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2021年4月

2021年4月11日 (日)

言の葉を綴るということは、その背景にある想いがあるということ

ホームドラマの第一人者、橋田寿賀子さんは代表作の「おしん」(1983~84年)について、「貧困や苦難を耐え忍ぶ成長物語」と受け止められること不満だった。それよりも戦争を憎む気持ちから、「日本人には戦争責任があるということを訴えたかった」と繰り返し語っていた。
(「東京新聞」2021年4月6日(火)より)

 ☆ ☆ ☆

橋田寿賀子さんが亡くなった。

「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり]に惹き付けられた人は多いと思う。

その、多くの人が惹く付けられた「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」。

それら作品を褒めたたえるのは良いことだと思う。

けれど、受信側としては「良かった」「大好き」「うんうん、その気持ちわかる」で終わっては・・・いけない。

橋田さんの本望ではないだろう。

発信者の話を聞き、意図を聞き、発信者の想いを想像する。

それが、発信者の意図を感じる受信者側の義務ではないか。

時には、発信者と受信者の思いが乖離することだって、当然ある。

でもそれは、発信者側の想いを聞く縁のない場合でのこと。

橋田さんが亡くなり、多くのメディアが彼女の死を取り上げた。

そこには、彼女の想いが綴られているはずだ。

それを目にした受信側の私たちは、発信者の想いを受けとめなければいけない。

たとえ賛同できようが、できまいが。

「日本人には、戦争責任があるということを訴えたかった」

この言葉は、重い。

けれど、それだけにキチンと受け止めなければ、また同じ過ちを繰り返してしまう。

2021年4月10日 (土)

たずね続ける歩み

 人間は運がいいときには「先手を取り」、運が悪くなると「後手に回る」というものではない。「後手に回る」人間は必ず後手に回る。それは一つの器量なのである。というのは、まず「問い」があり、次にそれに対して適切な「答え」をするという先後の枠組みでものごとをとらえる習慣そのものが「後手に回る」ことだからである。
 私たちは子どもの頃から「後手に回る」訓練をずっとされ続けいる。「教師の出した問いに正解する」という学校教育の基本スキームをのものが実は「後手に回る」ことを制度的に子どもたちに強いているものだからである。教師の出す問いに正解すれば報酬があり、誤答すると処罰されるという形式で状況に処することに慣れ切った子どもたちは、そのようにして「構造的に後手に回る人間」へと自己形成する。それは会社に入った後も変わらない。仕事というのは、すべて上司から「課題」や「タスク」を出された後に、それに適切な「回答」をなすという形式でなされるものだと信じているサラリーマンたちは全員が「後手に回る」人である。
 なぜ日本社会ではこれほど念入りに「後手に回る」訓練を国民に強いるのか? 難しい話ではない。権力者に頤使(いし・・・あごで指図して思いのままに人を使うこと)されることに心理的抵抗を感じない人材を育成するためである。「問いと答え」というスキームにすっぽり収まって生きていると、「問いを出す上位者」と「答えを求められる下位者」の間で非対称的な権力関係が日々再生産されているということに気づかない。でも、そうなのである。
(『週刊金曜日』3月19日発行 1321号 内田樹 「凱風快晴 ときどき曇り」Vol.21より)

 ☆

本来 答えなどない人の世を生きているのに、答えを求めて生きて、もがいている。

答えがないなら、問いもないのか?

否、問いはある。

だから、現にもがいている。

けれど、決して答を必要とされる問いではない。答えがある問いでもない。

持ち続ける、たずね続ける、試行錯誤・自問自答し続ける・・・答えのない歩みは問いがあるから。答えのない歩みは、つまり生きるということ。

答えのない気持ち悪さや戸惑いから逃れようと、答えでないものを答えとしていないか。

これが答えだよ、とそそのかす上位者に「おかしい」「本当は違うと思うんだけど」などと思いながらも従ってはいないか。

その態度が、日々自分を追い詰めている。

自分で「こうかな?」と思い至って指し出す歩一歩は、やがて「先手を取る」ことへと通じる。

上位者に言われるがままの一歩は、たとえ自分で「こうかな?」と思ったことと同じであったとしても、それは「後手に回る」。

2021年4月 9日 (金)

自立とは、「助けてください」と言えること。自分一人で生きていると思っているのは、自立ではなく孤立

自立が当たり前といわれている社会で、本当は人は依存しながら生きている。言葉でいうと簡単だけど、依存とは気持ちいいものではなくて、きたないこともあるし、つらいこともある。だけど、とても人間関係において大事なことでもある。その大事で、つらい“依存”の価値を見つける本です
ー『居るのはつらいよーケアとセラピーについての覚書』著者 東畑開人(ひがしはた・かいと)さんの言葉-
〔AERA(2021年3月29日 №14より〕

2021年4月 8日 (木)

釈尊降誕会

釈尊降誕会 表白

 春の野のうるわしき花々を
 清きおもいに あつめきて
 み仏さまにささげ そなうる
 たのし たのし 今日のまつり

春、4月 本日ここに烏山仏教会 花まつりも(休会とはなりましたが)第91回を迎えます。
ヒマラヤ山の南に釈迦族が都をかまえ、その王として淨飯王、妃として摩耶夫人がおられました。
ある日、妃は生家に帰る途中 ルンビニー園で休息。折からの春の陽はうららかに、アショーカの花はうるわしく咲き 匂っておりました。妃はその枝にふれようと右手をあげたとき、王子が生まれました。ときに4月8日でありました。
そして王の名は悉達多(シッダールタ) 後世まさしく釈迦族の尊者として釈尊と称されています。
仏教をこの世に説かれた人、釈尊誕生をお祝いする行事が、この花まつり、降誕会であります。
ルンビニーで生まれ、ブッダガヤで道をさとり、ベナレスで教えを説き、クシナガラで亡くなりました。
私どもは、釈尊の一生をとおして、また、教えをとおして、人間に生まれた意義と生きる喜びを見い出させていただいた 如来の恩徳に報じ 感謝の念を新たにするのであります。 南無阿弥陀仏

 2021年4月8日

 🌸 🌸 🌸

烏山仏教会花まつりは、昨年に続き本年も休会の判断をさせていただきました。

色鮮やかなお稚児さんの姿と賑やかな声に出会えないのは淋しいですが、人を集めることのリスクを回避させていただきました。

本日は各寺院において、お釈迦さま降誕会のお勤めを致しました。

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西蓮寺本堂にて、午前10時より法要をお勤めしました。

境内には、ハナミヅキとツツジが咲きはじめました。

2021年4月 7日 (水)

15の夜

娘の中学校入学式

保護者は生徒ひとりに1名のみなので、妻が出席(私は仕事)

入学式が始まる前、保護者は体育館で子どもたちの入場を待つ

その間、妻がママ友数人と話していて・・・

ママ友のお連れ合いが この中学校の出身。私もOB

私の先輩であったり 同期(はいるのかな?)であったり 後輩であったり

話の内容と言えば、私が通っていた時代の生徒たちの武勇伝 武勇伝♪ (^∀^)

式を終えて帰ってきた妻から聞かされた、中学校の昔々のお話

先生たちにしてみればたまったものではないし

今の保護者からすれば想像もできないこと

私にはとてもとても懐かしい話

今は校舎も変わり、制服も変わり、まったく違う学校になっているけど(それでいいんだよ)

あの頃の中学校、いろんなことがありすぎて、いろんなことで悩んで、苦しかったけどとても好きだった

ごめんなさい(なぜか謝っておく)

こんな夜は、尾崎豊の「15の夜」を聞いて過ごそう

 盗んだバイクで走り出す

 行先も解らぬまま

 暗い夜の帳の中へ

 誰にも縛られたくないと

 逃げ込んだこの夜に

 自由になれた気がした

 15の夜

(雑感)
「15の夜」や尾崎豊の歌の歌詞を広告に用いたら「こんなこと正当化するつもりか」「子どもがマネしたらどうする」などという苦情が出て、広告を引き下げたというニュースを聞いたことがある。
つまらない世の中になったなぁと思った。
溢れだす想いを放出・発散・爆発させるべき時代(年齢)に蓋をされてしまって育った いのち は、過去を振り返ったときに大声で笑えるのだろうか、胸がズキンと傷むのだろうか、涙を流せるのだろうか・・・
年寄りの戯言だけど

若いいのちへ 自分に懸命に向き合い 自分の言葉で語ろう! 自分の想いに無理矢理蓋(ふた)をするときではないよ!

2021年4月 6日 (火)

美しき停滞

2021年4月5日「真宗本廟お待ち受け大会・本廟創立七百五十年記念大会」が開催されました。

真宗本廟お待ち受け大会・本廟創立七百五十年記念大会

池田勇諦先生(真宗大谷派僧侶・同朋大学名誉教授)の記念法話「慶喜奉讃に起つ」 ぜひご聴聞ください。

2021年4月 4日 (日)

スタープラチナ

「東京新聞」2021年4月3日朝刊 「筆洗」より

「窒化ガリウムは素材としてはやっかいでして・・・」。開始からまもなく、置いてきぼりになったのを覚えている。ノーベル物理学賞受賞を記念した数年前の赤崎勇さんの講演である。「私は、(弟子の)天野教授の前座です」と一瞬笑わせたのはいいが、その後はずっと専門の用語を使い、なじみのない物質の名を多用して、自身の研究を語り続けた▼客席には専門外の人も多かった。熱心だが、ユーモア抜きの話は一時間以上に及ぶ。置き去りになる一方で、「一徹」を思わせるきまじめさと自らの研究に対する熱意、愛着が伝わってきた。それゆえのノーベル賞であったかと、多くの人が感じたはずである▼青色発光ダイオード(LED)開発に成功した赤崎さんが亡くなった。難問の「青色」をめぐり、赤崎さんと同じ方向の研究者は相次いで断念、撤退している。赤崎さんもやめたほうがいいという声を多く聞いたが、「ひとり荒野をいく」という心境で曲げなかった▼窒化ガリウムを使った研究は天野さんの活躍があって成功する。光の三原色がそろいLEDの光は世界中に届くことになった▼「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」。仏典の阿弥陀経は、そう極楽をえがいているそうだ。青いれんげは青く、黄色は黄色い・・・光を放つと▼青く光るべきものを青い光に導き、世界に花をもたらした人の生涯を思わせる。

 

昨日のブログ投稿で、赤崎勇さんと田中邦衛さんの訃報にふれた。

「東京新聞」のコラム「筆洗」においても、昨日は赤崎勇さん、今日は田中邦衛さんのエピソードが書かれている。

おふたりとも、出会った人のこころに残る人柄だったのだろう。

昨日の「筆洗」で、『仏説 阿弥陀経』の一節が出てきたので目に留まった(上記)。

新聞の社説や毎日のコラム欄を書く人の関心の広さを想う。

青く咲くべき蓮華は青く光り、

黄色く咲くべき蓮華は黄色く光り、

赤く咲くべき花は赤く光り、

白く咲くべき蓮華は白く光る。

『仏説 阿弥陀経』においては、阿弥陀如来の浄土に咲く蓮華の姿が描かれているだけで、「これには、こういう意味があるのです」などとは書かれていない。

けれど、教えにふれた者が、蓮華の姿を衆生(私)の姿に照らし合わせて、

「私は私として生きればいい。他の色(人)になる必要はない」と受け止められた。

教えと、教えにふれた者の歩みが、今、私に届いている。

(雑感)

絵の具など、色の三原色は、赤・青・黄。

この3色を、割合を変えて混ぜ合わせると、さまざまな色を表現できる。

3色を、同じ割合で混ぜると黒になる。

光の三原色の場合は、赤・緑・青。

この3色を、割合を変えて混ぜ合わせると、さまざまな色を表現できる。

つまり、赤崎勇さんが青色発光ダイオードを開発されたことによって、LEDライトを使ってさまざまな色を表現できるようになった。

この開発は、光の表現の可能性を爆発的に広げたことになる。

そして、赤・緑・青の光を同じ割合で混ぜると、白になる。

阿弥陀の浄土で輝く蓮華は、青・黄・赤と説かれてはいるが、その「黄」とは「緑」のことではなかったか!?

だから、青と黄(緑)と赤の蓮華が、それぞれが本来の色として輝いている浄土では、青と黄(緑)と赤が混じり合った白い光(白色の光という意味ではなく、まばゆい輝き)を放っているのではないだろうか。

ということを、ふと想いました。

南無阿弥陀仏

2021年4月 3日 (土)

青が往く

LEDライトなるものが世に出てから、「青色のLEDはできないんだよ」という情報を聞いていた。

素人ながら「あぁ、青色って難しいんだなぁ」と思った。

と言われていたにもかかわらず、青色発光ダイオードは開発され、現代の私たちの生活に欠かせないものとなっている。

青色発光ダイオードを開発された赤崎勇さんが 2021年4月1日に亡くなられた報に触れ、その偉大な開発を思い返していた。

 ☆

まったく関係ない話なのかもしれないが、バラやカーネーションなど自然界に青色が存在しない花を作ることは難しい(不可能)ということを聞いたことがあるので、青という色は人工的に作ることが難しいいろなんだなと思っていた。

英語で「Blue Rose(青いバラ)」といえば「不可能」を意味してもいる。

その青いバラも、遺伝子組み換え技術によって開発され、誕生した(「青」と言っても「紫」に近い印象があるが)。

ただ、最近お花屋さんで見かけるようになった青い花弁の花は、青い液体を吸わせることによって青を出しているので、開発・誕生したものではない。

 ☆

昨晩は、赤崎勇さんの訃報と共に、俳優の田中邦衛さんの訃報も流れた。

3月24日に老衰で亡くなられたとのこと。

数日前にふと「最近、田中邦衛さんを見ないなぁ」と思っていたので驚いた。

田中邦衛さんのイメージは、「北の国から」の黒板五郎さんという方も多いと思う。

私の中で、田中邦衛さんという俳優さんが記憶に刻まれたのは、映画「若大将」シリーズで、加山雄三演じる若大将に対抗心を見せる 田中邦衛さん演じる石山新次郎のニックネームが“青大将”だったこと。

加山雄三さんの“若大将”のニックネームと共に田中邦衛さんの“青大将”も語られるけれど、田中邦衛さん的にはどう感じていたんだろう?ということを思っていた。

 ☆

赤崎勇さん 青色発光ダイオードの発明・開発をありがとうございます。

でも、それに先立って多くの技術者が諦めていく中で、「我ひとり荒野を行く」という姿勢で開発に取り組まれていた姿勢に轢かれます。

田中邦衛さん 北の国からの「子供が、まだ食ってる途中でしょうが!」のシーンと、泥の付いた一万円札が印象的でした。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

2021年4月 2日 (金)

いくつになるぞ。念仏もうさるべし。

4月2日は誕生日。ガチャピンとムックと一緒 (^-^)

朝ごはんを食べているとき、娘たちが「パパ、何歳になったの?」と聞くので「50歳だよ」と答える。

10歳年下の最愛の妻が「50歳と39歳だと、なんかすごい違うね! おじさんだ‼」と宣う。

「あなたも、今年10の位がひとつ増えるからね!」(^∀^)

 ☆

体力が落ちて老眼も進んだけれど、年齢を重ねたことを一番感じるのは、夜に仕事をしてもまったくはかどらないこと。

仕事は進まないし、内容も散々。翌日やり直すことばかりです。

ショートスリーパーだったので、4時間ほど寝れば翌日も元気だったのだけれど、今は子どもたちと一緒に就寝。

たまに遅くまで仕事をしていると、翌朝に疲れが残ります。

あぁ、確実に年とってんなぁということを実感。

 ☆

先輩僧侶から電話が☎

まったく別件での電話だったけど、話している途中で「あ、そういえば今日誕生日だったね!おめでとう🎉」って。

誕生日を覚えていてくださったことにびっくり。

一緒に旅行に行ったときに話したんだったかな? 

4月2日は、ちょっと印象的な誕生日だとは思うけど、誕生日を覚えていてくださって嬉しかったです。

「いくつになる?」

「50歳になります」

「お~、働き盛りだ!」

50歳になる人間が出しゃばっちゃいけないなぁと思いながら務めていますが、先輩から いろいろな意味でいい年だと語られると、

ここまで生かされてきたことの恩返しをするお年頃なのかな、とも思いました。

受けたバトンは、ちゃんと次に世代に渡していかなければ!

 ☆

自分の誕生日は、先を生きる人たちと後を生きる人たちとの間にある私であることを自覚する日

南無阿弥陀仏

2021年4月 1日 (木)

2021年4月のことば

4月を迎えました。
今年は、桜🌸舞う中で卒業式を迎えました。咲くのも散るのも早かったです。
境内では、躑躅(つつじ)や芍薬(しゃくやく)も咲きつつあります。
花の咲き始めが1ヵ月ほど早くなっています。
外掃除をしていると、汗ばむ暑です。
自然は、自然のままに循環しています。南無阿弥陀仏

 🌷 🌷 🌷

2021年4月のことば

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今、同じものを見ていても ひとり一人想いは違う

ひとり一人の出発点となる光景が違うから

ひとり一人の原風景

2年ぶりに開催されたセンバツ高校野球。仙台育英(宮城)の島貫丞主将が選手宣誓をされました。

「この3月で東日本大震災から10年となりました。日本、世界中に多くの協力や支援をいただき、仲間に支えられながら困難を乗り越え、10年前 あの日見た光景から想像できないほどの希望の未来に復興が進んでいます。これからの10年、私たちが新しい日本の力になれるように歩み続けます。」(選手宣誓の一部)

震災後の対応に対する日本政府への不信感や原子力発電依存への警戒感を持つ者からすれば、「復興にはほど遠い」「この10年間、何も変わってない」というのが率直な感想ではないでしょうか。そのような感覚の者からすると、選手宣誓にあるような「想像できないほどの希望の未来に復興が進んでいます」という言葉に違和感を覚えるかもしれません。私もその一人です。

けれど、大人の小賢しい考えを抜きにして、若人の宣誓に素直に耳を傾けたとき、私は現在(いま)だけを見て物を語ってきたのではないかということを思いました。

高校球児は、16~18歳くらいの年齢です。ということは、10年前の東日本大震災時は、6~8歳ということになります。そのくらいの年齢だと、それまでの思い出や記憶もおぼろげな頃ではないでしょうか。つまり、震災前と震災後の、街の光景や人間模様を比べるのではなく、震災後の光景や人間模様を出発点として、彼らはここまでの人生を歩んできて、現在の光景を見ています。

「復興にはほど遠い現状である」と口にし、「オリンピック・パラリンピックは震災からの復興の証」などという文言に違和感や嫌悪感を抱く人びとは、震災前の光景や人間模様を知っています。だから、震災前と震災後とを比べて、少しでも震災前同様の状況に戻ってほしいと「復興」を語ります。それゆえに「復興にはほど遠い現状」が見えて、落胆したり、怒りに震えたりします。

けれど、震災が発生した頃からの記憶を出発点とする若人にとって、防潮堤が築かれ、土地をかさ上げする大規模な造成工事が行われて高台移転し、街が整備されていく光景は、紛れもなく復興していく光景です。

今、同じ光景を見ていたとしても、ひとり一人感じることは違い、表現する言葉も異なり、未来に向けて希望を持てるか持てないかも人それぞれです。それは、現在の事柄や環境だけがそうさせるのではありません。ひとり一人の原風景、出発点となる光景が違うのですから、今、見えている光景が違うのも当然のことです。

ひとり一人に、出発点となる光景がある。そのことに、島貫丞選手の選手宣誓から教えられました。

今の光景には、出発点がある

ひとり一人に出発点となる光景があります。そういう視点が、そういう想像が欠如してはいなかったでしょうか。

たとえば、東日本大震災後の復興のために声を挙げ続けることは諦めてはいけません。今もなお避難されている方々の現状、原発事故の現状から目を逸らしてはいけません。けれど、被災した光景を原風景として、復興への歩みの只中を生き、その変化を心身で感じながら生きてきた人びとがいます。その人びとの目に映っている「復興」の姿もあります。

たとえば、「多様性を認めよう」ということが言われています。しかし、「現代はそういう時代だから」「時代の流れだから」という見方で、「私は認めています」という態度をとってはいないでしょうか。
多様性を認めるということは、他者(ひと)を認めるということです。そして、他者を認めるということは、現在の姿や思想だけを見て判断する、受け容れるということではなく、その他者の出発点となる光景を見る(知る)ということです。

目の前にいる人の出発点を知る。
誰にでも出発点となる光景がある。
知る、想像するということが多様性を認めることにつながり、他者を知るということに膨らみを持たせます。

現在のコロナ禍を原風景とする世代

10年前の出来事を原風景とする若人の目に映っているものに想いを馳せました。さて、10年後を生きる若人の目に、現在の光景はどのように見えていることでしょう。

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、この一年あまり行動を制限しながら生活をしてきました。人と人との交流、実際に面と向かって話をすること、食事をすること、旅行に行くことへの飢えを、身をもって感じている人も多いのではないでしょうか。だからこそ、コロナ以前の生活に戻ることを、コロナの収束として思い描いています。それは、人と人との面と向かっての交流が身に沁みついているからです。

けれど、このコロナ禍の状況を原風景とする若人にとって、「人との交流」と言っても、また違った光景として見えてくるのではないでしょうか。

「アフターコロナ」「ウィズコロナ」というと、あたかも今後のコロナとの付き合い方や処し方を思いますが、そうではなく、「人との交流」の変化を表現した言葉になるのかもしれません。

コロナ以前を是として、そのときの人と人との付き合い方を求めると、現在のコロナ禍を原風景とする若人との間に乖離(かいり)を生んでしまいます。

コロナ以前を知っている者もまた、現在のコロナ禍を原風景のひとつとして目に焼き付けることを、これからに向けて忘れてはいけません。

 🌞 🌞 🌞

掲示板の人形
娘たちチョイス(*^▽^*)

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