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2022年1月10日 (月)

ことばは、“私”にとどいているもの

昨日の投稿「南無阿弥陀仏がないからでしょう」と一昨日の投稿「親鸞の思想はいささかも古びてはいない」の引用文は、20年ほど前に記したノートに書いてあったもの。現代(いま)に通ずる、まったく古びていない文章です。

時代に迎合した文章は、あっという間に流れ去って行きます。けれど、真実を突いた言葉は古びることがない。不思議なことにいつの時代にも当てはまっていく。

引用文を用いるという行為・・・自分の意見を固めるために犯しがちなことです。誰々がこう言っていた(だから私の考えは正しい)と。他者(先達)の文章(言葉・息吹き)は、自己肯定のために用いるのではなく、その文章の言わんとしていること、奥底にある想いなどを感じとり、果たして自分はどうなのかということを見つめるために、時代を超えて生き続けてあるものだと思う。

文章(言葉・息吹き)は、自分の意見を固めるため、正当化するため、他者を貶めるために用いるものではない。

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