« 公平性・公正性・透明性 | トップページ | 発展による知識の上書きで、大切なものを消してしまってはいないか »

2022年1月16日 (日)

みんなのなかの私 私も含まれてのみんな

自身の成績が上がらず落ち込んでしまう。
成績が何を指すのか。自分の取った“点数”ならば、それはテストの難しさやテストの傾向の得意不得意もあるから、点数が上がらないから成績が伸びない、点数が下がったから成績が落ちたとは言い切れない。それに、入学して最初のテストは、先生も生徒のレベルを見るためにほどほどのテストを作るだろう。そこから難しさも上がってくるから、個人の成績(点数)が上がらないからといって、一概に成績が落ちたとはいえない。ただ、“点数”を気にするということは、自分を絶対化しているので、点数が下がれば自信の喪失へとつながってしまう。
“順位”や“偏差値”ならば、そこには他者との兼ね合いが存在する。自分を相対的に評価できるから、「あいつに負けたくない」「自分のレベルは今これくらいなのか」と、自分のレベルを他者と共に見られる、感じられる。
自分の出来具合を絶対値にしてしまうと、成績の上下に一喜一憂してしまう。
相対化したなかの自分を見ると、自分を客観視できる。
と、そんな簡単な話でないことはわかっている。いろいろなことが絡み合ってのことです。

現代(いま)起きている事柄に則して書いたけれど、
「他者との比較のなかで一喜一憂している私が(つまり相対化のなかで私自身を認識しているにもかかわらず)、自分を絶対視するがゆえに自分を見失っている」状況が、誰にでも起こり得るということを思いました。

« 公平性・公正性・透明性 | トップページ | 発展による知識の上書きで、大切なものを消してしまってはいないか »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 公平性・公正性・透明性 | トップページ | 発展による知識の上書きで、大切なものを消してしまってはいないか »

フォト
2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ