賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。(『愚禿鈔』)
お世話になった、お仲間のお寺の前々坊守が還浄された。久しくお会いしていなかったけれど、今朝電話が鳴り、そのお寺の電話番号が表示された瞬間(とき)、すべてを覚悟した。あぁ、ついにそのときがきてしまった。彼女は、他者(ひと)の努力をちゃんと見ていて、労をねぎらってくれる人でした。
昨今(いま)、どうしてかくも刺々しい空気が流れているのだろうと考えるとき、他者のなしていることを認めるということが欠けているからではないか、ということを思う。承認欲求の強い昨今、自分のことを認めてほしい誉めてほしいと欲するわりに、他者を認める誉めることをしないよな、と強く思う。そんなことを思うとき、私の頭の中にはいつも彼女の姿が思い浮かぶ。「〇〇ちゃんが頑張っているから」「□□ちゃんは、いつも~」と、他者の姿を見て、受け止め、認めてくれる誉めてくれる人だった。昨今、そういう人って、いそうでいないなぁ。
ありがとうございます。南無阿弥陀仏
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