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2020年12月27日 (日)

学校のこれからは、日本のこれから

「東京新聞」 2020年12月20日(日)朝刊 「本音のコラム」

少人数学級のこれから 前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 来年度から5年で、公立小学校の1学級の児童数の上限を35人にすることが決まった。新型コロナの感染防止や長期休校による学習の遅れの回復に苦労する学校現場や自治体、学界から少人数学級を求める声が高まっていた。他方、相次ぐ大型補正予算で財政規律が一挙に弱まった。この絶好の機会を逃さなかった文部科学省は、よく頑張ったと思う。中学校も含めた30人学級は、今後また頑張ってほしい。
 既存の加配定数の一部を振り返ることは少し心配だ。少人数指導やチームティーチングができなくなるのは困る。新採教員が確保できるか、非正規教員が増えないかという心配もある。勤務条件の改善と非正規任用の規制が必要だろう。
 現下の三密回避のためには、各自治体での国の計画を先取りした少人数学級が望まれる。加配教員の学級担任への振り替えや特別支援学級と通常学級のインクルーシブな少人数学級への再編成など、現場での柔軟な対応も認めるべきだ。
 将来的には、基礎定数を学級数で計算するのをやめ、加配定数は縮小し、学校ごとの定数を児童生徒の総数に応じて定めるようにするべきだ。特別支援学級も含め学級編成の権限は教育委員会から学校に降ろす。チームティーチングや通級指導も学校に任せる。教職員定数の使い方は現場に委ねるべきなのだ。

 ☆ ☆ ☆

「東京新聞」 2020年12月27日(日)朝刊 「本音のコラム」

客室乗務員を学校へ 前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 21日の記者会見で萩生田文科相は、新型コロナウイルスの影響で仕事が減った航空業界から、教員免許を持つ客室乗務員を学校現場に受け入れる考えを示した。
 文部科学省は、来年度予算に90億円を計上している「補習等のための指導員等派遣事業」の中で客室乗務員も受け入れる方針だという。教育委員会の非常勤講師として採用され学校に派遣されることになるが、その報酬額と現在の給与との差額は航空会社が負担することになるのだろう。
 しかし、本当に意欲と能力のある人なら、補助的な非常勤職員ではなく、正規の教員として受け入れたらいい。客室乗務員に限らず、さまざまな分野で職業経験を積んだ人たちを教員として中途採用することは、学校教育を豊かにするうえでも望ましいことだ。
 特に教員採用氷河期に当たる40歳前後の教員の数は全国的に少ないから、この年齢層の中途採用は積極的に行うべきだ。その際には、例えば35歳以上というような年齢を区切った特別枠を設けて面接や実技を重視した選考を行うことや採用後の処遇について職業人としての前歴を正当に評価した給与を支給することが必要だろう。
 学校にさまざまな職歴を持つ人が加われば、教師集団の多様性が高まり、子どもたちの社会への目を大きく開かせてくれるに違いない。

 ☆ ☆ ☆

上記、「東京新聞」内のコラム「本音のコラム」を2本引用させていただきました。

今年のコロナ禍、3月2日から全国の小中高校に休校要請が出され、6月いっぱいまで続いた。

学校での学びの場が奪われ、勉強の遅れを危惧する声が巷に溢れた。
(一人で黙々と勉強できる子はいいけれど、そうでない子もいる。机上の勉強だけでは学べない、集団の中でこそ身につけられることがある。学校での給食が、栄養を取る食事になっている子もいる。)

その頃、「日本も新学年の始まりを9月からにしよう!」という声が高まった。

1学期がほぼ潰れてしまった2020年度、新学年を9月スタートにすれば、1学期の遅れを取り戻せる!という想いもあったと思う。

もっとも、その声が高まった時期は、夏場には新型コロナが収束するだろうという淡い期待がまだあったように思う。

けれど、新型コロナは収束するどころか、第2波 第3波が押し寄せている。

それとともに、新学年9月スタートを求める声も静まったように感じる。

私も、新学年9月スタートに賛成だった。

このコロナ禍に関係なく、そう思っていた。

恥ずかしい話、新学年9月スタートは、世界的には当然のこと 多数派のことと理解していた。

けれど、新学年スタートの月は、世界的に見てもバラバラであることを、このころに学んだ。

つまり、“日本も”新学年9月スタートを!の必然性はなかった。

新型コロナの収束が見えない今となっては、新学年スタート論争は横に置かれた感がある。

勉強の遅れを取り戻す、あるいは効率的な学びを模索するという側面でいうと、一クラスの人数を少なくするという考え方もあると思う。

長女の学年が、生徒数の関係で一クラス30人をちょっと超える程度の人数なのだが、学校公開(授業参観)に行くたびに「あ、これくらいの人数いいな(もっと少なくてもいいな)」と思っていた。

生徒としても、多少は落ち着いて学べるし、先生の側も、ひとり一人に注力できるのではないかと思う。

という話になると、教員数と教室の数の壁にぶち当たる。

娘が通う小学校で言うと、長女の学年(6年生)が二クラスで多学年は三クラス。

来年度の新一年生は三クラスになりそうなので、全学年が3クラス、計18クラスになる。

でも、現時点で教室はいっぱいいっぱい。

「え?でも私が通っていたとき(40年ほど前の話)も18クラスだったよ! なんで教室が足りなくなるの?」と妻に話したら、

「今は、算数の理解が遅れている子の少人数教室もあるし、学童のための教室もあるし、PTAの部屋もあるのよ」とのこと。

あぁ、私が通っていた頃と、小学校の成り立ち自体が違うのですね。

現在(いま)、一クラスの人数が多いと言われているなかにおいても、理解の遅れている子をカバーするための対応がとられていたり、小学校下校後の時間も学童で見てくれたり、子どもたちのためにできるだけのことをしてくださっている。

休校要請中の学校・先生たちからのアプローチも、ありがたいものがあった。

休校だから先生たちも休み、というわけでは決してない。

教室数の問題は、急に建物を増設するわけにはいかないから対処に時間もお金もかかるし、頭をひねらなければならない。

それとともに、教員数の問題もある。

教員を目指す人が減っている。

そもそも学校の先生は重労働であると思う。

この五里霧中のコロナ禍において、子どもたちを孤立させないためにできることを見つけて、光を当てようと努めてくださっていた。

さらに、不必要不条理なクレームを浴びせる親や周囲の人々の存在も、教員への成り手を減らしていると思う。

コロナ禍における医療従事者への差別や偏見も同様だが、根も葉もないことを根拠に他者を苦しめる行為は、医療従事者や教職員の成り手を減らし、そのつけは結局自分に(すべての人に、後の世代に)返ってくる。

「雇用が増えれば募集も増え、応募者が増える!仕事を失った人が助かる!」という単純な図式にはいかない。

場があれば人が集まるということが簡単にはいかない現状ではあるけれど、教員免許を持つ客室乗務員も教育の現場に!という道が開ければ、それはそれで有り難いことだと思う。

子どもたちにとっても、教育現場への夢を持った人にとっても。

前川喜平さんは、元文部科学省官僚だけあって、いろいろな想いや願いがありますね。
(コラムのすべてに肯首するわけではありませんが、限られた字数の中でこれだけ書く項目があるわけですから、疑問点や改善点が多々あるのは伝わってきます)

今日のコラムを読んで先週のコラムを思い出し、「これはふたつでひとつの事案だな」と思い、引用して投稿しました。

少人数学級には、大きな可能性があると考えます。

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