大人って、しょうがない生き物だなぁ
子どもの時の出来事を、今でもふと思い出すことがある(フラッシュバックというほどのものではないけれど)。
☆
小学4年生のときのはなし。
クラスの班は6~7人で構成されている。
班長 副班長をはじめ、班員全員がなんらかの係に就いている(どんな仕事があったか忘れたけれど、確か給食係とか配布係とかだったような…。その係は決まっていて固定されている)。
でも、あるときクラス担任が「今日は、班の中の係を(班の)みんなで話し合って決めてください。新しい係も作っていいですよ」と呼びかけて、学級会が始まった。
私のいた班は、しっかり話し合って「班長と副班長、それから代理班長を置こう!」ということを思いついた。
副班長と代理班長って同じじゃないの? 仕事の内容は? というところも話し合い、副班長 代理班長の仕事内容も明確に分けた。
班のみんなが、「自分たちで話し合って、新しい係を見つけたね」と満足していた。
そして、班ごとに話し合った内容を発表する際、うちの班の「副班長 代理班長」が問題視された。
他の班の子と、クラス担任に。
「副班長と代理班長なんて、一緒じゃない‼」
ちゃんと、それぞれの役割を説明した。
けれど、却下された。
「自分たちで話し合って、新しい係も作ってください!」なんて鼓舞しておきながら、あっさり覆された・・・
☆
小学5年生、妹が1年生のときのはなし。
夏の夕刻、墓地で妹と一緒にリヤカーを引いて掃除をしていたときのこと。
リヤカーを、ちょっとお墓の角にぶつけてしまった。
ちょうどそれを目撃していたご婦人から「あなたち、どこの子? 何してるの‼」と怒鳴られ、怒られた。
(夕方の墓地でリヤカー引いてる子なんて、そのお寺の子だと思うのだけれど)
怒られている途中で、住職(父)が私たちを呼びに来た。
「お~い、ご飯だよぉ」
住職が近づいてくると そのご婦人は、
「あら住職! お子さんたち こんな時間までお墓の掃除をして、偉いですねぇ」と、今までの怒り顔がウソのように愛想を振りまき始めた。
私たちに対しても・・・
☆
このふたつの出来事が、私のなかで「大人って、こんな生き物なんだ」と思わせる大きな出来事だった。
今でもふと思い出すのだから、よほどのインパクトだったんですね。
さて、べつにクラス担任とそのご婦人に対する怒りがあるわけではありません。
その当時も今も。
「大人って、こんな生き物なんだ」と思わせてくれたいい奴だ! くらいに感じていました。
その当時も今も。
自分では子どもを信じて任せているつもりでも、やっぱり想定外のことをしだしたら拒否するよね。
目上の人(住職が目上というわけではないけれど)と位置付けている人に対しては媚びへつらうよね。
大人ってしょうがないなぁ、かわいそうだなぁ、さみしいなぁ・・・
自分も、年を重ねていったら そうなるんだろうなぁと、漠然と思った。
自分はそういう大人にはならないように気を付けよう! とは なぜか思わなかった。
年を重ねて、その理由(わけ)が身を染みてわかってきた。
娘たちに注意するとき、自分で言いながら、心のなかで笑いながら突っ込んでいます。
「自分が言われてたことじゃん!」って。
娘たちに「落ち着きなさい!」「じっとしてなさい!」なんて言うと、母と妻が笑ってます。
「あなたが言うか!」って。
えぇ、自分も年とったなぁってはなしです。
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