塵(ちり)をはらい 垢(あか)をのぞく
今朝、門前を掃除しているときの話。
毎朝のように挨拶を交わしている男性と、今朝も会いました。
「お寺さん、毎日大変だねぇ。でも、若い時から身体を動かしているのはいいことだよ。年をとったら無理だもの。お寺さんは何歳ですか?」
「若いと言っても、もう49歳ですよ」(^▽^)
「若い若い、私なんかもう85歳だもの。若い時にもっと身体を動かしておけば良かったなぁって思うよ。でも、85歳で毎朝体操に出かけて、散歩して帰ってきて、身体が動く方なのかもしれないねぇ。身体は、動くときに動かしておいた方がいいよ」
と、声をかけていただきました。お話を伺っていて、125歳まで生きる前提で考えていらっしゃることもお話してくださいました‼
身体が動くことも、生きていくうえで励みにはなります。でも、気持ちを若く、前向きに生きることが元気の秘訣なのかなぁと感じました。毎朝、私の方が元気をもらい続けてきたんだなぁと思いました。
身体を動かすといっても、私の場合はひたすら掃除です。掃き掃除・拭き掃除・ゴミ拾い・枯れた墓地花の回収(けっこう重労働ですよ)。週に一回プールで泳いでいたのですが、このコロナ禍で、プールには行かなくなりました。
身体を鍛えたい人、筋肉を付けたい持久力を備えたいという人にとっては、掃除程度の身体の動きでは物足りないでしょうが、年を重ねてもある程度は動くように、太らないように、という方には日々の掃除はかなりお勧めです。
あ、それから、黙々と掃除をするだけではなく、人と話をするということも良いのだと思います。
☆ ☆ ☆
(付記)
お釈迦さまのお弟子さんの周梨槃陀伽(しゅりはんだか)さんのお話も付しておきます。
お釈迦さまのお弟子さんの周梨槃陀伽は、とても物覚えの悪い人でした。
お兄さんはとても優秀な方で、お釈迦さまの弟子となり、立派に修行をされていました。
周梨槃陀伽はお兄さんの後について、お釈迦さまの弟子になりました。
しかし、物覚えの悪い周梨槃陀伽は、修行もままなりませんでした。
ある日、いつもそばにいて支えてくれていたお兄さんから、「お前がここにいては、みんなに迷惑をかけてしまう。家に帰って、両親の面倒を見てくれないか」と言われてしまいます。
みんなに迷惑をかけているのは分かっている。だけど、大好きなお釈迦さまや兄から離れたくはない。
そんな想いを、周梨槃陀伽はお釈迦さまに泣きながら話します。
お釈迦さまは言います。
「物覚えが悪いからといって、お前は愚かな者ではない。自分の弱い面を知っている者こそ、本当の智者である。周梨槃陀伽よ、ここに一本のホウキがある。『塵をはらい、垢をのぞく』と言いながら、掃除を続けなさい。お前はここから去る必要はありません」
周梨槃陀伽はお釈迦さまに言われたとおり、掃除を始めます。
「ちりを・・・なんだっけ?」
掃除をする周梨槃陀伽の姿を見て、口の悪いお弟子さんは言います。
「お釈迦さまは周梨槃陀伽を追い出すわけにもいかないから、掃除をすることで そばに置いてあげようとしたのだろう。お釈迦さまは優しい方だなぁ」
周梨槃陀伽はお釈迦さまに言われたとおり、掃除を続けます。
「ちりをはらい… ちりをはらい…」
来る日も来る日も掃除を続ける周梨槃陀伽の姿は、やがて 他のお弟子さんたちに輝いて映りはじめました。
掃除を続けるうちに、周梨槃陀伽は ふと あることを想いました。
「毎日これだけキレイに掃除をしているのに、塵や汚れはいつまでも無くならないなぁ。きれいにしてもきれいにしても、次から次へと塵が出てくる。
なんだか、私の欲の心に似ているなぁ。修行してキレイな心になったつもりでも、いつまでも欲の心は噴き出してくる。それは、私が愚か者で、修行が足りないからだと思っていたけれど、そうではないのではないか。欲の心や煩悩というのは、この塵のように、いつまでもいつまでも出続けるものなのではないだろうか。
そういう人間の姿を気付かせるために、お釈迦さまは私に掃除をさせたのではないだろうか。
塵をはらい、垢をのぞく。塵をはらい、垢をのぞく・・・」
物覚えが悪く、馬鹿にされ続けてきた周梨槃陀伽ですが、お釈迦さまの教えを受け、人間の本当の姿を自ら感じ取りました。もう誰も周梨槃陀伽を馬鹿にしたりしませんでした。
掃き掃除をするとき、いつも周梨槃陀伽の姿を思い起こしています。
南無阿弥陀仏
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