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2023年5月19日 (金)

一味の味わい

おとといの聞法会にて
今月の寺報に、親鸞聖人の和讃をふたつ紹介しています。

名号不思議海水
 逆法(ぎゃくほう)の死骸(しがい)もとどまらず
 衆(しゅあく)の万川(ばんせん)帰しぬれば
 功徳のうしおに一味なり

十方無碍光(じんじっぽうむげこう)の
 大悲大願海水
 煩悩衆流(しゅりゅう)帰しぬれば
 智慧のうしおに一味なり

ふたつの和讃の主意を汲み取ると、このような意味になります。
「どんなに濁った川であっても、海に流れ出れば、清浄なる海とひとつとなります。同様に、阿弥陀如来を信じず、教えを謗(そし)り、煩悩で濁りきっている私であっても、衆生(すべての生きとし生けるもの)を救いたいと願う、海のように広く深い阿弥陀如来の慈悲のこころに摂(おさ)め取られ、阿弥陀と一味となります。」

“阿弥陀と一味である私”が表現されています。
今月の「言の葉カード(仏教の教えについて)」(真宗会館発行)に「真理の一言は悪業を転じて善業となす(親鸞聖人『教行信証』)」とあり、その解説文でも“一味”について書かれていました。

煩悩や罪に悩まされる人間の救いについて、それぞれ味を異にする川の水が本願の海に入ると一味海水に転じる、あるいは煩悩の氷が解けて功徳の水となるという本願の不思議な力について述べられたお言葉です。

お念仏申して阿弥陀と一味となるのではなく、既に阿弥陀と一味である(共にある)という親鸞聖人の気づきであると思います。
わたしも、あなたも、あみだと一味です。
南無阿弥陀仏

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