西蓮寺掲示板のことば

2019年12月 2日 (月)

2019年12月のことば

2019年も12月を迎えました。
暖かな11月でした。ご本山の報恩講も暖かいなかお参りすることができました。
が、報恩講後半から時期相応に寒くなり、暖かかった分寒さがこたえ、11月末は体調不良に陥りました。寺報を書かねばと思いながらも手に着きませんでした。何とか書き終え、ホッとしています。さて、暮れは印刷所もお休みになってしまうので、新年の寺報も作り始めなければ。
暮れに向かって、皆様体調を整えてお過ごしください。

 ☆ ☆ ☆ 

2019年12月のことば (以下、西蓮寺寺報「ことば こころのはな」の文章です)

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老いも病気じゃないですよ

 

老いも病気じゃないですよ

ネットで次のような投稿に出あいました。

 

優先席で朝から大声でおしゃべり中のおばさん2人組。前に妊婦さんが立ってても

「妊娠は病気じゃないから、年配が座るべきよね」って。

そしたら横に座ってたもっと年配のおじいちゃんが、ニッコリ笑って

「老いも病気じゃないですよ」って妊婦さんに席譲ってた。

おじいちゃんカッコイイ。

 

「老いも病気じゃないですよ」というセリフに感銘を受け、ふと思いました。老いと病気・・・仏教では「生老病死」を「四苦」と教えます。けれど、四苦、四つの苦と教えられながら、「生・老・病・死」ではなく、「生老病死」というひとくくりの苦として捉えてはいなかったか? それこそ、「老いと病気を一緒にしていませんか?」と問われているような気がしました。
「苦」について、あらためて想いを巡らせました。

(しょうく) 生まれること

(所感)「生苦」というと、「自身の、生まれた苦しみ」として受け止めるかもしれません。けれど、虐待のニュースや、妊婦さん・幼いお子さんやその保護者への風当たりの強い現代、「生む」「生まれる」「生きる」ことが苦であるように感じてしまいます。

そもそも、「四苦」の「苦」とは、「苦しいこと」というよりも、「思いどおりにならないこと」を意味します。「生苦」とは、「自分の思いで生まれてきたのではない」「生まれたくて生まれたのではない」という思いを意味します。その思いを出発点として、人として生まれたことの意味をたずねるものです。けれど、思いどおりにならないというイライラを、他者(ひと)への批判や非難としてぶつけてはいないでしょうか。

(ろうく) 老いること

(所感)「老い」というと、いわゆる老人をイメージしがちですが、「老い」とは、すべてのいのちある者に現在進行形で起きている厳粛な事実です。刻一刻と老いている。その事実は、80、90、100歳の方も、生まれたばかりの赤ちゃんも、老いる身を今現に生きていることに変わりはありません。そう考えると、誰もが皆老人です。
若いときは「成長」と呼んで喜び、年を重ねると「老化」と言って抗うのですから、苦しみも深くなります。

(びょうく) 病や痛みの苦しみ

(所感)年が明けると、新年のお参りに出かけ、「健康第一」や「無病息災」を願う方もいることでしょう。けれど、健康を願うあまり、病気になったときの落胆が大きくなることもあります。「今まで出来ていたことが出来なくなってしまった」「健康でなければ生きていてもつまらない」と。

「健康」を願いながら、病気に対する無知や誤解から、病に苦しむ方々への差別心が生じてはいないでしょうか。自身にとって良いことを願うとき、他者の姿が見えなくなることがあります。見えなかったものが見えるようになること。それを「健康」というのだと思う。

(しく) 死ぬことの恐怖や不安

(所感)癌で亡くなられた門徒さんが、生前語っていたことが忘れられません。

「私は死ぬこと自体は怖くないんです。ただ、死ぬまでの間、この癌と共に生きることが怖いんです」と。

死ぬことの恐怖や不安は、生きることの恐怖や不安であることを、その門徒さんの生き様から教わりました。
人(いのち)は、死にゆくものなのか、生き尽くすものなのか。捉え方の違いで、苦の内容も変わります。

 

「四苦八苦」の「八苦」は、「四苦(生老病死)」と「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」をいいます。

(あいべつりく) 愛する者と別れる苦しみ。

(所感)別離という、実際の別れだけでなく、気持ちが離れることも別れでしょう。愛するゆえに憎しみが湧くことがあります。愛が憎しみへと転化する。いや、愛する感情には、憎しみの感情が伴っているのかもしれません。愛憎は、ひとつのものであるがゆえに苦しい。

(おんぞうえく) 怨み憎んでいる者とも会わねばならない苦しみ。

(所感)「愛別離苦」の所感で書いたように、愛に憎しみが伴うならば、憎しみにも愛が伴うもの。怨み憎い奴を、怨み尽くし憎しみきることが出来るならば、それはとても楽なこと。しかし、愛情とは言わなくとも、相手を気遣う気持ちが芽生えることもある。怨み憎い奴なのに、そいつやその家族のことを慮ってしまう。ひとつの感情で生きられたら楽なのかもしれない。けれど、人間はさまざまな感情が複雑に入り混じりながら生きている。「怨憎会苦」は、そんな人間の姿を浮き彫りにしているかのようだ。

(ぐふとくく) 求める物を得られぬ苦しみ。

(所感)求める物が実際に手に入らない苦しみもあるけれど、手に入れてみたら思っていたものと違うという苦しみもある。
地位・名誉・伴侶・家族・財産等々。「こんなはずではなかった」「もっと良いものだと思っていた」「より良いものが欲しくなった」。
人間の欲は、手に入らないときよりも、手に入れてからの方が深くて大きい。

(ごうんじょうく) 心と体が思いどおりにならない苦しみ。

(所感)厳密に言うと、心と体が思いどおりにならないことが苦しいのではなく、心と体への執着が、私を苦しめる。「生・老・病・死」も、それぞれの現象自体が私を苦しめるわけではない。「こうあるべきだ」という執着が、苦しみを生んでいる。
その苦しみを、自分自身の苦しみとして受け止めたならば、「なぜ生まれたのだろう?」「なぜ生きるのだろう?」という人生の問いとして開花するときがくる。けれど、時として自分自身の苦しみを他者への蔑み(さげすみ)や嫉み(ねたみ)として転化してしまうことがある。そのような私の姿に気付いた苦しみが「五蘊盛苦」ではないだろうか。であるならば、「五蘊盛苦」という苦しみを感じずに死にゆくよりも、感じながら生き尽くしたい。

と、ここにも執着が生じている。
「執着」は、決していけないものではない。苦しみを生じさせるとともに、生きていることを痛感させるものでもあるから。

「四苦八苦」も病気じゃないですよ。

~掲示板の人形~
理由(わけ)あって、親と離れて施設で暮らしている子どもたちがいます。そういう施設の子どもたちへ、手作りのサンタクロースをプレゼントしている方が、お寺の近所にいらっしゃいます。
「副住職、お寺さんにサンタさんの人形はおかしいかもしれないけれど、娘さんたちが寺報に描いている絵が大好きなんです。娘さんたちにプレゼントしていいですか?」と声をかけていただき、サンタさんの人形をいただきました。
ありがとうございます。大歓迎でいただきました♡
掲示板にも飾らせていただいています。サンタさんは、サンタさんだけでは意味がないので、子どもの人形も一緒に飾っています^^

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2019年11月 1日 (金)

2019年11月のことば

暖かい11月を迎えています。
台風や暴風雨の傷跡の報告が耳に入るようになってきました。報道の情報だけでも、被害の大きさに胸痛む想いですが、被害に遭われた方・ボランティアに行った方の話を聞き、よりいっそう被害の大きさ・深刻さ・つらさが伝わってきます。
2019年10月31日沖縄県の首里城が火災により全焼しました。琉球の歴史を伝えるシンボル的建造物の焼失は、こころのなかに大きな喪失感を生じさせます。建造物の焼失自体もショックなことですが、琉球の歴史・戦争の記憶・戦後の歴史も刻まれた建造物です。目に見える形での歴史の語り部は焼失しても、そこに刻まれてきた、語り伝えられてきた歴史までもが喪失したわけではありません。首里城焼失のニュースと共に、嫌いな人間を貶めるような、犯人捜しをするような、悲しい発信が散見されます。
こころにポッカリと穴が空いてしまったかのような感情に襲われている方々がいます。その穴を埋める力はありませんが、たとえ現場に行けなくとも、想いを馳せることはできます。憶念のこころを大切にしたく思います。

2019年11月のことば (以下、西蓮寺寺報「ことば こころのはな」の文章です)

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阿弥陀さまに見出されているあなたとわたし

差異(ちがい)障(さわ)りとならない

お大事になさってください

台風19号及びその後の暴風雨により被災された皆様に、お見舞い申し上げます。
10月下旬は、気温の寒暖差も激しく、体調を崩されている方も多いと思います。お大事になさってください。
今年の夏も厳しい暑さでしたが、11月を迎える頃となると、さすがに肌寒くなってきました。そうすると、また暖かさが恋しくなるものですね。
穏やかなときが来ることを願ってやみません。

目に見えないはたらき

今夏、西蓮寺では駐車場のブロック塀を改修してフェンスに建て替えました。長年目にしてきたブロック塀ですが、傾きやぐらつきが出てきたため、急きょ建て替えました。
ブロック塀は、その強度を保つために鉄筋が入っています。セメントを塗るとはいえ、ただブロックを積み上げただけでは塀の安全は保てません。

9月9日の台風15号により、寺の渡り廊下の漆喰が剥離しました。
漆喰の背面には、木や土で作った壁があります。木や土で作った壁がなければ、漆喰を塗り固めることはできません。

また、屋根瓦も数枚吹き飛びました。屋根瓦も、その下には粘着質の葺き土や、横に渡した木があり、それらがあって固定されています。ただ並べただけでは、瓦は簡単に落ちてしまいます。

ブロック塀、漆喰、屋根瓦。今夏のいろいろな出来事によって、外観から見える姿の奥底・背景には、それらを支えるものがあることを再認識しました。土台となる支えがあるからこそ、その周囲を綺麗に、丁寧に、堅固に保つことができます。

人間もまた、目に見えないはたらきによって支えられています。

人は誰もがマイノリティ

昨今、「多様性を認め合おう」というフレーズをよく耳にします。その通りだと思います。けれど、それを声高に叫ばなければならないということは、多様性が認められていない社会である、私であるということの裏返しであるということもまた理解しなければいけません。

「多様性を認め合おう」と言うとき、自分が普通・一般的・正しいという立場に身を置いてはいないだろうか。そのうえで、自分以外の人を排除しないよ、受け容れるよ、という意識であるならば、それは多様性を認めている、認めようとしている態度とはいえません。

人は、一人ひとりそれぞれの縁によって生きています。当然、身を置く環境も一人ひとり違います。物事の考え方も、趣味も、嗜好も一人ひとり違います。突き詰めて考えると、人は、誰もが皆マイノリティ(少数者)なのです。百人いれば百通りの考え方が、感情が、想いがあるものです。

「一人ひとり」ということばを沢山書きました。つまり、みんな違う一人ひとりが集まって、この世の中を、この社会を、この家族を形作っています。多数派の中に少数派がいるのではありません。

お釈迦さまの教え 仏法

「人間もまた、目に見えないはたらきによって支えられています。」

「突き詰めて考えると、人は、誰もが皆マイノリティ(少数者)なのです。」

そういうことを考えていたら、お釈迦さまが説かれたことが、ジワッと染み入ってきました。

身自當之(しんじとうし) 無有代者(むうたいしゃ)

私はこの身を生きています。私のいのちと代わる者は、誰もいません。
私が受ける悲しみも苦痛も、また喜びや平穏も、誰とも代わることはできません。私が、誰かの悲しみや喜びを引き受けることもできません。
この手をじっと見る。誰も代わる者のないいのちを、私は今生きています。この身を生きる者は、私ただひとり。

天上天下(てんじょうてんげ) 唯我独尊(ゆいがどくそん)

お釈迦さま誕生の第一声 「天上天下唯我独尊」
天にも地にも、ただ私はひとりにして尊し。
誰も代わる者のないいのちを生きている。
誰もが、ひとり一人のいのちを生きている。ゆえに誰もが皆尊い。

独生(どくしょう) 独死(どくし) 独去(どっこ) 独来(どくらい)

人は、生まれるときも独り(ひとり)
人は、死ぬときも独り。
ひとり生まれ、ひとり死に往く。

「ひとりで生まれ」ではなく、「ひとり生まれ」。
生まれるためには、父と母の縁があり、そのまた父と母の縁も欠かせない。私が生まれるために、助産の環境も必要です。数多くのはたらきのなか、独り生まれます。誰とも代わる者のないいのちが生まれ、人生を尽くします。

「ひとりで死に往く」ではなく、「ひとり死に往く」。
死ぬためには、生きるということがあります。
生きている間に、どれだけの人や事柄と出会うことだろう。どれだけの人の手を煩わせることだろう。数えられないほどのはたらきのなか、誰とも代わる者のいない、ただひとつのいのちを尽くして往きます。

「独」とは、孤独ということではなく、「ただひとりの私」ということ。私ただひとり。たった一人の私を、誰もが皆生きています。

お釈迦さまの教え、仏法に出あわなくても、動作はしていけます。けれど、お釈迦さまの教えに出あえたならば、目に見えないはたらきによってある私、誰も代わる者のいないいのちを生きている私であることに目覚めて生きられます。

表面の私からは見えない奥底に、お釈迦さまの教えが支えとして、土台として建立(こんりゅう)されています。そのことは、あなたも、わたしも同じ。差異(ちがい)はあっても、障りとはなりません。

~掲示板の人形~
11月21日~28日、ご本山(京都 東本願寺)では報恩講ご勤まります(私も、家族で参拝に参ります ^人^ )。
親鸞聖人のご命日(11月28日)の前後、各地の真宗寺院でも報恩講が勤まります(西蓮寺報恩講は11月5日です)。
11月の掲示板は、親鸞聖人を中心に、たくさんの人形がいます。年々賑やかになっていくような^^
南無阿弥陀仏
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2019年10月 1日 (火)

2019年10月のことば

2019年も10月を迎えました。報恩講をお勤めする季節となり、ワクワクしてきました。
けれど、まだ暑いですね。夏の疲れが出る頃でもあり、インフルエンザの兆しも出ています。
おからだお大事になさってください。

2019年10月のことば

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葡萄に種子があるように

私の胸に悲しみがある

青い葡萄が酒になるように

私の胸の悲しみよ 喜びになれ

                高見順

葡萄は葡萄のままに

 葡萄に種子があるように

 私の胸に悲しみがある

現代(いま)では「種なし葡萄」なるものもあるけれど、

現代(いま)といえど、「悲しみなし私」を作ることはできない。

人間の理想や欲望に応える形で科学技術や医療が発展してきた。にもかかわらず、科学や医療の発展は、必ずしも悲しみをなくすものではなかった。
人間の理想や欲望に応える形で発展する世の中は、ひとつ欲望が叶えば、それに伴って、より多くの困難や破壊が待ち構えている。その悲しみ、人間が生きることによって生まれる悲しみは、葡萄の種をなくすように消し去ることはできない。

 青い葡萄が酒になるように

 私の胸の悲しみよ 喜びになれ

葡萄の果汁が発酵して葡萄酒になる。見た目は違うけれど、どちらも葡萄。お酒になっても、葡萄は葡萄。
私の胸を締め付ける悲しみ。その悲しみが無くなって喜びが溢れるわけではない。悲しみと喜びは、まるで違う感情のようだけれど、同じ根っ子を持っている。悲しみという根っ子があるからこそ、喜びが生まれる。葡萄が酒になるように、悲しみが喜びとなる。

(高見順さん 1907年~1965年 小説家・詩人)

笑顔の中身

世の人々から差別を受け続けた方、大切な人に先立たれた方、人生の先輩から教えてもらったことばです。

人間って面白いよね。本当にうれしい時って悲しいんだよね

人は笑顔の中にどんなにたいへんなことがあっただろうか

人は、自分自身の悲しさと、人間が生きることによって生まれる悲しみを知り、喜怒哀楽すべてのパーツが揃うのではないだろうか。喜怒哀楽すべてを知った人から自然にあふれる表情が、笑顔なのかもしれない。
周囲の人々を惹きつける魅力を持つ人。その人の顔は、喜びにあふれている。けれど、その人自身の内面が、喜びで満たされているわけではない。喜怒哀楽のすべてを、身をもってした経験が、笑顔という表情で表われる。そんな笑顔の背景には、深い悲しみがある。  笑顔と涙は相容れないもののようだけれど、それぞれがきちんとあるから、本当にうれしいときに涙が出る。こころの中に涙をためた笑顔があふれる。

苦をねぎらう

最近、手紙を書いていますか?

手紙を書きながら、「ねぎらう」は 漢字でどう書くんだっけ?と思った。

調べると「労う」だった。

「へぇ~、苦労の労なんだ!」と、ちょっと驚いた。なぜなら、「苦労」とは、「苦を労うこと」「苦を労われること」と読めるから。

なんらかの越えなければならないものを背負いながら頑張っている人、努力している人、耐えている人がいる。その人の姿を目の当たりにしたとき、自ずと「労い」のことばが出る。
他者(ひと)から労いのことばをかけられたとき、私が背負っている苦しさは、「苦労」となる。
誰かに褒めてもらうために頑張っているわけでもないし、耐えているわけでもない。けれど、私が抱える苦しさを分ってくれる人がいるだけで、苦しさは「苦労」となる。
労いのことばは、私から誰かへかけるもの、私が誰かからかけてもらうもの。つまり、自分ひとりのこととしてなされることではない。「苦」を背負うと、ひとりぼっちの感覚に襲われる。けれど、誰かがそばにいてくれる、そんな安心があるだけで、「ちょっと苦労してるんだ」とためらいなく口にすることができる。「苦」と「苦労」は違う。

「若いときの“苦労”は買ってでもせよ」という故事がある。
「若いときの“苦”は買ってでもせよ」ではないんだなぁと思った。

「苦」は、ひとりで背負っているつもりにもなり、誰も助けてくれないと自暴自棄にもなるけれど、「苦労」と感じられるとき、孤独感はない。
「若いときの苦労は買ってでもせよ」という故事は、「私は自分の力でこれだけ頑張った」と、頑張った記憶を蓄積させるため、自負心を養うためのものではない。「苦しいことがあっても、けっして独りではない」と、ひとりで成り立っている世界ではないと、周りに目を開かせてくれることばだと聞こえてきた。
親鸞聖人の遺教と伝わることばが思い起こされる。

 一人居て喜ばば二人と思うべし、
 二人居て喜ばば三人と思うべし、
 その一人は親鸞なり

葡萄は葡萄のままに葡萄酒となる

「ねぎらう」だけではなく、「いたわり」も「労り」と書く。

人間は、関係性のなかに生まれ、生きている。だからこそ、関係性によって「苦」が生じる。けれど、関係性があるからこそ「ねぎらう」「いたわる」という想いも生じる。「苦労」ということばは、人の世は「苦」だけではないと感じた人が生みだしたのではないだろうか。

「苦」を労ってくれる人がいるのと同じように、「悲しみ」を受け止めてくれる人がいて、「悲しみ」が「喜び」となる。「苦」や「悲しみ」の現実がなくなったわけではないけれど、「苦労」や「喜び」になる。青い葡萄が、熟成した葡萄酒になるように。

 

~掲示板の人形~
いつの頃からかうちにいます
楽器を演奏して楽しそうです

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2019年9月 3日 (火)

2019年9月のことば

2019年9月のことば

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もしかしたら、

失うということと、

与えられるということは、

となり同士なのかもしれません

              星野富弘

 

季節は移ろう

7月、恩ある住職が浄土に還られた。彼女の訃報が届いてから葬儀の日まで10日ほどの日があった。彼女の死を、心の中では受け入れているけれど、  横になっている彼女の顔を見ていると、今にも笑顔で起きそうで、死が現実のことなのか嘘なのか分らない気持ちになった。
その10日間は、梅雨寒から夏の暑さへと、気候の変化を感じさせる時期でもあった。
ひとりの恩ある人の死に接し、まるでひとり時間が止まったかのように、人の死について考えていた。けれど、その間も季節は移ろい、気候は変化し、着るものも変わっていった。
私を取り巻く時間が止まっているかのように過ごしていたけれど、すべての物事は変化し続けている。この私も含めて。

そんなことを ふと思ったとき、車を運転する私の耳に、King Gnuの「Don't Stop the Clocks」という曲の詩が飛び込んできた(掲示板8月のことば)。

 春の風 夏の匂い 木々の色めき
 そして今年もまた雪が舞う
 そんな日々を好きになれる
 あなたとなら季節が巡り始める

死は、時間が止まることではなく、 時の移ろい、季節の移ろい、いのちの移ろいの中の、ほんの瞬間に過ぎない。

時の経過の中に身を置いていることを意識的に感じつつ、厳しい暑さを全身に受けながら、8月を過ごしていた。
そんな8月末、お世話になっている お寺の前坊守も浄土に還られた。私が幼い頃から、文字通りお育てをいただいた。うちの娘ふたりも、そのお寺の子ども会でお世話になり、温かい眼差しで包みこんでいただきました。親子共々お世話になりました。ありがとうございます。

死別

人が亡くなることによる別れを「死別」という。“別”れるという字が入っているのだから、「死別」には「失う」という意味も含まれているのだろう。
身近な人、恩ある人との別れは、つらく、悲しく、悔しい思いが湧くこともある。喪失感が私を襲う。
この世に多くのいのちがある中で、そのすべての死についてつらさ悲しさを感じるわけではない。テレビ桟敷で、多くの人々のいのちが奪われたニュースを、食事をしながら他人事のように聞くことがあるかと思えば、一人の人の死に、まるで自分事のようにこころを揺さぶられることもある。
ひとりの人の死が、それほどまでに私のこころを揺さぶるのは、先に往く人から大切な何かをもらい続けていたから。ご恩をいただいてきたから。

 失うことの大きさは、与えられてきたものの大きさでもある。

 与えられてきたものがあるからこそ、失うということがある。

失うものと、与えられるものと、ふたつのものがあるわけではない。与えられたものはつまり失うものであり、失うということはつまり与えられていたということ。事柄はひとつ。いろいろな側面があるだけのこと。

星野富弘さん

星野富弘さんは、1946年、群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に生まれました。
群馬大学教育学部卒業後、夢だった中学校の体育教諭となります。しかし、クラブ活動の指導中、模範演技の際に頸髄を損傷し、首から下の自由を失います。
それから2年ほど経った入院中、 口に筆をくわえて文や絵を創作することを始められました。現在も詩画やエッセイの創作活動をされています。
1991年には、群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に富弘美術館が開館されました。

もしかしたら、

「死別」というと、喪失感の響きが強いけれど、死別とは、与えられていたものの大きさを感じることでもある。
そんなことを想っていた8月下旬、今月掲示している、星野富弘さんのことばに出会いました。

 もしかしたら、
 失うということと、
 
与えられるということは、
 
となり同士なのかもしれません

私は、「もしかしたら、」ということばに強く惹かれました。
「もしかしたら、」というと、予想・想像・推定、あるいは疑いなど、確信を持てないときに使います。けれど、「もしかしたら、」があることによって、星野さんの確信に満ちた感情を感じました。
もし私が病に直面して、不自由な状態に身を置いたとき、喪失感を感じることでしょう。おそらく、星野さんもそうだったのではないでしょうか。けれど星野さんは、創作活動を続けるなかで、失うことと、与えられてあるものが、となり同士であることを感じられた。ある面から見れば「失」かもしれないけれど、それは同時に「得(与)」でもある。首から下の自由は失ったかもしれないけれど、今に至るまでずっと私に与えられ続けているものがある。そういうことを感じた想いが、「もしかしたら、」ということばとして表われたのだと思います。ひとつの大きなものに包みこまれて、今、私がいる。その確信が、「もしかしたら、」ということばから伝わります。

人は、与えられているものによって育てられる。けれど、その与えられているものは、失うことと となり同士である。失うということによってもまた、人は育てられる。

この夏は、別れの夏でもあり、与えられてあるものの大きさを知った夏でもありました。

南無阿弥陀仏

~掲示板の人形~
8月のある日、吉祥寺へ買い物に行き、あるお店に立ち寄ったら、カピバラさんグッズが半額で売っていました!!(商品の入れ替えだったのでしょうか?)
パンダに抱きかかえられるカピバラさん、即買いました。
家に帰って、「9月の掲示板に飾るんだ♪」と子どもたちに見せたら、次女に即奪われました(^∀^)
夏休み中の妻の帰省の際、カピバラさんとパンダさんは、次女に抱かれて飛行機に乗って秋田へ行ってしまいました。
みんな無事に帰ってきて、カピバラさんとパンダさんは9月の掲示板の人形として飾られています。
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2019年8月 3日 (土)

2019年8月のことば

暑いときは暑さのなかを
寒いときは寒さのなかを

暑さの中でも、日影は涼しいものですね
水分も、こまめに補りましょう
ちょっとのことで、からだへの負担を軽減できます
暑さの中 おだいじに

〔2019年8月のことば〕

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春の風 夏の匂い 木々の色めき

そして今年もまた雪が舞う

そんな日々を好きになれる

あなたとなら季節が巡り始める

    King Gnu Don't Stop the Clocks

 

愛別離苦(あいべつりく)

2019年7月7日、大恩ある住職が阿弥陀さまの元へ還られた。59歳でした。

5月27日、ある会議で場を共にしていた。あの日が、彼女と会話を交わした最後の日となった。いつもと同じ笑顔と声だった。
会議も終わり、「じゃあね」「お疲れさまでした」と、すれ違いざまに手を振り合って別れた。あの顔に、もう会えない。あの顔を、忘れない。

住職が体調を崩されているのは聞いていたので、訃報に接しての驚きはなかった。けれど、その日から住職の葬儀までの日々は、とても長く感じられた。横たわる住職の前に行けば「あぁ、現実なんだなぁ」と、その死を受けとめざるを得ず、寺に戻ると、今自分の居る場所が現実なのか虚構なのか分らない気持ちにも襲われた。
通夜・葬儀が勤まり、白骨となった住職を見届け、寺へ戻った。そのとき、「私は、明日をどのようにして迎えるのだろう?」と、普段考えもしないことが、ふと頭の中をよぎった。
当然のことだけれど、夜が明ければ朝が訪れる。朝、いつもの時間に目が覚め、いつものように掃除をし、いつものようにゴミを出し、いつものように妻と娘たちと朝食をいただいた。日常に戻り、いつもと同じように時間が過ぎてゆく。

悲日常という日常
「日常に戻り」と書いたけれど、では、死は「非日常」なのだろうか?

お釈迦さまは、「生死一如」と教えられた。
生も死もひとつのこと。生と死に境はない。死も含めての生であり、生あるからこその死である、と。

蓮如上人は、「朝(あした)には紅顔ありて 夕べには白骨となれる身なり」とお手紙に綴られた。
朝には夢と希望に満ちあふれ、元気な姿を見せていても、その日の夕方には白骨となることもあるいのちを生きていると、人間の、いのちあるものの厳粛な姿を綴られている。

清沢満之先生は、「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり。」と説かれる。
生きている間のみが“私”ではない。  死もまた“私”である。“私”は、生死を合わせ持ちながら生きるものである、と。

日々の生活の中で、滅多に起こらないことが起きたという意味では、死は非日常かもしれない。けれど、仏さまの教えにふれた者にとって、死は非日常ではなく日常のこと。なんら特別なことではない。
この地上に多くの生があるのだから、死もまた同じ数だけある。ただ、そのことに気付かずに生きているだけ。そのことに目を背けながら生きているだけ。だから、「非日常」と思ってしまう。

ご恩を想えば
彼女の死に直面し、もうひとり、忘れ得ない住職がいる。
その住職は、2008年1月26日、55歳のときに浄土へ還られた。

おふたりの住職から、深く大きなご恩をいただいた。若かりし私のわがままを温かく受けとめ、見守り、いつも共にいてくれた。そのご恩のおかげで、今、私がいる。
私は今48歳。残りの人生、どのように始末をつけながら生きていこう。

おふたりの住職からいただいたご恩を思い返している。けれど、ご恩は亡き人からいただいたものではない。
人は、身近な人、大切な人の死をきっかけとして、亡き人からいただいたご恩に感謝をし、亡き人との別れに涙する。そのたびに「もっと生きていてほしかった」「もっと話をしておけばよかった」「こんなに大事な存在だったんだ」と、再び会うこと叶わぬ状態になってから口にする。
ご恩は、共に生きているときにいただいている。亡くなってからいただいたのではない。亡き人からいただいていたご恩に手が合わさるそのときに、今現にいただいているご恩があることも感じられる私でありたい。

今現にいただいているご恩を感じるということは、「日常」ということ。死が非日常であるならば、ご恩の大切さを感じることも非日常になってしまう。生とともにある死が日常であるからこそ、ご恩をいただいてある身であることを感じることができる。

別れは、淋しい。けれど、別れには、それに先立って出会いがある。出会えたからこそ別れがある。この世に生を受け、数えきれないほどの人との出会いがあるにもかかわらず、その別れに涙し、後悔し、感謝するほどの人が、果たしてどれだけいることだろう。
別れに淋しさを感じ、別れに涙する。それほどのご恩をあなたからいただいていた。そんな あなたに出会うことができた。
「生死一如」であるように「会別一如」の身を生きている“私”。

この暑さ厳しい夏もやがて過ぎ行き、木々は色めき、雪の降る寒さに身を震わせる。冬の厳しい寒さを経るからこそ、迎える春の風に温もりを感じられる。いついかなるときも、あなたがともにいてくれるから。   南無阿弥陀仏

~掲示板の人形~
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7月末、子どもたちと初めてスカイツリーへ行き、展望を楽しんできました。
スカイツリーのショップタウン「ソラマチ」を歩いていて、「鳩居堂」のショーウインドウに飾ってあった“水玉デメキン”に一目惚れして買ってきました。

2019年7月 2日 (火)

2019年7月のことば

2019年7月のことば

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光に照らされることによって
 心の闇の深さがわかる
闇を破るはたらきは
 
闇の中からは出て来ない

ホタル祭り
6月中旬、地元の「久我山ホタル祭り」に、娘と娘の友だちと一緒に出かけました。とはいえ、大勢の人が集まる夜道は危ないので、出店の食べ物を食べて、ゲームで遊んで、まだ明るいうちにホタルを見ずに帰ってきました。
ホタル見物の行列が出来る前に、 ホタルが放たれている多摩川浄水沿いの歩道を通りました。
午後6時とはいえまだ明るくて、歩道から玉川上水を見下ろしてもホタルの光は見えませんでした。それでも、子どもたちはお祭気分を味わえて楽しかったようです。

ホタルで思い出しました
もう30年ほど前の話。京都大谷大学在学中、下宿のすぐ近くに疎水が流れていました。夏になると野生のホタルの光が煌々と舞っていました。あまり知られていないスポットだったので、疎水近辺の住人くらいしか集まらず、ゆっくりと静かにホタルの光の動きを眺めることができました。
現在(いま)はSNSで「今、こんなところにいます!」なんて情報を発信拡散する時代。思い出の疎水沿いにも 人だかりが出来ているかもしれません。それとも、もうホタルはいなくなってしまったでしょうか。

光と闇
まだ明るいうちに玉川上水沿いを歩いていて、ホタルの光を目にすることはできませんでした。できませんでしたが、ホタルは現にそこにいます。明るさの中にいると、光に出あうことは難しいものです。
温もりの中にいるときも、人々の手が差しのべられてある私であることにはなかなか想いを馳せることはできません。暗い、悩み苦しみの中にいるときは、ほんの微かな光でさえも、この私を包み込む温もりを感じるものだけれど。
光だけでは光とは認識できません。闇だけでは闇とは認識できません。 闇があるから光とわかる。光があるから闇と気付ける。

矛盾であって矛盾しない
光と闇  善と悪 清と濁 好きと嫌い 嬉しいと悲しい・・・
相反するものの、その良い方ばかりを選び取ろうとするけれど、それは無理な話です。相反するものは、そのお互いがあるからこそ、それぞれを認識する、感じることができるのですから。相反するものがなければ、片方だけを感知することすらできません。
都合の悪い物を無くそうとして、自分が求めるものまでも無くしてしまってはいないでしょうか。

無碍(むげ)の光明は無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する恵日(えにち)
親鸞聖人の言葉です。
「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」
〔何ものにもさまたげられることのない光明(阿弥陀如来の慈悲の光)は、人間が持つ煩悩の闇をうち破る智慧の輝きです(その輝きは、温かくてまぶしい)〕

生きとし生けるものを救いたいと願われた阿弥陀如来の慈悲の心。その慈悲の心を「無碍の光明」「恵日」と、光として表現されています。
一方、阿弥陀如来が救いたいと願う衆生(生きとし生けるもの)は「無明の闇」でできています。「無明」とは、「明るくない」ということ。何に明るくないのか。自分自身のことに明るくない、暗い。つまり自分自身が見えていないということを表わしています。
「自分のことは自分が一番よくわかっている」という無知。自分自身の性格や思考や特徴を分っていないということもあります。けれど、それ以上に厄介なことがあります。「自分はこんなに良いことをしている!」と自負していることが、他者(ひと)を傷つけているという悲しさ。「自分はこんなに頑張っているのに」という思いによって、他者の優しさを 見えなくしているという淋しさ。そんな悲しさや淋しさを感じられないという無明の闇があります。

私は欲を持って生きている。そのこと自体は当然のことです。誰もが皆、欲を持って生きています。欲が悪いもので、欲を無くそうと考える人もいますが、欲を滅する必要はありません。欲とは、「あれが欲しい これが欲しい」「あれはいらない あいつは嫌い」「私の思い通りになってほしい」というものばかりではありません。「平和な世の中になってほしい」「自分のことよりも、あの人が幸せになって欲しい」「お腹が空いた 眠たい 生きたい」ということもまた欲です。欲は、「生きたい」という叫びです。欲は無くすものではなくて、あることを自覚しながら生きるものです。
けれど、そんな自分の欲に、叫びに無自覚で生きているのが私です。「無明の闇」に生きています。

「無明の闇」。自分自身のことが見えずにいる私。見えないがゆえに「自分がやっていることに間違いはない」「自分こそ正しい」と思い込み、悲しさや淋しさを感じることなく生きています。そんな「無明の闇」を、阿弥陀如来の光明は打ち破ります。破られるのですから、心の中で何か大きな音がすることでしょう。ハッと目覚めることでしょう。  目覚めは、内から起こるのではなく、 外からの光によって与えられます。

阿弥陀如来の名を称える声「南無 阿弥陀仏」。私が発する念仏の声は、私自身が打ち破られる音。自分自身が見えていなかった私が、見えていなかったということに目覚める音。

阿弥陀如来の慈悲の心は、あたたかくてまぶしい。あたたかくてまぶしい光に照らされて、私の闇の深さを知らされます。闇を破るはたらきは、私の中からは出て来ません。

 

~掲示板の人形~
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2019年6月 4日 (火)

2019年6月のことば

2019年6月のことば

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やまない雨はないというけれど、
私は今の雨をあびていたい。

 

禍福はあざなえる縄の如し

不安や悲しみの中にいることを雨の中にたとえて「やまない雨はない。いつまでも降り続かないから」と励ます 言葉がある。

他にも、悲しみを夜の闇にたとえて「明けない夜はないから」と言ったり、悲しみを凍えてしまいそうに寒い冬にたとえて「冬が終われば、暖かい春が来るから」と言ったりする。

その通りなのだけど、「雨はやんでも、またいつか降り始める」「夜が明けて日が出ても、また夜が来る」「春になったらなったで花粉症の季節だといって歎き、夏の暑さに辟易とし、秋は淋しいといい、そしてまた冬の寒さを迎えては早く暖かくなるといいなと口にするのに」ということも考えます。

そもそも悲しみという雨がいつやむのか、いつ夜が明けるのか、いつ春が来るのか分かりません。

身も蓋もない話をするようですが、この世界を生きていて、不安や悲しみがなくなるということはありません。その不安や悲しみの原因を他者に求めるけれど、私自身が不安や悲しみを作り出しているうちのひとりでもあります。

「不安や悲しみがなくなるということはありません」と言いましたが、嬉しいこと楽しいことも同様になくなるということはありません。

「禍福はあざなえる縄の如し」という言葉があります。「縄は紐(ひも)をより合わせて作るように、人生は禍(災い)の紐と福(幸せ)の紐がより合わさり、一体となって形作られていく」という意味です。

縄は、紐をつなぎ合わせて作るのではなく、細い紐を何本もより合わせて作ります。このことは、禍福が交互に訪れるわけではなく、禍福は一体である、共にあるということを表わしているのだと思います。

禍福を、個人の身に起こる出来事として捉えたならば、禍の後にはきっと福が訪れると、希望を抱きたくもなります。けれど、私が生きているこの大地には、70億を超える人間が共に生きていて、こんにちに至るまでに数え切れないほどの人々の歩みがあって、人間以外にも多くのいのちが生きています。その現実に想いを馳せれば、お互いにつながり合いながら、影響し合いながら生きているということは容易に想像がつくことです。禍福があざなえる縄の如くにあるということの意味は、個人の身に起こることとしてではなく、人間に、すべてのいのちに禍福が同時に起きていることを訴えているように感じています。

私の日々の生活のために、どれだけの人の手を煩わせていることでしょう。私が喜んでいるそのときに、涙している人がいるのではないだろうか。私が悲しみの中にあるとき、ほくそ笑んでいる人もいれば、共に悲しんでくれている人もいる。私のしていることが、私の存在自体が、誰かを元気づけていることもあるかもしれない。

雨雲が通り過ぎて晴れ間がのぞいたとき、先の雨雲によって雨降られている人がいる。

夜が明けて朝日を浴びているとき、暗闇の中に身を置いている人がいる。

冬が去って春が来て、その暖かさに心落ち着かせているとき、冬の寒さに身を震わせている人がいる。

禍福あざなう世界で、私は私として生きています。「こんな悲しみなければいいのに」と思うことは誰にでもあります。けれど、「こんな悲しみ」も含まれる延長線上で、私は私となりました。

想いを馳せたとき、私の生きている大地は、そもそも雨の中なのだと目が覚めます。雨の中こそ私の生きる場。お互いに関係を持ちながら、影響し合いながら生きているのだから。

傘・・・本尊

雨の中に身を置いている現実に、「いつかこの雨もやむだろう」と待ち続けるわけにはいきません。そのとき手にしたいのは、雨の中に身を置き続けられる傘。つまり、私を守ってくれるもの。

宗教に、雨をやませる力などありません。「あなたは今、雨の中にいます」と気づかせてくれるものです。そして、その雨の中、私と共にあり続けてくれる傘の存在を説き示します。その傘とは本尊、阿弥陀如来。「南無阿弥陀仏」の念仏です。

ひとりがひとりに出遇(あ)う

福島県二本松市に佐々木道範さんという真宗大谷派の僧侶がいます。 原発の事故後、子どもたちのために除染作業等に取り組まれています。彼が話してくれたことが忘れられません。

「原発の事故が起こるまで、私だってイラクの人々・子どもたちの痛み悲しみに無関心でした。でも事故後、他者(ひと)の痛み悲しみを聞くと胸が痛いんですよ。でも、痛み悲しみに出会って、胸が痛みながら生きることが本当に生きることなのかなと思うようになりました。」

「目の前に生きている人間がいるんです。その人と出会って、ひとりがひとりに 出遇っていくしかないんです。出遇ってしまったら忘れられないんです。」

他者の痛みを自分の痛みとして感じる。胸が痛い。けれど、その痛みを感じながら生きてゆくことが、本当に生きることだと感じるようになった。それほどまでに他者の痛みを感じることができるのは、ひとりの人間が、目の前にいるひとりの人間に出遇っているからです。佐々木道範さんから、胸に痛みを感じるほどに人と向き合うということが出遇いなのだと教えられました。いや、本当に人に出遇うからこそ、痛みも伴うのでしょう。享楽は一瞬ですが、痛みは一生です。だから忘れられません。

自分が生きている大地を感じながら、阿弥陀如来と共にありながら、私は 今の雨をあびていたい。南無阿弥陀仏

~掲示板の人形~
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カエルのピクルスくんと、ヤクルトスワローズの応援傘
スワローズの応援傘(マイクロカサ)は、神宮球場で買ってきました。
スワローズ11連敗の夜でした😃

2019年5月 2日 (木)

2019年5月のことば

2019年5月2日(木)を迎えました。
午前中の曇り空&雨の天気から一転、午後はまばゆい日射しが降り注いでいます。

4月30日、「平成」最後の日。
個人的な話ですが、4月30日は あるアクシデントに見舞われ、5月号の寺報をゼロから書き直していました。
世の中が「平成」から「令和」へのカウントダウン盛り上がっていた頃、私は必死で文章を書いて、寺報の絵を描いていました。泣く泣く筆を染めていました。
アクシデントの衝撃が強すぎて立ち直れそうにありませんでしたが、なんとか入稿。48年生きてきて、今まで生きてきた中で一番幸せです。 自分で自分を誉めてあげたいです(^∀^)

2019年5月のことば

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母を呼ぶのは良いことであるからと、母を呼ぶ子はいない
                     正親含英(おおぎ がんえい)

   〔正親含英先生(真宗大谷派僧侶 1895~1969)〕

子どもが母を呼ぶ声は

母を呼ぶことができるのは、母の想いが私に届いているから

母を呼ぶことに損か得かのものさしはない

母を呼ぶことは私自身の存在の証

念仏称える声は

念仏称えることができるのは、阿弥陀の願いが私に届いているから

念仏称えることに損か得かのものさしはない

念仏称えることは私自身の存在の証

「呼ぶ」主体

誰かを「呼ぶ」行為は、呼ぶその人が主体であるかのようだけど、相手がいるからできること。「呼ぶ」行為の主体は、私ではなくて呼ばれる相手。

私へと想いを寄せる母

私を救いたいと願う阿弥陀

私を想っていてくれる人やはたらきの声が私に届き、私は名を呼べる。

名を呼ぶところに、相手と私との関係がひらかれる。念仏称えるところに、阿弥陀と私との関係がひらかれる。

名を呼ぶとき、念仏称えるとき、私自身の存在が証明される。そのとき、母が母となる。阿弥陀が阿弥陀となる。

 

すでに、響き合っている

掲示板のことばに「母」とあるので、「母だけの話なの?」と思った人もいることでしょう。

他者(ひと)と私との関係において、「呼ぶ」という行為には、呼応関係が既にあるのだと思う。「呼ぶ」行為とは、呼ぶ側の一方通行ではなく、呼ばれる方が発する想いや願いや思慕が先にある。呼ぶ方と呼ばれる方と呼応・共感・共鳴の関係がひらかれている。そういう意味では「父」や「友」でもいいのだけれど、呼ぶ声の背景にある広がりが最も大きいのが「母」なのではないだろうか。

掲示板のことばを読んで、母と子の姿を、幼い子とその母親をイメージした人もいることでしょう。

母と子の関係は、お互いが幾つになっても母と子。今20歳の母と3歳の子にしても、100歳の母と80歳の子にしても、母と子。お互いが何歳であろうとも、年の差が幾つであろうとも。

掲示板のことばを読んで、母とは、存命中の母をイメージした人もいることでしょう。

けれど、すでに浄土へ還られた人であっても、母は母。亡き人に対しても、名前を呼べる。亡き母の縁で、私が 「南無阿弥陀仏」と念仏称えたならば、母は母でもあり、仏でもある。

母を呼ぶ、他者(ひと)を呼ぶ、阿弥陀を呼ぶ(念仏を称える)のは、母からの、他者からの、阿弥陀からの呼びかけがあるから。

母が、他者が、阿弥陀が、呼びかけることができるのは、私がいるから。すでに、響き合っている。

「誰かのため」ではなく

私(西蓮寺副住職)は、妻や子どもたちが目の前にいないときでも、名前を呼ぶ声が自然に出て来ます。

なぜだろう? どうしてだろう?

いや、名前を呼ぶのに理由や目的などなくて、妻や子どもたちがいてくれるおかげで、私は名前を呼ぶことができるだけのこと。

誰かがいてくれるおかげで、私はその誰かを呼ぶことができる。

「誰かのため」に呼ぶのではなくて、「誰かのおかげ」で呼ぶことができる。

年令や知恵を重ねると、名前を呼ぶことに損得勘定が入ってしまう。小さな人たちは、何の見返りも求めず母を呼ぶ。澄んだ声に聞こえるはずです。

念仏も、見返りなんてない。私を呼ぶ声「南無阿弥陀仏」。その声が聞こえたから、私は「南無阿弥陀仏」と念仏を称えられる。念仏称えるところに、阿弥陀と私とのつながりが表現されている。

いつでも どこでも どんなときも

親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」と念仏称えることを大切にされました。

念仏は、お内仏(お仏壇)の前でなくても、お墓の前でなくても、お寺の本堂でなくても、日々の生活の中で、いつでも、どこでも、どんなときでも称えることができる。

念仏称えたとき、そこが私の居場所となる。「今、ここ、私」が居場所となる。 「南無阿弥陀仏」

~掲示板の人形~

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京都水族館のくじ引きでゲットしたイルカの親子(親子というわけではなく、大きいのと小さいのを当てたのだけど)
4月29日の永代経法要に合わせたかのように花開いた黄色いボタンとともに。

2019年4月 1日 (月)

2019年4月のことば

2019年4月1日
4月になりました。ぽかぽか陽気で、桜もきれいですね・・・なんて日和を想像していたけれど、寒いです。お風邪を召しませんように。
3月末、膝をつき合わせて話をしておきたい人、事柄が多々あったので、京都へ行ってきました。
思いがけずたくさんの人と、いろいろな話ができました。
メールでも電話でもなく、直接会って話をすることって とても大切だ!!
阿弥陀堂と御影堂で、阿弥陀さま 親鸞さまの前に座ると涙が出るくらいホッとするものです。
行ってよかった。 南無阿弥陀仏(-人-)
おかげで4月の寺報がギリギリになってしまいましたが、なんとかできました(ホッ)
4月、新しい出あいを大切に。もちろん、今までの出あいも含めて。

〔2019年4月のことば〕

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今を生きることで

熱いこころ燃える

だから君はいくんだ

ほほえんで

そうだ うれしいんだ

生きるよろこび

たとえ胸の傷がいたんでも

      やなせたかし (「アンパンマンのマーチ」より)

不安は私のいのち

このような話を聞いたことがあります。ウナギを長距離運ぶとき、全く傷を付けずに丁寧に運ぼうとすると、ウナギは目的地に着く前に死んでしまうそうです。ところが首に傷を付けると目的地まで生きたまま届くそうです。ウナギはキズの痛みに耐え、一生懸命生きようとするのでしょうか。

という文章を、かつて寺報で書いたことを思い出しました。

第7号 1999年3月発行の寺報です。もう20年も前の話になります。文章が未熟です(今もですが)。「ウナギの首ってどこだろう?」などと思いながら、古い寺報を読み返しました。

ちなみに、第7号の掲示板のことばは、

 不安は私のいのち

 苦悩は私の生きがい

 不安や苦悩のない人生はない

 不安や悩みとれたら

 生きがいもない

です。

不安や苦悩なんて無いほうがいいですよね。なにか不安や悩みがあるとき 私たちはその原因を自分の外に考えてしまいます。「あいつさえいなければ」「今の社会状況は最悪だ」等々。それでは仮に自分が考えた不安や悩みの原因が全部無くなったとして、そこに不安や苦悩の無い世界が開けるでしょうか。 おそらく新たな不安や苦悩が訪れるのではないでしょうか。

という文章もまた、当時書いたものです。

不安や苦悩にこころ覆われたとき、「あのとき、あんなことしなければ」と悔いたり、「あのとき、別の行動をとっていれば」と歎いたりしてしまいます。過去に戻れないのは分かっていることなのに。仮に、過去に戻ってやり直せたとしても、私はまた同じようなことを繰り返すことでしょう。

不安や苦悩のない人生はありません。それに、不安や苦悩があるからこそ夢や希望を抱けるのかもしれません。悲喜のすべてがあっての私です。

こころに刻む

「胸の傷」というと痛々しく聞こえる。 けれど、「こころに刻む」や「脳裏に焼き付ける」など、より痛みを伴う表現がある。意味としては「忘れない」「覚えておく」ということだけれど、「この出来事を忘れない」「目の前の光景を覚えておく」という表現では言い尽くせない経験が、「こころに刻む」「脳裏に焼き付ける」と表現させるのだろう。絶対に忘れない、忘れてはならないという覚悟と共に。

「こころに刻む」や「脳裏に焼き付ける」と表現するのは、嬉しい出来事よりも悲しい出来事の方が多いのではないだろうか。

「悲しい出来事はなかったことにしたい」「悲しい気持ちが早く薄らいでほしい」。そのようなセリフを耳にするけれど、絶対に忘れてはいけないことだという気持ちがはたらくのは、悲しい出来事。

いのちが生きよう生きようとするのは、傷がつかないように丁寧に守られた環境ではなく、こころに刻まれるような何かに出あったときなんだ。

あなたを傷つけた私

「胸の傷」のいたみについて考えるとき、自分の胸の傷のことばかり考えていた。

けれど、私があなたにつけた傷もありました。その傷の方がはるかに多くて、はるかに深い。

自分の胸の傷のいたみは感じることができる。傷と共に刻み込まれている悲しい出来事も思い返すことができる。それなのに、私があなたにつけた傷は、傷をつけたことすら分かっていない。ましてや、あなたが感じているいたみなど知る由もない。

「今を生きる」とは、傷と共に生きること。つけられた傷もあれば、あなたにつけた傷もある。自分の胸の傷のいたみだけを感じるのではなく、あなたを傷つけた私ですといういたみを、忘れてはならない。

受け継がれる意志

あなたを傷つけた私。そのことを想うとき、マンガ「ワンピース」の、あるシーンを思い出す(単行本16巻)。

雪の降りしきるドラム王国。国王ワポルは、国民を支配することで国政を担っていた。国内の医者を国の管理下に置き(「イッシー20」)、病気を患った国民は、 ワポルに頭を下げて治療を受けなければならなかった。その国政に抗い、ドクター ヒルルクは、患者の家を訪ねては無償で診察をしていた(しかし、ヤブ医者ゆえ国民からは迷惑がられている)。

ヒルルクの態度に業を煮やしたワポルは、ヒルルクを捕まえて処刑するため、「イッシー20」全員が病に倒れたとデマを流す。

「イッシー20」を治療するため、自身のいのちを顧みず、城に乗り込むヒルルク。

城で待ち受けていたのは、国王ワポルと守備隊、そして健康な「イッシー20」。

自分を捕まえるための罠だったと知ったヒルルクはつぶやいた。

「よかった・・・病人はいねェのか・・・」と。

「ズキッ!!」 ヒルルクのつぶやきを耳にし、胸にいたみをおぼえる守備隊隊長ドルトン。彼は、ワポルの国政に疑問を感じながらも、逆らえずにいた。

捕まって処刑される前に、自ら世を去ったドクター ヒルルク。その姿を脳裏に焼き付けたドルトンは、国王ワポルに立ち向かう・・・

〔掲示板の人形〕

今月は、やなせたかしさんのことばを掲示させていただいたので、アンパンマンとSLマンの人形を掲示しています。

京都で買ってきました(^▽^)

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2019年3月 1日 (金)

2019年3月のことば

3月になりました。年が明けたと思ったら、もう3月だ!なんて言っている方もいるのではないでしょうか。
年末年始などということに関係なく、時は移ろい、いのちも歩みを進めています。日々過ぎ行く時間を、日々あるいのちを大切にしたいものです。
などと想いながらも、あっという間に時が過ぎ行く感覚はなんでしょう? 2月は28日までだったものだから、なおさら早く感じます。寺報等々の締め切りを、普段の月の感覚でいたら、28日までだったことに気付き(分かってはいるんですけどね)、必死で仕上げました。
3月は年度末。春のお彼岸もあります。また、あっという間に過ぎてゆくのでしょう。春の訪れ、花の開花を楽しむ余裕を持って過ごしたいと思います。

   

2019年3月のことば
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 人はいさ 心も知らず
  ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
                       紀貫之

再会
何年ぶりだろう、この里に足を運ぶのは。昔はよく遊びに来ていた。この風景も、空気も、雰囲気も変わってない。懐かしい。
久しぶりに訪れた里で、常宿にしていた宿へ向かう。
あった! 宿の雰囲気も昔と変わらない。仕事も忙しくなり、この里からもしだいに足が遠のいていった。それから今日に至るまで、仕事のことや人間関係のこと、いろいろなことがあった。けれど、宿が目に入った瞬間、言葉で言い表わせないほどホッとした気持ちになった。
私の姿を見つけて、宿の奥から誰かが出てくる。
「え? あ! お久しぶりです。お元気でいらっしゃいましたか?」
宿屋の主人だ。馴染みの声、懐かしい口調。昔と同じだ(笑)
「お久しぶりです」
堅苦しい挨拶もそこそこに宿に通され、会話に花が咲く。昨日「さようなら」を言って別れ、今日また会ったかのように、長い空白期間が、相手の息遣いの中に打ち消されてゆく。
久しぶりに会った緊張感もやわらぎ、宿屋の主人が少しいじわるく言った。
「ずいぶん立派になられましたね。仕事ぶりは、風の噂で知っていました。仕事も私事もうまくいって、この里のことも、この宿のことも、すっかり忘れてしまわれたことでしょう」
そのセリフにふと現実に還る。私に、ではなく、肩書きを持つ私にチヤホヤする者ばかりの人間関係に疲れ果て、気がつけばこの里に足が向いていた。ホッとした気持ちになっていたけれど、現実の波はこの里にも訪れていた…。
そんなとき、梅の芳しい匂いが漂ってきた。目に留った梅の枝を一本折り、私は告げた。

人はいさ 心も知らず
ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

(「人の気持ちは、変わりやすいものです。あなたも、私を懐かしんでくれてはいるけれど、明日になれば、また気持ちも変わるのではないですか? けれど、ここの梅の花の香りは、昔とちっとも変わらない。かつて嗅いだ香りと同じだ。変わらないものが、この世にあるなんて」)

宿屋の主人が嘆息している。しばらくの沈黙の後、主人はつぶやいた。

花だにも おなじ心に 咲くものを
植ゑけむ人の 心しらなむ

(「梅の花でさえ、昔と同じ心のままに咲くというのに、梅の木を植えた私の気持ちも知っていて欲しいものです(たとえあなたが変わろうとも、あなたを想う気持ちに、変わりはありません)」

そのつぶやきを耳にし、私の還る場所が見つかったような気がした。

居場所(ここに居ていいんだ)
『古今和歌集』の選者、『土佐日記』の作者として知られる歌人 紀貫之。
紀貫之は、奈良県の長谷寺参りのため、毎年のようにこの里を訪れ、その度に泊まる宿がありました。しばらく訪れる機会もなく、数年ぶりの長谷寺参りでこの宿を訪ねたときの、紀貫之と宿屋の主人とのやりとりの中で詠まれたのが、今月のことばです。
顔と名前を覚えてもらっている。そこには、私の存在を認めてもらっている安心感があります。名前を呼んでもらえることの嬉しさ。ましてや、数年ぶりに会った相手が私のことを覚えてくれている。生きることに疲れたなかにも、私の「居場所」は、確かにあります。

変わるもの・変わらぬもの
人の気持ちは変わるもの。今日の想いと明日の想いは違う。環境や立場が変われば、想いも変わる。話す相手によって変えていることもあるだろう。
「梅」は、変わらぬものの象徴。「人」は、変わるものの象徴。変わらぬものであっても、変わるものであっても、それぞれ見た者の記憶に留まる。
変わらぬものとして、私の瞼に焼き付けられているもの。美しく芳しい花、夜空に光り輝く月、先往くあなたの姿。
変わるものとして、私の心に刻まれているもの。紀貫之も宿屋の主人も、ふたりの距離が開く(変わる)ことは分かっていた。けれど、だからこそ相手のことが心に刻まれ、忘れ得ない人となっていたのだろう。 つらく悲しい経験が、いつまでも思い起こされるのは、心の修復を試みているから。つらさ悲しさを抱えながらも私は生きている。生きよう生きようとする「こころとからだ」が、傷ついたところを治そう治そうとしている。つまり、私の中で変わろうとしている。だからこそ、いつまでも心の片隅に、忘れられないこととしてある。

阿弥陀さま
最近殊に耳にする事柄。パワハラ・セクハラ・バイトテロ・カスタマーハラスメント・煽り運転・虐待・DV…
ひとつひとつの報道を耳にし、「ひどい奴だ」「いつまでこんなことが続くんだ」と、悲しい気持ちになるけれど、これらの事柄の奥には、承認欲求が満たされないことによって生じる不安感や虚無感が溢れている。
「私はこんなに頑張っているのに、どうして報われないんだ」「あいつより俺の方が優れているのに、どうしてあいつの方が評価されるんだ」
世間から認めてもらえない自分を受け容れることもできず、見つめ直すこともできず、他者を貶めることによって自分の存在意義を高めようとする。そんな意識が他者を傷つけたり、馬鹿にしたりする態度として表出している。
けれど、そのような不安感や虚無感に襲われているのは、実際に他者を傷つけてしまった一部の人たちだけの話ではない。みんな淋しい。
認められている。想われている。名前を呼ばれている。「南無阿弥陀仏」と念仏申すことは、そこに私の居場所があるということ。
梅が、何年も変わらずに私のことを待ち続けてくれているように、阿弥陀さまも、私とともにある。
合わさる手に、南無阿弥陀仏

   

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