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2020年12月30日 (水)

カオス(混沌)

性的マイノリティの方への無理解から出てくる差別的な言葉。

時代の変遷と共に、人々の想いも思考も理解も変わってくる。
(実際は、“変わった”わけではなく、表層に、生活に表われてきただけのこと)

個々の思考はあるけれど、自分の思考とは違う人に向けて、自分の理解の範疇を超えるからといって差別をしていい理由にはならない。

政治を司る立場、企業のトップに立つ人に差別的発言が目立つのは、世間に、人心に思いを寄せていないからだろうか。
(有名な人ゆえ、発言が取りざたされる側面はあるけれど、だからといって「仕方ない」で済まされる話ではない。それに、私たち自身にも差別意識が根強くある)

「多様性を認めること」は大切なことだけれど、

“多様性”を認められない人の思考を切り捨ててしまっては、多様性を認めていないことになってしまう難しさ。

「多様性を認めること」を訴えている人が、「その古い考えが、人を傷付けている」「いつまでも古い考えを盾にするのはやめてほしい」「古い考えは捨ててほしい」旨発言しているのを見聞きすると、さて、「多様性を認めること」の矛盾や難しさを感じてしまう。

そのことを考えさせられる一年だった。

その、「差別的だ」と喝破される発言・思考は、数年前までは否定されることがなかったのだから。

場合によってはお笑いのネタになっていたし、そのネタを見て私たちも爆笑してはいなかったか。

時代や文化芸術や風俗の流れ、物事や人々の思考の移ろいに敏感な人は、「自分の考え方は間違っているかも、古いかも」「あぁ、そういう考え方もあるんだなぁ」「今はこういうことが王道の時代なんだな」などと考えが及ぶ。

けれど、そういう人ばかりではない。
(そういう人ではない人の方がはるかに多い)

性的思考について、生まれについて、結婚して子どもを産んで自分たちで育ててなどという発言について、自分のなかの常識が世の中の正論と思っている人はたくさんいる。

世の流れの上っ面だけを見て、「あぁ、そういうことね。こう言っておけば差別性はないのね」なんて合わせられても、それは多様性が認められたわけでも理解されたわけでもない。

「こういう考え方は古い!」と一刀両断してしまうと、言われた方は何が古いのか、何が違うのか、何がいけないのか、考えようともしないだろう。

「あいつらの言っていることはおかしい」で終わってしまう。

しんどいけれど、地道に語りながら広めていくのが最善ではないだろうか。

以前の常識が現代(いま)の常識ではなくなるということは、現代(いま)常識となりつつある事柄も未来には常識でなくなる日もくるかもしれない。

そして、「その考え方は古い!」と言われてしまうのだろう。

長い時間 固定化されてきた思考が、ここ数年で溶解してきたのだと思う。

その動きに、人間自身が追い付いていないのかもしれない。

情報化社会とか、ネットによって情報がたくさん手に入れられる時代になったとか言われる。

けれど、ご存じのとおり、ネットで手に入る情報は、その人の思考に合わせたものが流れ込むので、個人の多様性は膨らまない(より狭まっていくとも言える)。

多様な情報が手に入っても、その処理能力が追い付かない。

結局、個人の殻に閉じこもってしまう。

思考の幅が広がってきたのに、人間のキャパがそのまま(あるいは狭まっている)なので、人と人との間の距離も広がっていくし、自分の中で思考をストップさせてしまう。

「多様性を認めること」に大きな壁があるのは、無理解という面もあるけれど、そういう(思考の幅が広がってきたのに云々)時代状況・人間状況もあるのではないだろうか。

新型コロナのみならず、困難な時代のただなかにいる。

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