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2022年1月 5日 (水)

無明から導かれるものがある

昨年終盤から新型コロナウイルスのオミクロン株が猛威を振るい始め、今年に入り沖縄・東京でも「蔓延防止法等重点措置」の適用を考えなければならない状況におかれている。

新型コロナウイルスが発生してからニュースで取り上げられない日はない。感染者数・重症者数・死亡者数の報告、病院のひっ迫状況や亡くなった有名人を報じ伝えるニュース。未知の病気に対する恐怖心や溢れ出るコロナの報道を前にして、“あおられている”と感じている人びともいる。けれど、いわゆる「あおり運転」と表現される“あおり”と同意で考えるのは間違いであると思う。ニュースがすべてを正しく伝えているわけではないけれど、現実からそう離れないところを報じているのだと思う。であるならば、その現実を“あおり”と受け止めるのではなく、その現実からどう動くか、ということを考えなければいけない。

人は、自分なりの答えを持っている。それゆえに、受け入れ難い情報は排除したい。迷うことは悪だ、迷いのない状態が正しいと考える。
しかし、答えのないなかを、今、みんな歩んでいる。悩みながら、迷いながら。

人間の愚かさは 何に対しても答えを持っているということです(ミラン・クンデラ)

なぜ覚りが開けんかといえば、迷わんからだ。(安田理深)

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