2023年2月のことば
2月です。年末年始の喧騒が嘘のように元の日常を過ごしています。年末年始は、どうしてああも慌ただしいのでしょう。って、そうしているのは自分なのですが。さて、“元の日常”といっても、何が“元”なのかわかりませんが、いろいろなものに追われながら過ごしています。そう考えると、年末年始に限った話でもなく、慌ただしい日々を生きているのですね。南無阿弥陀仏
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2023年2月のことば
(寺報版はこちら)(YouTube法話はこちら)
有情(うじょう)の邪見(じゃけん)熾盛(しじょう)にて
叢林棘刺(そうりんこくし)のごとくなり
親鸞聖人「正像末和讃」より
恩師
昨年10月、大谷大学在学時のゼミ担任であった江上浄信先生が浄土に還られました。
江上先生は、住職(父)在学時は寮監を勤められ、私の在学時には教授として教鞭に立っていました。親子二代に亘り、お世話になりました。先生、ありがとうございます。
決して名の知れた先生ではありませんでした。「白山さんは、大谷大学ではどなたのゼミだったのですか?」と尋ねられ、「江上浄信先生です」と答えても、先生のことを知る人はほとんどいませんでした。とはいえ、私は先生の元で学べたことを誇りに思っています。
高名な先生の大人数のゼミよりも、少人数のゼミで静かに学びたい気持ちがあり、江上ゼミの門を叩きました。ゼミ生どうし顔と名前がわかる環境下で、親鸞聖人の教えに学びました。
再会
世の中にFacebookなるツールが広まった際、江上ゼミの同期3人が結びつきました。ネットで会話を重ねるうちに、「先生のお寺に行こう!」という話になり、福岡県にある先生のお寺にお邪魔しました。先生と教え子3人、一泊二日の日程で懐かしい時間を過ごしました。2013年6月の話です。大学卒業から20年ほどの月日が経っていました。
以来、手紙のやり取りは重ねていましたが、直接お会いしたのは、そのときが最後となりました。
叢林(そうりん)
先生がお亡くなりになり、ご子息よりお手紙をいただきました。先生の法名は「叢林院釋浄信」。先生は生前、親鸞聖人の「正像末和讃」にある「叢林」という字を使ってほしいと願われていたそうです。
「叢林」とは、「荒れ果てた林」を意味します。先生には、「こんなに心の荒んだ自分にも、木々に鳥が集まるように、寄り添ってくださる方々が居られる」という想いがあったとのことです。
お手紙を読み、2013年に再会した時の、先生の嬉しそうな顔を思い出しました。
正像末和讃
さて、先生が自身の姿を重ねられた「叢林」ということばは、親鸞聖人の「正像末和讃」に次のように出てきます。
有情(うじょう)の邪見(じゃけん)熾盛(しじょう)にて
叢林棘刺(そうりんこくし)のごとくなり
念仏の信者を疑謗(ぎほう)して
破壊瞋毒(はえしんどく)さかりなり
親鸞聖人「正像末和讃」(試訳)
人間の邪(よこしま)な思想見解は、燃えあがる炎のように盛んで、まるで生い茂った棘(いばら)や枳殻(からたち)のようである。
煩悩燃え盛る性分は、念仏の教えを信じる者を疑い謗る。そして、破り、滅ぼし、怒りでもって念仏申す者を苦しめる。
全文を掲示すると「叢林」の味わいが薄れてしまうように感じ、先の2行のみ掲示しました。
人間の邪な物の考え方は、トゲトゲした樹木のようである。そのトゲは、触る者だけでなく、実は自身をも傷つけている。
「念仏の教えを信じない者が、信じる者を誹謗中傷して傷つける」と読めますが、「念仏の教えを信じている者自身も、念仏を疑い、信じ切ることができない」と吐露しているようにも受け取れます。
そのような邪な身である私にまでも、阿弥陀の慈悲の光明は届いていると、聖人は教えているかのようです。
『歎異抄(たんにしょう)』第二条
大学のゼミでは『歎異抄』を手掛かりとして、親鸞聖人の思想・教学を学びました。江上ゼミで特徴的だったのは、他のゼミは『歎異抄』の師訓編(第一条~第十条)の講義がサクサクと進むなか、三回生の一ヵ年をかけて『歎異抄』第二条の学びに費やしたことです。
『歎異抄』第二条より
親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。(試訳)
私親鸞においては、「南無阿弥陀仏」と念仏申して、阿弥陀如来にたすけられると、よきひと法然上人の教えをいただき、ただ信じるほかに、念仏を申す道理や理由などありません。
人間は、誰もが皆、邪な心を持っています。トゲトゲを無くして、阿弥陀に救われるに相応しい者となりましょう!というのではありません。教えを聞くことをとおして、自分にトゲある身であることを知り、トゲある身であるからこそ、阿弥陀の救いの対象であることを感じ得ます。教えをいただき、念仏申してきた人びとの姿を信じ、私もまた念仏申す身となる。「叢林」なる江上先生もまた、私に念仏を伝えてくださったよきひとです。
南無阿弥陀仏
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