同じコロナ禍に身を置いてはいても
「非常事態宣言」が延長された。
ウイルスが蔓延しているのだから、一ヵ月やそこらで収束するなんて思ってもいなかった。
菅総理が「責任はすべて私に」などと語るのを聞いていて、いやいや 感染症そのものの責任なんて、誰もとれないし背負うものでもないだろう!と思いながら会見を聞いていました。
政治家として、やるべきことをやらなかった、やるべきでないことをやってしまった、という責任はあるにしても。
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政治に関わる仕事をしている友人と話をすると、
「新型コロナが早く収まるといいんだけど・・・」
「なかなか収まらないね・・・」
と、新型コロナが一日も早く収まることを願うような、収まることを前提としたような口調で話す。
病院に関わる仕事をしている友人と話をすると、
「1ヵ月 2ヵ月でなんとかなる相手じゃないですよ」
「年単位で見ないといけないですよ」
と、新型コロナの収束は年単位で見るべきとハッキリ言う。
どっちがホッとするか、どっちが正しいか、とかいう話ではなくて、
身を置いている場所によって、かくも感じ方・身の処し方・覚悟の決め方が違うんだなぁと思いました。
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政治の場、医療の場にいる友人の話ではなくても、
同じ屋根の下、同じ職場において、新型コロナへの感度の違いが亀裂を生んでいる。
新型コロナ感染を心配して、マスク着用や手洗いを励行している人もいれば、「コロナは風邪だ」「若い人はかかってもたいしたことない」などといて、感染対策に気を遣わない人もいる。
同じ考え方の人が集まっていればもめ事は起きないだろうけれど、同じ場にいる者でこうも考え方が違うと関係に亀裂が入っても仕方がない。
話し合ってどちらかに意見(考え方)を統一できる話でもないから厄介だし、それこそ家族内で意見が違うのは気の毒です。
何事も、本来の問題から発する 2次被害 3次被害に心痛めます。
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