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2020年12月14日 (月)

ウイルスの問題ではなく、人間の問題として

2020年12月10日に日本看護管理学会より出されたメッセージ「ナースはコロナウイルス感染患者の最後の砦です」を読ませていただきました。

私たちは自分の仕事を全うするだけですので、感謝の言葉は要りません、。ただ看護に専念させてほしいのです。差別や偏見はナースに対してフェアな態度でしょうか? なぜナースたちは、看護していることを社会の中で隠し、テレビに出るときにはモザイクをかけなければならないのでしょう。これでは、潜在しているナースも復帰をためらいます。

(中略)

国民の皆さまにお願いいたします。
・皆さまには、ご自分の健康と医療現場を守るため、なお一層の慎重な活動をしていただきたい。
・医療専門職として、感染予防には留意しております。私たちを偏見の目で見ることはやめていただきたい。
・また、もしも一旦仕事から離れている私たちの仲間が、看護の仕事に戻ってこようと思うときには、周囲の方にはぜひご理解いただき、この球場を救う意思のあるナースを温かく送り出していただきたい。

言葉の端々から、現状の厳しさが溢れ出ています。

このようなメッセージを発信しなければならない現状は、新型コロナウイルスが作り出しているのではなく、私たち人間ひとり一人が生み出しているようなものです。

“私”へのメッセージと受け止め、読まなければいけません。

それに、医療や看護の現場にいる方々は、誰よりも感染予防に気を遣いながら生きています。

私たちは、マスク着用や手洗いの励行に気を付けているとはいえ、医療や看護の現場にいる方々から比べれば全然甘い日常生活をおくっているのではないでしょうか。

大人数の行きかうなか、公共の交通機関を利用したり、食事をしたりしているのですから。

つまり、私たちの方こそ、差別や偏見で見られても仕方のない生活をしているのに、感染予防しながら慎重に生きている方々、このようなときだからこそ医療の現場に復帰しようと考えている方々のことを苦しめているのです。

そのような事実に、真剣に向き合わねばいけないと思います。

新型コロナウイルスがあっても、なくても、です。

私たちは、懸命に努める人びとを、貶めながら生活してはいなかったでしょうか?

そういうことを、このコロナ禍において考えます。

それから、あるナースさんが、このような呼びかけをしていました。

「ご自分の連絡先を身につけて外出してください」と。

自分の名前・連絡先(電話番号)・連絡先の受け手が誰なのか(両親とかお連れ合いとか)

このことは、新型コロナウイルスだけの話ではありません。

救急で運ばれてくる方の多くの方が、自分の名前や連絡先が分かるものを身につけておらず、それを調べる(誰かに連絡する)だけでも大変な作業になってしまいます。

救護だけでも大変なお仕事なのに、身元を調べなければならない。

せめて、身元がすぐに分かるようにしておくだけでも、救護者の手を煩わせずに済みます。

(実は、前々から言われていたことではあるのですが)

この呼びかけを読んでから、自宅の電話番号と妻の名前を書いて財布に入れています。

些細なことでも(些細なことだからこそ)出来ることをする。

個々人の意識の積み重ねが、感染予防にもつながるし、いざというときの現場の負担軽減の一助にもなります(なればいいな、と思います)。

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