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2023年1月31日 (火)

どんなに些細なことであっても、必要でないことはなにもない。

2023年1月の掲示板に掲示した親鸞聖人のことば

卯毛羊毛のさきにいる
ちりばかりもつくるつみの、
宿業にあらずということ
なしとしるべし
      親鸞聖人

「たとえウサギの毛やヒツジの毛の先にくっついている塵ほどの小さな罪やふるまいであっても、それらすべて、昔の行いと切り離して考えられるものなどありません。そのことを深く自覚するべきです」という親鸞聖人のことば。

1月に掲示することばを決めたとき、若坊守(妻)から「親鸞聖人がいたとき、日本にヒツジはいたの?」との質問が。「え、そう言われると…」。思いがけない質問だった。
ちなみに、ウサギは食用とされていた歴史があり、鎌倉時代も武士たちが狩りをして食していたので、“ウサギ”は聖人も実際に目にされていたことだろう(食べてもいたかもしれない)。

ネット検索すると、『日本書紀』に「599年、百済より羊二頭を献ず」と記されているとのこと。それから何度も大陸から献上されている。ただ、日本の気候には合わないので、放牧されて繁殖していたわけではなさそうだ。

とはいえ、親鸞聖人在世の頃、“ヒツジ”なるものがいることを知る人はいたようである。“ヒツジ”なる生き物がいることは知っていても、見たことはない…というのが実情だったのではないだろうか。
(「羊」なるものを想像でしか知り得なかったため、ヤギのことを羊と思い込んでいたという話もある。ヤギを漢字で「山羊」と書くのは、そんな勘違いからきた…という説もあり)

さて、“ヒツジ”という生き物がいることを知ってはいても見たことはなかったであろう親鸞聖人が、「細かいこと些細なこと」を言い表わそうとしたときにどうして「卯毛羊毛」と表現したのだろうか。

もしかして、仏教の表現で(仏教語として)、「細かいこと些細なこと」を表現するときに「卯毛羊毛」と言っていたのかもしれないと思って調べたけれど、そういう用例・事例はなかった。

「どうしてだろう?」「なぜだろう?」と頭の片隅に置いているときとは、思いがけない出会いがあるものである。小川洋子さんの文庫を読み漁っていたら、次の文章に出逢った。

羊は争いごとの苦手な生きものです。そんな羊が身を守るために神様から授けてもらったプレゼントはたった一つ、逃げ足です。相手を打ち負かして何かを横取りしたり、威張ったりすることに羊は興味がありません。たとえ弱虫と馬鹿にされたって気にしないのです。潔く、迷いなく、ひたすらに逃げる。これのどこが弱虫なのでしょうか。
〔『約束された移動』小川洋子(河出文庫)所収「黒子羊はどこへ」より〕

羊が神様から授けてもらったたった一つのプレゼント、逃げ足。争いを好まないことの象徴だ。
思えば、ウサギにも戦闘のイメージはない。

塵ほどの「細かいこと些細なこと」を表すために、「毛の先」をたとえに出すのであれば、たとえ強い生き物ではあっても「狼毛熊毛」でもかまわないだろう。それに、オオカミやクマの方が、親鸞聖人にとってはヒツジよりも身近な生き物であっただろう(聖人は、クマの皮でできた敷物に座っているし)。

オオカミやクマなど、好戦的なイメージのある生き物(ごめんなさい)ではなく、戦闘を好まないイメージの生き物を用いて「卯毛羊毛」と言われた。聖人は、ウサギやヒツジを、ニンゲンという生き物に重ね合わせて見ておられたのではないだろうか。「昔の行いと切り離せない」ということは抗えないということ。抗えないとわかっていても、そこから逃げよう避けようと思い願うのが人間の姿。そのイメージを表現するならば、オオカミやクマよりも、ウサギやヒツジの方がしっくりくる(と思う)。

人間の姿を凝視しているうちに、ウサギやヒツジの姿が重ね合わさった。オオカミやクマのような人にも出会ってきただろうけど。

かなりこじつけで根拠のない話だけれど、ことばひとつとって考えてみても、世界は広がっていく。物語(ファンタジー)が創造されていく。

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