発展による知識の上書きで、大切なものを消してしまってはいないか
2022年1月17日を迎えた。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災から27年が経つ。
当時私は23歳で、京都であの揺れを体感した。毎年本堂でお勤めし、忘れることはない。けれど、時の経過は、復興の歩みでもあると共に新しい事柄の上書きにより忘却されてもゆく。今、それぞれの想いを具現化して頑張っているZ世代は、阪神淡路大震災を知らない。東日本大震災にしても、10年以上が経ち、震災後に生まれたいのちが懸命に生きている。
トンガで海底火山の爆発が続いている。遠く離れた日本にまで噴火の衝撃波が届いている。海底ケーブルが寸断され、現地の情報収集も、通信のやりとりもままならないと聞く。トンガや周辺の国々、人々は大丈夫だろうか? ご無事でありますように。
天気の予測や地震発生・火山噴火のメカニズムなどが研究され、さまざまなことがわかり、精度も上がっていることだろう。けれど、今回のトンガでの海底火山爆発後の、日本への津波の影響予測が、影響なしから警報へと変わった理由が「従来にないメカニズムだったから」と聞く。自然の事象や環境は、まだまだ解明されていない事柄が多く、予測・予知・予想どおりに動くわけではない。そもそも、人知では計れない事象も多くあることだろう。
「しっかり研究・予測してくれよ!」と他者に委ねて高圧的に物申すのではなく、未知のなかに身を置きながら共に生きている存在であるという認識を、忘れてたくない。
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