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2020年12月 8日 (火)

12月8日

1941年12月8日、日本が米英両国に宣戦布告した日。

本日の朝日新聞の社説より

 研究者の考えは長年の研究活動の上に形づくられる。それが政府の意に沿わないからといって制裁の対象になれば、学問の自由は無いに等しい。他の研究者や受講する学生らの萎縮も招く。「会員にならなくても学問はできる」といった言説が、事の本質を理解しない間違ったものであるのは明らかだ。
 学術会議が、軍事研究を否定した過去の声明を「継承」するとしたことを、自由な研究の侵害だと批判するのも筋違いだ。そもそも同会議に大学や個人に何かを強いる力はない。軍事研究は性質上、学問の自由の根幹である自主・自律・公開と相いれない。その危うさを指摘し、科学者の社会的責任を再確認した点に声明の意義はある。
 コロナ禍や気候変動への対応など、専門知の活用がこれまでにも増して求められる時代だ。それを支える学問の自由を、より豊かなものにしていくことこそ人類の利益にかなう。23条の真の価値が問われている。

第二次世界大戦の反省を踏まえ、軍事研究を拒否、戦争に赴きそうな動きのに警鐘を鳴らすという「日本学術会議」の役割があった。

その役割を担う日本学術会議を、国から独立した法人格に位置付けようとする自民党案が出ている。それは、国に、政府に反旗を翻すものは認めないという姿勢の表れ。つまりは、軍事研究の推進や戦争に向かわんとする動きに抗うものは認めない(許さない)という動き。

研究者、つまり専門の分野の人の声を聞かないということは、軍事研究の件のみならず、現在の新型コロナウイルスにおける専門家の声を聞かない(聞いているふりをする)態度と似通って見える。

国や政府の考え方とピッタリ合う専門家を従え、政策運営するのなら、そもそも専門家も、有識者も、外部の意見も聞く必要がなくなってしまう。けれど、それでは道を見誤る。政府与党自身の首を絞めることにつながることを、どうして気づかないのだろう?と思う。もっとも、そういう声を挙げる人が政府与党内部にいないのだから仕方のないこと。
反対意見を言われることは、正直きついこと。しんどいこともある。イエスマンばかりだったら、どんなに気が楽か。と考えるけれど、イエスマンばかりで誰も文句を言わない時の私の意見は、だいたい大した意見(考え方)ではない、ろくな意見ではない、間違っている場合だってある。にもかかわらず、指摘してもらえない悲しさ。そして怖さ。
「日本学術会議」を置いておくことは、国のため国民のため以前に、政策運営のため(政府与党自身のため)に必要不可欠なことであると思う。

12月8日、過去の過ちを繰り返さないためにも、宣戦布告した過去と共に覚えておかなければいけない日。
現代(いま)の日本が、世界がどこに向かおうとしているのかを、あらためて確認しなければいけない日(特定の日の話ではないけれど)。
いま、決して安心できる状況にないことは、日々のニュースを見ていれば明らかだ。

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