掲示板のことばアーカイブズ(45)
2021年(令和3年)
1月〔№527/寺報「ことば こころのはな~西蓮寺掲示板のことば~」№269〕
名号不思議の海水は
逆謗の死骸もとどまらず
衆悪の万川帰しぬれば
功徳のうしおに一味なり
親鸞聖人「曇鸞和讃」
2月〔№528/寺報№270〕
良き日 悪しき日 言う勿れ。
今日一日の有り難さ。
金子大榮
3月〔№529/寺報№271〕
足を踏まれた痛みは、踏まれた者にしかわからない。
その私が、他者の足を踏んでいる。
4月〔№530/寺報№272〕
今、同じものを見ていてもひとり一人想いは違う
ひとり一人の出発点となる光景が違うから
5月〔№531/寺報№273〕
陽の光がすべてに恵みを与えるように
仏の慈しみもすべてを遍く照らしている
6月〔№532/寺報№274〕
他を批判する刃が自己を斬らないような批判は、批判の名に値しない。
真の批判は、批判されるものを、批判するものが我とする。
和田 稠
7月〔№533/寺報№275〕
自然に対して僕はマイノリティーなんだと
感じさせられる日々です。
小林賢太郎
8月〔№534/寺報№276〕
仏の智慧とは自己を知ることである
曽我量深
9月〔№535/寺報№277〕
今もどこかで大雨が降っている
今もどこかで大地が揺れている
10月〔№536/寺報№278〕
煩悩にまなこさえられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり
親鸞聖人「源信和讃」
11月〔№537/寺報№279〕
これからどう生きるべきかを問う前に、
これまでどう生きてきたのかに目を向けたい。
12月〔№538/寺報№280〕
砂浜は歩きにくいけれども
うしろをふりかえれば、
自分の足あとが一つ一つ残っている。
そんな人生を母さんはえらびました。
遠藤周作『影に対して』
« ことばは、“私”にとどいているもの | トップページ | 「御文」第五帖 第12通(御袖すがりの御文) »
コメント