四季

2020年7月 4日 (土)

西蓮寺新盆法要2020

2020年7月4日(土)

例年ならば、7月の第1土・日曜日は「西蓮寺新盆法要」。

けれど本年は、コロナ感染拡大防止の観点から中止。

寺の人間のみで新盆法要をお勤めさせていただきました。

ご本尊(阿弥陀さま)の前でお勤めして、

今年新盆を迎えられる方々の法名前に移動して、亡くなられた皆さんの法名の前でお勤めして、ご遺族の皆様に代わってお焼香させていただきました。

法名を前にし、ひとり一人とのお顔とお付き合いを思い返していました。

それぞれの関係を結んできましたが、誰一人欠けても、今の私はいません。

ありがとうございます。

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今夏「新盆法要」を迎えられるご遺族には、「新盆法要は行いませんが、7月4日(土)午前11時より お勤めを致しますので、時間はいつでもかまわないので、お内仏(お仏壇)の前で手を合わせてください。」のお手紙を差し上げていました。

今朝、ご遺族のうちのお一人から、「私も、午前11時にお参りさせていただきます。よろしくお願い致します」とお電話をいただきました。

昼過ぎ、「今日は月命日だから」と、お墓参りに見えた方がいました。

「ようこそお参りくださいました。ちょうどよかった、本堂の法名軸の前でお焼香して行って!」とお誘いしたら、嬉しそうにお焼香をされていました。

人と人とのつながりは、「死んだら終わり」と言う人もいるけれど、「いや、亡くなったって続くんだよ。それが人間関係だよ」と、電話をくださった方、お墓参りにみえた方から、教わりました。

南無阿弥陀仏

2020年4月29日 (水)

西蓮寺永代経法要2020 大悲無倦常照我

2020年4月29日 西蓮寺永代経法要をお迎えしました。

史上初の無参拝法要です。

住職・坊守・副住職・准坊守・衆徒ふたり、寺をお預かりしている6人で、お勤めをさせていただきました(‐人‐)

永代経法要は無参拝で行いましたが、法要の為にお送りいただいたご懇志を尊前にお供えし、お勤めさせていただきました。

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例年、西蓮寺永代経法要の法話は、私 副住職が勤めています。お仲間のお寺の永代経法要のご法話もご依頼を受けていましたが、そちらのお寺も、門徒さんに呼びかけての永代経法要は中止となりました。永代経法要の場でのお話の機会はなくなりましたが、当ブログにてお話をさせていただきます。

講題 大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)

「悲」という漢字は、「心を両手で引き裂く姿」を象(かたど)っていると聞きました。

悲しみは、私の目の前を真っ暗にします。まさに胸が引き裂かれる思いがします。
「誰かこの悲しみを分かって!」と叫びたくなる反面、「私のこの悲しみが分かってたまるか!」とも思います。悲しみは、私をひとりの世界に閉じ込めて孤独にします。喜びは、多くの人と共有することができるのに、なぜ悲しみは私をひとりぼっちにするのでしょう。

でも、本当にひとりぼっちになってしまうのであれば、胸を引き裂かれるほどの痛みをともなう悲しみに耐えられるでしょうか。悲しみを抱えながらも、なんとか生きてきました。そこには、私を生かすはたらき、生かそうとするはたらきがあるのではないでしょうか。

悲しまれている私

悲しみの中にいると、自分自身のことを「悲しんでいる私」としてしか見られません。

浄土真宗のお勤め「正信偈」に「大悲無倦常照我」とあります。
「阿弥陀如来の大悲は、倦(あ)くことなく、常に私を照らしています」と、親鸞聖人は仰っています。
「倦く」とは、物事を成し遂げることができずに嫌になることです。「悲しんでいる私」は、「何をやってもダメだ」「どれだけ頑張っても報われない」と、すぐに倦いてします。けれど、阿弥陀如来は私を見捨てません。私が阿弥陀に気づこうが気づくまいが、念仏申そうが申すまいが、阿弥陀如来は倦くことなく私のことを照らしています(包み込んでいます)。
「悲しんでいる私」は、阿弥陀如来から「悲しまれている私」でもありました。

 

小慈小悲もなき身にて

小慈小悲(しょうじしょうひ)もなき身にて 

 有情利益(うじょうりやく)はおもふまじ 

 如来の願船(がんせん)いまさずは

 苦海(くかい)をいかでかわたるべき

       (親鸞聖人「正像末和讃」)

 

悲しみのなかにいるのならば、悲しんでいる他者(ひと)への思いやりが芽生えてもよさそうだけれど、それができません。

悲しんでいる私は、恵まれた他者、実は恵まれたように見えるだけなのですが、その恵まれた他者を嫉(ねた)みます。

私は、「悲しみが和らぎました」と語る他者に対して嫌悪感を抱き、「その程度の悲しみだったんだね」と蔑(さげす)んだりもします。

同じような境遇に置かれ、同じような悲しみのなかにいる他者に対してさえも、「私の悲しみの方が大きい」と悲しさ比べをしてしまいます。

今、私は、こんなにも悲しんでいる。それなのに、いつの日かその悲しみや悲しんでいたこと自体を忘れてしまう・・・。

悲しみそのもののつらさもあるけれど、悲しみのなかで他者を嫉(ねた)み、蔑(さげす)み、悲しさ比べをし、悲しんでいたことさえも忘れてしまう。そのことこそが悲しい。

悲しいけれど、それらはみんな私の姿です。
けれど、悲しみのなか、私が本当にひとりぼっちになってゆくならば、私のそんな姿に気づくことはありません。私の姿に気づくことができたのは、私を映し出す教えに出あえたから。私を照らす阿弥陀如来に出あえたから。

阿弥陀如来は、嫉むことなく、蔑むことなく、比較することなく、やがて私のことなど忘れることもなく、私を救うために共に悲しんでいます。阿弥陀の悲しみ、慈悲なくして、どうしてこの悲しみの海を渡ることができるでしょうか。

ひとりぼっちの世界に閉じこもって悲しんでいる私は、私のことを倦くことなく悲しみ続けている阿弥陀の大慈大悲に出あい、我が身を知ることができました。悲しみをなくすことに懸命だったけれど、悲しみも含めた私を、阿弥陀は見てくれていました。

「悲しまれている私」の自覚は、阿弥陀如来の感得でもありました。

南無阿弥陀仏

今日は暖かく、いい天気ですね。朝、掃除をしていたら、汗ばんでくるほどでした。牡丹の花が目いっぱい咲いています

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2020年4月15日 (水)

こんなときでも、花は咲く‼

昨日は、片づけておきたい仕事に目途がついたので、ちょっと嬉しくて夕食時にビールを呑みました(350㎖ 一缶だけだけど)。
このコロナ騒動の中、コロナにもインフルにも罹らず、風邪もひかず、幸い元気に過ごさせていただいています。と、思っていましたが、ビールを呑んだ後にからだ中に湿疹ができ、右手は急にカサついてヒビだらけになってしまいました。湿疹は寝るまでに落ち着き、手はニベアを塗ったらなんとか落ち着きました。元気だと思っていても、からだは正直。実は心身の負担を受けとめていてくれていたのですね。それが、ちょっとアルコールを呑んで、負担がかかったのかもしれません。
「不安ではあるけれど元気に過ごさせていただいています」と思っている方も、自分では気づかないながら、からだには負担がかかっているのかもしれません。どうぞお気を付けください。

一昨日の風雨☔、昨日の強風🌀が明けて、今日は久しぶりの快晴☀
境内の掃除のため外へ出ると、いろいろな花が咲いていました。

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芍薬(しゃくやく…咲き始めました。いつもより早いかな)

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躑躅(つつじ…赤 白 ピンクが混ざっています)

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親鸞聖人像…の後ろに生えている綿毛のような花はなんだろう? 

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外出自粛して自宅にいても、季節はちゃんと移ろうています。
ときの流れのなかにいることを教えられます。

南無阿弥陀仏

2019年11月25日 (月)

真宗本廟 報恩講2019

というわけで、11月22日~24日、家族で真宗本廟報恩講へ参拝してきました。
今年の報恩講は暖かかったです。娘たちは半袖で過ごしていました。
とはいえ、21日は寒かったそうで、日によって寒暖差が激しいのがつらいところです。報恩講を支えてくださっている皆様、お風邪など召しませんように。

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23日、「子ども報恩講のつどい」に参拝(東京教区からは、うちの家族だけでした)。
子どもと保護者とスタッフを合わせて200名を越える参拝者。
阿弥陀堂と御影堂でお参り。子どもたちの正信偈の声が響き渡りました。
和敬堂の食堂でお昼ご飯。次女は、「子ども報恩講」の昼食のカレーライスが大好きで、大人盛りで2杯分のカレーを食べました(夕食もしっかり食べました)。
食事の後は、同朋会館でつどいの時間。楠信生先生のおはなし・光善寺念仏一座さんの音楽紙芝居。最後は200人超の集合写真撮影。

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今年で8回目の「子ども報恩講のつどい」
そのうち5回目の参加。娘たちも楽しみにしているようです。
お堂に入るとき出るときはみんな頭礼をし、「正信偈」をお勤め。
泣く子もいるし、じっとしていない子もいるし、じゃれている子たちもいる。そんなカオス状態が、「真宗大谷派 子ども報恩講のつどい」の醍醐味だと感じます。素晴らしい空間です。この場も、親鸞聖人や南無阿弥陀仏の念仏をよりどころとしてきた方々が作ってくださいました。後に続いていくことでしょう。
来年もお参りできますことを(‐人‐)

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2019年11月 6日 (水)

西蓮寺報恩講2019

2019年11月5日(火)
西蓮寺報恩講厳修

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快晴のなか、西蓮寺報恩講をお迎え致しました。
ご参拝いただきました法中、門徒の皆様、ありがとうございます。
一緒にお参りできましたこと、嬉しく思います。

 

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【ご法話 海 法龍先生(横須賀 長願寺住職)】
「報恩講は、宗祖 親鸞聖人のご命日をご縁として勤められる「法事」です」という始まりから、「死」とは、先往く人を訪ねることを通して、自分に出遇うことであるというお話をいただきました。
亡き人のご供養をすることを「弔う(とむらう)」と言いますが、「とむらう」という言葉は、そもそも「訪う」から来ています。そして、「訪(たずねる)」ということは「尋ねる(たずねる)」とうことに繋がります。つまり、「とむらう」ということは「尋ねる」ということ。先往く人の姿を通して、いのちを、自分自身を尋ねる。
父と兄を亡くされた先生自身の歩みの中から出て来た感情・想いと共にお話しくださいました。
南無阿弥陀仏

【法要】
鏧(きん)役として、ほぼ本堂の中心に座していると、前面の法中(お寺さん)の声と、背後の門徒さんの声に包まれてある感覚になります。
今年も、昨秋得度した娘が私の横に座ってくれて(給食を食べてから早退してきました)、子ども特有の真っ直ぐで澄んだ声でお勤めをしてくれました。
あぁ、報恩講をお勤めしているなぁと、感慨にふけっていました。

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【親鸞聖人像】
今夏、親鸞聖人像をお迎えして、初めての報恩講。
いつか親鸞聖人像をお迎えしたい・・・住職の願いが叶った報恩講でした。
「御俗姓」拝読は、今年は住職の番。感慨深かったのではないでしょうか。

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【掲示板の人形】
親鸞聖人を囲んで、賑やかです。
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2019年11月6日(水)
報恩講から明けて、お片付け。
何日もかけて報恩講の支度を整えるのに、片付けは半日で終わってしまいます。不思議 不思議
報恩講の片付けと共に、本堂にホットカーペットを敷いて、ファンヒーターを出して、冬支度です。
報恩講をお勤めして、新しい一年が始まります。
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2019年10月29日 (火)

西蓮寺おみがきの会 開催

昨日(2019年10月28日) 西蓮寺報恩講に向けた「おみがきの会」開催
雨が多かった10月、久しぶりの快晴。おみがきの会日和でした。
9名の門徒さんが集まってくださり、賑やかな会になりました。
(西蓮寺「おみがきの会」は、聞法会・コールリンデン、定例の会に参加してくださっている方に呼びかけています)

「おみがきの会」といっても、本堂の仏具みがきだけでなく、欄干やイスや窓や床や柱や手すりや、本堂内のいたるところを水拭きしてもらいました。

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「おみがきの会」を始めて13年目。慣れたもので、1時間ほどで本堂がきれいになりました。寺の人間だけでおみがき・本堂の掃除をしていた頃を思い出すとゾッとします。長い時間をかけて、クタクタになりながらやっていたものです。
みんなが自主的に掃除場所を見つけてきれいにしてくださるので、会を重ねる毎にきれいになる範囲も広がっています。それでいて時間は短縮されているのだから不思議です。

渡り廊下の窓も、外して外側を洗うことができました。台風の雨風でだいぶ汚れていたのですが、きれいになりました。
窓枠のさんも水拭きしてもらい、きれいになりました。

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おみがき・お掃除が終わった後は、きれいになった本堂で、みんな一緒にお勤め。
おみがきの後のお勤めも、「報恩講」のお勤めだと感じます。

お勤めが終わった後は、みんなで一緒にお昼ご飯。いろいろな話をしながら、楽しい時間となりました。
お手伝いくださったみなさま、ありがとうございます(‐人‐)
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さぁ、西蓮寺報恩講は11月5日にお勤めです!!

2018年11月 6日 (火)

西蓮寺報恩講2018

2018年11月5日(月) 西蓮寺報恩講厳修
曇ったり、雨が降ったり、時折晴れ間がのぞいたり・・・。不安定な天候の中、報恩講に参拝くださいまして、ありがとうございます。
10月7日に長女が得度したため、そのご報告もさせていただきました。
長女、報恩講にて初出仕。
40分ほどの読経を勤め、「足しびれてないかな。立って歩けるかな」などと心配していましたが、スッと立って所定の位置で御俗姓を拝聴していました。あれ、すごいな!と感心してしまいました。
法友が増え、頼もしく、嬉しく思いました。有り難い報恩講でした。南無阿弥陀仏

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11月6日(火)
ここ一ヵ月調子が悪く、時折微熱も続いていた。咳も止まらない。
世田谷区の特定検診をまだ受けていなかったので、10月末に受診。6日、報恩講の片付けを終えてから、検診の結果を聞きに病院へ。
以前 肝臓を患ったことがあるので、また再発してるんじゃないかなと思っていました。
診察室へ入り、お医者さんの前へ座ると、「うん、どっこも悪くないね。血液もすべて基準値内、すばらしい! 大腸も肺も異常なし!! よかったですね」と、すっごく明るく言われました。
ホッとした反面、この調子の悪さはなんなんだ?とも。
まぁ、毎年この同じ時期にひいてる風邪なのだと思う。季節の変わり目、皆様もお気を付けて

2018年10月27日 (土)

読書週間

今日10月27日から2週間、「読書週間」です。
以下、「公益社団法人 読書推進運動協議会」HPより

読書週間の歴史 終戦まもない1947年(昭和22)年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されました。 そのときの反響はすばらしく、翌年の第2回からは期間も10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、この運動は全国に拡がっていきました。  そして『読書週間』は、日本の国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。  いま、電子メディアの発達によって、世界の情報伝達の流れは、大きく変容しようとしています。しかし、その使い手が人間であるかぎり、その本体の人間性を育て、かたちづくるのに、「本」が重要な役割を果たすことはかわりありません。 暮らしのスタイルに、人生設計のなかに、新しい感覚での「本とのつきあい方」をとりいれていきませんか。

 『読書週間』が始まる10月27日が、「文字・活字文化の日」に制定されました。よりいっそうの盛りあがりを、期待いたします。

2018年4月20日 (金)

いつも ここにある いのち

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早いもので、4月も折り返してしまいました。暑くなったり、寒くなったり、着る物に困ってしまう気候ですね。体調も崩しやすいです。お元気でいらっしゃいますか?

4月19日(木) 西蓮寺永代経法要に向けた「おみがきの会」を開催しました。ご参加いただきました皆様、ありがとうございます。おかげさまで、綺麗になった本堂で永代経法要をお勤めすることが出来ます。
〔西蓮寺永代経法要 4月29日(日) 正午より 法話:白山勝久(西蓮寺副住職) ご参拝いただけます方は、コメント欄にメッセージをください〕

気候不順の折、今年は、桜の開花も早く、散るのも早かったですね。
桜だけではありません。山門入って右手の黄色い牡丹が咲いています。昨年は、まさに永代経法要に合わせて咲いたかのように、4月29日に満開だったのですが、10日以上も早くから咲いています。
境内のボタンも、シャクヤクも、ツツジも、ハナミズキも、みんな咲いてしまいました。かなり早い開花です。

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花は、確かに咲いたときに、「ボタンが咲いた」「シャクヤクが咲いた」「ツツジが咲いた」「ハナミズキが咲いた」「サクラが咲いた」と、そこに花が、木があることを認識します。
けれど、考えてもみれば、そこに一年中いてくれるのですよね。
お寺に来てくれるダスキンさんが、「サクラが咲くと、あ、ここにもあそこにもサクラがあったんだ!って気付きますね。いっつも見てるのに」と仰っていました。
花が咲いたときだけでなく、いつもそこにいてくれる。それなのに、気付かない私。花が咲いていなくても、サクラはサクラ、ボタンはボタンです。そこにあることの感謝を忘れずに生きたいものです。

花だけでなく、新緑の候、青葉も目にまぶしいです。
葉は、花を引き立てて下さっています。ツツジの花の、さまざまな色、とても美しいです。でも、その美しさは、葉があってこそ引き立っています。
「おみがきの会」も終り、みんなでお座敷でお昼ご飯を食べているとき、中庭に咲くツツジを見ながら感じました。
あ、新緑って美しいな。そんな気付きをいただけるのも、永代経のご利益でしょうか。

開花が早いの遅いの、(お花見に合わせて)いつ咲いてくれだの、散るのが早くて残念だの、勝手なことばかりですね。
花びらは散っても、花は死なない。形は滅びても、人(いのち)は死なない。ですね

2016年11月29日 (火)

東本願寺報恩講2016

2016年11月21日~28日 東本願寺報恩講が勤まりました。
報恩講に参詣すると、教えに出遇えてよかったと思います。
「教え」といっても、本堂や講堂で聴聞するご法話のことだけでなく、そこにつどう人々との出会いも「教え」です。
今年も報恩講にお参りできてよかったです。
真宗門徒の一年は、報恩講に始まり、報恩講に終わる。親鸞聖人をご縁に、報恩講に参詣する。また一年がんばろう!!って思います。南無阿弥陀仏

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