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2022年1月 8日 (土)

親鸞の思想はいささかも古びてはいない

こんにちの本願寺は長い歴史を持ちすぎた。なお二万の末寺がある。それぞれの多くは他の宗旨とともに「寺に僧の形をした者がいる」というだけの形ばかりのものになった。
・・・・・・これほど新鮮な、これほど刺激的な、これほど深い教えはなかったし、人々もこの教えによって生気を持ち、この教えのために殉じた。強烈な思想だったのである。今でもこの親鸞の思想はいささかも古びてはいない。ただ、説く教職者がこんにちの人に訴えるだけの力を持っていないだけのことである。
〔『尻啖え孫市』(しりくらえまごいち) 司馬遼太郎〕

凡夫は凡夫なんです。
他力によって、聞法によって、煩悩具足の我が身であることを自覚する。
弥陀の光明に、我が身がどうのように照らし出されているか。そのことを語る者は、少ない。

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