2025年4月のことば
2025年4月を迎えました。気温も低く、冷たい雨が降っています。
子どもたちは部活へと出かけました。元気に過ごしています。
3月、息子が大学院を卒業し、4月から新社会人。
「春のお彼岸中だから、卒業式には行けないんだ。ごめんね」という私に対し、「わかってるよ。大学から連絡があって、学科代表で証書を授与をされるから、配信で見ててよ」と息子。
当日は配信を見させてもらってお祝いを、と思っていたら、「大学院卒業したら、もう入学だ!卒業だ!ってことが無くなっちゃうんだよ。行ってあげなよ。親らしいことしてらっしゃい」と、妻と娘たちが背中を押してくれて、卒業式の前の晩に参列を決めました。
翌早朝、まだ家族の寝ている間に寺を出て、新幹線で某所某大学へ。
新幹線の中で「卒業式、行くね」と息子にLINEするも既読付かず。朝から忙しいだろうな。
卒業式開式前に大学に到着。構内に足を踏み入れると、ちょうど向こうから息子が。
私を発見して「お父さん⁉ なにしてんの?」と驚く息子に、「ごめんね、来ちゃった」と私。
抱きしめて「よくがんばったね」と伝えました。
「保護者席いっぱいになっちゃうから、席取っておいた方がいいよ」
「わかった、ありがとう。じゃ、保護者席から見てるからね」
思いがけず、息子の門出に立ち会うことができました。
式も終わり、さぁどうしようかなと思っていたら、息子の先生や彼女や彼女のご家族や友人たちと語らうことができました。
あぁ、充実した学生生活を送ったんだなぁと実感、感謝。
息子は謝恩会だ、お別れ会だ、ということで大学でバイバイ👋👋
一緒に卒業式を見届けた前の妻に「ありがとう」と伝え、彼女も「来てくれてありがとう。一緒に卒業式を見られるなんて、思ってもなかった」と。空白の時間は、ことばひとつで埋まることも。
大学を後にし、駅に戻り、帰りの新幹線に。「来てよかった」。
夜9時、寺に到着。慌ただしいお彼岸の一日だったとのこと。
「行ってらっしゃい」と言ってくれた妻と娘たち、お彼岸中にもかかわらず送り出してくれた住職(父)と坊守(母)。
大学で出会ったみんな。
「人は、ひとりでは生きていない」ことを、身をもって感じた一日でした。
月頭のご挨拶が長くなりました。どこかに綴っておきたかったのです。
以下、西蓮寺掲示板 2025年4月のことばです。
🌸 🌸 🌸
2025年4月のことば
(寺報版はこちら)
種から芽が出て花が咲き
花は枯れても種が残り
また花を咲かす
花びらは散っても花は散らない
寒暖差の激しい3月でした。春彼岸中も、雪が降った日もあれば夏を思わせる暑さの日もありました。体調を崩された方もいるのではないでしょうか。
まもなく4月を迎えようというとき、桜の開花が始まりました。桜の開花は、「標本木」の蕾が5~6輪咲いたときに宣言されます。開花宣言が出される瞬間に立ち会おうと、「標本木」の周りで待ちわびる人びとの姿がテレビで映し出されていました。また、「日本の桜を見るために来ました」と、海外から来日する方も多いとのこと。いつ来ても見られる観光資源目的ではなく、瞬間に立ち会うための来日。記憶に残る旅行となることでしょう。
世に、美しい花は数多くあります。にもかかわらず、桜はどうしてこれほどまでに開花が待たれ、人のこころを魅了するのでしょう。これほどまでに開花を待ちわびられるにもかかわらず、瞬く間に散ってしまう桜は、「儚さ」の象徴として語られます。法語にもよく登場します。
明日ありと思う心のあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
親鸞聖人散る桜 残る桜も 散る桜
良寛上人花びらは散っても花は散らない
形は滅びても人は死なない
金子大榮見ずや君
あすは散りなむ 花だにも
力のかぎり ひとときを咲く
九条武子咲いた花見て喜ぶならば
咲かせた根元の恩を知れ
詠人不明
思い出すままに記しましたが、「限りあるいのちを、あなたはどのように生きていますか?」「いのちの内実をちゃんと見ていますか?」と問われているかのようです。
また、桜は暖かくなったから咲くのではなく、冬の間厳しい寒さにさらされることによって目が覚め、寒さによって目覚めているからこそ暖かくなったときに開花します。厳しい寒さを経たうえで咲くことから人生訓としても語られます。「どんなに辛いことがあっても、その辛さを経験してこそ見えてくる世界がある」「優しさは、厳しい寒さを知るからこそ生まれてくる」など、桜の姿から教えられること、気付かされることが数多く語られてきました。
とはいえ、桜にしてみれば、ただ咲いて ただ散っているだけのことです。主役のこころは冷静・平静・ありのままであるにもかかわらず、その開花に色めき立ったり 人生を重ね合わせたり、世間はかくも賑やかです。賑やかではありますが、お花見といっても、実際には主役の姿は二の次で、ダンゴに舌鼓を打っています。桜の姿から感じ得られたことばの数々も、果たして本当に見て(自分事として味わって)いるでしょうか…。
慶讃法要(きょうさんほうよう)
4月14日(月)から18日(金)まで「真宗会館」(練馬区谷原1-3-7)にて「宗祖親鸞聖人 御誕生850年 立教開宗800年 東京教区 慶讃法要」が勤まります。
親鸞聖人の御誕生と立教開宗(念仏の教えを説き広められたこと)を機縁とした法要ですが、聖人一個人を讃えるための宴というわけではありません。
聖人にしてもお釈迦さまにしても、ことばを語っただけでは教えとはなりません。語られたことばを聞き、今まで見えなかったことや聞こえなかったことを感得した人びとがいます。「なるほど、そういうことか!」「そんなこと思いもしなかった!」と讃嘆と懴悔の気持ちが湧き起こってきた人びとがいます。そのような人びとが誕生したそのとき、ことばは教えとなり、ことばを発した者は教えを説く人となります。教えを聞く人と共に、聖人やブッダが誕生しました。親鸞聖人やブッダの歩みは、教えを聞く人びとと共にあります。その人びとの歩みが、「慶讃法要」をお勤めすることの背景にはあります。
聖人の誕生から850有余年、お釈迦さまの誕生から2500有余年。いのちある者は、やがていのちを終えてゆきます。ひとり一人の生命には限りがあるけれど、教えに聞いて生きる人の姿は、次の生、次の生へとつながっていきます。今、私が「南無阿弥陀仏」と念仏を口にできるのは、かつて念仏を口にされた方がいることの証。私は古の方と一味となり、阿弥陀の慈悲を受けるている者であるという事実に目覚めます。そして、私が念仏を称えることによって、また次の生へとつながっていきます。種から芽が出て花が咲き、花は枯れても種が残り また花を咲かすように。
阿弥陀如来の慈悲心は、時代や国境を越えてすべてのいのちを包み込んでいます。
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如信(にょしん)上人御廟所法龍寺報恩講参拝記
親鸞聖人の孫にあたる如信上人は、本願寺第2代に位置付けられています。その如信上人の御廟所「法龍寺」は、茨城県久慈郡大子町にあります。
如信上人は、1235年(嘉禎元年)京都に生まれ、幼いころより親鸞聖人から教えを受けて育ちました。
1300(正安2)年1月4日、66歳のとき、常陸国上金沢の草庵にて入滅。その後「法龍寺」が建立されました。
去る3月30日、法龍寺報恩講での法話のご縁をいただき、お役目を果たして参りました。
境内には如信上人お手植えの榧(かや)と、如信上人13回忌の折に覚如上人(本願寺第3代)が植えられたと伝わる銀杏(いちょう)が現存しています。
「法龍寺」を守られている方々、教えを聞き伝えられている方々の姿にふれ、「南無阿弥陀仏」の念仏の伝統を感じたことでした。
南無阿弥陀仏 副住職記
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掲示板の人形
鸞恩くん 蓮ちゃん あかほんくん の東本願寺3キャラクターと、鳥獣戯画に出て来るカエルとウサギの人形です。
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