ひとつの事柄には、多くの事象が集約されている
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の「女性蔑視発言」。
会長(この投稿においては“会長”と書いてあります)自身の責任としては、“辞任”(というのだろうか)によって終わるのだろう。
けれど、それだけで終わらせていい話ではない(会長への責任追及をもっと!と言う意味ではない)。
当の会長に対するマスコミの扱いや、私たちの見方も、「問題発言の常習者」という見方をしてはいなかっただろうか。
「女性蔑視発言」があった瞬間(とき)、「また言ってる!」という思いで留まってはいなかっただろうか。
そこにも責任があると痛感している。
「また言っている!」と思うのであれば、会長職に就く時点で「相応しくない!」という声を挙げることがあるべき姿だった。
「一般人が何を言っても無駄だろう」と思う人もいると思う。私もそう思う。
けれど、暗黙の了解でいくのか、たとえ覆らなくても声を挙げ続けるのか。
暗黙の了解で来てしまっていたのならば、今回の「女性蔑視発言」の一端は(責任の一端というべきか、原因の一端というべきか)、私にもある。
今回の発言がクローズアップされるけれど、振り返れば「子どもをつくらない女性を税金で面倒をみるのはおかしい」という発言があり、私は、その発言は議員として問題ありと感じていた。
そのような思想を持つ人が、オリンピック・パラリンピックの会長に就く・・・本当は、その時点で反対を叫ばなければいけなかった。
☆
人の思想というものは、そう簡単に変わるものではなく、簡単に変わってしまう思想もまた「その程度のものかい!」という突込みが入るだろう。
「この人は、こういう思想の持主なんだ」
その前提で人に接しなければ、私自身が「気に食わない奴の考え方を改めてやる!!」という独裁者思考に陥ってしまう。
思想と言う意味では、今回の会長の発言は、会長個人の思想ではなく、彼の周囲にいる人びとの思想でもあるように見えてくる。
この日本では、
・天皇制を大切にしながらも(しているようなことを言いながらも)、女性の皇位継承を認めようとしない。
・夫婦別姓を認めようとせず、議論の俎上に載せようともしない。
・女性には民法の規定により再婚禁止期間なるものが定められている。
(1898年に施行された民法から、長いこと「離婚届の提出から“6ヶ月間”」が再婚禁止期間だった。2016年に民法が改正されて、期間が“100日”と短縮された。父親が誰であるかで混乱が生じないようにするためという建前はあるが、男性に「再婚禁止期間」はなく、男女平等に反すると批判されてきた)
など、女性に対して厳しい現状がある。
それらのことに対して、会長のいた政党は、前向きに、時代に合わせて議論していこうという姿勢は見せていない。
そのようななかに長年身を置き、自分の発言の多くが尊重されてきたならば、誰だって勘違いを犯すだろう。時代社会の流れを学ばないし、感じようともしないだろう。
さて、会長は「一度は会長の辞任を考えたが、引き留められた」と言っていた。
であるならば、引き留めた人たちは必至に会長の必要性を説き、守らなければいけなかったのではないか。
「辞任しようとしたけど引き留められた」発言以降の逆風が、引き留めた人たちの想像以上だったのだろう。
はしごの外し方が見事だった。
さて、オリンピック・パラリンピックのスポンサー企業のトップが、“徐々に”遺憾の意を表し始めた。
会長の女性蔑視発言からしばらくは、何も表明していなかったように思う。
世間の逆風が強くなってきたところで、その風に乗っかるかのように“遺憾の意”を表明し始めたように映ったが、どうであっただろう。
日本の企業の多くも、会長や会長が在籍していた政党の思想に近いのではないだろうか。
つまり、今回の一件は、会長個人の問題という認識ではなく、日本社会全体の思想・風潮・ことなかれ主義・誰かに責任負わせてバイバイ的な土壌が露になったこととして、私たちは受け止めなければいけない。
この、世界中から失笑されている土壌をずっと放ってきたのだ。
今回、会長自身の発言が辞任へとつながったが、日本国内の大会や催しに関してだったら、謝罪になっていない謝罪で押し切れたかもしれない。
いや、押し通していたことだろう。
けれど、オリンピック・パラリンピックは世界と通じる大会、世界が見ている事柄だった。
今までの日本のなかだけでは起こり得なかった風が吹いたのだと思う。想像を超える風が。
それでやっと動き出した。
首を変えて終わる話ではない。
土壌の変化のためには、土を耕し直さなければならない。
そのためには、長い時間をかけて、しっかりと耕す覚悟もなければならない。
関わり合いながら。
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