よくみると「寺」がある!
車で移動中、赤信号で停車。
ふと横を見ると薬局が。
薬局の前に「痔」ののぼりが。
ジッと見ながら、「“痔”って、寺に病垂れ(やまいだれ)なんだなぁ。なんでだろう? 正座や座禅をしてたら痔になるから? いやいや、ならないから」なんて思いながら青信号を待つ。
「寺」は「じ」と読むので、「痔(じ)」の音を充てて「寺」を用いた。病気ゆえに、「寺」に病垂れをかぶせて「痔」としたようです。誰が⁉
☆
娘の小学校の宿題 漢字の書き取り。
「パパ、出来たよ」(^-^)
というのでノートを見たら「等」の字。
ノートを見ながら、「“等”って、寺に竹冠なんだなぁ。なんでだろう? 境内に竹がいっぱいあるから? いやいや、無いお寺もあるし、そもそも「等しい」ことの説明になってないから」なんて思いながら、ノートに〇を書いてあげる。よくできました。
「等」の竹冠は、竹製の紙を表わす。昔は、植物を乾かしたものに字を書いていたからね。
その竹製の紙を整然と整えるところから「等しい」ということへ派生したらしい。
「寺」は、「痔」同様に「じ」という音を充てたもの。
書類を整えることを「し」と言ったらしい(本当のところは確認できませんでした)。
竹製の書類をきちんと整えることを表わしているのが、そもそもの「等」だそうです。
☆
「痔」も「等」も、「じ」という音に対して「寺」の字を当てただけなので、寺院としての「寺」の意味はないようです。
なぁんだ、ってお話です (^-^)
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