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2022年1月 9日 (日)

南無阿弥陀仏がないからでしょう

この頃は、どうしたら青少年の間に布教伝道できるかということを重大問題のように思うておる人があるし、布教伝道ができないのでみすみす寺院が荒廃してくると、悲観している寺院の子弟や青年住職がおります。前途に光がないという。それは、南無阿弥陀仏がないからでしょう。南無阿弥陀仏あるところに念仏成仏ありとは、これは自然の道理であります。南無阿弥陀仏は、いくらでも子供を生むものであります。
(「ひかりといのち」『曽我量深講義集』第14巻)

新型コロナウイルスのせいで布教伝道、門徒さんとの交流がもてないと、悲観している寺院の子弟や青年住職がおります。
コロナ以前から布教伝道、門徒さんとの交流に意識を持っていたならば、コロナがあろうがなかろうが、やることは同じです。
南無阿弥陀仏をお伝えし続けるだけです。前途には光しかありません。
南無阿弥陀仏

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