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2021年1月 3日 (日)

お変わりなくお過ごしですか

昨日、「転ずる」ということについて書きました。

親鸞聖人が言われる救いは、「転ずる」ということにあります。

もし「変わる」ことが求められるなら(悪人が善人に、志ない者がある者に、など)、阿弥陀に救われる者は誰一人救われる者はないであろう。

「変わる」と「転ずる」・・・同じことを言っているようにも聞こえるので、「どう違うの?」と思われるかもしれません。

私自身、今、うまく表現できなくて困っています。

ただ、「衆悪の万川」が阿弥陀の慈悲の大海に流れ込んでいったとき、「一味」となると和讃されています。

どんなに汚れ濁った川の水も、その水が油に変わったり 他の物質に変わったりして、そのうえで「功徳のうしお」と「一味」になるのであれば、「変わる」ことが必要となりますが、親鸞聖人はそのようなことは言っていません。

「衆悪の万川」も「功徳のうしお」も同じ水です。

水であるということ自体は、変わりのないことです。

阿弥陀の清浄なる大会に流れ入って摂(おさ)め取ってもらうには、私自身が「変わる」(濁りを取り払う)ことが必要だと思い込んでいる私に、「変わる」必要はないんだよ、あなたはあなたのままであなたなんだよ、という声(教え)を聞き、「あ、そうだったんだ。誰でもない、この“私”こそ阿弥陀の救いの対象だったんだ!」という思いの転化(気づき)が、「転じる」ということです。

ことばを尽くせませんが、「変わる」のではなく「転じる」ということを親鸞聖人が大切にされた。そのことを大切にいただきたいです。

(余談)

年賀状に、「お変わりありませんか?」という言葉を書きました。

「大事ありませんか?」「このコロナ禍、変わらず お元気でいらっしゃいますか?」という、無事を尋ねる挨拶であることは分かっているのですが、

「お変わりありませんか?」と書きながら、「変わらないことがいいのか? 変わっている何かを聞きたいのか? いったい何を尋ねているんだろう?」などと思い、考えました。

で、「変」って漢字を使うからいけないんじゃない? と思い、

「おかわりありませんか?」と平仮名で書いてみたら、「ご飯のおかわりがありませんか?(ご飯のおかわりありますか?)」って聞いてるみたいで、それもまたおかしいな (^▽^) と、自分で自分に突っ込みを入れてました。

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