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2023年6月

2023年6月 1日 (木)

2023年6月のことば

6月です。早くも台風の情報が流れています。暖かくなると身体は動かしやすくなりますが、気温が上がってくると天候の変化も激しさを増します。無事を念じるばかりです。

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2023年6月のことば
(寺報版はこちら)(YouTube法話はこちら

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人間
ひととむまるるをいふ
(人と生まるるをいう)
        親鸞聖人

ひととむまるるをいふ
親鸞聖人は、著作や書写された文章に出てくる語句の意味を熟考して注釈を記されました。語句の左側に綴られたので「左訓(さくん)」や 「左仮名(ひだりがな)」と呼ばれています。
聖人は、「人間」について「ひととむまるるをいふ」と左訓されています。「ひととむまるるをいふ」とは「ひととうまるるをいう」こと。つまり「人として生まれることを言う」と注釈されています。「人間」とは「人として生まれることを言う」と。

「人間」の「間」は、「関係を生きていること」を表します。ですから、単体としての「人間」はいません。「人間」という語句は、「人間とは、他者と関係を築きながら、縁を結びながら生きるものである」ということを表しています。そのような人間の姿や現実を、親鸞聖人は確かめられたのだと思います。

たとえば、「赤ちゃんの誕生」といっても、生まれ出たその子だけが誕生するわけではありません。赤ちゃん誕生の瞬間(とき)、母や父、祖母や祖父も誕生します。出産のためには医師や看護師などの手助けも必要です。赤ちゃんの誕生を、我がことのように喜んでくれる人もいることでしょう。ひとりの人の誕生の現実を考えてみても、そこには多くの人との関わりが誕生することが明らかです。人として生まれるということは、関係を築きながら老病死していく人間が生まれるということです。

関係を生きるということ
関係を築きながら生きているといっても、家族や友人・知人など、実際に対面する人たちとのみ関係を築いているわけではありません。食物や衣類を作る人、運搬する人、販売する人、インフラを整える人、文化芸術に携わり私の人生に潤いや影響を与えてくれる人等々、私の生涯において対面する機会などないであろう多くの人びととも関係を築きながら生きているのが「人間」です。無量無数のいのちとつながっている事実が「私」となって表れています。
それほどの事実の結実した形として「私」がいるのに、世の中には、人と人との争い、人を人と見ぬ行為が溢れています。そのような現実に直面し、「人間でありながら、間が抜けているのではないか」と思ったことが、「今月は親鸞聖人の左訓を掲示しよう」と思ったきっかけです。

けれど、関係を生きるということは、支え合いながら、助け合いながら、認め合いながら生きるということばかりではありません。争い合い、比べ合い、自分を上位に位置付けようとし合いながら生きるということもまた、関係を築きながら生きていることの表われです。
「仲間意識が仲間はずれを作り出す」という法語があるように、関係を結ぶということは、関係から外れる人も生まれます。というか、「関係から外れる人とも関係を持ちながら生きています」と言った方が正しいのかもしれません。

間(ま)
先に「間が抜けているのではないか」と書きました。そういえば、「間違い」「間が抜けた」「間に合わせ」など、「間」を用いる言葉がいろいろあります。
「間違いを犯す」といった場合、ミスをしたその行為自体を「間違い」というのでしょう。けれど、そのミスを犯すことによってつらい思い、悲しい思いをさせてしまった相手のことを、果たしてどれだけ想っていたでしょうか。軽んじてはいなかったでしょうか。つまり、関係を結んでいる人間を人間として見ていたでしょうか。関係性の意識の欠如、間を違えてしまったことを「間違い」というのかもしれません。
「間が抜けた」もしかり。目の前の人間を人間と見る意識が抜けているゆえに「間が抜けた」行為をしてしまうのかもしれません。
「間に合わせ」は、「本来必要とするものではないもので、仮のものでやりすごすこと」といった意味ですが、相手に対して「この人にはこれくらいのことをしておけば充分だろう」といった、私の見立てに合わせた行為をしてしまうことを表現しているようにも思えます。
「間」、つまり関係を見失うということは、他者のみならず、私自身が人間であることを見失っていくことのようです。

 無慙愧(むざんぎ)は名づけて人(にん)とせず
『涅槃経』に
 無慙愧は名づけて人とせず。

とあります。罪を犯したことに痛みを感じ、羞恥するこころを「慙愧」と言います。つまり「慙愧のこころ無い者は、人と呼ぶことはできない」と教えられています。そのうえで、

 慙愧あるがゆえに、すなわち父母・師長を恭敬(くぎょう)す。慙愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あり

と説かれています。
父母・師長、父母・兄弟・姉妹といった関係性が先にあるのではなく、「慙愧のこころがあるからこそ、関係性が生じる(人間として生きることができる)」といただくことができます。
南無阿弥陀仏

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真ん中の水色の子は、かつてタイ旅行に一緒に行きました🐸
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