2022年3月11日
2022年3月11日 東日本大震災から11年目を迎えました。
今日の午前中、地域の小学校の3年生がお寺を訪ねてくれました。自分たちの地域を知ろうという「地域探検」の一環で、西蓮寺に来てくれました。
西蓮寺がある世田谷区北烏山の地には26ヵ寺のお寺があります。先ずは子どもたちに、「どうして こんなにお寺がいっぱいあるか知ってますか?」と尋ねました。すると、何人かの子が「関東大震災!」と口に出してくれました。
はい、烏山寺町は、都内各地にあったお寺が、それぞれ関東大震災によって被災して、見渡す限り田畑であった烏山、つまり被害の少なかった烏山に移転してきたのです。
西蓮寺は、三田(慶応大学近く)から移ってきましたが、震災で被災したためではなく、震災後の区画整理・道路整理のため、現在地に移ってきました(ラーメン二郎の前の道路辺りは、西蓮寺があった所です)。そのため、烏山寺町の他のお寺より10年ほど遅れての烏山入りでした。
それから、「今日は何の日か知ってる?」と尋ねると、「東日本大震災!」と応えてくれました。
小学3年生、10歳くらいです。つまり、東日本大震災の揺れを体感していないし、津波の映像をリアルタイムで見ていない人たちです。それでも、「3月11日は、何が起きたか知っていますか?」と問えば、「東日本大震災」とすぐに出てくる。お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんの会話で知ったり、テレビやネットを見て、情報を身につけているのだと思います。そして、大変なことが起きたときなんだということは認識してくれています。
昨日、3月10日は「東京大空襲」があった日です。77年の時を経ています。
51歳の私は、そのときを知りません、空襲の恐ろしさをリアルタイムで体感していません。けれど、大変なことが起きたということ、つらい思いをした人びとがいるということ、そういうことは知っています。
それは、語り継いできてくださった方々がいるおかげです。
「関東大震災」「東日本大震災」「東京大空襲」・・・時を経て、その記憶は薄れていく。リアルタイムでは体験していない人びとが増えていく。それは当然のことですが、忘れてはならないこと、語り継いでいかねばならないことを、先往く方は言葉で、姿で遺していってくださいました。そのおかげで、私たちは起きた出来事の悲惨さ、大変さ、悲しさ、淋しさに触れ、知り、感じ、自分たちに出来ることを模索して、更に次の人びとに語り継いでいかねば!と、気持ちを奮い立たせていきます。
語り継がれてきても“戦争”の道を選ぶ人がいることは「人間の悲しさ」であると今現在感じていますが、それでも「ダメなことはダメ!」と語り継いでいくべきときです。
小学3年生の姿から、語り継がれてきたものは、受け止め続けられてきたものであることを感じました。
みんな、ありがとうございます(-人-)
(今日のお話し、法話YouTube版はこちら)
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