和か(やわらか)
「おはようございます」
「おはようございます。あら、今日も素敵なお洋服ね。春らしくていいわぁ」
「いつもそういうふうに声をかけてくださってありがとうございます。毎朝元気をいただいているんですよ」
「あら、そうなの。いつも素敵よ」
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バス停での、おふたりのレディの会話。
横にいた私も、暖かな気持ちになりました。
☆
高い地位にある方の差別発言をきっかけに、日本だけでなく世界規模で批判の声が挙がっています。
批判されて仕方のない発言であり、謝って済ませられる発言ではありません。
発言者だけでなく、みんなで考え続け、話し合い続けていかなければいけない事柄であると思います。
けれど、イデオロギーに絡む話し合いは、どうしてもギクシャクします。
差別発言をした方もそれを糺そうとする方も言葉がきつくなります。
相手を傷つけ合います。
バス停のおふたりのように、前向きになれるような形、元気が出るような形で会話がなされればいいなぁと感じました。
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「おはようございます」「ありがとうございます」
その言葉だけで、会話として次の言葉が出てこない私のような人間は(日本の男性に多いと思うのですが)、目の前の人のことを知る機会も失ってしまいます。
ということはつまり、相手への理解も深まらないわけで、印象だけで決めつけがちになるわけで・・・。
そうなると、無理解・無知・決めつけで、しかも「女性は」「男性は」「ここの出身の人は」「これをやっていた人は」などなど、大きな括りで他者(ひと)のことを語ることになります。
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間違いや差別的な物言いがあったとき、「その発言はいけませんよ(いけないと思います)」と言える人、言えることが大切だし、
指摘されたとき、「あぁ、そうなんだ!そうなんですね。それは申し訳なかった。思いが至りませんでした」と言える人、言えることが大事。
相手を諭す、糺すことを目的にすると、結局相容れない(それって、今テレビやネットを賑わしている件だけではなく、日常に転がっていることだと思う)。
伝えるべきことを伝えようと、目の前の人のことを想いながら話す。
結果分かってもらえるか否かはわからないけれど。
つまりそれって、“会話ができること”なのだなぁと、バス停のお二人の姿に教えられました。
南無阿弥陀仏
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