西蓮寺掲示板のことば

2019年10月 1日 (火)

2019年10月のことば

2019年も10月を迎えました。報恩講をお勤めする季節となり、ワクワクしてきました。
けれど、まだ暑いですね。夏の疲れが出る頃でもあり、インフルエンザの兆しも出ています。
おからだお大事になさってください。

2019年10月のことば

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葡萄に種子があるように

私の胸に悲しみがある

青い葡萄が酒になるように

私の胸の悲しみよ 喜びになれ

                高見順

葡萄は葡萄のままに

 葡萄に種子があるように

 私の胸に悲しみがある

現代(いま)では「種なし葡萄」なるものもあるけれど、

現代(いま)といえど、「悲しみなし私」を作ることはできない。

人間の理想や欲望に応える形で科学技術や医療が発展してきた。にもかかわらず、科学や医療の発展は、必ずしも悲しみをなくすものではなかった。
人間の理想や欲望に応える形で発展する世の中は、ひとつ欲望が叶えば、それに伴って、より多くの困難や破壊が待ち構えている。その悲しみ、人間が生きることによって生まれる悲しみは、葡萄の種をなくすように消し去ることはできない。

 青い葡萄が酒になるように

 私の胸の悲しみよ 喜びになれ

葡萄の果汁が発酵して葡萄酒になる。見た目は違うけれど、どちらも葡萄。お酒になっても、葡萄は葡萄。
私の胸を締め付ける悲しみ。その悲しみが無くなって喜びが溢れるわけではない。悲しみと喜びは、まるで違う感情のようだけれど、同じ根っ子を持っている。悲しみという根っ子があるからこそ、喜びが生まれる。葡萄が酒になるように、悲しみが喜びとなる。

(高見順さん 1907年~1965年 小説家・詩人)

笑顔の中身

世の人々から差別を受け続けた方、大切な人に先立たれた方、人生の先輩から教えてもらったことばです。

人間って面白いよね。本当にうれしい時って悲しいんだよね

人は笑顔の中にどんなにたいへんなことがあっただろうか

人は、自分自身の悲しさと、人間が生きることによって生まれる悲しみを知り、喜怒哀楽すべてのパーツが揃うのではないだろうか。喜怒哀楽すべてを知った人から自然にあふれる表情が、笑顔なのかもしれない。
周囲の人々を惹きつける魅力を持つ人。その人の顔は、喜びにあふれている。けれど、その人自身の内面が、喜びで満たされているわけではない。喜怒哀楽のすべてを、身をもってした経験が、笑顔という表情で表われる。そんな笑顔の背景には、深い悲しみがある。  笑顔と涙は相容れないもののようだけれど、それぞれがきちんとあるから、本当にうれしいときに涙が出る。こころの中に涙をためた笑顔があふれる。

苦をねぎらう

最近、手紙を書いていますか?

手紙を書きながら、「ねぎらう」は 漢字でどう書くんだっけ?と思った。

調べると「労う」だった。

「へぇ~、苦労の労なんだ!」と、ちょっと驚いた。なぜなら、「苦労」とは、「苦を労うこと」「苦を労われること」と読めるから。

なんらかの越えなければならないものを背負いながら頑張っている人、努力している人、耐えている人がいる。その人の姿を目の当たりにしたとき、自ずと「労い」のことばが出る。
他者(ひと)から労いのことばをかけられたとき、私が背負っている苦しさは、「苦労」となる。
誰かに褒めてもらうために頑張っているわけでもないし、耐えているわけでもない。けれど、私が抱える苦しさを分ってくれる人がいるだけで、苦しさは「苦労」となる。
労いのことばは、私から誰かへかけるもの、私が誰かからかけてもらうもの。つまり、自分ひとりのこととしてなされることではない。「苦」を背負うと、ひとりぼっちの感覚に襲われる。けれど、誰かがそばにいてくれる、そんな安心があるだけで、「ちょっと苦労してるんだ」とためらいなく口にすることができる。「苦」と「苦労」は違う。

「若いときの“苦労”は買ってでもせよ」という故事がある。
「若いときの“苦”は買ってでもせよ」ではないんだなぁと思った。

「苦」は、ひとりで背負っているつもりにもなり、誰も助けてくれないと自暴自棄にもなるけれど、「苦労」と感じられるとき、孤独感はない。
「若いときの苦労は買ってでもせよ」という故事は、「私は自分の力でこれだけ頑張った」と、頑張った記憶を蓄積させるため、自負心を養うためのものではない。「苦しいことがあっても、けっして独りではない」と、ひとりで成り立っている世界ではないと、周りに目を開かせてくれることばだと聞こえてきた。
親鸞聖人の遺教と伝わることばが思い起こされる。

 一人居て喜ばば二人と思うべし、
 二人居て喜ばば三人と思うべし、
 その一人は親鸞なり

葡萄は葡萄のままに葡萄酒となる

「ねぎらう」だけではなく、「いたわり」も「労り」と書く。

人間は、関係性のなかに生まれ、生きている。だからこそ、関係性によって「苦」が生じる。けれど、関係性があるからこそ「ねぎらう」「いたわる」という想いも生じる。「苦労」ということばは、人の世は「苦」だけではないと感じた人が生みだしたのではないだろうか。

「苦」を労ってくれる人がいるのと同じように、「悲しみ」を受け止めてくれる人がいて、「悲しみ」が「喜び」となる。「苦」や「悲しみ」の現実がなくなったわけではないけれど、「苦労」や「喜び」になる。青い葡萄が、熟成した葡萄酒になるように。

 

~掲示板の人形~
いつの頃からかうちにいます
楽器を演奏して楽しそうです

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2019年9月 3日 (火)

2019年9月のことば

2019年9月のことば

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もしかしたら、

失うということと、

与えられるということは、

となり同士なのかもしれません

              星野富弘

 

季節は移ろう

7月、恩ある住職が浄土に還られた。彼女の訃報が届いてから葬儀の日まで10日ほどの日があった。彼女の死を、心の中では受け入れているけれど、  横になっている彼女の顔を見ていると、今にも笑顔で起きそうで、死が現実のことなのか嘘なのか分らない気持ちになった。
その10日間は、梅雨寒から夏の暑さへと、気候の変化を感じさせる時期でもあった。
ひとりの恩ある人の死に接し、まるでひとり時間が止まったかのように、人の死について考えていた。けれど、その間も季節は移ろい、気候は変化し、着るものも変わっていった。
私を取り巻く時間が止まっているかのように過ごしていたけれど、すべての物事は変化し続けている。この私も含めて。

そんなことを ふと思ったとき、車を運転する私の耳に、King Gnuの「Don't Stop the Clocks」という曲の詩が飛び込んできた(掲示板8月のことば)。

 春の風 夏の匂い 木々の色めき
 そして今年もまた雪が舞う
 そんな日々を好きになれる
 あなたとなら季節が巡り始める

死は、時間が止まることではなく、 時の移ろい、季節の移ろい、いのちの移ろいの中の、ほんの瞬間に過ぎない。

時の経過の中に身を置いていることを意識的に感じつつ、厳しい暑さを全身に受けながら、8月を過ごしていた。
そんな8月末、お世話になっている お寺の前坊守も浄土に還られた。私が幼い頃から、文字通りお育てをいただいた。うちの娘ふたりも、そのお寺の子ども会でお世話になり、温かい眼差しで包みこんでいただきました。親子共々お世話になりました。ありがとうございます。

死別

人が亡くなることによる別れを「死別」という。“別”れるという字が入っているのだから、「死別」には「失う」という意味も含まれているのだろう。
身近な人、恩ある人との別れは、つらく、悲しく、悔しい思いが湧くこともある。喪失感が私を襲う。
この世に多くのいのちがある中で、そのすべての死についてつらさ悲しさを感じるわけではない。テレビ桟敷で、多くの人々のいのちが奪われたニュースを、食事をしながら他人事のように聞くことがあるかと思えば、一人の人の死に、まるで自分事のようにこころを揺さぶられることもある。
ひとりの人の死が、それほどまでに私のこころを揺さぶるのは、先に往く人から大切な何かをもらい続けていたから。ご恩をいただいてきたから。

 失うことの大きさは、与えられてきたものの大きさでもある。

 与えられてきたものがあるからこそ、失うということがある。

失うものと、与えられるものと、ふたつのものがあるわけではない。与えられたものはつまり失うものであり、失うということはつまり与えられていたということ。事柄はひとつ。いろいろな側面があるだけのこと。

星野富弘さん

星野富弘さんは、1946年、群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に生まれました。
群馬大学教育学部卒業後、夢だった中学校の体育教諭となります。しかし、クラブ活動の指導中、模範演技の際に頸髄を損傷し、首から下の自由を失います。
それから2年ほど経った入院中、 口に筆をくわえて文や絵を創作することを始められました。現在も詩画やエッセイの創作活動をされています。
1991年には、群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に富弘美術館が開館されました。

もしかしたら、

「死別」というと、喪失感の響きが強いけれど、死別とは、与えられていたものの大きさを感じることでもある。
そんなことを想っていた8月下旬、今月掲示している、星野富弘さんのことばに出会いました。

 もしかしたら、
 失うということと、
 
与えられるということは、
 
となり同士なのかもしれません

私は、「もしかしたら、」ということばに強く惹かれました。
「もしかしたら、」というと、予想・想像・推定、あるいは疑いなど、確信を持てないときに使います。けれど、「もしかしたら、」があることによって、星野さんの確信に満ちた感情を感じました。
もし私が病に直面して、不自由な状態に身を置いたとき、喪失感を感じることでしょう。おそらく、星野さんもそうだったのではないでしょうか。けれど星野さんは、創作活動を続けるなかで、失うことと、与えられてあるものが、となり同士であることを感じられた。ある面から見れば「失」かもしれないけれど、それは同時に「得(与)」でもある。首から下の自由は失ったかもしれないけれど、今に至るまでずっと私に与えられ続けているものがある。そういうことを感じた想いが、「もしかしたら、」ということばとして表われたのだと思います。ひとつの大きなものに包みこまれて、今、私がいる。その確信が、「もしかしたら、」ということばから伝わります。

人は、与えられているものによって育てられる。けれど、その与えられているものは、失うことと となり同士である。失うということによってもまた、人は育てられる。

この夏は、別れの夏でもあり、与えられてあるものの大きさを知った夏でもありました。

南無阿弥陀仏

~掲示板の人形~
8月のある日、吉祥寺へ買い物に行き、あるお店に立ち寄ったら、カピバラさんグッズが半額で売っていました!!(商品の入れ替えだったのでしょうか?)
パンダに抱きかかえられるカピバラさん、即買いました。
家に帰って、「9月の掲示板に飾るんだ♪」と子どもたちに見せたら、次女に即奪われました(^∀^)
夏休み中の妻の帰省の際、カピバラさんとパンダさんは、次女に抱かれて飛行機に乗って秋田へ行ってしまいました。
みんな無事に帰ってきて、カピバラさんとパンダさんは9月の掲示板の人形として飾られています。
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2019年8月 3日 (土)

2019年8月のことば

暑いときは暑さのなかを
寒いときは寒さのなかを

暑さの中でも、日影は涼しいものですね
水分も、こまめに補りましょう
ちょっとのことで、からだへの負担を軽減できます
暑さの中 おだいじに

〔2019年8月のことば〕

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春の風 夏の匂い 木々の色めき

そして今年もまた雪が舞う

そんな日々を好きになれる

あなたとなら季節が巡り始める

    King Gnu Don't Stop the Clocks

 

愛別離苦(あいべつりく)

2019年7月7日、大恩ある住職が阿弥陀さまの元へ還られた。59歳でした。

5月27日、ある会議で場を共にしていた。あの日が、彼女と会話を交わした最後の日となった。いつもと同じ笑顔と声だった。
会議も終わり、「じゃあね」「お疲れさまでした」と、すれ違いざまに手を振り合って別れた。あの顔に、もう会えない。あの顔を、忘れない。

住職が体調を崩されているのは聞いていたので、訃報に接しての驚きはなかった。けれど、その日から住職の葬儀までの日々は、とても長く感じられた。横たわる住職の前に行けば「あぁ、現実なんだなぁ」と、その死を受けとめざるを得ず、寺に戻ると、今自分の居る場所が現実なのか虚構なのか分らない気持ちにも襲われた。
通夜・葬儀が勤まり、白骨となった住職を見届け、寺へ戻った。そのとき、「私は、明日をどのようにして迎えるのだろう?」と、普段考えもしないことが、ふと頭の中をよぎった。
当然のことだけれど、夜が明ければ朝が訪れる。朝、いつもの時間に目が覚め、いつものように掃除をし、いつものようにゴミを出し、いつものように妻と娘たちと朝食をいただいた。日常に戻り、いつもと同じように時間が過ぎてゆく。

悲日常という日常
「日常に戻り」と書いたけれど、では、死は「非日常」なのだろうか?

お釈迦さまは、「生死一如」と教えられた。
生も死もひとつのこと。生と死に境はない。死も含めての生であり、生あるからこその死である、と。

蓮如上人は、「朝(あした)には紅顔ありて 夕べには白骨となれる身なり」とお手紙に綴られた。
朝には夢と希望に満ちあふれ、元気な姿を見せていても、その日の夕方には白骨となることもあるいのちを生きていると、人間の、いのちあるものの厳粛な姿を綴られている。

清沢満之先生は、「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり。」と説かれる。
生きている間のみが“私”ではない。  死もまた“私”である。“私”は、生死を合わせ持ちながら生きるものである、と。

日々の生活の中で、滅多に起こらないことが起きたという意味では、死は非日常かもしれない。けれど、仏さまの教えにふれた者にとって、死は非日常ではなく日常のこと。なんら特別なことではない。
この地上に多くの生があるのだから、死もまた同じ数だけある。ただ、そのことに気付かずに生きているだけ。そのことに目を背けながら生きているだけ。だから、「非日常」と思ってしまう。

ご恩を想えば
彼女の死に直面し、もうひとり、忘れ得ない住職がいる。
その住職は、2008年1月26日、55歳のときに浄土へ還られた。

おふたりの住職から、深く大きなご恩をいただいた。若かりし私のわがままを温かく受けとめ、見守り、いつも共にいてくれた。そのご恩のおかげで、今、私がいる。
私は今48歳。残りの人生、どのように始末をつけながら生きていこう。

おふたりの住職からいただいたご恩を思い返している。けれど、ご恩は亡き人からいただいたものではない。
人は、身近な人、大切な人の死をきっかけとして、亡き人からいただいたご恩に感謝をし、亡き人との別れに涙する。そのたびに「もっと生きていてほしかった」「もっと話をしておけばよかった」「こんなに大事な存在だったんだ」と、再び会うこと叶わぬ状態になってから口にする。
ご恩は、共に生きているときにいただいている。亡くなってからいただいたのではない。亡き人からいただいていたご恩に手が合わさるそのときに、今現にいただいているご恩があることも感じられる私でありたい。

今現にいただいているご恩を感じるということは、「日常」ということ。死が非日常であるならば、ご恩の大切さを感じることも非日常になってしまう。生とともにある死が日常であるからこそ、ご恩をいただいてある身であることを感じることができる。

別れは、淋しい。けれど、別れには、それに先立って出会いがある。出会えたからこそ別れがある。この世に生を受け、数えきれないほどの人との出会いがあるにもかかわらず、その別れに涙し、後悔し、感謝するほどの人が、果たしてどれだけいることだろう。
別れに淋しさを感じ、別れに涙する。それほどのご恩をあなたからいただいていた。そんな あなたに出会うことができた。
「生死一如」であるように「会別一如」の身を生きている“私”。

この暑さ厳しい夏もやがて過ぎ行き、木々は色めき、雪の降る寒さに身を震わせる。冬の厳しい寒さを経るからこそ、迎える春の風に温もりを感じられる。いついかなるときも、あなたがともにいてくれるから。   南無阿弥陀仏

~掲示板の人形~
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7月末、子どもたちと初めてスカイツリーへ行き、展望を楽しんできました。
スカイツリーのショップタウン「ソラマチ」を歩いていて、「鳩居堂」のショーウインドウに飾ってあった“水玉デメキン”に一目惚れして買ってきました。

2019年7月 2日 (火)

2019年7月のことば

2019年7月のことば

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光に照らされることによって
 心の闇の深さがわかる
闇を破るはたらきは
 
闇の中からは出て来ない

ホタル祭り
6月中旬、地元の「久我山ホタル祭り」に、娘と娘の友だちと一緒に出かけました。とはいえ、大勢の人が集まる夜道は危ないので、出店の食べ物を食べて、ゲームで遊んで、まだ明るいうちにホタルを見ずに帰ってきました。
ホタル見物の行列が出来る前に、 ホタルが放たれている多摩川浄水沿いの歩道を通りました。
午後6時とはいえまだ明るくて、歩道から玉川上水を見下ろしてもホタルの光は見えませんでした。それでも、子どもたちはお祭気分を味わえて楽しかったようです。

ホタルで思い出しました
もう30年ほど前の話。京都大谷大学在学中、下宿のすぐ近くに疎水が流れていました。夏になると野生のホタルの光が煌々と舞っていました。あまり知られていないスポットだったので、疎水近辺の住人くらいしか集まらず、ゆっくりと静かにホタルの光の動きを眺めることができました。
現在(いま)はSNSで「今、こんなところにいます!」なんて情報を発信拡散する時代。思い出の疎水沿いにも 人だかりが出来ているかもしれません。それとも、もうホタルはいなくなってしまったでしょうか。

光と闇
まだ明るいうちに玉川上水沿いを歩いていて、ホタルの光を目にすることはできませんでした。できませんでしたが、ホタルは現にそこにいます。明るさの中にいると、光に出あうことは難しいものです。
温もりの中にいるときも、人々の手が差しのべられてある私であることにはなかなか想いを馳せることはできません。暗い、悩み苦しみの中にいるときは、ほんの微かな光でさえも、この私を包み込む温もりを感じるものだけれど。
光だけでは光とは認識できません。闇だけでは闇とは認識できません。 闇があるから光とわかる。光があるから闇と気付ける。

矛盾であって矛盾しない
光と闇  善と悪 清と濁 好きと嫌い 嬉しいと悲しい・・・
相反するものの、その良い方ばかりを選び取ろうとするけれど、それは無理な話です。相反するものは、そのお互いがあるからこそ、それぞれを認識する、感じることができるのですから。相反するものがなければ、片方だけを感知することすらできません。
都合の悪い物を無くそうとして、自分が求めるものまでも無くしてしまってはいないでしょうか。

無碍(むげ)の光明は無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する恵日(えにち)
親鸞聖人の言葉です。
「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」
〔何ものにもさまたげられることのない光明(阿弥陀如来の慈悲の光)は、人間が持つ煩悩の闇をうち破る智慧の輝きです(その輝きは、温かくてまぶしい)〕

生きとし生けるものを救いたいと願われた阿弥陀如来の慈悲の心。その慈悲の心を「無碍の光明」「恵日」と、光として表現されています。
一方、阿弥陀如来が救いたいと願う衆生(生きとし生けるもの)は「無明の闇」でできています。「無明」とは、「明るくない」ということ。何に明るくないのか。自分自身のことに明るくない、暗い。つまり自分自身が見えていないということを表わしています。
「自分のことは自分が一番よくわかっている」という無知。自分自身の性格や思考や特徴を分っていないということもあります。けれど、それ以上に厄介なことがあります。「自分はこんなに良いことをしている!」と自負していることが、他者(ひと)を傷つけているという悲しさ。「自分はこんなに頑張っているのに」という思いによって、他者の優しさを 見えなくしているという淋しさ。そんな悲しさや淋しさを感じられないという無明の闇があります。

私は欲を持って生きている。そのこと自体は当然のことです。誰もが皆、欲を持って生きています。欲が悪いもので、欲を無くそうと考える人もいますが、欲を滅する必要はありません。欲とは、「あれが欲しい これが欲しい」「あれはいらない あいつは嫌い」「私の思い通りになってほしい」というものばかりではありません。「平和な世の中になってほしい」「自分のことよりも、あの人が幸せになって欲しい」「お腹が空いた 眠たい 生きたい」ということもまた欲です。欲は、「生きたい」という叫びです。欲は無くすものではなくて、あることを自覚しながら生きるものです。
けれど、そんな自分の欲に、叫びに無自覚で生きているのが私です。「無明の闇」に生きています。

「無明の闇」。自分自身のことが見えずにいる私。見えないがゆえに「自分がやっていることに間違いはない」「自分こそ正しい」と思い込み、悲しさや淋しさを感じることなく生きています。そんな「無明の闇」を、阿弥陀如来の光明は打ち破ります。破られるのですから、心の中で何か大きな音がすることでしょう。ハッと目覚めることでしょう。  目覚めは、内から起こるのではなく、 外からの光によって与えられます。

阿弥陀如来の名を称える声「南無 阿弥陀仏」。私が発する念仏の声は、私自身が打ち破られる音。自分自身が見えていなかった私が、見えていなかったということに目覚める音。

阿弥陀如来の慈悲の心は、あたたかくてまぶしい。あたたかくてまぶしい光に照らされて、私の闇の深さを知らされます。闇を破るはたらきは、私の中からは出て来ません。

 

~掲示板の人形~
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2019年6月 4日 (火)

2019年6月のことば

2019年6月のことば

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やまない雨はないというけれど、
私は今の雨をあびていたい。

 

禍福はあざなえる縄の如し

不安や悲しみの中にいることを雨の中にたとえて「やまない雨はない。いつまでも降り続かないから」と励ます 言葉がある。

他にも、悲しみを夜の闇にたとえて「明けない夜はないから」と言ったり、悲しみを凍えてしまいそうに寒い冬にたとえて「冬が終われば、暖かい春が来るから」と言ったりする。

その通りなのだけど、「雨はやんでも、またいつか降り始める」「夜が明けて日が出ても、また夜が来る」「春になったらなったで花粉症の季節だといって歎き、夏の暑さに辟易とし、秋は淋しいといい、そしてまた冬の寒さを迎えては早く暖かくなるといいなと口にするのに」ということも考えます。

そもそも悲しみという雨がいつやむのか、いつ夜が明けるのか、いつ春が来るのか分かりません。

身も蓋もない話をするようですが、この世界を生きていて、不安や悲しみがなくなるということはありません。その不安や悲しみの原因を他者に求めるけれど、私自身が不安や悲しみを作り出しているうちのひとりでもあります。

「不安や悲しみがなくなるということはありません」と言いましたが、嬉しいこと楽しいことも同様になくなるということはありません。

「禍福はあざなえる縄の如し」という言葉があります。「縄は紐(ひも)をより合わせて作るように、人生は禍(災い)の紐と福(幸せ)の紐がより合わさり、一体となって形作られていく」という意味です。

縄は、紐をつなぎ合わせて作るのではなく、細い紐を何本もより合わせて作ります。このことは、禍福が交互に訪れるわけではなく、禍福は一体である、共にあるということを表わしているのだと思います。

禍福を、個人の身に起こる出来事として捉えたならば、禍の後にはきっと福が訪れると、希望を抱きたくもなります。けれど、私が生きているこの大地には、70億を超える人間が共に生きていて、こんにちに至るまでに数え切れないほどの人々の歩みがあって、人間以外にも多くのいのちが生きています。その現実に想いを馳せれば、お互いにつながり合いながら、影響し合いながら生きているということは容易に想像がつくことです。禍福があざなえる縄の如くにあるということの意味は、個人の身に起こることとしてではなく、人間に、すべてのいのちに禍福が同時に起きていることを訴えているように感じています。

私の日々の生活のために、どれだけの人の手を煩わせていることでしょう。私が喜んでいるそのときに、涙している人がいるのではないだろうか。私が悲しみの中にあるとき、ほくそ笑んでいる人もいれば、共に悲しんでくれている人もいる。私のしていることが、私の存在自体が、誰かを元気づけていることもあるかもしれない。

雨雲が通り過ぎて晴れ間がのぞいたとき、先の雨雲によって雨降られている人がいる。

夜が明けて朝日を浴びているとき、暗闇の中に身を置いている人がいる。

冬が去って春が来て、その暖かさに心落ち着かせているとき、冬の寒さに身を震わせている人がいる。

禍福あざなう世界で、私は私として生きています。「こんな悲しみなければいいのに」と思うことは誰にでもあります。けれど、「こんな悲しみ」も含まれる延長線上で、私は私となりました。

想いを馳せたとき、私の生きている大地は、そもそも雨の中なのだと目が覚めます。雨の中こそ私の生きる場。お互いに関係を持ちながら、影響し合いながら生きているのだから。

傘・・・本尊

雨の中に身を置いている現実に、「いつかこの雨もやむだろう」と待ち続けるわけにはいきません。そのとき手にしたいのは、雨の中に身を置き続けられる傘。つまり、私を守ってくれるもの。

宗教に、雨をやませる力などありません。「あなたは今、雨の中にいます」と気づかせてくれるものです。そして、その雨の中、私と共にあり続けてくれる傘の存在を説き示します。その傘とは本尊、阿弥陀如来。「南無阿弥陀仏」の念仏です。

ひとりがひとりに出遇(あ)う

福島県二本松市に佐々木道範さんという真宗大谷派の僧侶がいます。 原発の事故後、子どもたちのために除染作業等に取り組まれています。彼が話してくれたことが忘れられません。

「原発の事故が起こるまで、私だってイラクの人々・子どもたちの痛み悲しみに無関心でした。でも事故後、他者(ひと)の痛み悲しみを聞くと胸が痛いんですよ。でも、痛み悲しみに出会って、胸が痛みながら生きることが本当に生きることなのかなと思うようになりました。」

「目の前に生きている人間がいるんです。その人と出会って、ひとりがひとりに 出遇っていくしかないんです。出遇ってしまったら忘れられないんです。」

他者の痛みを自分の痛みとして感じる。胸が痛い。けれど、その痛みを感じながら生きてゆくことが、本当に生きることだと感じるようになった。それほどまでに他者の痛みを感じることができるのは、ひとりの人間が、目の前にいるひとりの人間に出遇っているからです。佐々木道範さんから、胸に痛みを感じるほどに人と向き合うということが出遇いなのだと教えられました。いや、本当に人に出遇うからこそ、痛みも伴うのでしょう。享楽は一瞬ですが、痛みは一生です。だから忘れられません。

自分が生きている大地を感じながら、阿弥陀如来と共にありながら、私は 今の雨をあびていたい。南無阿弥陀仏

~掲示板の人形~
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カエルのピクルスくんと、ヤクルトスワローズの応援傘
スワローズの応援傘(マイクロカサ)は、神宮球場で買ってきました。
スワローズ11連敗の夜でした😃

2019年5月 2日 (木)

2019年5月のことば

2019年5月2日(木)を迎えました。
午前中の曇り空&雨の天気から一転、午後はまばゆい日射しが降り注いでいます。

4月30日、「平成」最後の日。
個人的な話ですが、4月30日は あるアクシデントに見舞われ、5月号の寺報をゼロから書き直していました。
世の中が「平成」から「令和」へのカウントダウン盛り上がっていた頃、私は必死で文章を書いて、寺報の絵を描いていました。泣く泣く筆を染めていました。
アクシデントの衝撃が強すぎて立ち直れそうにありませんでしたが、なんとか入稿。48年生きてきて、今まで生きてきた中で一番幸せです。 自分で自分を誉めてあげたいです(^∀^)

2019年5月のことば

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母を呼ぶのは良いことであるからと、母を呼ぶ子はいない
                     正親含英(おおぎ がんえい)

   〔正親含英先生(真宗大谷派僧侶 1895~1969)〕

子どもが母を呼ぶ声は

母を呼ぶことができるのは、母の想いが私に届いているから

母を呼ぶことに損か得かのものさしはない

母を呼ぶことは私自身の存在の証

念仏称える声は

念仏称えることができるのは、阿弥陀の願いが私に届いているから

念仏称えることに損か得かのものさしはない

念仏称えることは私自身の存在の証

「呼ぶ」主体

誰かを「呼ぶ」行為は、呼ぶその人が主体であるかのようだけど、相手がいるからできること。「呼ぶ」行為の主体は、私ではなくて呼ばれる相手。

私へと想いを寄せる母

私を救いたいと願う阿弥陀

私を想っていてくれる人やはたらきの声が私に届き、私は名を呼べる。

名を呼ぶところに、相手と私との関係がひらかれる。念仏称えるところに、阿弥陀と私との関係がひらかれる。

名を呼ぶとき、念仏称えるとき、私自身の存在が証明される。そのとき、母が母となる。阿弥陀が阿弥陀となる。

 

すでに、響き合っている

掲示板のことばに「母」とあるので、「母だけの話なの?」と思った人もいることでしょう。

他者(ひと)と私との関係において、「呼ぶ」という行為には、呼応関係が既にあるのだと思う。「呼ぶ」行為とは、呼ぶ側の一方通行ではなく、呼ばれる方が発する想いや願いや思慕が先にある。呼ぶ方と呼ばれる方と呼応・共感・共鳴の関係がひらかれている。そういう意味では「父」や「友」でもいいのだけれど、呼ぶ声の背景にある広がりが最も大きいのが「母」なのではないだろうか。

掲示板のことばを読んで、母と子の姿を、幼い子とその母親をイメージした人もいることでしょう。

母と子の関係は、お互いが幾つになっても母と子。今20歳の母と3歳の子にしても、100歳の母と80歳の子にしても、母と子。お互いが何歳であろうとも、年の差が幾つであろうとも。

掲示板のことばを読んで、母とは、存命中の母をイメージした人もいることでしょう。

けれど、すでに浄土へ還られた人であっても、母は母。亡き人に対しても、名前を呼べる。亡き母の縁で、私が 「南無阿弥陀仏」と念仏称えたならば、母は母でもあり、仏でもある。

母を呼ぶ、他者(ひと)を呼ぶ、阿弥陀を呼ぶ(念仏を称える)のは、母からの、他者からの、阿弥陀からの呼びかけがあるから。

母が、他者が、阿弥陀が、呼びかけることができるのは、私がいるから。すでに、響き合っている。

「誰かのため」ではなく

私(西蓮寺副住職)は、妻や子どもたちが目の前にいないときでも、名前を呼ぶ声が自然に出て来ます。

なぜだろう? どうしてだろう?

いや、名前を呼ぶのに理由や目的などなくて、妻や子どもたちがいてくれるおかげで、私は名前を呼ぶことができるだけのこと。

誰かがいてくれるおかげで、私はその誰かを呼ぶことができる。

「誰かのため」に呼ぶのではなくて、「誰かのおかげ」で呼ぶことができる。

年令や知恵を重ねると、名前を呼ぶことに損得勘定が入ってしまう。小さな人たちは、何の見返りも求めず母を呼ぶ。澄んだ声に聞こえるはずです。

念仏も、見返りなんてない。私を呼ぶ声「南無阿弥陀仏」。その声が聞こえたから、私は「南無阿弥陀仏」と念仏を称えられる。念仏称えるところに、阿弥陀と私とのつながりが表現されている。

いつでも どこでも どんなときも

親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」と念仏称えることを大切にされました。

念仏は、お内仏(お仏壇)の前でなくても、お墓の前でなくても、お寺の本堂でなくても、日々の生活の中で、いつでも、どこでも、どんなときでも称えることができる。

念仏称えたとき、そこが私の居場所となる。「今、ここ、私」が居場所となる。 「南無阿弥陀仏」

~掲示板の人形~

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京都水族館のくじ引きでゲットしたイルカの親子(親子というわけではなく、大きいのと小さいのを当てたのだけど)
4月29日の永代経法要に合わせたかのように花開いた黄色いボタンとともに。

2019年4月 1日 (月)

2019年4月のことば

2019年4月1日
4月になりました。ぽかぽか陽気で、桜もきれいですね・・・なんて日和を想像していたけれど、寒いです。お風邪を召しませんように。
3月末、膝をつき合わせて話をしておきたい人、事柄が多々あったので、京都へ行ってきました。
思いがけずたくさんの人と、いろいろな話ができました。
メールでも電話でもなく、直接会って話をすることって とても大切だ!!
阿弥陀堂と御影堂で、阿弥陀さま 親鸞さまの前に座ると涙が出るくらいホッとするものです。
行ってよかった。 南無阿弥陀仏(-人-)
おかげで4月の寺報がギリギリになってしまいましたが、なんとかできました(ホッ)
4月、新しい出あいを大切に。もちろん、今までの出あいも含めて。

〔2019年4月のことば〕

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今を生きることで

熱いこころ燃える

だから君はいくんだ

ほほえんで

そうだ うれしいんだ

生きるよろこび

たとえ胸の傷がいたんでも

      やなせたかし (「アンパンマンのマーチ」より)

不安は私のいのち

このような話を聞いたことがあります。ウナギを長距離運ぶとき、全く傷を付けずに丁寧に運ぼうとすると、ウナギは目的地に着く前に死んでしまうそうです。ところが首に傷を付けると目的地まで生きたまま届くそうです。ウナギはキズの痛みに耐え、一生懸命生きようとするのでしょうか。

という文章を、かつて寺報で書いたことを思い出しました。

第7号 1999年3月発行の寺報です。もう20年も前の話になります。文章が未熟です(今もですが)。「ウナギの首ってどこだろう?」などと思いながら、古い寺報を読み返しました。

ちなみに、第7号の掲示板のことばは、

 不安は私のいのち

 苦悩は私の生きがい

 不安や苦悩のない人生はない

 不安や悩みとれたら

 生きがいもない

です。

不安や苦悩なんて無いほうがいいですよね。なにか不安や悩みがあるとき 私たちはその原因を自分の外に考えてしまいます。「あいつさえいなければ」「今の社会状況は最悪だ」等々。それでは仮に自分が考えた不安や悩みの原因が全部無くなったとして、そこに不安や苦悩の無い世界が開けるでしょうか。 おそらく新たな不安や苦悩が訪れるのではないでしょうか。

という文章もまた、当時書いたものです。

不安や苦悩にこころ覆われたとき、「あのとき、あんなことしなければ」と悔いたり、「あのとき、別の行動をとっていれば」と歎いたりしてしまいます。過去に戻れないのは分かっていることなのに。仮に、過去に戻ってやり直せたとしても、私はまた同じようなことを繰り返すことでしょう。

不安や苦悩のない人生はありません。それに、不安や苦悩があるからこそ夢や希望を抱けるのかもしれません。悲喜のすべてがあっての私です。

こころに刻む

「胸の傷」というと痛々しく聞こえる。 けれど、「こころに刻む」や「脳裏に焼き付ける」など、より痛みを伴う表現がある。意味としては「忘れない」「覚えておく」ということだけれど、「この出来事を忘れない」「目の前の光景を覚えておく」という表現では言い尽くせない経験が、「こころに刻む」「脳裏に焼き付ける」と表現させるのだろう。絶対に忘れない、忘れてはならないという覚悟と共に。

「こころに刻む」や「脳裏に焼き付ける」と表現するのは、嬉しい出来事よりも悲しい出来事の方が多いのではないだろうか。

「悲しい出来事はなかったことにしたい」「悲しい気持ちが早く薄らいでほしい」。そのようなセリフを耳にするけれど、絶対に忘れてはいけないことだという気持ちがはたらくのは、悲しい出来事。

いのちが生きよう生きようとするのは、傷がつかないように丁寧に守られた環境ではなく、こころに刻まれるような何かに出あったときなんだ。

あなたを傷つけた私

「胸の傷」のいたみについて考えるとき、自分の胸の傷のことばかり考えていた。

けれど、私があなたにつけた傷もありました。その傷の方がはるかに多くて、はるかに深い。

自分の胸の傷のいたみは感じることができる。傷と共に刻み込まれている悲しい出来事も思い返すことができる。それなのに、私があなたにつけた傷は、傷をつけたことすら分かっていない。ましてや、あなたが感じているいたみなど知る由もない。

「今を生きる」とは、傷と共に生きること。つけられた傷もあれば、あなたにつけた傷もある。自分の胸の傷のいたみだけを感じるのではなく、あなたを傷つけた私ですといういたみを、忘れてはならない。

受け継がれる意志

あなたを傷つけた私。そのことを想うとき、マンガ「ワンピース」の、あるシーンを思い出す(単行本16巻)。

雪の降りしきるドラム王国。国王ワポルは、国民を支配することで国政を担っていた。国内の医者を国の管理下に置き(「イッシー20」)、病気を患った国民は、 ワポルに頭を下げて治療を受けなければならなかった。その国政に抗い、ドクター ヒルルクは、患者の家を訪ねては無償で診察をしていた(しかし、ヤブ医者ゆえ国民からは迷惑がられている)。

ヒルルクの態度に業を煮やしたワポルは、ヒルルクを捕まえて処刑するため、「イッシー20」全員が病に倒れたとデマを流す。

「イッシー20」を治療するため、自身のいのちを顧みず、城に乗り込むヒルルク。

城で待ち受けていたのは、国王ワポルと守備隊、そして健康な「イッシー20」。

自分を捕まえるための罠だったと知ったヒルルクはつぶやいた。

「よかった・・・病人はいねェのか・・・」と。

「ズキッ!!」 ヒルルクのつぶやきを耳にし、胸にいたみをおぼえる守備隊隊長ドルトン。彼は、ワポルの国政に疑問を感じながらも、逆らえずにいた。

捕まって処刑される前に、自ら世を去ったドクター ヒルルク。その姿を脳裏に焼き付けたドルトンは、国王ワポルに立ち向かう・・・

〔掲示板の人形〕

今月は、やなせたかしさんのことばを掲示させていただいたので、アンパンマンとSLマンの人形を掲示しています。

京都で買ってきました(^▽^)

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2019年3月 1日 (金)

2019年3月のことば

3月になりました。年が明けたと思ったら、もう3月だ!なんて言っている方もいるのではないでしょうか。
年末年始などということに関係なく、時は移ろい、いのちも歩みを進めています。日々過ぎ行く時間を、日々あるいのちを大切にしたいものです。
などと想いながらも、あっという間に時が過ぎ行く感覚はなんでしょう? 2月は28日までだったものだから、なおさら早く感じます。寺報等々の締め切りを、普段の月の感覚でいたら、28日までだったことに気付き(分かってはいるんですけどね)、必死で仕上げました。
3月は年度末。春のお彼岸もあります。また、あっという間に過ぎてゆくのでしょう。春の訪れ、花の開花を楽しむ余裕を持って過ごしたいと思います。

   

2019年3月のことば
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 人はいさ 心も知らず
  ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
                       紀貫之

再会
何年ぶりだろう、この里に足を運ぶのは。昔はよく遊びに来ていた。この風景も、空気も、雰囲気も変わってない。懐かしい。
久しぶりに訪れた里で、常宿にしていた宿へ向かう。
あった! 宿の雰囲気も昔と変わらない。仕事も忙しくなり、この里からもしだいに足が遠のいていった。それから今日に至るまで、仕事のことや人間関係のこと、いろいろなことがあった。けれど、宿が目に入った瞬間、言葉で言い表わせないほどホッとした気持ちになった。
私の姿を見つけて、宿の奥から誰かが出てくる。
「え? あ! お久しぶりです。お元気でいらっしゃいましたか?」
宿屋の主人だ。馴染みの声、懐かしい口調。昔と同じだ(笑)
「お久しぶりです」
堅苦しい挨拶もそこそこに宿に通され、会話に花が咲く。昨日「さようなら」を言って別れ、今日また会ったかのように、長い空白期間が、相手の息遣いの中に打ち消されてゆく。
久しぶりに会った緊張感もやわらぎ、宿屋の主人が少しいじわるく言った。
「ずいぶん立派になられましたね。仕事ぶりは、風の噂で知っていました。仕事も私事もうまくいって、この里のことも、この宿のことも、すっかり忘れてしまわれたことでしょう」
そのセリフにふと現実に還る。私に、ではなく、肩書きを持つ私にチヤホヤする者ばかりの人間関係に疲れ果て、気がつけばこの里に足が向いていた。ホッとした気持ちになっていたけれど、現実の波はこの里にも訪れていた…。
そんなとき、梅の芳しい匂いが漂ってきた。目に留った梅の枝を一本折り、私は告げた。

人はいさ 心も知らず
ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

(「人の気持ちは、変わりやすいものです。あなたも、私を懐かしんでくれてはいるけれど、明日になれば、また気持ちも変わるのではないですか? けれど、ここの梅の花の香りは、昔とちっとも変わらない。かつて嗅いだ香りと同じだ。変わらないものが、この世にあるなんて」)

宿屋の主人が嘆息している。しばらくの沈黙の後、主人はつぶやいた。

花だにも おなじ心に 咲くものを
植ゑけむ人の 心しらなむ

(「梅の花でさえ、昔と同じ心のままに咲くというのに、梅の木を植えた私の気持ちも知っていて欲しいものです(たとえあなたが変わろうとも、あなたを想う気持ちに、変わりはありません)」

そのつぶやきを耳にし、私の還る場所が見つかったような気がした。

居場所(ここに居ていいんだ)
『古今和歌集』の選者、『土佐日記』の作者として知られる歌人 紀貫之。
紀貫之は、奈良県の長谷寺参りのため、毎年のようにこの里を訪れ、その度に泊まる宿がありました。しばらく訪れる機会もなく、数年ぶりの長谷寺参りでこの宿を訪ねたときの、紀貫之と宿屋の主人とのやりとりの中で詠まれたのが、今月のことばです。
顔と名前を覚えてもらっている。そこには、私の存在を認めてもらっている安心感があります。名前を呼んでもらえることの嬉しさ。ましてや、数年ぶりに会った相手が私のことを覚えてくれている。生きることに疲れたなかにも、私の「居場所」は、確かにあります。

変わるもの・変わらぬもの
人の気持ちは変わるもの。今日の想いと明日の想いは違う。環境や立場が変われば、想いも変わる。話す相手によって変えていることもあるだろう。
「梅」は、変わらぬものの象徴。「人」は、変わるものの象徴。変わらぬものであっても、変わるものであっても、それぞれ見た者の記憶に留まる。
変わらぬものとして、私の瞼に焼き付けられているもの。美しく芳しい花、夜空に光り輝く月、先往くあなたの姿。
変わるものとして、私の心に刻まれているもの。紀貫之も宿屋の主人も、ふたりの距離が開く(変わる)ことは分かっていた。けれど、だからこそ相手のことが心に刻まれ、忘れ得ない人となっていたのだろう。 つらく悲しい経験が、いつまでも思い起こされるのは、心の修復を試みているから。つらさ悲しさを抱えながらも私は生きている。生きよう生きようとする「こころとからだ」が、傷ついたところを治そう治そうとしている。つまり、私の中で変わろうとしている。だからこそ、いつまでも心の片隅に、忘れられないこととしてある。

阿弥陀さま
最近殊に耳にする事柄。パワハラ・セクハラ・バイトテロ・カスタマーハラスメント・煽り運転・虐待・DV…
ひとつひとつの報道を耳にし、「ひどい奴だ」「いつまでこんなことが続くんだ」と、悲しい気持ちになるけれど、これらの事柄の奥には、承認欲求が満たされないことによって生じる不安感や虚無感が溢れている。
「私はこんなに頑張っているのに、どうして報われないんだ」「あいつより俺の方が優れているのに、どうしてあいつの方が評価されるんだ」
世間から認めてもらえない自分を受け容れることもできず、見つめ直すこともできず、他者を貶めることによって自分の存在意義を高めようとする。そんな意識が他者を傷つけたり、馬鹿にしたりする態度として表出している。
けれど、そのような不安感や虚無感に襲われているのは、実際に他者を傷つけてしまった一部の人たちだけの話ではない。みんな淋しい。
認められている。想われている。名前を呼ばれている。「南無阿弥陀仏」と念仏申すことは、そこに私の居場所があるということ。
梅が、何年も変わらずに私のことを待ち続けてくれているように、阿弥陀さまも、私とともにある。
合わさる手に、南無阿弥陀仏

   

2019年2月 1日 (金)

2019年2月のことば

1月末、娘たちが時期をずらして風邪をひきました。次女が先で、普通の風邪。熱が40度近く出たので、「インフルエンザだね」と妻と言いながら小児科に行ったら、インフル反応出ませんでした。1週間ほど寝てましたが、鼻水ズルズルの風邪でした。次女が治りかけた頃、長女が発熱。でも、熱が出たといっても37度ちょっと。「長女もただの風邪だね」なんて言いながら小児科に行ったら、「インフル出たよ!!」ってお医者さん。あらあら、長女も安静。結局、トータル10日近く子どもたちの看病と、自分たちは うつらないように気を張ってました。1月末にキャンセルできない仕事があったので、頑張りました 長女も快復。まだ油断はできませんが、ひとつ(ふたつか)の山は越えました。皆様もお気を付けください

   

2019年2月のことば

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腹立たば 鏡を出して 顔を見よ
 鬼の顔が ただで見られる

凡夫というは
今月のことばに出会い、親鸞聖人のことばを思い出しました。

「凡夫」は、すなわち、われらなり。 (中略)
凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、 ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと
(『一念多念文意』 真宗聖典544・545頁)

(試訳)
凡夫というものは、煩悩が我が身に満ち満ちています。欲も多くて、怒り、腹立ち、そねみ、ねたみ、それらのこころを多く持っています。しかも、それらのこころが時折顔をのぞかせるのではなく、一瞬の間もなく、臨終のそのときまで止まることがありません、消えることがありません、絶えることがありません。そんな凡夫とは、私のことですと(親鸞聖人は告白されました)

私の中の鬼性
「鬼はそと、福はうち」
「この方角は鬼門だ」
「鬼の目にも涙」
「鬼籍に入る」
「鬼」は、災いの代名詞として表現されています。ということは、「鬼」の正体を、自分以外のものに見るのではないでしょうか。「自分の中に鬼がいる!」「自分自身が鬼だった!」なんて、誰も思いもしないことでしょう。
親鸞聖人のことばを思い出したのは、自分の中にある怒り、腹立ち、そねみ、ねたみのこころ、つまり、自分の中にある鬼性を見ておられるから。
「私ってどういう人間だろう?」と、自分自身を見つめるとき、少しでも自分の良いところを数え上げたくなるものです。自分の欠点を挙げて反省できる人もいるかもしれませんが、臨終の一念にいたるまで私の煩悩がやむことはありませんとまで言い切れるでしょうか。
親鸞聖人は、どうしてそこまで言い切れたのでしょう。それは、阿弥陀如来に支えられているという想いがあるからです。支えられている想いがないと、何も頼るものがなく、寄る辺なくフラフラしたままの状態になります。
「支えられている」と書きました。誰もが既に支えられています。阿弥陀如来を信じた者のみ、支えの手が差し伸べられるのではありません。既に支えられている私です。支えられている想いがある人は、阿弥陀如来がいるという想いの中で迷うことができます。阿弥陀如来に支えられている想いがないと、既に私を支えているものがあることに気付いていないのですから、何も頼るものがない中で迷うことになります。
阿弥陀如来に支えられている想いがあるかないかで、迷い・悩み・苦しみを抱えながら生きていることに変わりはないけれど、物事の見え方や生きざまは変わります。阿弥陀如来に支えられていることを教えられるのが聞法です。どうか仏法聴聞の人生を歩んでください。
阿弥陀如来は、煩悩に覆われ、迷い・悩み・苦しみに沈む私を憐れみ、助けずにはおれないと誓願を建てられました。
煩悩の海に溺れる私を助けたいと願われた阿弥陀如来。その阿弥陀如来を信じるということは、煩悩の海に溺れている自分自身を知るということです。仏法聴聞して阿弥陀の誓願に触れるということは、自己を知ることに通じます。だから、親鸞聖人は自分の中の煩悩性(鬼性)を表現せずにはおれなかったのです。

経は鏡なり
善導大師に、「経教(きょう)はこれを喩(たと)うるに、鏡のごとし」ということばがあります。「お経(お釈迦さまの教え)は、喩えるならば、私を映し出す鏡です」と。
お経は、悩み苦しみを取り除いて くれる有り難いことばではありません。あるがままを説いた当たり前のことばです。けれど、あるがままを受け容れることはなかなか難しいものです。
日常、鏡を見るとき、自分の良い面しか見ません。あるいは、良く見えるように体裁を整えます。鏡に映る自分の姿といっても、自分のお気に入りの所だけ見ていては、私の本当の姿を見ることはできません。
お経のことばに触れる、仏法聴聞するとは、私の本当の姿を映し出してもらうことです。耳障りの良いことばを聞くためでも、自分を正当化するためでもありません。あるがまま、そうなるようにしてなった、つまり、縁をいただいて成った私であることを聞くのです。
そしてもうひとつ。鏡は、光を集めて反射することによって、ものが映ります。同様に、鏡に喩えられる経を通して、阿弥陀如来の光明に照らされている私の姿が見えてきます。
煩悩は、自分で意識しているときだけ現われ出るのではありません。自分で意識していないときも常に煩悩は表出しています。臨終の一念まで煩悩のこころがなくなることがないという親鸞聖人の告白は、いつまでも阿弥陀如来の光明に照らされてある私ですという告白です。
腹が立ち、鬼の形相になったとき、本当は自分が一番つらいはずです。怒りのこころを持ち合わせる自分であるという気付きは、自分で自分に噛みつくような痛みを伴うものですから。とはいえ、怒りのこころを臨終の一念まで持ち合わせるのが私です。阿弥陀如来の支えと共に、私はあります。

   

掲示板の人形
今月は「鬼」が出てくることばだったので、「なまはげ」のお面を飾りました。
といっても、「なまはげ」は「鬼」ではないんですよね。災いを取り除いてくれる、神の使いです。
いつの頃からか、「鬼」と思われるようになりました。
でも、「鬼」だって災いの元ではありません。秀でた才能・能力を持つ者を「鬼」と表現しました。
強いお相撲さんのことを「鬼のように強い」とか、綺麗な人を「鬼のようにかわいい」とか言ったりします。
つまり、「鬼」を災いの代名詞のように言うのは、ひがみややっかみからなのかもしれません。
まさに私の中の「鬼性」です。
ひがみ・やっかみのこころは、臨終の一念まで消えません

妻は、秋田県男鹿の生まれです。「なまはげ」のお面は、かつて弟が送ってくれました。
毎月かわいい人形を楽しみにしている人には、衝撃的でしょうか
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2019年1月 1日 (火)

2019年1月のことば

2019年1月1日 8時に修正会をお勤めし、新しい年をお迎えしました。
本年もよろしくお願い致します。
2019年1月の掲示板のことばは、昨年10月26日に還浄された近田昭夫先生からいただいたことばを掲示させていただきました。
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2019年1月のことば
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 ヒトノタメとも読めますが、
 ヒトノナスとも読めますね。
            近田昭夫

近田昭夫先生
昨年10月26日 真宗大谷派顕真寺前住職 近田昭夫先生が満86歳にて還浄されました。
法名 浄風院釋廣昭

西蓮寺永代経法要や聞法会でもご法話をいただきました。親鸞聖人の教えに真剣に向き合い、自分の言葉で飾らずにお話をされる先生でした。
近田先生には、この寺報「ことば こころのはな」をお送りしていました。先生はいつもお葉書をくださいました。
40歳近く年の離れた私の文章を丁寧に読んでくださり、ご自身の気づきを葉書にしたためてくださいました。そのお姿と手元に遺った葉書は、教えそのものです。親鸞聖人の教えが、先生を通して私に伝わりました。
近田先生、ありがとうございます
 
ヒトノタメ
かつて寺報の文章に書きました。

「人(ひと)の為(ため)と書いたら、偽(いつわり)という字になりました」

どのように受け止められますか?
子どもに注意しているとき、ふと思い出すことがあります。「これって自分が子どものときに言われてたなぁ」って。
「静かにしなさい」
「落ち着きなさい」
「キチンと挨拶しなさい」
あれはダメ! これはダメ! ああしなさい! こうしなさい!
親としては子どものためを思っているつもりでも、果たして本当に子どものためを思って言っているのだろうか。自分にとっての常識を子どもに押し付けてはいないか。周りの目を気にして、子どもの感情や動きを抑えてはいないか。
「あなたのため」という気持ちで発する言動は、本当に「あなたのため」なのだろうか。自分の価値観を中心に置いてはいないか。自分が満足感を得るためではないか。本心はどうあれ、「あなたのため」と思っているあいだは、自分自身を問うことがありません。
「人の為」という気持ちには、「偽」が潜んでいる。そんな気付きが大切だと思いながら書いた言葉でした。

ヒトノナス
そのとき、先生からの葉書には、

「偽という字は、
ヒトノタメとも読めますが、
ヒトノナスとも読めますね」

と書いてありました。葉書を読みながら、胸がチクリと痛みました。
私が為すことは、すべて自分で考え、決断し、行動していると思いがちです。けれど、ここまで生きてきて、私が為したことなど、なにひとつありません。
お釈迦さまは「縁起の道理」を説かれました。この世のいのちや物事、すべての事柄は縁によって成り立っている。あたかも自分で考えて行動しているかのように思い込んでいる行為も、すべて縁に催されてのことです。すべてのいのち さまざまな事柄が絡み合い、その縁によって、私が私となっています
私が縁をいただいているのではありません。縁によって私ができているのです。
自分のことは自分で為しているように思っている。けれど、それが為せるようなご縁があってのことです。そのようなことに想いを馳せることなく、自分の頑張りで生きてきたつもりでいる姿を「偽」と言われたのではないでしょうか。
先生は、そんな「偽」の生き方を否定するのではなく、「有為の奥山(道もなく、越すのも困難な奥山)を歩んでいるわたしです」と結ばれていました。

自分へのクエスチョンマーク
先生は「瞻仰(せんごう)」ということをとても大切にされていました。「瞻仰」とは仰ぎ見るということです。先生は仰っていました。

仏さまに合掌礼拝している方を見ていると、すぐに頭を下げます。礼拝するのに、すぐ頭を下げればいいというものではないと思うのです。せっかくご本尊を仰ぎ見、礼拝するのですから、目線を合わせて、仏さまのおすがたを拝見し、そして拝む。このことを「瞻仰」と言います。仰ぎ見るということは、仏さまの眼に私の目線を合わせるということです。仏さまと目線を合わせるお参りの仕方が身についてきますと、あるとき、ふっと気づくことがあるのです。 「私はこうやって向こうにいる仏さまを拝んでいるけれども、仏さまから見られると、私はいったいどうなっているのかな」ということに。 人間というものは、どんな人でも、 いつの世の人でも、自分の目線、自分の考え方にクエスチョンマークをつけたことがないのです。そのことを、本当に 目覚めさせて救おうというはたらきかけをしてくださっているのが、(阿弥陀)如来さまのはたらきなのです。 (『真宗のご本尊』真宗大谷派東京教務所発行より要出)

自分の目線や考え方にクエスチョン マークを付けたことがない私とは・・・。「あなたのため」と言いながら、自分の価値観に疑いを持たない私。ご縁をいただいてある私なのに、自分で物事を為していると勘違いしながら生きている私。「ヒトノタメ」「ヒトノナス」、まさに「偽」を生きる私でした。
ご本尊を仰ぎ見て、視線を合わせ、拝む。そのことは、自分自身の姿を照らし出していただくことでした。「真」なるものに照らされて、「偽」である私があぶり出されます。  南無阿弥陀仏

   

掲示板の人形
毎年1月恒例の干支人形
2019年はイノシシ年 副住職 年男です。48歳になります
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