« 反抗という名の自己主張 | トップページ | 南無阿弥陀仏 生涯をかけた歩みに、人生の意義がある »

2021年1月16日 (土)

言動の自主的な変化によって時代が変わっていくのか、時代の変化によって人間の言動が変わるのか。その分岐点にいるのではないだろうか。

昨日は、今年初めて外出しての集まりがありました。

昨年の暮れからZOOMやLINEやメールで研修や仕事をしていました。

人と繋がってはいても、直接会ってはいないので、会話をしても何か物足りない感じ、もどかしい感じがしていました。

で、いざ事務仕事にとりかかろうと思っても、まったく気の入らないこと・・・

物足りなさやもどかしさもあって、エンジンがかかりません。

が、ちょっとの時間集まって話をしただけなのに、頭の中で思考が揉まれ、いろいろな刺激が加わり、アイディアが膨らんできました。

インプットはしていても、長い時間うまくアウトプットできずにいたものが、すんなり溢れ出てきました。

あ、人間って、刺激し合って思考していくんだ、と感じました(良くも悪くも)。

リモートは、遠くの人とやり取りができる利便性があります。もちろん、移動の労力や時間や経費を抑えられる利点も。

リモート自体には慣れてきた人も多いので、話しづらい感覚も、この一年の間にだいぶ薄まってきたのではないでしょうか。

でも、リモートでのやりとりで、脳が刺激される(思考が深まる)ということに関してはどうでしょう?
(人それぞれなので、リモートだと脳が刺激されない!とは書けませんが、私の場合は、リモート後の一歩の踏み出しが鈍いです)

顔を見て、振舞いを見て、言葉の表面的な部分だけではなくて裏にある思いを感じる(当たっているか否かは関係なく)。

思いきり消費しながら脳が刺激されていたんですね。

さて、とはいえ上記のような感想は、人と会って話をすることが当たり前の中で生きてきた人間の想い。

今後、程度はわからないけれど、学校の授業でも仕事でも習い事でも、リモートでのやりとりの方が中心になる時代がくるかも、くるかもしれません。

それが当たり前となった人びとは、実地調査や試験のためにたまに集まらねばならないとき、それこそ大きな疲労感を抱くのかもしれません。

会って、話して、言外の想いを感じ取り、刺激されて思考が湧く・・・なんて、「有り得ない?」「疲れるだけじゃん」「やっぱりリモートはいいですね」なんて感想が当たり前になる時代が来るのかもしれない、来るのかなぁ・・・。

そのような時代に、ネット上に溢れる文言も、文学も哲学も、宗教も(かな?)、言葉や表現が変わるんだろうなぁと、今現に感じています。

« 反抗という名の自己主張 | トップページ | 南無阿弥陀仏 生涯をかけた歩みに、人生の意義がある »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 反抗という名の自己主張 | トップページ | 南無阿弥陀仏 生涯をかけた歩みに、人生の意義がある »

フォト
2021年2月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28            
無料ブログはココログ