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2020年12月22日 (火)

人は、人に出会うために生まれてきた

年が明けてしばらくしたら50歳を迎える。

数日前のこと。白い息を吐きながら外の拭き掃除をしていて、ふと思った。

「50年か、生きたなぁ、そろそろかなぁ」と、空を見ながらつぶやく自分がいた。

べつに、死にたいわけでも、死にたくなる出来事があったわけでもない。

まだまだ妻とも子どもたちとも一緒に過ごしたいし、娘には伝えてから往きたいこともいっぱいあるし、生きていて楽しい。

それとは別に、「人生50年」ということを想い「生きたなぁ」というつぶやきにつながったのだと、自分で言っておきながら想像する。

それとともに、「100歳までのいのちとすれば、まだ折り返し地点じゃん!!」と思い、おかしくもあった。

100近くまで生きた人々を尊敬する。

まだまだ若造だ。

 ☆ ☆ ☆

なんてことを考えていると、不思議と自分に訴えかける出来事がある。

〇昨日お墓参りにみえたご婦人は、亡き人と共に長い時間を過ごされた。

先行く方がまだ健在だったころから、心配事があれば相談に乗り、身をもっての手伝いが必要なときには汗水たらし、

病に倒れてからは、介護施設や病院の手配に尽くされ、死に支度を頼まれてからは懸命に努められた。

おふたりの関係を、事情をお聞きするまでは、親子と思っていたほどに。

それほどまでに、そのご婦人は、先に往った朋(とも)に尽くされていた(その方からすれば、“尽くしていた”という感覚もなかったことだろう)。

〇門徒さんが亡くなられた。

その門徒さんにも、そばにいて いろいろと支えてくれる朋(とも)がいた。

亡くなられた門徒さんとその旦那さんが健在の頃から、お仕事を手伝い、身の回りのサポートしてきた。

ご夫婦との関係を、事情をお聞きするまでは、親戚関係にある方と思っていた。

それほどまでに、そのご夫婦を支えておられた(その方からすれば、“サポート”だの“支えていた”だのという気持ちはなかったことと思う)。

・・・おふたりのご婦人とも、亡き人との関係を、楽しそうにお話して聞かせてくれる。

一緒にいた時間の深さと温もりが伝わってくる。

おふたりとも「〇〇さんと出会ってから、50年ほどのお付き合いになります」と仰っていた。

出会う前の時間がある。

そこまでの時間があって、それからご縁があった方との時間を紡いできた。

0から50の話(「あぁ、50年生きてきたなぁ」って話)ではなくて、ある年齢を迎えて、そこからの50年、苦楽を、喜怒哀楽を共に過ごしてきた人がいる。

おふたりのご婦人にとって、自分の人生にとって欠かせない人がいた。

そういえば、私も、「50歳かぁ」と思った瞬間(とき)、私一人の成長(老化)の姿(猿人から人間への進化の絵みたいなの)を思い返したのではなくて、その時々に一緒にいた人の姿と共に思い返した。

人は、人との出会いをとおして年を重ねてゆくものなんだなと、

人は、人に出会うために生まれてきたんだなと、

おふたりのご婦人のお話から、おふたりのお姿から、おふたりのお顔から教えていただきました。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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