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2021年1月20日 (水)

自助・共助と公助

首相に就任した際、「自助・共助・公助。この国づくりをしたい」と発していた首相が、2021年1月18日に開かれた国会における施政方針演説で、「自助・共助・公助」には触れなかった。

先にだいぶ批判を浴びたから、この文言を除いたのだと察するけれど、本当に目指すところならば言葉を尽くせばいい。

言葉が足りなかったのなら説明をすればいい。

言わないということは、その程度の想いだったのか⤵と思われても仕方がない。

 ☆

以前も書いたけれど、「自助・共助・公助」は、「先ずは自助、そして共助、それでもダメな時に公助」などと、順を追ってなされることではない。

ひとり一人は当然自助して生きている。また、近隣の人・周囲の人たちと共に結びつき合いながら生きている。生きている背景には、公助が行き届いている(べき)。と、「自助・共助・公助」は同時進行しているはずのものである。

そもそも、大規模災害時における公助が行き届かない状況に際して、「自助・共助」で助け合いながら「公助」の支援を待とう!という意味合いで生まれてきた知恵なので、それを政治家(首相)の理念として掲げると、国民を選別する思想ともなりかねない。

背景になにがあったか(何を言われてひっこめたのか)わからないけれど、首相が「自助・共助・公助」を掲げなかったのはよかったと思う(心の中にはあるのだろうけど)。

 ☆

さて、「自助・共助・公助」という言葉を見ているうちに、不思議な言葉の並びだなぁと感じました。

「自助」は、「自らを助ける」「自身を助ける」「自らの力によって助ける(助かる)」と言えると思う。

「共助」は、「共に助け合う」と言えると思う。ちょっと無理があるかもしれないけれど「共を助ける」とも言える。

いずれにしても、「自助・共助」は、助詞「を」「に」で説明できる。

言葉に、助け合う、支え合う、補い合うといった意味合いが含まれてくる。

「公助」は、「公が助ける」という言い方が、すんなり出てくる言い方ではないだろうか。

「公」が主役(主語)となる。

「公によって助けられる」という言い方もあるけれど、その場合でも「公」が主役となる。

「公助」は、上下関係が内包された言葉なんだと気づいた。

「自助・共助」と「公助」には、立ち位置の違いがある。

「自助・共助・公助」・・・「大規模災害時や現在のコロナ禍など、多くの国民が被害に遭っているとき、公助がすぐに行き届かない人も出てきてしまいます。でも、必ず公助が行き届きますから、それまで、なんとか自助・共助でがんばり、助け合っていてください。かならず公が助けますから‼」という熱意で発するのなら、その想いは届くと思うけれど、

「先ずは自助でがんばってください。それでダメな時は、共助で乗り越えてください。それでもダメな時に、(ハードルの高い条件をクリアした人を)公助は助けますから」というような、段階を踏んで、選別をしているかのような言われ方をされたのでは、信用(支持)する気にもならないと思うのです。

そういうことを“助”言してくださるブレーンや仲間はいないのでしょうか?

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