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2021年1月24日 (日)

支配欲の表われ

新型コロナ対策として、感染症法を改正して入院拒否者に懲役や罰金を科すことを検討している政府。

法的根拠の整ったロックダウン下における罰則規定は、法を整える段階で同時に検討され盛り込まれても仕方がない。

けれど、要請や要望でステイホーム・時短営業に多くの国民が協力している現状において、保健所や医療の現場、介護施設の状況改善に乗り出しもせずに、罰則規定に目が行くのはおかしい。

政治権力を持つ者が、国民を縛ろうとしている意識が如実に表れていて気持ち悪い。

罰則ありきならば、先ずは会食をなさった議員への処罰から手を付けてほしい。

 ☆

さて、このコロナ禍における罰則規定には反対なのだが、ふと思ったことがある。

『鬼滅の刃』人気が、今も尚続いています。

個人的には、好んで読んでいます。子どもたちにも読ませています。

けれど、『鬼滅の刃』には、人や鬼が斬られ、血が噴き出すシーンがよく出てきます。

それゆえ、「子どもに見せるべきではない」という大人の声も聞こえます。

「鬼滅の刃、子どもに見せるべきかどうか」(正確な文言ではありません)を、読者からの意見を求める新聞を見ました。

そこで、ふと思いました。

「見せるべきかどうか」、二者択一なんだなと。

残酷なシーンが多いから見せるべきでない見たくないという大人は、子どもにも見せたくない!見るな!と思うでしょうし、

『鬼滅の刃』が好きな保護者からすれば、見ていいよ!と思うことでしょう。

「見ちゃダメ」も「見ていいよ」も、それだけならば何の苦労もありません。

けれど、どうして見せるべきか否かの議論が起こるのか、ということを語り合えたならば、恐らく作者の吾峠呼世晴さんがマンガの奥底に込めた世界観や願いに近づくことにもなるのではないか。

元々人間であった鬼が、鬼にならざるを得なかった背景。

柱や鬼殺隊のひとり一人が抱える苦悩。

作者が描きたかったのは、残酷な描写ではなく、ひとり一人が生きる背景にある喜びや悲しみなのだから(と、思っている)。

答えなどない、「何を感じたか」「何を受けとめたか」、あるいは「どこが見るに堪えなかったか(それは、その人自身が抱える悲しみでもある)」などを、新聞も募集すればいいのに(でも、他者の声はべつに聞きたくないのか)。

 ☆

現代に生きる私たちは、「イエスかノーか」「良いか悪いか」「好きか嫌いか」など、二者択一、二項対立で物事を見がちです。

しかも、私が上司であったり、親であったり、報道する主体であったり、政治家であったり、相手よりも立場が上の肩書を持っている場合、それを強権的に出してしまいます。

ゆえに、「子どもたちに見せるべきか、見せないべきか」などという、「どっちか」という考えに陥ってしまいます。

その方が楽なのです。

反論されても、もし上位の立場に位置していれば、その立場を利用して自分の考えを押し付けて終わりです。

下の立場にいる者も、言わなければ言わない方が楽です。

以前は、立場の上下に関係なく物申す(物申せる)関係があったように思いますが、最近はどうなのでしょう・・・

一概に立場の上下だけで考えられる事柄ではありませんが、「コロナ終息のために罰金を科す」「見せるか否か」など、高圧的な発想が蔓延している気がします。

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