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2020年12月29日 (火)

一緒に過ごせる時間

「親といられる残りの時間は?」と尋ねられたとき、どれくらいの時間を思い浮かべますか?

平均寿命と言われるもので考えると、「あと何年」と、年単位を考えるかもしれない。

仮に、親の年齢が平均寿命まであと10年とします。

仮に、親とは別のところに住んでいて、盆休みと年末年始に計6日くらいしか帰省しない生活をしているとします。

実家に帰ったからといって、親とべったりなわけはありません。

ご飯を食べるとき、お茶飲みながらテレビ見てちょっとおしゃべりする程度だとすると、一日の内一緒にいるのは4時間程度だそうです。

その前提で計算すると、4時間×6日で24時間。

親とは一年のうちで24時間(1日)しか一緒に過ごさないことになります。

それが10年間ということで、240時間(10日)になります。

「平均寿命くらい生きてくれたとして、あと10年くらいは、親と一緒にいられるかなぁ」と想ったとしても、実際親と同じ時間を過ごすことができるのは10日ほどの話になります。

という話を、後輩から聞きました (*^_^*)

話の元を調べたら「チコちゃんに叱られる」(NHK)でした。

 ☆

うち(西蓮寺)は、二世帯住居の形をしていますが、職場でもあるので、比較的親と共に過ごす時間が多いと思います。

けれど、事務所で共に詰めている時間があるわけでもありません。

このコロナ禍、外への法務は基本 私(副住職)が出ています。

寺の務めも、住職・坊守・副住職・准坊守が、それぞれの仕事をそれぞれにしています(共同作業もありますが)。

食事は別々です。

すると、同じところに住んでいても、一日の内で一緒にいる時間となると、果たしてどれくらいになるでしょう。

“一緒に過ごす時間”と考えると、それほどの時間でもないのかもしれません。

 ☆

親と子の関係も様々ですから、「え!それだけしかないの!?」と感じた方もいるでしょうし、「べつにどうでもいい話だ」と思う方もいることでしょう。

親が先に亡くなる前提の話ですが、私が先に往くことだって考えられます。

入る息が出なかったら さようならのいのちを生きているのですから。

でも、親と子の関係だけでなく、「一緒に過ごせる時間」とは、連れ合いとの時間でもありますし、仲のいい友人との時間でもあります。

お互いが長生きしたとしても、“一緒に過ごす時間”は、かなり短いものになります。

それだけ、“一緒に過ごす”ということは、有り難いことなのですね。

このコロナ禍で、帰省を控えるように、自分たちはなにも控えない人たちから要望されています。

多くの方が帰省を控えている、諦めていることでしょう。

妻も秋田への帰省を見送ったので、子どもたちは残念がっています。

「あと〇〇年くらい」という思い方もありますが、「時間に換算すると何日分」という思い方もあります。

大切な人、恩のある人、一緒にいたい人・・・どんなに一緒にいたくても、その時間には限りがあります。

一緒にいる時間も大切ですが、一緒にいられないときもまた共に生きているんだという想いを大切にしたいものです。

帰省ができず淋しい思いをしている人が大勢いることと思います。

でも、こういうときだからこそ、電話で話したり、手紙を書いたり、メールをしたり・・・思いを伝える時間として大切に使って生きたいものです。

年賀状を書いていて、今年の正月にいただいた年賀状を見返していたら、今夏に亡くなった恩師からの年賀状がありました。

いただいたとき、それが最後の年賀状になるだなんて思いもしませんでした(当然です)。

人柄の表われている年賀状に、温もりと、周囲の人々に対する慈しみの想いを感じました。

思い起こされる“一緒に過ごした時間”があります。

これから一緒に過ごすことはかないませんが、今までに一緒に過ごした時間は無くなりません。

伝えた思い、伝えられた(いただいた)恩は、無くなりません。

ありがとうございます。

南無阿弥陀仏

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