刑囚の死刑が執行され、続いて井上嘉浩 早川紀代秀 中川智正 新実智光 遠藤誠一 土谷正実の死刑が執行されたとのニュース。

大学の先輩が、『「生きて罪を償う」井上嘉浩さんを死刑から守る会』に携われている。今年に入り、死刑が執行されるのではないかという気配が漂い初め、機関誌『悲』の発行作業を進められていました。
私は、死刑制度は公の殺人であると考え、ブログにも書いていました。また、“私”の持つ罪業性についても常々語っています。そんな私に先輩は声をかけてくださり、『悲』に原稿を書くご縁をいただきました。
私の原稿を含め、寄せられた原稿に目を通された井上嘉浩さんは、先輩宛に手紙を書かれました。(死刑囚は手紙を書くにも制限があります。)
その手紙の中に、原稿を寄せた人 一人ひとりの名前を書いて、「感謝しています」と書かれていました。その手紙を、先輩から写メで読ませていただきました。私の名前もありました。

「感謝しています」
井上さんと私との間の、最初で最後のやりとりです。

手紙に書かれた言葉ですが、まるで聞いた言葉であるかのように脳裏で繰り返されます。

感謝しています・・・感謝しています・・・感謝しています・・・

井上さんは、「感謝しています」と言い遺して、逝ってしまった・・・

私は、井上嘉浩さんを、殺してしまった。

「感謝しています」という気持ちを持っている人を、殺してしまった。

気がついたら、渋滞に呑み込まれた車の中で、嗚咽号泣していました。

次から次へと、死刑執行のニュースが入ってくる。

日本は、開けることがあっては絶対にいけない扉を開けてしまいました

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法を犯した人は相当の罰を受けて当然だと考える人は多いでしょう。
明白な考え方です。それを否定はしません。
けれど、
麻原彰晃死刑囚と6人の元幹部の死刑が、同じ日に続けて執行された。その準備は数日前から進められ、
死刑執行の前日には、同じ席で総理大臣と法務大臣がお酒を酌み交わしていた。
翌日の死刑執行の話題が出ないはずはない。
平成のうちに平成の事件のけりを付けたかったのではないか・・・などとまことしやかに噂されているが、それならば他の死刑囚にも、執行の足音は近づいていることになる。

権力者が、自分たちに都合の良いように法律を解釈し、制定し、
友人は厚遇して友人でない者は冷遇し、
街中には当たり前のように“防犯”カメラが設置され、
パソコンやスマホで見たもの買ったものがチェックされ、個人の思考・嗜好が把握されている世の中。
いつ誰がどのような理由で捕まるか分からない世の中になっています。
悪い考えをした奴が悪いんだ!と、権力者は高笑いしながらお酒を酌み交わすのでしょう。

情報が流れていたのか、流していたのか、
マスコミは、死刑の執行が分かっていたかのように報道を始めた。
執行された死刑囚の顔写真に「執行」のシールを貼り、
縁ある場所が「信者から神聖視されることが考えられます」なんて報道しておきながら、荼毘に付す火葬場の前でスタンバイしている。ここで火葬しましたよ!と分かるように。
イベント化し、矛盾し、伝えることを控えるべきことを声高に報道している。
報道されている内容は、視聴者の求めているものに応じているという側面もある。ということは、それを求めている私がいるということ。
自分は罰せられる側に立つことはない、という根拠のない自信が、テレビの向こう側とこちら側に大きな溝を作っている。

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東本願寺 「死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明」(2018年7月9日)

2018年6月 9日 (土)

阿弥陀さまの元で遇えるね^^

6月9日 前坊守(祖母)50回忌の命日。
家族で本堂でお勤め。娘(祖母からするとひ孫)も「正信偈」をお勤めしてくれました。
ジィジバァバ(住職 坊守)も一緒に食卓を囲み夕食。子どもたちの要望でピザhappy01
「美味しいheart04」と言いながら、小学校での出来事を楽しそうに話す娘たち。
有り難い時間をもらってるんだなぁと感じました。

祖母は、47歳で癌のため亡くなりました。
今、私は47歳。おばあちゃんは、この年で世を去ったんだなぁ。
子どもたちをおいて、この世を去る。やっぱつらいなぁ。ピザを頬張る娘たちを見ていて、感傷的になりました。おばあちゃんも、心残りいっぱいいっぱいあっただろうな。
おばあちゃんに還浄のときが近づいていたとき、長男(西蓮寺現住職)は大学を終えて寺にいました。もう二十歳を越えていたわけですが、子どもが幾つであろうと、「安心して逝ける」なんてことはないでしょうね。父もまたつらかっただろうなぁ。
病床の母の前で、父と母(住職と坊守)は簡単な式を挙げました。そういう面ではホッとしたことと思います。でも、おばあちゃんは孫を見ることも抱くこともなく亡くなりました。私はおばあちゃんに会うこと叶いませんでした。

今年の「西蓮寺永代経法要」は、前坊守の50回忌と、15世住職(現住職は18世)の100回忌も合わせてお勤めしました。前坊守のことを覚えていてくださる門徒さんもお参りくださり、思い出話を伺って、会うこと叶わなかったおばあちゃんに出遇うことができました。ご法事を通して、亡き人に出遇うんですね。

いのちあるものは、いつかいのち終えて往く。当り前のことだし、避けられないこと。でも、その当たり前のことに抗いながら生きるのが人間。

大学の後輩が語ってくれたことを思い出します。
「先輩、蟻って、水たまりの中に落っこちると、必死で泳ぐっていうかもがくじゃないですか。僕ね、あれって人間の姿だと思うんですよ。たとえ阿弥陀さんに守られていると信じたって、泰然自若としてられるのではなくて、もがくんですよ。ジタバタジタバタ。それが他力の中で自力を生きるってことだと思います。蟻を見てて思いました」

私もそう思います。
ジタバタジタバタしたなかで、「南無阿弥陀仏」とお念仏申すのです。
お念仏申しながら、ジタバタジタバタ生ききるのです。

平均寿命が80歳とか90歳といったって、その前に亡くなる人も大勢いるわけで、年を重ねるほどに自分の身体の衰えを感じ、近しい人の大病や死の話が日常になってきます。50手前にして、よりリアルに生老病死の身を生きていることを感じています。

おばあちゃんの話をできた夕食でした。おばあちゃん、乾杯winewine

2018年5月30日 (水)

到達することよりも出発すること、否、出発点に立っているという自覚

いろいろと経験して、習熟して、理解して、あるレベルに到達して・・・

ある意味本気で、ある地点に到達した私であることによって、人のためにあろうとしているのかもしれない

けれど、到達したところで、人に出会えない

人に出会えるのは、到達点ではなく、出発点

どこに進んでいいのか分からない

どこを目標とすればいいのか分からない

何から始めればいいのか分からない

分からないところから、共に(朋に)歩む一歩が始まる

2018年5月29日 (火)

意味を求めて、意味を見失う

生きる意味を求めて、
生きる意味を見失い、
迷いを深めている。
存在していることの前で、
意味が有るとか無いとか、
意味が無いのではないか。

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