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2021年1月15日 (金)

反抗という名の自己主張

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“反抗期”という言い方は、
親から子を見た言い方です。
親を中心にして子どもを見ているから
反抗、反抗と言うのです。
だけど、
子どもを中心に考えたら、
反抗ではなくて
初めて自分を主張できるようになった
“自己主張期”という喜ばしいときなのです。
      宮城顗(みやぎ・しずか)

 ☆ ☆ ☆

宮城先生の本を読んでいて、「あ、いいな」と思いました。

親からすれば、子からの反抗はしんどいものだけれど、子どもが親に反抗的になるのは、ある意味ちゃんと成長している証。

反抗するのが良くて、反抗しないのが良くない、と言っているわけではありません。

ただ、今までなんでも「うん、うん」と首を縦に振っていたのに、急に首を横に振りだしたからといって、慌てることも嘆くこともないということです。

そもそも、この“私”自身、そういう転換期があったのではないですか?

反抗的な態度を表わしたか否かは、人それぞれですが。

たまに、「この子は反抗したことがないんです」みたいに言う親御さんがいらっしゃいますが、お子さん自身がかなり溜め込んでいる気持ちがあるかもしれません。

自分の意見を押し付ける言い方ではなく、何を想っているか? どうしたいか? 私(親)の考えをどう思うか? など聞くことは大切だと思います。

さて、1月は成人式があるから、この言葉はいいなと思いましたが、考えてみれば “反抗期”って 幼児期と思春期くらいに表出される“自己主張”ですよね。

成人(20歳)になって出てくる“反抗期”は、ちょっと💦

さてさて、親と子の関係における反抗期だけではなく、私たち自身の反抗期について想いました。

年齢に関係なく、私たちが発する反抗。それは、疑いではないでしょうか。

 阿弥陀さんっていたの?

 阿弥陀さんって、実在の人じゃないんでしょ?

 阿弥陀さん信じてどうなるの?

 阿弥陀さんが救ってくれるなんて、そんなわけないじゃん! 

 念仏だけで救われるわけないじゃん!

疑問が湧くこと、疑いを持つこと、それはある意味ちゃんと関心を持っている(阿弥陀さんを気にしている、人生に向き合っている)証。

いきなり「阿弥陀さまは最高だ!」「親鸞聖人の教えは素晴らしい!」なんて言えてしまう方が 危ういです。

「最高だ」「素晴らしい」を否定しているわけではありませんが、そう思ったにもかかわらず 悲しい出来事があると「最高だと思ったのに」「素晴らしくなかった」と、悲しい出来事の責任を自分が良いと思ったものに転化してしまいます。

阿弥陀さんに、念仏に疑いのこころを持つ者に対し、「べつにいいよ、私だってあなたを助ける気はないから」などと阿弥陀さんは言ったり考えたりしません。

疑いの気持ちを持つ者をも、疑いのこころを持つ根っこがある者(つまりすべての生きとし生けるもの)をも、阿弥陀は救うと誓願されました。

幼少期、思春期における反抗と表現される自己主張は、親や身近な先生に対してなされます。

まったくの赤の他人に(反抗期における)反抗をする人は、いないでしょう。

阿弥陀なんて信じないよという疑いという名の自己主張は、阿弥陀に対してなされます。

その時点で、阿弥陀と接点が持たれています。

そのことが阿弥陀を南無している(こころのどこかで気にかけている)、つまりお念仏申していることです。

疑いが、いつのころからか信順へと移ろうのです。

南無阿弥陀仏は、自己主張の叫び

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