人間そのものを明らかにする宗教
第三節 「仏説無量寿観経」
諸師における「観」
ここまで、題号ということを中心にしながら話を進めているわけですが、善導大師の『観経疏』というお書き物の題名の「観経」という言葉、そして善導大師が『観経』それ自体を、「仏説観無量寿経」とはおっしゃらないで、「仏説無量寿観経」と、こうおっしゃった。そしてさらには「偏依善導一師」と言われた法然上人、そして親鸞聖人のお言葉まで視野に入れながら、『観経』という経典の経題を、きちっと押さえて読んでいく時、どういう事柄が私たちにとって明らかになるのだろうか。こういうことを、題号の説明としてではなく、題号を通して、善導大師が『観経』の疏をお作りになった精神の根本、同時にまた『仏説観無量寿経』という経典が持っている積極的な性格、そういうことを尋ねてまいりたいというような気持ちで話をしているわけです。
(後略)「観無量寿」と「無量寿観」
「観無量寿」と「無量寿観」と、どう違うのでしょうか。(中略)
「観無量寿」と言うた時には、おそらくこの「観」は誰がするのかということを考えられるのではないですか。「観」の主体は誰か。そういうふうに見れば、当然「観」の主体は衆生でしょう。「衆生が無量寿を観察する」。こうならないと、「観無量寿」と、「観」が「無量寿」の上に置かれた意味がないですね。「衆生が無量寿を観察する」。そう読んだといたしますと、極端な言い方になりますが、衆生が見るもの、人間が見るものは全て人間の限界内のものしか見ないということを照らし合わせてお考えになってみてください。すると、衆生が無量寿を観察したと言うならば、観察した内容は「無量寿」という妄想であるかもわからない。こういう問題が非常に素朴に出てきます。
そして「無量寿観」という時ですが、(中略)素朴に見ていくといたしますと、これはやはり「無量寿観」と「観」の字が下にあって「無量寿」が上にある限り、「無量寿が何々を観ずる」としか読みようがないですね。「無量寿観」の下には何も書いてありませんが、「無量寿が何々を観ずる」と。素朴な言い方ですけれども、そうしか読みようがないでしょう。(中略)この「観無量寿」と「無量寿観」の二つを比べた時には、素朴に言うて、「観無量寿」は「衆生が無量寿を観る」、衆生の能力をもって「無量寿を観ずる」。「無量寿観」の方は、逆に「無量寿が衆生を観ずる」と。こういうことが基本的に了解できるのではないでしょうか。そうそう難しく考えなくてもそうなる。考えなくてもそうなるという、このことが一番大事なことなのだと私は思っているのです。
なぜかと申しますと、もし「衆生が無量寿を観ずる」という方向で「観無量寿」ということを問うていこうといたしますと、いろいろな形で問題が出てくると思います。(後略)(『興真宗 観経玄義分試解』広瀬杲著 東本願寺出版
「第三章 善導における仏道了解の視点」より)
平成7年(1995年)夏安居において、広瀬杲先生よりいただいたお話。夏安居の場にいたにもかかわらず、今頃になって、いただいた教えの重さを感じている。先輩から「この本は一生読み続けろ」と言われたことの意味が、やっとわかってきました。南無阿弥陀仏
講本『興真宗』は、『真宗聖典』と共にデスクの傍らにあります。
善導大師は、『仏説観無量寿経』ではなく『仏説無量寿観経』と記された。それは、衆生が無量寿を観察するのではなく、無量寿が衆生を観ていることを表した経典だから。私たちが無量寿を観察しようとする、見ようとする行為は、いろいろな形で問題が出てくる。賢くなったつもりで経典を解釈、無量寿を解説してしまうから。そうではなく、無量寿が生きとし生けるものを観ている。無量寿の眼に映る衆生の姿が描かれているのが『仏説無量寿観経』。無量寿の眼に映る衆生を我として受け止める。そこを抜かしてはいけない。
善導大師のおこころを受けて、親鸞聖人は『顕浄土真実教行証文類』六巻 化身土巻の標挙の文に「無量寿仏観経の意(こころ)」と記し、「謹んで化身土を顕さば、仏は『無量寿仏観経』の説のごとし、真身観の仏これなり。」と書き出されている。
『顕浄土真実教行証文類』も、他の経典もまた、無量寿の眼に映る“わたし”が描かれている。
無量寿より眼差しを受けているから、教えに出あえ、念仏を口にする“わたし”がいる。
そのことをまるでなかったことのようにして、“わたし”は無量寿を見てはいないだろうか。
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人間の要請に応える宗教と、人間そのものを明らかにする宗教と、その峻別が明瞭にならないと宗教が曖昧になる
広瀬杲 (出典不明)
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